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樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その2 高知城の歴史

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」
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高知城の歴史 


 


 


 高知城の歴史は、「図説・高知県の歴史、責任編集・山本大」に拠ったが、南北朝の時代(西暦1335年頃・660年の昔)に、此処大高坂城に拠って南朝方の中心勢力として戦った、大高坂松王丸にまで遡ることが出来る。


 


興国1年(西暦1340年・655年の昔)南北朝の戦いで、大高坂城が落城し松王丸は戦死したと伝えられている。


 


さらに248年の後、天正16年(西暦1588年)長宗我部元親は岡豊より此処大高坂に移ったが周囲に水害が多く、天正19年には浦戸城へ移っている。


 


関が原の戦功により土佐の国主となった山内一豊は、計帳6年(西暦1601年・394年の昔)大高坂城の築城に着手し、慶長8年落成、名を河中山後、高智さらに高知と改めている。


 


さらに慶長16年(西暦1611年・384年の昔)城の西側にあった中高坂山を崩して三の丸に盛り土して仕上げ、その跡地には桜を植えたので、桜馬場と名付けられた。


 


享保12年(西暦1727年・268年の昔)越前町より出火して1300余戸を消失、高知城も類焼により建物の大半を消失した。


享保14年、高知城再建工事に着手し、24年の歳月を経て、宝暦3年(西暦1753年・242年の昔)に完成した。


 


大政奉還により、明治4年(西暦1871年・124年の昔)廃藩置県となり、山内家は高知城を高知県に譲渡した。


 


高知県は、明治6年高知城を高知公園と改め、県立都市公園として広く県民に開放した。


 


昭和9年(西暦1934年・61年前)国宝(現在は重要文化財)に指定され更に、昭和34年(西暦1959)には、高知城の全域が史跡に指定されている。


(注:これは1995年に作成したものです)


樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その3 歴史と樹齢

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その3 歴史と樹齢


  




 

 
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  史跡「高知城」に見られる樹木は、高知市教育研究所発行による「高知公園の樹木」によると、広葉樹140種・針葉樹19種・計159種が調査されている。


 


この調査の時点と現在との間に、一部の枯損とその後の植栽で多少の変動が生じていることも考えられるが、古木については大きな変動は無いものとして、上記調査による位置図を基礎として現状の把握に当たった。


 


古い樹木の樹齢については、その判定は極めて困難である。


昔から使用されている成長錐、最近の軟X線、超音波装置等いずれによっても、古木に良く見られる心材部の腐朽があれば、これらの器機・装置の使用は無意味となる。


 


今回の調査における樹齢の把握は、上記の「高知城の歴史」を基礎として、樹木の生立環境・条件を判断し、樹相(樹種と大きさ・樹幹の様相・古さ等)により、歴史との関係を想像し樹齢は調査者の独断により推定した。


 


歴史的事実との照合が可能であり、誤差も大きくは無いものと判断できるものもあるが、多くは推定の範囲に止まることになった。


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「高知城の樹木」の樹齢については、基本的には次の区分を推定の拠り所とした。


 


(1)、明治6年(西暦1873年)高知公園・県立都市公園としての開放時


(2)、享保12年(西暦1727年)の大火災


 


この歴史的事実を基礎とすれば、(1)の区分によれば122年生が境であり、(2)の区分によれば268年生が境となる。


 


(1) の史実は最も新しく、又、樹種等との関連性により判断の比較的容易な部分である。


 


それは、県立都市公園として開放時の造園工事が見られる部分と、イチョウ・ヌマスギ・ヒマラヤスギ等渡来樹種との重なる部分であり、これ等は都市公園としての開放時に植栽されたものと判断することが出来る。


 


(2) の部分以降の築城工事と同時に植栽されたもの、更に、その当時に、又、それ以降に自然発生的に生育したものについては推定が困難である。


 
  



  


さらに、高知城の樹木の中にはこの享保の大火を免れた、最も古い樹齢の樹木も相当生育しているものと見ることが出来るようである。


 


これらの部分に当る樹木については推定樹齢と、実樹齢との間に逆転の誤差が生じる事も無しとは言えない。


 


多くの諸賢のご指摘をお願いしたい。(注:これは1995年に作成したものです)


 


 樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」シリーズ


樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その4 樹齢の推定・・イチョウ

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その4 樹齢の推定


 


 


(1)、県立都市公園設立時の植栽


この部分については、植栽の集団性と樹種の特異性により、推定が比較的容易な部分であり、以下、観察結果を樹種別に記述する。


 



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a)、イチョウ


 


この樹の植栽については2つの時期が考えられる。


 


その1つは、公園開放直後の植栽と考えられる、県庁正面の3本と県立図書館前の樹で、最大は図書館前の樹であり胸高周囲は255cm、推定樹齢は120年程度と見られる。


 


