りなりあ

番外編 12 4/7 UP 
ありふれた日常 4/8 UP
ありふれた日常 5/30 UP

約束を抱いて 第四章-24

2008-03-31 23:53:57 | 約束を抱いて 第四章

ドアを開けた瑠璃は外に立つ人を招き入れようとしたが、相手は動かない。
「むつみちゃん、先に行くわ。10分後に会場のドアの前で待っているから。」

瑠璃は晴己に知られると何か言われるかもしれないと思ったが、斉藤家でアルバイトを始める事を報告した時、祥子が言った言葉を思いだす。
『むつみちゃんの言動を晴己様に報告する義務がある?瑠璃は新堂晴己の支配下にいない人間。』
祥子の大袈裟な言葉が今なら分かる。
「あの…瑠璃さん。」
むつみが呼び止める。
「前に、はる兄に注意されたから。」
むつみと同じ事を考えているのか、優輝も部屋に入ろうとしない。
「注意って何を?」
問うと、むつみと優輝が視線を合わせ、そして逸らす。
その様子が、余計に大人達を惑わすのだという事を、彼女達は気付いているのだろうか?
「2人っきりになるのはダメって?まぁね、その為に私がいるんだけど。でも、ここパーティ会場じゃないし、他の人達に見られることもないわよ。」
「えぇっと…、それは、そうだけど。それだけじゃなくって。」
むつみの戸惑う姿が先ほど会場で見た彼女と違いすぎて、その可愛さに笑いたくなるのを、瑠璃は堪える。
「小さな時から、1人の時に友達やその他の人を招き入れるのは、両親の許可を取ってからだって。」
「そういえば、杏依から聞いた事があるわ。むつみちゃんと新堂さんの“約束”でしょ?でも、それは“斉藤家”での場合でしょ?」
「そうだけど、だから尚更。ここは、はる兄の家だし…。」
『僕の家で起こった事には僕には責任があるし意見を言う権利もある。』
あの日の晴己の声は、とても冷たかった。
「そうねぇ…。」
新堂晴己の家だから、その理由で咎められる可能性はある。
「その時は私が言い返してあげるわよ。」
「「え?」」
むつみと優輝の声が重なった。
「この状況で他の人の目に触れる方が面倒よ?臨機応変、状況判断。それくらい出来るでしょ?パーティ会場じゃないから、碧さんの指示を破る訳じゃないわ。それに、この付近に来客者が来る事は滅多にないでしょ?宿泊している人達の部屋と、この部屋は離れているわ。」
瑠璃は優輝の背中を軽く押した。
「そんな風に動揺した表情のままだと、余計に注目されるの。パーティが終わるまでの残りの時間、大人しく出来るわね?」
素直に頷く2人が微笑ましくて可愛いと、瑠璃は感じた。

◇◇◇

「あの人に…何か言われたのか?」
優輝は不機嫌だったはずだ。
むつみは何も話さなかったし、勝手な行動をした。
それを見た優輝が機嫌を損ねる事は安易に予想できていた。
もしくは、涼が宥めてくれたのかもしれないが、今の優輝からは苛立ちを感じなくて、むつみは彼に対する申し訳なさが更に大きくなってしまった。
「何も…鈴さんに…話がしたかっただけ。」
晴己が言った様に、慎一が自分と従姉弟である事実は確かだ。それを優輝に話せば良いのかもしれない。全てを話せなくても、確かな事実を話すだけでも、優輝の自分に対する嫌疑感は薄らぐのではないだろうか?
「修司(しゅうじ)さんの家族?」
むつみは驚いて優輝を見た。
「知っているの?」
「晴己さんの従兄だろ?」
「そうだけど…でも…。」
「だって試合したことあるし。練習試合だけど。」
「え…?」
「何処にも所属していなくて、それが不思議だったけど。強かったよ。勝てなかったし。」
途端に優輝が不機嫌になる。
「コーチには年齢の差とか言われたけど。そんなの関係ないんだよ。好きでもないし、ルールだって、まともに知らない人に負けたんだ。」
優輝が悔しそうだった。
「練習してたら…晴己さん以上だったかも。」
優輝の言葉に、むつみは心が騒ぎ出す。
「それが理由だよな。テニスをしなかったのは。早川修司が新堂晴己を超える訳にはいかない。」
「優輝君?」

