りなりあ

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指先の記憶 第二章-21-

2008-12-31 14:49:03 | 指先の記憶 第二章

殆ど毎日見てきたけれど、近くで見るのは珍しい。
「無駄話している場合じゃない。2週間しかないんだぞ?昨日は瑠璃の家に行ったんだろ?」
「へ?」
「今日も行くのか?」
「は、はい。この2週間は夕食は瑠璃先輩と一緒に。」
瑠璃先輩の好意は、凄く嬉しかった。
夕食の準備から解放されるのは、とても助かる。
と言っても、今までも須賀君に頼っていた訳だけれど。
「それなら、瑠璃に任せられる教科は任せて。ほら、座れ。」
松原先輩が、鞄の中から取り出した物を机の上に置いた。
「朝が早いと授業中に困るだろ。」
机の上に置かれた布の包みは、可愛いピンクの水玉模様だった。
「…開けてもいいですか?」
松原先輩に促されて椅子に座った私は包みを開けた。
そこにはおにぎりが2つ入っている。
「えぇ?これ、松原先輩が握ってくれたんですか?う、わぁー…意外。スッゴク意外。これは報告しなくちゃ。ちょっと今まで、こういう情報はなかったですよ?私のファンクラブ歴は短いですが、でも結構貴重な位置にいますし。それにしても…この包みの可愛さは、ちょっと卑怯ですよ。松原先輩が水玉模様って、それもピンクって、これって、ポイント高いのかなぁ?やっぱり低いか」
「…姫野。」
「はい?」
おにぎりの包みが私の前から消える。
「握ったのは俺の母親。こんな布を俺が持っている訳、ないだろう?折角持って来てやったのに。」
顔を上げると、松原先輩が嫌そうな顔をしていた。
「す、すみません!」
うわ…。
余計な事を言ってしまったかも。
「で、でも、そのおにぎり、先輩のお母さんが私にって作ってくれたんですよね?」
問うと松原先輩が、溜息を出して頷いた。
「だったら遠慮なくイタダキマス。」
そう言ったのに、松原先輩はおにぎりを机の脇に寄せる。
「食べるのは勉強が終わってから。始めるぞ。」

◇◇◇

「あのぉ…弘先輩。本当に申し訳ないとは思っているんです。朝、早く来てもらうことになってしまって。すみません。でも、ですね。一応2週間と期限が決められていて。」
「そうだよね。どうして2週間なんだろうね?」
「はぁ…松原先輩と瑠璃先輩が、そう決めたみたいで。」
「でも、まださ、始まったばかりだし。」
「まぁ、そうなんですけれど。」
松原先輩との時間で、緊張というものを思い出したのは、先輩が教室を出た後だった。
松原先輩は、とても簡単に私の緊張を取り除いてくれて、勉強に集中させてくれた。
私の中から緊張感が消えるのは良くないとは思うけれど、松原先輩に感じていた緊張感は、勉強をするには不必要なものだ。
それを取り除いてくれた先輩に感謝して、翌日の担当は弘先輩だと気付いた私は、自分がどんな緊張を感じるのか、全く想像できなかった。
ただ、勉強には相応しくないものだということは分かっているから、あまり昨夜は眠れなかった。
「食べる?姫野さん。」
それなのに。
寝不足の私に、弘先輩がチョコを差し出した。
「えっと。」
「あ、そうか。姫野さん甘いもの苦手なんだよね。」
「苦手というか、食べますけれど、杏依ちゃんほど好きじゃないというか。」

「香坂さん、食欲に関しては無敵だからね。」
弘先輩も凄いと思うけれど。
「今日は、暖かいね。」
「そ、そうですね。って、ちょ、ちょっと弘先輩?」
な、何、この人は?
どうして、窓の外を見て、そして幸せそうに目を閉じるの?
「あ、あの。弘先輩?」
「昨日も瑠璃ちゃんの家に行ったんだよね?毎日大変だね。朝も早いし、夜も遅くまで。」
「えぇっと、先輩達にはご迷惑をおかけして、申し訳ないと分かっていますけれど、私の成績、非常事態で。」
弘先輩が机の上に顔を伏せた。
「早起きって…気持ちいいなぁ…。」
「弘先輩、お」
起きてください、と言えなかった。
ドキドキして眠れなくて、心配して損をしたかも。
私は窓の外に視線を向けた。
週末からは天気が崩れると今朝のテレビで見た。
もうすぐ梅雨だ。
カレンさんの庭の紫陽花が綺麗に色付いたら、写真を送ろう。


指先の記憶 第二章-20-

2008-12-30 16:11:09 | 指先の記憶 第二章

早速、翌日から“先輩達”が私の勉強を見てくれる事になった。
朝の時間に1時間を確保するのは無理だからと、時間を50分と決めたのは須賀君。
先輩達に“指示”するのは、後輩として問題があると思うけれど、なんとなく楽しそうな先輩達。
気が進まないのは私だけだ。
でも、そんな本心を見せたくはないし、見せてはいけないと思うし、それに、とても嬉しい事だと…思う。
先輩達は2週間で、どうにかすると言った。
そう言われてしまうと、張本人である私は、どうにかしなくてはいけない。

