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老子「第一章」道徳経

2012-12-23 20:09:39 | 老子「道徳経と伊勢白山道「道経1~37
これが正しい人生(道)だと言い表せる様な人生(道)は、本当に正しい偉大な人生(道)などではない
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・老子「第一章「道徳経と伊勢白山道」道経 
第一章 *老子を英訳http://www.chonmage-eigojuku.com/magetan/roushi01.html
・原文 「書き下し文
道可道、非常道。 「 道(みち)の道とすべきは、常(つね)の道に非(あら)ず。
名可名、非常名。 「名(な)の名とすべきは、常の名に非ず。

無名天地之始、有名萬物之母。 「名無きは天地(てんち)の始め、名有るは万物(ばんぶつ)の母。
故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。 「故(ゆえ)に常(つね)に無欲(むよく)にしてその妙を観、常に有欲にしてその徼を観る。

此兩者同出而異名。 「この両者は同じきに出でて而(しか)も名を異(こと)にす。
同謂之玄。 「同じきをこれを玄(げん)と謂(い)い、
玄之又玄、衆妙之門。 「玄のまた玄は、衆妙(しゅうみょう)の門なり。
現代語訳
これが「道」だと言い表せる様な道は、偉大なる不朽の道ではない。
これが「名」だと呼べる様な名は、真実不変の名ではない。

天地が創られた時には名など存在せず、万物が生み出された後にそれらは名づけられたのだ。
だから無欲な心をもってすれば、万物の深遠なる姿を見る事ができるだろう。
欲望の虜のままでは、万物の上辺の姿しか見る事ができない。

この両者の根源は同じ一つの物であるのに、それぞれ別の名を持っている。
その根源を「玄 - 深遠なる神秘」と私は名づけたが、
その玄のさらに玄からこの世の全ては生み出されている。


英訳文
"A way" you can call it way is not the great everlasting way. "A name" you can call it name is not the true unchangeable name. There was no name when the world was created. After all things were created, they were named. So if you are disinterested, you could see profound forms of all things. If you are greedy, you can see only surface of them. The source of both of them is the same one. I named it "deep mystery". And the further source of the mystery is producing all phenomena and things of the world.


*ネームバリューにダマされずに本質を見る大切さ  2012-08-23
伊勢ー白山 道 記事全文http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20120823
老子の言葉 第一章
(独自の超訳)
これが正しい人生(道)だと言い表せる様な人生(道)は、本当に正しい偉大な人生(道)などではない。

これが本当の「名前」だと呼べる様な名前は、真実の名前ではない。
天地が創られた時には名前などは存在せず、万物が生み出された後にそれらは勝手に名づけられたのだ。
だから無欲な心をもって見れば、“名前に左右されない”物事の本当の姿を人は見る事ができるだろう。
欲望の心のままでは、人は物事の上辺の姿しか見る事ができない。名前(人の地位)に左右されてしまう。

この世は、すべてが1つの同じ根源存在から創られたのに、陰と陽という2つの別々の名前を持っている。
その1つなる根源存在を「深遠なる神秘」と私は名づけたが、その神秘(玄)もやはり別の神秘からこの世の全ては生み出されている。これが、この世の万物が生まれ出る門(仕組み)です。

原文
「道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。」
(感想)
どんな人間の人生も“意味が有り”、それぞれ非常に大切な人生だと言うことです。
コノ世で偉い人物の人生が正しい訳では無く、どんな人生でも二度と無い大切でかけがえのない人生なのです。
人は、自分の人生は失敗だったとよく言います。
でも、生み出した存在(親)からすれば、わが子たち(人間)がコノ世で色んな経験をして七転八倒していても、それが輝いて美しく見えるのです。
親は、自分の子供が学校で悪い点数を取ってくれば将来を心配して怒りますが、祖父母は孫が取る点数よりも孫が存在するだけで十分なのです。
だから生み出した根源存在からすれば、どんな人間の人生も素晴らしいのです。

人間が他人を見ている時は、その人物を見ているのか、その人の名前(持ち物など)を見ているのか、どちらなのでしょうか?
知人によく似た人物が名前を偽って成りすましますと、多くの人々はダマされます。
知人の心・性質までは知らないから外見だけでダマされます。しかし、ダマされた人は、普段から知人の心を見ようとしていたのでしょうか?
私たちは日常生活において、他人の外観(ネームバリュー)だけを見ようとはせずに、相手の気持ち・本質を見る視点を持つことが大切なのです。
自分の家族にも、家族の気持ちを「見ようとする心」を自分が持つことが大切です。