むつみは晴己と近い存在で、新堂の事はとても深く知っていると思っていた。
だけど、むつみの知らない新堂の側面を、優輝は知っているのかもしれない。


約束を抱いて 第四章-23

2008-03-31 23:52:50 | 約束を抱いて 第四章

あの時、絵里の手はとても優しかった。
帽子を被せてくれた手も、背中を押した手も。
呼び止めた絵里の声が、むつみの耳に残っている。
『むつみちゃんを一人にしないで!』
怒っていて咎めている声なのに、懐かしいと思った。
そんな事を感じてしまうのが不思議で、振り向きたいと思ったし、店に戻って絵里に問いたいと思った。何度も立ち止まりそうになるから、駅に辿り着くまで優輝に手を引かれていたのを思い出す。
あの日、むつみは涼に送ってもらった後、桜学園の制服にコートを着て家を出た。桜学園の制服が目立つ事は分かっているから、それを隠す為にコートを着るのが賢明だと考えた。
あの時、帽子を被せてくれた絵里の選択は正しかった。
むつみは無事に駅まで辿り着く事が出来た。
でも、絵里の考えている事が分からない。
絵里から卓也の話と、彼女の“提案”を教えられた。
決勝戦で負けるという、優輝にとって屈辱的な提案。
絵里が優輝の試合や卓也の治療費に関わってきた理由が分からない。理由の1つに、むつみを傷つける事、それが含まれているとしても、それだけが理由なのだろうか?
幼いむつみには、綺麗な絵里は憧れの存在だった。
色んな事を教えてくれて、厳しくて、でも優しくて。
だが、そんな絵里が突然むつみに対する態度を変えた。
怨まれている。
憎まれている。
絵里は、むつみが新堂と関わらない事を望んでいる。
捨てるように言われた物を捨てないのは、絵里の意思を無視していることになる。持ってくるのを忘れた、その嘘を絵里は見抜いているかもしれない。
「…今日で…最後、よね。」
むつみは自分の髪を手に取り、幼い時、髪を梳かしてくれた絵里を思い出していた。

◇◇◇

部屋に迎えに来てくれたのは瑠璃だった。
彼女が、むつみの行動を不審に思っている事は安易に予想できるから、むつみが謝ると、困ったように瑠璃が力なく笑った。
「むつみちゃん、パーティは、まだ続くわ。だから。」
「うん。分かってる。優輝君とは話さないし、勝手な行動は、これからはしないわ。」
「私と一緒にいましょう?」
むつみが頷き、そして視線を上げて瑠璃を見た。
「2人で?それとも、瑠璃さんのお友達も?」
「2人でもいいけど、でも私の友人も一緒なら、少しは周囲は話しかけてこないと思うわ。」
「でも女の人が寄ってくるわ。」
「さすがに落ち着いたから。もう大丈夫よ。苦手?松原君のこと?」
松原が言った苦手という言葉を、瑠璃は言葉にした。
むつみが少し首を傾げて、そして横に振る。
「とても失礼な事をしちゃったから。顔を合わしたくない、かも。」
「それなら謝れば?」
瑠璃の言葉に、むつみは考え、そして再び首を横に振る。
「失礼な事をしたけど、悪い事をしたとは思っていないから。」
「え?」
「だから、余計に厄介なの。」
困ったようにむつみが笑う。
「私、酷い事をしたわ。あの人を傷つけた。でも、あの時は分からなかったの。ただ、はる兄から杏依さんを取らないで欲しかった。」
「…もしかして、それを松原君に言ったの?」
むつみが頷くのを見て、瑠璃は過去の松原英樹を哀れんだ。
松原英樹は中学に入学した時から杏依の事が好きだったと、瑠璃は思っている。杏依は松原の事を特別な異性として見ていなかったが、いつか2人が付き合うだろうと瑠璃は思っていた。だが、新堂晴己が現れて杏依の生活は変化し、杏依は中学3年生で“新堂晴己の婚約者”として周囲に認識される立場になった。
「瑠璃さん。どうして、あの人は来たのかしら?結婚式にも。辛くないの?」
「仕方ないわ。来なければ杏依が傷つく。悲しむ。」
「あの人は傷つかないの?」
「今は彼女がいるから。」
「でも…過去に好きだった人が、心から完全に消える?」
父の心には、昔の“彼女”が残っているのだろうか?
「聞いてみたら?」
聞けるわけがないと、むつみは思った。
「私も知りたい。でも聞けない。そう感じるのは、彼の中に杏依がいるからかしら?でも、どちらだとしても、松原君は杏依を傷つけたり悲しませる方法を選ばないでしょうね。ここに来て祝福して、それで杏依が安心して喜ぶのなら。」
「自分が傷つくほうを…選ぶの?」
むつみの呟く声に重なるように、ドアがノックされた。