◇◇◇

1日目は瑠璃先輩だった。
とても緊張した。
でも、その緊張感は貴重だった。
須賀君に対しては、当然のように消えてしまった緊張感。
それは絵里さんに対しても同じだった。
最初は凄く緊張していたのに、いつの間にか消えている。
だから先輩と後輩という関係が生む緊張感は、心地良いものではないけれど、少し懐かしいような恥ずかしいような、そんな気持ちだった。
使われていない教室には時計がなく、カレンさんが贈ってくれた時計で時刻を確認すると、教室に行く時間が迫っていた。
「瑠璃先輩。ありがとうございました。次のテストは高得点をとれそうな気がします。」
「…とってもらわないと困るけど。」
「そ、そうですね。」
荷物を鞄に入れて立ち上がろうとしたけれど、瑠璃先輩は座ったままだった。
「姫野さん。」
「はい?」
「放課後は時間、あるの?」
「放課後ですか?」
「この状況だと2週間では難しそうだから。」
瑠璃先輩が困ったように私を見る。
「…えぇっと、でも。放課後までお世話になったら…迷惑、だと思うし。」
「私は構わないわよ。期間限定だから。姫野さんは大丈夫なのかしら、と思ったの。」
「私ですか?」
有難い申し出を断る理由など、ない。
「部活が終わった後…ほら、この前。来てくれた人がいるでしょう?彼女と会う予定とか、あるの?」
瑠璃先輩は絵里さんの事を話しているようだった。
「週に2回ぐらい家に来るように、そう言われているんですけれど、でも今回の事を話したら、まずは勉強が第一だって言ってくれて。とりあえずは保留、という感じです。」
「週に、2回?」
瑠璃先輩が不思議そうに私を見た。
「そうなんです。色々と教えたいことがあるから、とか言われていて。何を教えられるのか想像できる部分もあるけど、分からない部分もあって。」
「随分と親しい、のね。」

瑠璃先輩が驚いた表情を私に見せた。
「…笹本絵里さん、よね?」
「絵里さんのこと、御存知だったんですか?」
今度は私が驚く番だった。
「杏依の結婚式の時に。」
「杏依ちゃんの?」
「だって彼女、倉田直樹さんの婚約者、よね?あの時、一緒にいた人、倉田直樹さんでしょ?新堂さんの従弟の。」
「そうみたいですね。須賀君から聞きました。」
ふと、不思議に思った。
どうして、須賀君は直樹さんが新堂晴己の従弟だと知っていたのだろう?
車で送ってもらったのだから、そういう会話をしたのだろうか?
「姫野さん。もし放課後に予定がないのなら、今夜は、私の家で一緒に夕食を食べない?」
瑠璃先輩の誘いに、私は迷うことなく頷いた。

◇◇◇

「おはようございます。」
私が慌てて立ち上がった拍子に、机の上の消しゴムが床に落ちて転がった。
「おはよう。」
松原先輩が消しゴムを拾って机の上に置いてくれる。
「あ、ありがとうございます。」
背の高い松原先輩を見上げると、とても首が痛い。
考えてみれば、松原先輩と2人っきりになるのは、初めてだ。
この緊張感は、昨日の瑠璃先輩とは比べ物にならない。
「す、すみません。松原先輩!私、先輩と勉強するの…じゃなくって、先輩に教えてもらうのは無理な気がします。絶対に無理です!」
松原先輩は、椅子に座って机の上に広げられている私の教科書とノートを見ていた。
「聞いてます?先輩。私、今、とっても緊張して」
松原先輩が私を見上げた。