他の一つは、以後少し時を経た後のもので、高知城東南部、公園の旧厩跡と、滑り山南側の山裾、及び旧二の丸裏の通路の3箇所の集団が主なもので何かの記念植樹ではないかと思われ、最大の樹は滑り山南山に在り胸高周囲は285cmあるが、推定年齢は80年程度と見られる。


 


 



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滑り山部分の樹は、生育が陰地と立地がやや自然である環境より、樹高成長30mを超えるものが見られるが、二の丸裏の通路石垣の天場に植えられたものは良好な成長が災いとなり、昭和30年代の後半頃、台風時に石垣の崩壊を起こし始めた事があり、樹高を規制するため剪定が実施されている。  (注:これは1995年に作成したものです)


 

 


 樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」シリーズ


樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その5 樹齢の推定・・ヌマスギ

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その5 樹齢の推定


 


b)、ヌマスギ


 


落羽杉と呼ばれるこの樹は、アメリカ南部からメキシコに分布するもので、明治の開放時に記念樹として渡来、植栽されたものであろう。


本来沼地等の水湿地に生育する樹で、県庁西門を挟んで立つ2本の樹は、前の堀の水中に「気根」を出して生育している。


その他にも、旧三の丸の大書院跡、滑り山の西裾、その他等にも植栽されているが、最大の樹は西門西側の樹で胸高周囲は195cmであり、推定樹齢は80年程度と見られる。(注:これは1995年に作成したものです)


 


 

 
 
P1010240.jpg樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」シリーズ

樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その6 樹齢の推定・・・ヒマラヤスギ

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その6 樹齢の推定


 


c)、ヒマラヤスギ


 


インドヒマラヤの原産で、明治初期に我国に渡来したものである。 高知城東南部公園に植栽が見られるが、数は少なく、最大のものでも胸高周囲は195cmであり、推定樹齢は80年程度とみられる。(注:これは1995年に作成したものです)


 


 



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樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」シリーズ


樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その7 樹齢の推定・・・トウカエデ

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その7 樹齢の推定


  


d)、トウカエデ


 


中華民国原産で古くから渡来し庭園等に植栽されており、唐カエデの意味である。


「滑り山」南の山裾部にイチョウに混じって数本の植栽が見られ、最大のものは胸高周囲は130cmであり、推定樹齢は80年程度とみられる。(注:これは1995年に作成したものです)


 



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                 武道館・弓道場の入り口に、一本目立っています。



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               「滑り山」南の山裾部にイチョウに混じって数本の植栽


 


樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」シリーズ


樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その8 樹齢の推定・・・センダン

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その8 樹齢の推定


  


d)、センダン


 


オウチとも呼ばれるこの樹は暖温帯の海岸部に多く生育するもので、古くから学校・公共施設・街路樹等として植栽されていたが、この植栽も明治以降のものが多いものと考えられる。


 


高知城には多くの古木が見られたが、大半のものが古損・消滅しており、現存の古木は、板垣退助像の背後の石垣上の在り、胸高周囲は410cmあり推定樹齢は100年程度と見られる。


                               (注:これは1995年に作成したものです)


 


 


 



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樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」シリーズ



樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その9 樹齢の推定・・・マツ類

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その9 樹齢の推定


 


(f)、その他(マツ類・桜・杉)


 


二の丸奥御殿跡、及び三の丸大書院跡には多くの樹木が植えられている。二の丸には主としてアカマツが植えられ、推定樹齢は80年程度、三の丸には桜が植えられ推定樹齢は40・20年程度の二種類が見られる。


そのいずれも公園として開放され、更に、史跡「高知城」としての観光客も多く踏圧は激しい。杉は、旧綿倉門北側の「杉の段」が主体である。このうち、通路脇に街路樹状に列植えされたものはやや古く、推定樹齢200年程度と見られるが「乾の角」に見られる一本は更に古く、胸高周囲は390㎝あり、推定樹齢は300年程度かと見られる。杉の段下の集団植栽は少し若く、推定林齢100年程度と見られる。(注:これは1995年に作成したものです)


 



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 樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」シリーズ



樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その10 樹齢の推定・・・桜

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」 その10 樹齢の推定


 


(f)、その他(マツ類・・杉)


 


二の丸奥御殿跡、及び三の丸大書院跡には多くの樹木が植えられている。二の丸には主としてアカマツが植えられ、推定樹齢は80年程度、三の丸には桜が植えられ推定樹齢は40・20年程度の二種類が見られる。