約束を抱いて 第四章-22

2008-03-30 02:25:36 | 約束を抱いて 第四章

祥子は、笹本の本家を訪問した日の自分と今の舞が、似たような気持ちを感じていると思った。
それまでも新年には挨拶に行っていたが、今までと違うという事は両親と親族の雰囲気が伝えていた。
地方での生活は、鈴乃や絵里と比べると地味で質素だと祥子は常に思っていたが、それとは別の意味で祥子の生活は充実していた。友人達と平凡だが楽しい日々を送っていたのに、彼女達との突然の別離は、祥子を深く悲しませた。
中学生だった祥子は手紙や電話が出来たし、長期の休みには会いに行くことも出来た。だが、幼い舞が出来る事は限られている。
祥子でさえも悲しかったのに、生活を共に過した“家族”との別れは、舞を深く傷つけているだろう。
「ゲームは楽しくなかった?」
的外れな思考の杏依を祥子は見た。
「…げーむはたのしかったけど。まいは、してないけど、おにいちゃんがぼーるをあててくれて。」
「うわぁ。凄い。私も見たかったわ。いいなぁ舞ちゃん。あとは?お料理は食べた?ケーキもあったでしょ?」
「えぇっと…。」
杏依の“楽しい”の基準は、相変わらず食事に関する事だった。
「けーきは、たべてないの。」
「それじゃ、戻ったら食べてね。美味しいから。」
「…また…もどるの?ここにいちゃ…だめなの?」
舞が会場に戻りたくない気持ちは分かる。
周囲の大人達は笹本一族を好奇の目で見ていた。その視線は祥子でも嫌なのに、幼い舞には可哀想だ。
「いいわよ。」
その言葉に舞の頬が緩むが、杏依がすぐに言葉を続けた。
「でも、折角来たんだから楽しんで欲しいな。」
「え…?」
その声は、杏依の後ろに立つ晴己から出た言葉で、笹本一族は驚いて晴己を見た。彼等の視線に気付いた晴己は少し困ったように首を傾げた。その仕草に、晴己も杏依の会話の意図を掴めていない事が分かる。
「だって、みんなでお話して、美味しい物を食べて。今日は音楽を演奏してくれる人もいるのよ。楽しいでしょう?」
舞が戸惑っている。
「でも、やっぱり楽しくない、嬉しくない、面白くない?他にも何か思っている事があるの?知りたいわ。舞ちゃんの気持ち。」
「…かえりたいの。」
ポツリと舞が呟き俯く。
「みんなのいるおうちにかえりたいの。」
舞の呟きは祥子の心を締め付けた。
「舞ちゃん。」
舞の頬を撫でる杏依の声は、いつも通り、ふわふわとした緊張感のない声だった。
「悲しくて、ここにいるのが嫌で、泣きたいのなら泣いていいのよ。」
杏依が舞の髪を撫でる。
「私も初めてここに来た時、嫌で帰りたかったの。だって、来たくなかったもの。」
杏依の言葉に舞が顔を上げた。
「知らない人ばかり。みんな珍しそうに私を見ていたから。」
杏依が舞の髪を指で梳く。
「家に帰りたくて。どうして連れてこられたのか分からなくて。あの時は、そう思っていたのに。不思議よね。今は、とても大切な思い出なの。」
杏依が舞のサイドの髪をピンで留めた。
「あい、ちゃん?」
髪を触られている舞は不思議そうに杏依を見る。
「可愛いわ。舞ちゃん。」
杏依が舞の髪に小さな花を飾っていく。
「今日の事を、いつか舞ちゃんが思い出してくれると嬉しいな。色んな人と出会えて良かったと思ってくれたら嬉しい。私だけじゃないわ。ここにいる人達、みんな、とても嬉しいのよ。」
祈るように杏依が告げる。
「今日が」
柔らかく、温かい声。
「大切な日になりますように。」
いつの間にか眠ってしまった勝海の寝息が、祥子の耳に届いた。

◇◇◇


部屋に戻ったむつみは、顔を洗うと鏡を見て溜息を出した。
瑠璃は当然ながら、涼も優輝も、そして晴己の従姉弟達も、ずっと自分の事を見ていたのは分かっていた。
その中で目的を果たすのは色々と面倒だった。
鏡に映る自分を見て、先ほど鈴乃がしてくれたように腕を流れる髪を撫でた。
そして服の生地を触る。
深い赤色の生地は、まるで赤ワインのような色をしている。
絵里は昔から派手な色が好きだった
し、このドレスも、絵里に似合っていたのを覚えている。
むつみは棚に置いている帽子を手に取った。
まるで暗闇に紛れてしまいそうなグレーのシンプルな帽子。
それが絵里の持ち物である事に、むつみは首を傾げた。