その視線に、思わず足が後ろに動いた。


指先の記憶 第二章-19-

2008-12-23 01:47:56 | 指先の記憶 第二章

今日の午前中、テストの答案が返された。
入学して、まだ少し。
教科書もそれほど進んでいないと勝手に思い込んでいて、どうにかなるだろうと簡単に考えていた私は惨敗だった。
その結果を、どうして知っているのか分からないけれど、クラスが違う須賀君が昼休憩になった途端、私の教室に姿を見せた。
須賀君の態度が、まず嫌だった。
私が須賀君に答案を見せるのを当たり前のように、須賀君が見るのが当たり前のように、彼は私の机の横に立った。
そんな態度の須賀君に言い返したのが間違いだった。
須賀君には関係ない。
思わず出た言葉に、彼が怒った。
彼が怒った事が、更に私を苛立たせた。
クラスメイトの視線が気になるから鞄を持って教室を出て、説教のような小言を続ける須賀君に適当な相槌を返して、私は女子トイレに入った。
女子トイレの窓から逃げたのに、すぐに気付かれて追いかけられて、そして今の状態に至っている。
「うわぁ…これは、ちょっと酷いわね。」
顔を上げられなかった私が、その言葉に戸惑いながら顔を上げると、入り口に先輩達が立っていた。
「ほら。松原君見て。」
瑠璃先輩が見ていた用紙を松原先輩に渡す。
「こういう点数って、杏依の答案用紙以外で見たことないわよね。」
「あぁ!!ちょっと待ってください!」
弘先輩が抱えている鞄は開けられている。
ということは、先輩達が見ているのは私の答案?
「…よく…入学できたな。姫野。」
松原先輩の言葉が、私の胸に突き刺さる。
「責任感じるわよね。この点数。」
瑠璃先輩が、弘先輩に私の答案用紙を見せる。
「見せないでください!」
「サッカー部のマネージャーをしているのが原因だって言われると。」
私は首を横に振った。
「須賀君の友達なら、そう思ったのは私達だし。」
瑠璃先輩が答案用紙を鞄の中に入れる。
「松原君のファンクラブ会員なら、それはそれで都合が良いと思ったし。」
弘先輩が開いた鞄を閉じてくれる。
「でも、まぁ、どうやら偽ファンみたい」
「ち、ちがいます!」
私は慌てて立ち上がる。
「わ、私は」
「姫野。急に立ち上がるな。」
私は隣を見上げて、須賀君に見下ろされている事に気付いて、更に焦る。
「い、今…て、点数、見た?」
「見た。」
「ご、ごめんなさい。ごめんなさい!今日から、ちゃんと勉強するから。宿題も学校で写させて貰った…い、いや違う!ちゃ、ちゃんと自分でしてたから。うん。時々、時間がなくて忘れた時とか見せてもらったけど。今日からは自分でするし、あぁ!ダメダメ!今日も部活あるし、ど、土曜日になったら」
「だから、それだと困るの。」
瑠璃先輩の言葉が、動揺している私の言葉を遮った。
「部活が原因だと言われると、私達が困るの。だから」
恐る恐る視線を移動させて、そして見た瑠璃先輩の表情が私の背筋を凍らせる。
「楽しそうだわ。姫野さん。」
それは、まるで。
絵里さんのようで。
「みんなで協力するわね。」
「…あ…。」
その光景は、中学の時にファンクラブが憧れたモノ。
「…杏依…ちゃんの」
まだ、私が彼女に出会う前の。
彼女の事を何も知らない頃の。
「先生…達、だ…。」
表情が変わらなかったのは弘先輩だけで、瑠璃先輩と松原先輩は少し表情を固めた。

「そうね。」
そして、瑠璃先輩の頬が緩む。
「須賀君を含めて、ね。」
私は隣を見て、そして杏依ちゃんの言葉を思い出す。
甘いクレープを食べながら、甘い甘い笑顔で告げられた言葉。
『康太君はね。私の先生だったのよ。』
私の知らない須賀君の“過去”を杏依ちゃんは知っている。
「姫野。今回は逃げられないからな。」
受験生の時、松原先輩達に教えてもらう事を拒んだ過去を思い出して、あの頃は偶像に近かった人達が、今は近くに存在している事を再認識した。
「よ、ろしく…お願いします。」
この事を杏依ちゃんに伝えたら、彼女は何と言うだろう?
羨ましいと言うかな?
良かったね、と言うかな?
この場所に…戻りたいと言うかな?
そんな事を考えながら、最近杏依ちゃんが姿を見せない事を不思議に思った。


指先の記憶 第二章-18-

2008-12-16 00:16:35 | 指先の記憶 第二章

「そりゃ…あんな豪華な食事を食べるマナーとか、今の私が知らなくても良いかもしれないけれど、でも知っていて損はないだろうし。」
須賀君が、とても綺麗に食事をしていたのを思い出す。
「カレンさんと、もっと色々と話したかったし、どうして、あの店なんだろうって思っていたけど。」
カレンさんに、ちゃんとお礼を言わなきゃ。
貴重な機会を与えてくれたのだから。
「カレンさんの時は初めてだったから、素直に喜べなかったけれど。」
絵里さんの注意や小言が、私は嬉しかった。
私の行動を、指の動きのひとつひとつを、私の全てを見てくれている人がいることが、とても嬉しかった。

◇◇◇

部室の扉を開けた私は、目の前に立ち塞がる体に慌てて立ち止まった。
「す、すみません!」
顔を上げて、思わず一歩下がる。
「大丈夫?」
「…弘、先輩。」
うわぁ、最悪。
どうして弘先輩がいるの?
部室に駆け込もうとしていた私は躊躇してしまうが、背後からの声が私を焦らせる。
「姫野!」
須賀君の声が私を呼ぶ。
「どうしたんだろうね、康太。折角眠っていたのに、康太の大声が響いて。」
弘先輩が欠伸をする。
その姿は、焦っている私とは正反対で、とてものんびりとしている。
「お昼寝の邪魔をして、すみません!」
「姫野!」
須賀君の声が近付いてくる。
「弘先輩、隠れさせてください!」
私は懇願しているのに。
「うーん…隠れても無理だと思うよ。もう見つかっているし。」
「かくまってください!」
「でもね、姫野さん。この状況だと難しいよ。」
「だったらっ!」
私は持っていた鞄を弘先輩の胸に押し付けた。
「助けてください!」
弘先輩の体の横を通り抜けて、自分自身の背が低い事に感謝しながら私は部室へと逃げ込む。
「鍵!鍵閉めてください!」
出来る限り部室の一番奥まで移動して、私はドアを指差した。
「鍵?」
「早くしてください!」