そのいずれも公園として開放され、更に、史跡「高知城」としての観光客も多く踏圧は激しい。杉は、旧綿倉門北側の「杉の段」が主体である。このうち、通路脇に街路樹状に列植えされたものはやや古く、推定樹齢200年程度と見られるが「乾の角」に見られる一本は更に古く、胸高周囲は390㎝あり、推定樹齢は300年程度かと見られる。杉の段下の集団植栽は少し若く、推定林齢100年程度と見られる。(注:これは1995年に作成したものです)


 



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                   三の丸の桜と高知城


 


 



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                      三の丸の桜(標本木)


 


 


樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」シリーズ



樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その11 樹齢の推定・・・杉

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」 その11 樹齢の推定


 


(f)、その他(マツ類・桜・


 


二の丸奥御殿跡、及び三の丸大書院跡には多くの樹木が植えられている。二の丸には主としてアカマツが植えられ、推定樹齢は80年程度、の丸には桜が植えられ推定樹齢は40・20年程度の二種類が見られる。


そのいずれも公園として開放され、更に、史跡「高知城」としての観光客も多く踏圧は激しい。杉は、旧綿倉門北側の「杉の段」が主体である。このうち、通路脇に街路樹状に列植えされたものはやや古く、推定樹齢200年程度と見られるが「乾の角」に見られる一本は更に古く、胸高周囲は390㎝あり、推定樹齢は300年程度かと見られる。杉の段下の集団植栽は少し若く、推定林齢100年程度と見られる。(注:これは1995年に作成したものです)


  


 
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樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」シリーズ



樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その12 樹齢の推定・・・タブノキ

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

(2)、1727年(享保12年)の大火災以降の樹木


 


越前町辺りより出火したと伝えられているこの大火災は、城下1300余戸を焼失し高知城も類焼により追手門等二・三の建物を除いて殆どを消失したと伝えられている。


 


これだけの大火であれば樹林地への影響も相当に大きかった事と想像され、上記(1)の区分以外の城郭や付帯部の自然林等の大部分の樹木はこの区分に相当するもので、推定樹齢は200250年程度ではないかと考える。


 


この区分に当たる樹木はその数が多く個々に説明することは出来ないが、少し詳しく述べた区分(1)及び次に述べる区分(3)享保の大火災以前よりの古木と推定されるものが見られるので、以下に記述する。


 


3)、享保の大火以前の古木


 


この「古木」の部類に属する樹木は、自然発生的に生立したものとみられ、樹齢は268年以上と考えられる。


 


見られる樹種としては、タブノキ・クスノキ・エノキ・ムクノキ・モミ・カヤ・イヌマキ等であった。


なかでも、冷温帯性の「カヤ」と暖温帯の「イヌマキ」が近くで同時に見られることは、自然破壊の少なかった古い時代の植生の幅の広さの一端を伺い識ることが出来る。


 


以下、各樹種の代表的な樹について記述するが樹齢についての推定は極めて困難であり、推定の範囲でしかない。


 


① タブノキ


最古のものは県庁舎の裏山に2本在り、東樹は胸高周囲325cm・西樹は胸高周囲335cmで、推定樹齢はほぼ600年程度と見られる。


この樹齢によれば、生立は1395年頃となり大高坂松王丸が没して55年後となり、歴史の生きた証人である。  


   (注:これは1995年に作成したものです)


 


 


※ 県庁舎の裏山のタブノキは、今回撮影出来ませんでした。以下の画像は"梅の段"北側のトイレの前にあるタブノキです。


 


 



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樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」シリーズ


樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」  その13 樹齢の推定・・・クスノキ

2011-01-21 | 入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」

3)、享保の大火以前の古木


 


この「古木」の部類に属する樹木は、自然発生的に生立したものとみられ、樹齢は268年以上と考えられる。


見られる樹種としては、タブノキ・クスノキ・エノキ・ムクノキ・モミ・カヤ・イヌマキ等であった。


なかでも、冷温帯性の「カヤ」と暖温帯の「イヌマキ」が近くで同時に見られることは、自然破壊の少なかった古い時代の植生の幅の広さの一端を伺い識ることが出来る。


以下、各樹種の代表的な樹について記述するが樹齢についての推定は極めて困難であり、推定の範囲でしかない。


 


 


② クスノキ


最も古いと見られる樹は、大高坂山の「乾の角」二在り、胸高周囲345cmの巨樹であり、推定樹齢は400年程度と見られ、生立は1595年頃となり、元親が大高坂を捨て浦戸に移った直後の生立となる。  (注:これは1995年に作成したものです)


 


 


※ クスノキの大木は、高知では鎮守の森等で多く見かけます。


  高知城のクスノキの紹介では、一番目に付きやすいのがこの樹だと思われますので、ご紹介しました。


 



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樹木医・入交幸三さんの「高知城の樹木(きぎ)」シリーズ


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2011-01-21 | HN:アングル さんの記事

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