約束を抱いて 第四章-21

2008-03-26 23:37:01 | 約束を抱いて 第四章

祥子は、鈴乃夫婦と舞について詳しい実情を知らない。
何故、祖父が舞を鈴乃から離したのか、確かな事は聞かされていない。いつも祥子は蚊帳の外だった。

「まいは、ちいさな、おともだちがいたの。」

舞の言葉に大人達の会話が止まる。
「まいも、いつも、おおきなおにいさんやおねえさんに、だっこしてもらっていたの。だから、まいは、ちいさなあかちゃんの、おせわをしてたのよ。」
舞は得意気に話した。だが、その内容は、舞の育った環境を親族達に説明していた。
「あいちゃんは、かつみくんの、ままなの?」
杏依が勝海を自分の腕に戻す。
「そうよ。」
そして、舞は晴己を見上げた。
「かつみくんの、ぱぱ?」
晴己が頷く。
「よかったね。かつみくんは、ぱぱとままと、いっしょなんだね。」
その言葉に笹本一族は言葉を詰まらせたが、杏依は笑顔を絶やさない。
「そうよ。ずっと一緒にいられるの。」
杏依の表情と口調は、とても幸せに満ちていた。
「まいもね、これからは、ぱぱとままといっしょなの。」
「そう。良かったわね。舞ちゃん。」
「よかった、の?」
舞が杏依に問う。
「だって、まいは、みんなといっしょにいたいよ?だって、ぱぱとままのこと、しらないもん。でも、えりさんが、あそこにいちゃだめだって。まいには、あたらしいおうちがあるって。こんどのおたんじょうびかいに、いきたいのに、だめだって。だって、おうたのれんしゅう、みんながんばったんだよ?どうして、みんなとあえなくなるの?ぜんぜん、よくないもん。」
舞は杏依を見上げて、訴えるように話した。
「舞ちゃん。」
舞の頬を杏依が撫でた。
祥子は、この状況で杏依が、普段と変わらず柔らかい声を出せる事を不思議に思った。
「いつか、きっと会えるわ。」
「いつ?」
「そうねぇ。いつかしら?」
答えに困るのが杏依らしくて噴出しそうになるが、祥子は今の神妙な状況を思い出して、深呼吸をして気持ちを落ち着けた。だが、杏依からは深刻な雰囲気など感じず、そんな杏依を見ていると、張り詰めた気持ちが緩みそうになる。
「でも、会えるわ。」
「ほんとう?ぜったい?」
杏依が首を傾げた。
「絶対…かどうかは、分からないなぁ。」
相手が舞なのだから、絶対だと言い切れば良いのに、と祥子は思う。だが、そうしないのが杏依らしいと言えばそうなのかもしれない。
「でも、会えるって思わなきゃ…寂しいでしょ?会えなくて寂しい時は、いつか会えた時の事を考えたり、今までの事を思い出したり。きっと舞ちゃんのママも、同じだったんじゃないかしら?」
「おなじ?」
舞が鈴乃を見上げ、そして杏依に視線を戻した。
「あいちゃん。まいね、とってもとってもかなしいの。みんなと、はなれるのがいやなの。あえないのはいやなの。ひとりは…さみしいの。」
「1人じゃないわ。」
杏依は舞の髪を指に絡めていて、それはパーティ会場で、むつみがしていた動作だった。
「舞ちゃんは、パパとママと、おじいちゃんに、おばあちゃん。おじさんもおばさんも。ママの従妹のお姉さん達も。たくさんの人が一緒よ。」
舞が周囲にいる大人達を見渡した。
「みんな、ずっと舞ちゃんに会いたくて。でも会えなくて。いつか会えると信じて。やっと会えたのに、舞ちゃんの頬は。」
杏依が舞の頬を指で突付き、そして軽く摘まんで引張った。
「うわぁ。すべすべ~。やわらか~い。」
楽しそうに騒ぐ杏依を見て、祥子は少し目眩を感じた。どうして、杏依には緊張感がないのだろうか?
「舞ちゃんは笑顔のほうが、もっともっと可愛いわ。どうして、楽しくないって顔をしているの?」
「…だって、たのしくないもん。」
舞の言い分は尤もだと、祥子は思った。施設を出て親と住むのだと告げられた舞が混乱しているのは当然だった。


約束を抱いて 第四章-20

2008-03-19 20:41:14 | 約束を抱いて 第四章

涼は斉藤医師から聞いた桐島明良の話を思い出した。
「杏依さんも、舞ちゃんが預けられていた施設に通っていたの?晴己は?むつみちゃんは何か知っているの?」
問いながら奈々江は、余計な質問をした事に気付く。
「って、知っているから…さっきの状況になったのよね。」
「…ごめんなさい。」
むつみは俯くが、再び涼達を見上げた。
「杏依さんの事は私も驚いたけれど…。」
「鈴の事は知っていたのね。」
むつみが頷く。
「どこまで、と聞いていいのかしら?」
直樹が奈々江の腕を軽く掴んだ。
それが、むつみに質問する事を止める動作だと奈々江には分かる。余計な事はせずに晴己に任せるのだと、直樹が言いたい気持ちは分かるが、奈々江は少し苛々した気持ちを感じていた。
「…どこまでなのか、私にも分かりません。」
むつみが答え、直樹は奈々江の腕を放した。
「私は鈴さんの子供が施設に預けられたと聞きました。でも、それが事実なのか噂なのか分からなくて。今日、舞ちゃんに会って、初めて」
むつみの声が、少しずつ弱くなっていく。
「鈴さんの赤ちゃんが…生まれてくる事が出来たことを知りました。」
むつみが話す内容を聞いて、奈々江は彼女が殆どの事実を知っているのかもしれないと思った。
「晴己は…あなたが知っている事に気付いていない…と思っていたけれど。」
「はい。」
むつみは、はっきりと答えた。
「私が知っているのは、噂や想像の域を超えません。それが信用できない内容だと分かっています。だから私から確認する事もありませんでした。それに、不確かな私の記憶を、はる兄は刺激しませんから。」
直樹が晴己に“報告”した時、晴己は何を思うだろう?
「…顔…洗ってこようかな。このまま戻ったら、泣いていた事…優輝君に気付かれちゃうかな?」
恥ずかしそうに問う彼女を不思議な気持ちで涼は見て、そして微笑ましくなる。今の彼女は、年齢よりも幼く感じた。
「少し部屋に戻ったら?加奈子ちゃん達の演奏まで、まだ暫く時間がある。その時には迎えに行くよ。」
むつみが涼を見上げる。
「部屋…なんて必要ないって言われちゃった。いつも、絵里さんの言葉に間違いはないの。いつも正しいの。私が受け入れられないだけで、いつも後になって、絵里さんの言う通りにしておけば良かった、しておいて良かった、そう思うの。奈々江さん直樹さん、ごめんなさい。迷惑をかけてしまって。涼さん。えぇっと…。優輝君のこと…お願いしても良い?」
涼が嫌だと断れるわけがない。
会場に戻れば、何も状況を知らない優輝が不機嫌な事は想像できた。