この状況では、悠長な弘先輩の声が腹立たしい。
「でもさぁ…康太が呼んでるけど。」
そう言いながら弘先輩がドアを閉めようとした時。
「何をしてるんですか?弘先輩。鍵…なんて。…姫野」
須賀君が息を切らしていた。
「…さすが、生まれてからずっと、あの階段上っているから…逃げ足だけは速いんだな。…弘、先輩、それ姫野の鞄」
私の鞄に須賀君が手を伸ばす。
「弘先輩!須賀君に渡さないでください!」
私の声に、弘先輩が咄嗟に鞄を両腕で抱えてくれた。
「…姫野。」
須賀君が深呼吸を繰り返す。
「弘先輩、姫野の鞄、渡してください。」
須賀君の呼吸は正常に戻っていて、心拍数も元通りのようだ。
「でも、持ち主の姫野さんが渡さないでって言っているし。」
「そんな事、どうでもいいですから。」
須賀君は再び鞄に手を伸ばすが、それを途中で止めた。
弘先輩の体を少し乱暴に押して部室へと入ってくる彼の態度は、弘先輩に対して、とっても失礼だと思う。
「姫野。」
部室の奥に立っていた私には逃げ場所はなく、須賀君と視線を合わせるのも嫌で、私はその場に座り込んだ。
「ごめんなさい!ごめんなさい!だって忙しかったんだもん!須賀君が勝手に私をマネージャーにするし、放課後だって休みだって、全然時間が足りない!それに」
私はとても理不尽な事を言おうとしている。
ダメだと分かっているけれど、間違っていると理解しているけれど。
「だって須賀君、勉強しろって言わなかったでしょ?教えてくれなかったでしょ?」
これだけでも充分に勝手な言い分なのに。
「雅司君ばっかり。朝も部活の帰りも休みの日も雅司君に」
会いに行ってばかり。
そんな事、私が言う権利はないのに。
そんな事、考えた事はなかったのに。
言ってしまった内容が恥ずかしくて情けなくて、私は顔を上げられなかった。


指先の記憶 第二章-17-

2008-12-14 12:31:11 | 指先の記憶 第二章

勧められたお茶は少し苦くて、でも、授業と部活で疲れていた私の体と心を引き締めてくれた。
出された和菓子は、とても美味しくて、やっぱり絵里さんの選んでくれる“甘いモノ”は、抵抗なく食べられる。
「…良かったら、私の分も、どうぞ。」
祥子さんが、そっと和菓子を寄せてくれる。
「いいえ!大丈夫です。」
そう答えたのに。
私のお腹は正直に空腹を知らせた。
「好美ちゃん。一緒に食事をしましょう。勉強と部活で疲れているでしょう?須賀君は、まだ自宅には到着していないと思うから、私から直樹さんに連絡しておくわ。」
その甘く優しい声に騙されたと私が気付くのは、数十分後。
やはり本家本元だ。
カレンさんとは比べ物にならない。
箸の持ち方から注意されて、眉間に皺を寄せた私は絵里さんに負けずに言い返した。
美味しい食事の最中に、細かく色々と言われるのは、とても嫌。
それに私が作法を間違える前に、行動を起こす前に絵里さんは注意をするから、余計に嫌だった。
反抗する私を、祥子さんが珍しいモノを見るような目で見ている事は、なんとなく感じていたけれど。
私は…その状況を楽しんでいた。