最後の文章は、非常に大きな内容を老子は言っています。おそらく現代物理学においても言える内容だと思います。
この宇宙の始まりと実相を言語表現しようとすれば、言葉の限界があります。しかし、老子の深遠性は、的確に表現していると感じます。
要約しますと、
「宇宙は、1つなのに、2つの名前(陰陽の側面)を持っている。
しかし、その唯一の1つは、2つから生まれているのだ。」

  *コノ世のすべては「五行=木・火・土・金・水」の5種類の元素
1=2、という「循環」から万物が発生していることを老子は示唆していると私は解釈します。
別の表現にしますと、男女2名から子供が生まれます。
夫婦では1組ですが、大人の人間では2名です。
また、宇宙から地球を見ますと1つの天体です。しかし、地上から見ますと、多くの国々や70億人の人類が存在しています。1=70億。

つまり名前という視点を変えれば、同じ1つのモノであってもコロコロと姿も数量も変化するのです。
このようなことが、世の中には色んな場所で意味で存在するのです。
だから老子は、
「名前というものにダマされずに、その本質を見ましょう」と言っているように私には感じます。

「読者の超訳」
ひとがこれが神様だと言い得るような神様は、本当の神様ではない。人は神に色々な名前を付けるが、それは「本当の」神の名前と言えるだろうか。
天地は名前も形もないところから始まり、そこから「あれ」や「これ」と名前や形になって万物が生まれて来たのだ。
名前や形にとらわれずにその本当のところ(妙)を見つめる(見神)。また名前や形にとらわれてその上っ面に目を奪われる。一見違うように思えるが、これらは私たちの意識の深いところ(玄)から生れて来る、同じ一つの神秘のはたらきなのだ。その神秘のはたらきの奥に更なる神秘(玄之又玄)がはたらいている。全てのいのちの不思議はそこから生れて来る。


生かして頂いて ありがとう御座位ます


どんな人の人生も素晴らしい 2017-07-26 老子の人生論
伊勢ー白山 道 記事全文http://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/d/20170726 
参考記事:老子の言葉 第一章「ネームバリューにダマされずに本質を見る大切さ」

「老子の人生論」第一章
*「これが正しい人生(道)だと言い表せる様な人生(道)は、本当に正しい偉大な人生(道)などではない。」

(感想)
・ 自分の人生は、何をしても途中で止めてしまうダメな人生だ。
・ 自分は何をしても他人に劣り、恥ずかしい人生。
・ 良い行いよりも、悪い行い、恥ずかしい行いの方が多い自分の人生。

このように自身を卑下(ひげ:自分を他人より劣った者にすること)する人はいます。
更には、自分自身を罵倒するように、自分を呪うような人も、中にはいます。

・ 自分の人生は本当にくだらない、最低だ。

自分の努力不足を、まるで自分も親も家系も他人事のように罵倒することで、自分の小さなプライドを保とうとする人もいます。

でも老子は、
* 「これが正しい人生だと、言えるような人生はどこにも無い!」
と断言されています。

これはつまり、
* 「たとえどんな人生であっても、それで素晴らしいのだ!」
と老子が深い深い視点から断言されていると私は感じます。

更には、老子は挑戦的に、挑発するように、
* 「正しい人生というものが本当に有れば、どんな人生か?教えて欲しい」
と問い掛けているようにも私は感じます。
では、正しい人生とは何でしょうか?

・ 他人に勝ることが、正しい人生なのでしょうか?
「他人に勝つ」と思う時点で、何か恥ずかしいものがあります。
他人に勝った後は、どうするのでしょうか?

・ 裕福に成ることが、正しい人生なのでしょうか?
金持ちに成りたければ、犯罪でも一時的には可能です。
やはり、富裕と正しい人生には関係がありません。

むしろ日本には、清貧(せいひん:貧しくても清く正しく生きること)を美しいと感じる文化がありました。
清く正しく「生きたい」と思えることが重要に感じます。
でも人生は厳しくて、そう思いながらも、その結果は清く正しく無いことも人生でしてしまうかも知れません。

でも老子は、
* 「それで良いのだ」
* 「正しい人生など無い」
という全肯定をしているのが、この「第一章」の趣旨に感じます。

要するに、正しい人生とは、
* 正しく生きたいと「思えること」
* 正しく生きようと「すること」
* そう思えた人生は、どんな結果でも正しい人生だった

人生の結果は関係なくて、人の志(こころざし)にこそ、それは正しい人生だと言えるモノを感じます
私は、誰のどんな人生も素晴らしいと思います。
どんな結果でも、悩みながら、悲しみながら、怒りながら、心配しながら誰もが生きています。

そもそもが人が、こういう生きる経験が出来ることが、地球という惑星にとっての奇跡であり、見渡す宇宙の範囲内でも無いことなのです。
誰もが大いなる奇跡の中で生きています。生かされています。
だから、どんな人生でも奇跡であり、素晴らしい

生かして頂いて 有り難う御座います


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