◇◇◇

何度も新堂邸を訪れた事のある目黒祥子は、少し離れた位置で親族達を見ていた。
中学3年の時に同級生だった事が縁で、祥子は杏依と親しい関係を築いている。心の全てを話してくれなくても、過す時間が多ければ色んな状況や情報を知る事が可能だし、実際にそれが当然だった。それに、杏依は感情の起伏が激しい性格だから、気持ちを取り繕う事など出来ないはずだった。
杏依が舞の“存在”を知っていたのは、祥子が話したのだから当然だが、舞が杏依を随分と慕っている事に祥子は驚いていた。2人の会話から判断すると、杏依が勝海を妊娠する前には、既に2人は知り合っていた事になる。
「あいちゃん。」
祥子は初めて楽しそうな舞の声を聞いた。
「あいちゃんのあかちゃんなの?」
舞の問いに杏依が頷く。
「おとこのこ?」
「かつみ、という名前なの。」
「かつみくん?」
杏依が勝海を舞に寄せ、舞は腕を伸ばす。
舞は座っているから、膝の上で勝海を抱いている状態で、すぐ傍には杏依がいるから大丈夫だが、まだ勝海を抱く事を躊躇している祥子は驚いた。
手馴れている舞の動作に、祥子だけでなく舞の両親も親族も驚く。

「上手ね…舞。」
鈴乃が驚きの声を出す。
生まれたばかりの舞を抱いた事はあっても、すぐに手放してしまった鈴乃は子供を抱いた経験が少ないのだと、祥子は想像した。


約束を抱いて 第四章-19

2008-03-19 03:14:26 | 約束を抱いて 第四章

髪を撫でる鈴乃の掌の暖かさを、むつみは肩に背中に、そして腕に感じていた。
「当たり前だけれど、変わらないわね。」
鈴乃がむつみの髪を掌にのせる。

さらさらと零れる様に流れる自分の髪を眺めて、むつみは鈴乃の指に光る指輪を見つけた。
「むつみちゃんの髪、懐かしいわ。最後に会ったのは小学3年ぐらいだったわよね?想像以上に綺麗になっていたから最初は分からなかったけれど、この髪は碧さんとむつみちゃんだけだわ。」
周囲が褒めてくれる髪だが、むつみにはあまり実感がない。だが慎一の母親の髪が風で揺れていて、とても柔らかそうだったのを思い出した。
「ただいま。むつみちゃん。」
鈴乃の言葉に胸が苦しくなり、視界が揺れ始める。
奈々江に頼んで笹本家に挨拶をした時、むつみは鈴乃におかえりなさいと言いたかった。
鈴乃が日本に戻ってきた事実は、色んな事が片付いた事を示していると思った。晴己が結婚した時点で、鈴乃達は日本に戻り舞と暮らすのだと思っていたのに、晴己達の結婚式に鈴乃達の姿を見つけられなかった。でも、こうして今回は鈴乃達が戻ってきたのだ。
きっと、晴己も色んな重荷から解放される。
「皆さん、どうしたの?」
この場の雰囲気に似合わない声が聞こえた。
緊張感を緩める明るい声の主は、笹本一族に挨拶をしながら歩いてくる。
「むつみちゃん。」
その声に、むつみから鈴乃が離れた。
「杏依さん…。」
小さな声が、むつみの唇から零れる。
その瞬間、むつみの瞳に溜まったままだった涙がポロポロと流れ落ちた。
「いつまでも泣き虫ね。」
自然な動きで杏依が腕を伸ばして、むつみを抱き寄せる。
「綺麗なドレスを着て、こんなにおねえさんなのに。」
「だって…。」
背中を撫でて髪を撫でて。
「大丈夫よ。」
いつの間にか杏依よりも少し身長が高くなっていた事に驚いて、内面が成長していない自分を知って恥ずかしくなる。
「知っていたのね。鈴乃さんと舞ちゃんの事。」
「…うん。」
「誰にも聞けなかったでしょう?」
「…うん。」
「もう大丈夫よ。舞ちゃんは、これからはパパとママと一緒に暮らせるわ。」
小学生だったむつみには理解できない内容ばかりだった。
鈴乃が舞の父親と結婚できない事。
鈴乃が子供と引き離された事。
イギリスに留学させられた事。
「あいちゃん?」
高い声が響く。
「あいちゃん!」
今度は少し大きく。
その声に、むつみが杏依から少し離れ、杏依は振り向こうとした。だが、それよりも先に杏依の着物の裾に舞が手を伸ばす。
「あいちゃんだ。あいちゃんだ!えりさんが、あいちゃんにあえるよって。あいちゃんのあかちゃんにもあえるよって。あいちゃんのおなか、ちいさくなってるね。」
舞が両手を上に伸ばす。
その仕草は、先ほど絵里にしていた仕草で、やはり同じように着物を着ている杏依には難しそうだった。
だが杏依は舞の身体を抱えようとして、そして首を傾げる。
「舞ちゃん、大きくなったわね。ちょっと…重いかも。」
「あかちゃんが、おそとにでてきたら、また、まえみたいにしてくれるって。」
「そうねぇ。そう言ったわよね。あれは1年以上前だったかしら?子供って、すぐに大きくなるのね。」
感慨深げに言って、杏依は舞を抱き寄せた。