◇◇◇

帰宅すると、須賀君が待っていてくれた。
少し表情を揺らして私を見た彼は、すぐに安堵したように頬を緩めた。
「楽しかった…みたいだな。」
何も話していないのに、彼には私の感情が全て分かってしまう。
「うん。楽しかった。絵里さんの従妹さんが来ていて、一緒にお茶を飲んで。あ、ちゃんと正座するお茶だよ?今日は作法は気にしなくていいって言ってくれたけれど、今度は厳しく教えられそう。だって祥子さん、あ…絵里さんの従妹さんね。彼女は着物だったし。」
須賀君は、私を畳の上に座らせる為に肩に手を置いた。
その手が、なんだかとても優しくて温かくて。
直樹さんに送って貰うとか貰わないとか、揉めていた須賀君とは別人のようだった。
「目黒祥子さん、だろ?」
「え?知ってるの?」
「彼女、俺達と同じ中学。松原先輩達のクラスメイトだよ。姫野は知らなかったのか?松原英樹ファンクラブ会員なのに?」
「えぇ?知らないよ。松原先輩のクラスメイトまで。瑠璃先輩とか、由佳先輩とか、杏依ちゃんの話題は多かったけど。クラスメイト全員まで把握してないよ?」
「だろうな。姫野は偽ファンだし。」
「ちょ、ちょっと。須賀君!」
反論しようとした私は、テーブルの上におにぎりが並んでいる事に気付いた。
「絵里さんの家で夕食を食べるとしても、豪華な食事だと姫野の口に合わないだろうと思ってさ。」
「なによ、それ」
何かが、引っかかる。
「…どうして、豪華な食事だって思うの?そりゃ…会席料理みたいだったし、カレンさんと食べた料理に負けないくらい豪華だったよ。綺麗だったし。家庭の料理で、あんなに豪華な料理が出るなんて、驚いた。」
「さっきの男性。」
「え?」
「絵里さんだけ見ても、どこかのお嬢様だろうな、と思ってたけれど、絵里さんの婚約者。倉田直樹…さん、杏依さんの結婚相手の“いとこ”だから。」
「そ、そうなの?」
「新堂晴己の従弟の婚約者の家だったら、一般家庭とは違うだろ。」
「そう、だね。大きなお屋敷だったし。」
「食べるか?それとも、満足できる食事だったのか?」
私は、須賀君の手作りおにぎりに視線を移す。
「うん…美味しかったよ。」
豪華で綺麗で、作法は色々と難しいな、と思ったけれど。
「食べてもいい?」
須賀君が、おにぎりをひとつ渡してくれる。
「…おいしい。」
おにぎりは懐かしくて、そして心が満たされる気がした。
「須賀君、私ね。楽しかったの。」
私は自分が感じた気持ちを、再び彼に伝えた。
「私が“ある程度成長した時”は、おばあちゃん入院していたし、もちろん色んな日常での作法は教えてもらっていたけれど、私は大人から教えてもらう機会が、凄く他の人達よりも少ないんだって、分かったの。」
1人で暮らしていると、色んな面で自己流が生まれてしまう。
それは悪い事ではないけれど、正しい知識を身につけていない…かもしれない。


指先の記憶 第二章-16-

2008-12-13 20:54:43 | 指先の記憶 第二章

「姫野。知り合いで、いいのか?」
顧問の先生が私に確認する。
「すみません。御迷惑をおかけしました。すぐに車を移動しますので。」
絵里さんの答えに先生は頷き、その場を去って行く。

帰宅の為に私達の横を通り過ぎて行く部員や生徒達は、綺麗な絵里さんに視線を奪われていた。
その視線を気にしながら、私は自分の鞄を受け取る為に須賀君が立ったままの場所に戻った。
「須賀君。ちょっと絵里さんの家に行ってくるね。」
「姫野…あの人と…初めて会う…のか?」
「え?」
この状況だと、“あの人”は直樹さんの事だろうか?
「前に、一度だけ。ほら…カレンさんが出発した日に斉藤病院に行ったでしょ?その時に絵里さんと偶然会って。絵里さんは、むつみちゃん…えぇっと、斉藤先生のお嬢さんで小学生の子でね、その子を迎えに来ていたみたい。それで、あの人は絵里さんの婚約者で」
説明しているのに、須賀君は私を見なかった。
彼の視線は、直樹さんを見たままだった。
嫉妬しているのかな、直樹さんに。
やっぱり須賀君は絵里さんに対して、特別な感情を持っているのかな?
「姫野好美さん。」
振り向くと、直樹さんが私達の近くまで歩いてきていた。
「お隣さん、なんだろ?その彼。それなら一緒にどう?送って行くよ。」
「俺は…大丈夫です。帰れますから。」
「康太君も一緒にどう?一緒に来る?」
絵里さんの言葉が須賀君を誘う。
「い、いえ。俺は…姫野、姫野も今日は帰ろう。」
「え?」
須賀君が私の腕を掴んだ。
「帰ろう。」
須賀君の手に少し力が加わった。
でも、その須賀君の腕を直樹さんが掴む。
「送るよ。“好美さん”と絵里を笹本の家に送った後で“須賀康太君”を家に送る。」
「結構です。全然、そんなの…ついで、じゃないし。隣とか関係ない。」
須賀君が直樹さんの手を振り払おうとして、そして…諦めたようだった。