◇◇◇

「どうして…鈴乃の娘が杏依さんを知っているの?」
杏依が笹本家を勝海の部屋に案内する為に立ち去った後、奈々江が呟いた。
「絵里は舞ちゃんが預けられていた施設に通っていたのよね?それは知っていたけれど…。」
奈々江が直樹に問い、直樹は頷いた。
「杏依さんも?」
奈々江の問いに、直樹は首を傾げた。
「「施設訪問…?」」
むつみと涼の声が重なり、その場に残された4人はそれぞれ視線を合わす。


約束を抱いて 第四章-18

2008-03-15 23:52:15 | 約束を抱いて 第四章

「舞。戻りましょう。」
絵里が舞の手を取ったのを見て、涼は安堵した。
絵里は笹本一族の元へ戻り、むつみから離れれば、このまま揉め事は起こらずに済みそうだった。
そう思ったのに。
「絵里さん。」
むつみが絵里を呼び止めた。
「えりさん?」
振り向かない絵里を不思議に思った舞が、むつみと絵里を交互に見た。
仕方なく振り向いた絵里が、そっと舞の髪を撫でた仕草が、涼の目に印象的に映る。
「帽子、随分と長い間借りてしまいましたが、お返ししたいと思って。」
「帽子?」
「はい。大西さんとお会いした時に。」
むつみが話す内容に涼は耳を澄ました。
「それなのに、持ってくるのを忘れてしまって。どうすれば良いですか?」
「捨てていいわよ。」
「分かりました。」
会話は終了だと、涼は思ったのに。
「それも…捨てるように言ったのに。」
絵里が溜息を出す。
「何年間も何処に置いていたの?」
「私の部屋です。」
「私の部屋って…ここに、あなたの部屋は必要ないわ。」
「そうですよね。」
「言ったでしょう?あなたの部屋は、ここには必要ないのよ。」
「はい。そう思って色々と整理していたんです。そうしたら、この服を見つけて。あの時、絵里さんも汚れたけれど、この色だと赤ワインは目立たないと思いません?クリーニングの方がいいのかなって思ったけれど、バスタブの中で洗ったら綺麗になったから。私が着ていた服は、赤ワインが目立つから捨てちゃったけど。あの時の絵里さんは高校生だったから、やっぱり私には、まだ似合わない?」
むつみが絵里に問う。
だが、絵里が答えるより先に舞が口を開いた。
「おねえちゃん、とってもきれい。」

◇◇◇

「直樹。あれって…。」
奈々江が焦った声を出す。
「あぁ。あの時の服だ。」
直樹の答えに、涼は尋ねる。
「あの時?」
「絵里が、むつみちゃんを叩いた時だよ。この場所で。もう…5年か6年前だ。」
「直樹さん。」
名を呼ばれた直樹が振り向くと、目黒祥子が立っていた。
「次…私達の順番なんです。勝海君の部屋に…。あの、絵里姉さんに声をかけても良いと思います?」
祥子の視線を追った涼達は、むつみの足元に抱きつく舞の姿を見つけた。
「呼んでくるよ。」
直樹の言葉に祥子が緊張を解く。
「気を使うわね。」
奈々江が祥子に同情の視線を向けた。
「はい。でも…彼女から絵里姉さんを呼び止めるなんて、驚きました。出来る限り2人を近づけないように、と思っていたのですが…。」
祥子は奈々江と涼に挨拶をすると家族の元に戻り、そこに絵里と舞、そして直樹が加わり、笹本一族が会場を出て行く。
「むつみちゃん。」
奈々江の声が聞こえなかったのか、むつみが動く。
仕方なく諦めて、涼を見上げた奈々江は苦笑する。
「あの子…何を考えているのかしら?」
奈々江と同じ事を涼も感じていて、思考を巡らし、周囲を見渡した。
「え?」
「どうしたの?涼君。」
涼の視線を追った奈々江は、涼の腕を掴むと出入り口を目指した。
笹本一族が出て行ったドアから、むつみも出て行ってしまう。
その後を追って外に出た涼達は、廊下に立つむつみを見つけた。
涼は、むつみを連れ戻そうと思った。
会場ではなく、彼女の部屋に戻っても良いし、庭に出ても良い。とにかく、こんな風に笹本家と関わる必要などないと思った。
だが、むつみの名前を呼ぶ前に彼女が声を出す。
「鈴さん。」
震えている声に、彼女に近付こうとした涼を奈々江が止めた。
「どうしたの?むつみちゃん?」
鈴乃が問う。
「あの…。」
その後姿だけで、涼にはむつみの表情が想像できた。
「むつみちゃん?」
鈴乃が、ゆっくりと歩いて来て、むつみの前に立つ。
「…おかえり…なさい。」

絞り出された小さな声に答えるように、鈴乃がむつみの髪を撫でた


約束を抱いて 第四章-17

2008-03-11 21:23:59 | 約束を抱いて 第四章

会場に入って来た絵里は、直樹が言っていたように着物姿だった。
彼女は人々と挨拶を交わすと、笹本一族の輪に混ざる。直樹も同行していて、二人の姿は“婚約者”と表現するのが一番似合っていると、涼は思った。
その姿を見ていると、絵里が視線を向け、こちらへと歩いてくる。
「こんにちは。奈々江さん。」
絵里の笑顔に、奈々江も負けずに笑顔を浮べる。
そして奈々江の隣に立つ涼にも笑顔を向けるが、涼は返すことなど出来なかった。
「橋元さん。先日は申し訳ありませんでした。高瀬さんにも御配慮いただいて。」
優輝は驚いて涼を見てしまうが、むつみは舞と話している。
「仕事中でしたのに。あのカフェのケーキ、美味しかったでしょう?」
「…あぁ。」
「むつみちゃんと一緒に?」
涼は肯定も否定も出来なかった。
「えりさん。」
高い声が響く。
舞がラケットを床に置くと、むつみから離れて絵里に駆け寄った。
「えりさん、くるのがおそいよ。まい、ひとりだったんだよ?」
絵里の着物の袖を掴み、絵里を見上げる舞の表情は明るく、声も弾んでいる。
「だからね、あのね。あのおねえちゃんが」
「舞?パパとママが一緒でしょう?」
「え~…だって…しらないひとだもん。」
絵里に向かって舞が腕を伸ばすが、着物を着ている絵里は抱く事を躊躇していた。
「舞のパパとママよ。」
「えっと、そうだけど。でも…。だから、おねえちゃんがげーむを。」
舞が、むつみを見る。
嫌な雰囲気だと涼は感じるが、舞の前で絵里が無茶な行動に出る事はないだろうと思った。そう思ってしまうくらい、今の絵里は穏やかな表情をしている。
「ゲーム?あなたには、ラケットは重いでしょう?」
「まいはしないの。」
「あら。そうなの?」
「うん。おねえちゃんもできないんだって。」
絵里が、むつみに視線を送る。
「おにいちゃんに、してもらうの。」
「おにいちゃん?」
絵里は不思議そうに首を傾げた。
「おにいちゃんって…どの…おにいちゃんなの?」
舞から見ると、小学生の男の子も充分におにいちゃんだろう。
「えぇっと。」
「あの人は、おにいちゃんじゃないでしょ?」
絵里の視線は久保を見ている。
「う…ん。おじさん。」
落ち込む久保を高瀬が慰めている。
「直樹さんはダメよ。テニス下手だから。こんなに大勢の前で恥をかくのは私も嫌よ。」
「うん。えりさんの、こんやくしゃだもんね。」
直樹は何も言い返さず、奈々江の隣に立つ。
「哲也さんと大輔さんもパワーだけで、コントロールはゼロよ。」
舞が視線を動かす。
「じゃぁ…。」
「舞。あのおにいちゃんは無理よ。」
絵里の視線は優輝を見ていた。
「あのおにいちゃんはね、怪我をしているの。だから出来ないのよ。」
「おい。」
思わず涼は一歩踏み出してしまうが、その動きを卓也が止める。
「なに…言ってんだよ。」
優輝が絵里と舞に近付いた。
「だって橋元君、怪我をしているでしょう?捻挫…よね?」
過去の話題を出した絵里に、その場にいる全員が怪訝な視線を向ける。
「確か…同級生を庇った…のよね?」
久保はラケットを取り、優輝に渡す。
「で…どの商品が御希望?」
優輝がテニスボールを左手に掴んだ。

◇◇◇


舞の希望の品に優輝は簡単にボールを命中させ、子供達が騒ぎ出す。
次々と優輝に希望の品を伝えて、優輝が命中させる。
「うわぁ…おにいちゃんすごい。」
舞の瞳が輝いていた。
「ねぇ、えりさん。おにいちゃん…けが?」
「そうね。治ったみたいね。」
「よかったね。」
「そうね。良かったわね。」
「よかったね。おねえちゃん。」
舞が、むつみに向かって笑う。
舞が優輝の捻挫に関して何かを知っているわけではないが、捻挫が治っている事をむつみに伝えてくれた舞の気持ちが、むつみの心に残っている罪悪感を少しだけ取り除いてくれた。