◇◇◇

絵里さんの家は、とても大きかった。
私と絵里さんを降ろすと、直樹さんは須賀君を乗せたまま、早々に去ってしまった。
「好美ちゃん。康太君とは、いつから知り合いなの?」
広いお屋敷の廊下を歩きながら絵里さんが私に問う。
「中学、です。入学式の日に。」
「…そう。小学校は一緒じゃなかったの?」
「一緒じゃ、ないです。須賀君が通っていた小学校の事、私も詳しく知らなくて。須賀君本人から聞いた事じゃないし。須賀君、転校が多かったみたいで。」
カレンさんが話してくれた内容を、私が勝手に絵里さんに話すのは間違っていると思った。
「ごめんなさい。好美ちゃん。答えなくていいわ。私が質問するのは間違っているわね。」
絵里さんが辿り着いた部屋の襖を開けた。
「私の従妹よ。一緒にお茶を飲みましょう。」
お茶。
でも、それは。
正座を必要とする、緊張感の伴うお茶、だった。
「絵里姉さん、おかえりなさい。」
茶室にいた和服姿の女性が立ち上がる。
「祥子。姫野好美さんよ。」
「…え?」
絵里さんの“従妹さん”が、驚いた視線を私に向けた。
その視線に、私は制服姿の自分を恥ずかしく思った。
「す、すみません。こんな格好で。絵里さん、お茶って…私、経験ないから。」
「いいのよ。今日は作法は気にしないで。」
「…今日は、ですか?」
絵里さんが、嬉しそうに微笑む。
どうやら次の機会には、厳しい作法を教えられるみたいだ。
「祥子。好美ちゃんには、舞がね、とてもお世話になっているの。」
「絵里姉さん?」
「好美ちゃん。以前…私が舞を預けに行った時、好美ちゃんに質問されたでしょ?私の事を、舞の母親なのかって。舞は、私の従姉の子供なの。舞の母親と私と祥子はいとこ同士。舞の母親、鈴乃という名前だけれど、鈴乃の母親と私の父親、そして祥子の母親がきょうだいなのよ。」
…別に、そこまで詳しく話してくれなくてもいいのに。
舞ちゃんの母親の事は知りたいと思うけれど、絵里さんの家族とか親戚とか、そんな事を説明されても困る。
「ごめんなさい。好美ちゃんには関係のない話だったわね。どうぞ。座って。」

絵里さんに促されて、私は祥子さんの隣に座った。


指先の記憶 第二章-15-

2008-12-12 21:57:13 | 指先の記憶 第二章

「先生も行くから、話しを聞こう。とにかく…目立つんだよ。車も運転している人も。一緒にいる女性も。早く校門前から移動してもらいたい。」
先生の言葉の中の“目立つ”という単語に反応したのは私だけではなく、須賀君は私と自分の鞄を手に取った。
「姫野。行くぞ。」
須賀君が私の腕を掴んだ。
彼の動揺が伝わってきて、私は途端に不安になってしまった。

◇◇◇

私と須賀君の後ろを先生が付いてきてくれていた。
そして、少し距離を保って数名の部員達が歩いていた。
部員達は帰宅する訳だから彼らを止める事は出来ないけれど、私を待つ“親戚”を見られる事に抵抗を感じた。
思い当たる人の顔を思い出してみるが、私の心の中には、その人達に会いたい気持ちと逃げたい気持ちが混ざっていた。
親戚と表現するのは違うが、母の可能性を考えてしまう。
そして行方の分からない祖父。
杏依ちゃんに見せたアルバムには母の写真は一枚もなく、祖父の写真は棚に飾っている一枚だけ。
母と祖父に会う事など本気で考えた事がなかった自分に気付いて、私は2人に会う事を諦めていた事にも気付いてしまった。
“親戚”と表現するのなら、母にも“親”や“きょうだい”がいるだろうし、“祖父”には“家庭”がある。
私と血の繋がっている人達が存在するのは事実で、私がその人達の事を知らないだけで、その人達は私の事を知っているのかもしれない。
「っいたっ…ちょっと、須賀君?」
私は突然立ち止まった須賀君の背中に当たってしまった。
「どうしたの?」
須賀君の横に立って、彼を見上げた。
彼の視線の先を追った私は、校門の前に明らかに邪魔な感じで停められている車を見つけた。
そして、車の前に立っている人に向かって私は駆け出していた。

◇◇◇

「どうしたんですか?こんな所に車を停めたら邪魔です!それに、親戚なんて言わなくても。」
「だって、好美ちゃんと私の関係、説明する言葉がなかったから。」
綺麗に化粧をしている絵里さんの微笑みに、私は思わず俯いてしまった。
「…先生でいいのに…勉強、教えてもらっていたし。」
「そうだったわね。それじゃ、その先生役、そろそろ復活させてもらおうかしら。」
「え?」
驚いて顔を上げた私は、今度は絵里さんに見惚れてしまった。
「好美ちゃん京都は楽しかった?5月のお誕生日会も終わったし、そろそろ時間に少しは余裕が出来たかと思って。好美ちゃんは学校と部活で忙しいから、こうして迎えに来ないと会えないと思ったの。」
絵里さんが私に会いに来てくれた、という事が嬉しくて、私は心が躍る。
それなのに。
「前に話したでしょ?好美ちゃんには色々と見せたいものとか教えたい事があるの。お習字も子ども達とするよりも…どうして逃げるの?」
少しずつ後ろに下がっていた私を絵里さんの言葉が止める。
「受験が終わってから、入学式を終えてから、高校生活が落ち着いてから。ちゃんと好美ちゃんの希望通りに待っていたわよ?」
「だって…忙しいもん。」
「時間は自分で作るものよ。好美ちゃんの希望を聞いていたら、いつになるか分からないわ。」
絵里さんの表情は、とても輝いていた。
それは家庭教師をしたいと言ったあの頃と似ていて。
「康太君。いいでしょ?好美ちゃんは、ちゃんと家まで送り届けるわ。」
絵里さんの言葉に、私は須賀君の事を思い出して振り向いた。
彼は先ほどと同じ場所で、立ったままだった。
「須賀君?」
呼ぶと須賀君が少し視線を泳がせた。
「どうしたのかしら?」
絵里さんの言葉に、また彼女に視線を戻して、私は初めてもう1人の存在に気付いた。
「倉田…直樹さん…。」
呟いた私の声に、直樹さんが視線を向けてくれる。
「久しぶりだね。姫野好美さん。」
どうして、この人は私の名前を知っているのだろう?
「彼、友達?」
直樹さんの視線が須賀君を捕らえた。 
「はい。家が隣で…同じ中学で。」
須賀君と私の関係を表現するのも難しい。

絵里さんが“親戚”だと言った気持ちが分かる気がした。

親戚とか知り合いとか、そういう単語は便利だ。


指先の記憶 第二章-14-

2008-12-11 23:23:37 | 指先の記憶 第二章

「いいえ。」
少年は穏やかな笑みで否定した。
「6年生です。」
今時の小学生は大人だわ。
斉藤先生のお嬢さんと同じ学年だし、彼女も妙に落ち着いているし。
それとも私が子どもなのかな?
ただ、目の前の少年は、まだ声が幼い。
表情と言葉遣いが、可愛い声とアンバランスだった。
「あなたは?」
「え?」
「あなたも斉藤先生の手伝いですか?」
ここで住んでいた訳ではなく、今まで健康診断の時に手伝いをした事もない私は、ここにいる自分を説明できなかった。
私は子ども達に甘えてばかりで頼ってばかりで、斉藤病院の人達が施設に来てくれる時、いつも自宅に逃げていた。
「それとも」
答えない私に構わず、彼は施設へと視線を戻す。
その視線の先を追って、私はこの場所を訪れる自分自身の気持ちに逆らう事など出来ないと、すぐに悟った。
「よしみちゃん」
高く透き通る声が、施設の庭に響く。
駆けて来る小さな身体を見て、こんなに早く走れるようになったのだと、私は嬉しくなった。
そして、その身体を雅司君が捕まえて、2人が手を繋いで歩いて来る。
「ここに来る事に理由など、ない…という事ですか?」
少年の問いに頷こうとしたら、門の向こうに雅司君が立つ。
「よしみ」
見上げてくる瞳が私を見て、そして少年を見る。
「…だれ?」
雅司君に問われて、私は隣に立つ少年を見た。
私よりも少し背が低い、小学生の男の子。
この子の身長は、これからも伸びていくだろう。
「好美ちゃん。こんにちは。」
雅司君と舞ちゃんの後ろを歩いて来ていた保育士の女性が、門の施錠を開けてくれた。
「はじめまして。斉藤先生のお手伝いで、こちらに来させていただきました。桐島明良と申します。宜しくお願いします。」
自ら名を名乗り、丁寧に頭を下げる少年を、雅司君が見上げた。
そして、その視線に答えるように少年-桐島明良-が、雅司君の前に屈む。
「はじめまして。雅司君。」
妙だと思った。
でも、それは私だけではなく、雅司君も感じたようで、彼は不思議そうに明良君を見た。
「あきらだよ。よろしく。」
明良君が雅司君の両手を取った事で、舞ちゃんと繋いでいた手は離れてしまった。
でも、雅司君は怒らなかった。
「あきら おにいちゃん?」
「そう呼んでくれると嬉しいな。」

雅司君は怒らず笑顔を明良君に向けた。
その笑顔が私の心をチクチクと刺す。
雅司君が須賀君以外の人に懐くのは、珍しい。
舞ちゃんの事で怒らないのも、変だ。
「あきら おにいちゃん」
舞ちゃんが雅司君の言葉を真似た。
絵里さんの婚約者が私の名前を知っていた事を、私は思い出した。
絵里さんが私の事を話題に出していたのだろうか?
でも、斉藤病院の庭で繰り広げられた会話は、一つ一つが何だか妙だった。
「好美ちゃん。中に入りましょう。」
保育士さんの声に私は頷く。
そして、前を歩く人達を見て、彼らの笑顔に心が痛くなる。
3人の中で明良君は真ん中を歩いていた。
雅司君と舞ちゃんが明良君と手を繋いでいる。
そんな事、私はしたことがない。
そして、見たことのない光景だった。
舞ちゃんに執着していない雅司君を見たのは初めてだった。

◇◇◇

どうして桐島明良君は雅司君の名前を知っていたのだろう?
どうして倉田直樹さんは私の名前を知っていたのだろう?
どうして、初めて会った人に懐くのに、私の事を雅司君は嫌うのだろう?
桐島明良君が施設を訪問した日から、私には疑問が多くなっていた。
「姫野。親戚の人が迎えに来てるぞ。」
「え?」
部活を終えて帰る準備をしていた私は顧問の先生の言葉に首を傾げた。
私には親戚など、存在しない。
何処かで数名は存在しているとは思うが、頻繁に連絡を取り合う親戚などいない。
「…誰ですか、それ。」
質問したのは須賀君だった。
「誰って…姫野を迎えに来たって言うから…思い当たらないのか?」
頷く私を見て、先生は困った顔をした。


指先の記憶 第二章-13-

2008-12-11 03:14:31 | 指先の記憶 第二章

お茶を淹れた私が台所から居間に戻ると、杏依ちゃんは畳の上で正座をしていた。
そして、彼女の視線は仏壇へと向けられていた。
「杏依ちゃん。お茶飲む?」
問うと杏依ちゃんは視線を上げて私を見ると、テーブルの前へと移動した。
友人達が仏壇に手を合わせるのを戸惑うように、杏依ちゃんも戸惑っているのだろう。
抵抗もなく、まるで当たり前のように、当然のように仏壇に手を合わせるのは須賀君だけだ。
「好美ちゃん。」
杏依ちゃんがお茶を飲み、そしてテーブルの上に湯呑を置いた。
「好美ちゃんの、おばあさまとおとうさま?」
彼女の視線は仏壇の横に置かれている棚に向けられていて、そこには祖母と父の写真が飾られている。
杏依様と呼ばれることが嫌だと言った杏依ちゃんが、私の祖母と父の事を“さま”で呼んだのが変な感じだった。

◇◇◇

普段と様子が違う杏依ちゃんとの会話に困ってしまった私は、アルバムを見せていた。
それなのに、桜餅を見た途端、杏依ちゃんはいつも通りの彼女に戻ってしまった。
呆れる気持ちと、そしてホっとする気持ち。
カレンさんが連れて行ってくれた店で、私はすぐに理解した。
京都の桜餅と東京の桜餅は形が違う。
嬉しそうに、幸せそうに食べる杏依ちゃんを見て、私は連休の間の妙な感情の起伏から、ようやく解放されたような気がした。
京都の桜餅を食べてみたかったと言った杏依ちゃんの言葉を聞いて、彼女は2種類の桜餅の存在を知っていて、敢えてカレンさんへのお土産に選んだのだと気付いた。
「杏依さん。」
須賀君が杏依ちゃんの事を“杏依さん”と呼ぶのが変で、慣れるのには時間が必要な気がした。
「不思議ですよね?同じ名前なのに、材料は違うかもしれないけれど大きく異なる素材でもないのに、存在する場所が違うだけで形も味も…中身も全く違うモノになってしまう。」
桜餅を頬張っていた杏依ちゃんが顔を上げて不思議そうに首を傾げた。
その仕草の愛らしさからは、先ほどまでの寂しそうな雰囲気は想像できない。
「育ってきた環境に溶け込んで周囲に認識されて自分の形を保ち続ける。」
…訳、分からない。
「桜学園は、どうですか?慣れました?」
ようやく、須賀君が普通の会話を杏依ちゃんに向けた。
「…うん。」
杏依ちゃんが少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「中学の友達も一緒だし、従兄も一緒だし。…私が育ってきた環境とは随分と違うけれど。」
「でも、杏依さんは元々桜学園に通っていても不思議じゃない家庭環境だから、大丈夫ですよ。」
なぜか自信たっぷりに答える須賀君が、私に再び得体の知れない不安を感じさせた。

◇◇◇

連休の後の週末は気持ちが盛り上がらない。
須賀君は部活の後に部員達と一緒に勉強をするみたいで、今夜の夕食は冷蔵庫に入っているから、と言われた。
出来る限り1人で過す時間は少なくしたいし、そんな事を理由に施設を訪問するのは間違っていると分かっているけれど、部活を終えた私は自宅に戻らずに施設に向かった。
「こんにちは。」
施設の前で1人の少年に声をかけられて、見覚えのない顔に、私は首を傾げた。
子どもを施設の前で見るのは、良い気分ではない。
彼が新しく施設で住むのかもしれないと考えると、会話に困る。
「こん、にちは。」
戸惑いながら答える私に、少年は明るい笑顔を向ける。
「斉藤先生と待ち合わせをしているのですが少し早く到着してしまって。」
「え?」

「今日、ここでお手伝いをさせてもらうことになりました。」
そういえば、今日は斉藤先生が子ども達の検診をしてくれる日だった。
大江さんも、来るはずだった。
ボランティアの子もいると言っていたけれど、こんなに年齢の若い子だとは思わなかった。
「少しでもお手伝いさせてもらいたくて斉藤先生にお願いしたら、了承していただけました。すみません。僕だと頼りないですよね?

「ち、違うの。そうじゃなくて…驚いた、だけ。中学…生?」
戸惑っている私とは違い、少年はとても落ち着いていた。