約束を抱いて 第四章-16

2008-03-11 21:23:43 | 約束を抱いて 第四章

知らない場所で、知らない人達に囲まれた舞は戸惑い、そして怯えている。父親が姿を見せても喜ぶ訳でもなく、母親に呼びかける言葉を出す事も出来ない。
むつみは、小学生の時に聞いた晴己と絵里の会話を思い出す。
鈴乃が精神的に安心するように2人が話し合っていたのを、むつみは知っている。立ち聞きしてしまった事を絵里に怒られた事よりも、内容の方がショックだった。
その内容を確認したくても、季節が変わっても、むつみは聞く事を戸惑った。
鈴さんの赤ちゃんは生まれたの?
名前は?
男の子?
女の子?
鈴さんは何処に行ったの?
聞きたくても聞けず、そして、いつの間にか記憶の奥に封じられていたことも、むつみにはショックだった。
もちろん、鈴乃の存在を忘れたわけではないが、思い出す回数は月日を追うごとに少なくなり、やがて思い出しても考えても、誰にも問えない事柄だと頭の隅に追いやっていた。
どうして、こんなにも記憶は曖昧なのだろう?
慎一の事も、ビデオの映像を知っているだけで、その光景は記憶の何処にも見つからない。
あの映像は真実なのに、むつみは何も覚えていない。
「おねえちゃん、どうしたの?」
「あ…ごめんね。」
むつみは、いつの間にか舞の頬を撫でていた指で彼女の髪を触っていたようで、指先で舞の髪を巻いていた。
「可愛いわ。舞ちゃんの髪。」
舞が頬を膨らます。
「くるくるしてるから、きらいだもん。」
その顔が可愛くて、目の前にいる存在に触れられる事が嬉しかった。
「おねえちゃんは、さらさらしているね。」
舞が少し戸惑いながら腕を伸ばして、むつみの髪を触る。
「うわぁ…さらさらだよ。うわぁ。」
驚いた感情を誰かに伝えたくて、舞は周囲の大人を見渡すが誰の事も呼べないようで、また、むつみを見る。
「いいなぁ。」
「私は舞ちゃんの髪が羨ましいわ。」
「…ほんとうに?」
「うん。本当に。」
舞が自分の髪を両手で触り、むつみがしていたように、髪を指に絡める。
「髪はパパとお揃いね。」
舞の瞳が、また揺れる。
この幼い存在が新堂の犠牲の1つなら、その事に、むつみも加担しているかもしれない。
自分が、ここにいなければ、晴己と出会わなければ。
そうすれば、鈴乃と舞が引き離される事はなかったかもしれないのに。
「舞ちゃん。何か食べる?」
「…いらない。」
小さな声が呟く。
「お散歩に行く?」
舞が、むつみを通り越した先に視線を向けた。
「…あそびたい。」
むつみは、舞の視線を追って振り向いた。
「ぼーる…おもしろそう。」

◇◇◇

ゲームの周辺にいる人々は、むつみが姿を現した事に戸惑っていた。
「あの…。」
全員が一歩下がったのを見て、やはり誰かに相談しておくべきだったと後悔する。しかし、ここにいる誰かに相談しても止められるし、晴己の従姉弟達は「晴己に確認してから」という言葉を繰り返すだけだと分っている。
「ねぇ、おねえちゃん、どうするの?」
舞がラケットを両手で持ち、床を引き摺っている。
「おねえちゃん、やってみて。」

子供同士には抵抗がないようで、舞は自分でテニスクラブの子供達からラケットを借りてきたようだった。
「そうね…。でも私はテニスはしないから。」
困ったむつみは、立っている人を見渡した。
「舞ちゃん、おにいちゃんに頼んでみる?」
「「「「「え?」」」」」
また、数名の声が重なる。
その“おにいちゃん”が誰を指すのか皆が考え、久保が呟く。
「俺、ではないな。2才のむつみちゃんにおじさんと呼ばれたんだ。今更、おにいちゃんは、ない。」
昔の事を根に持っている久保の声に重なるように会場が騒がしくなる。
その声に周囲を見渡し、全員が状況を把握した。
笹本絵里が会場に姿を見せたのだ。


約束を抱いて 第四章-15

2008-03-09 12:09:05 | 約束を抱いて 第四章

「4人も婚約者がいたのに、誰も新堂家に嫁いでいない。これが桐島家と笹本家の大きな違い。」
「でも、笹本絵里は直樹と婚約してるでしょう?」
「倉田、よ。新堂ではない。」
「まぁ、そうですけれど。」
「新堂ではない、それは私達が一番実感している事だわ。同じように、おじいさまの孫なのに」
それは奈々江だからこそ語れる事実だろう。
「私は晴己達よりも年上で、あの子達の成長を見てきて不安に思ったこともあるけれど…。同じ学年に晴己、哲也、大輔、そして直樹がいて、上手くいかない事が起こるかもしれないと思ったけれど、特に大きな問題はなかったわ。」
それは涼も実感していた。
常に晴己の傍にいる彼の“従弟達”は、晴己と仲が良さそうだし、お互いに信頼関係が強いと感じていた。
「涼君、もう1人、私から紹介したい人がいるの。ほら。今、鈴の隣に来た人。」
涼は笹本一族に視線を戻す。
1人の男性が鈴乃に声をかけ、むつみと挨拶をしている。
「彼が鈴の御主人。似ていると思わない?」
涼は、その人物を凝視してしまった。
「幸いなのは、髪質と髪の色が違った事ね。それに、出来るだけ似た髪型にはしないようにしているわ。そうしないと」
「新堂晴己に…間違えられる。」
涼は、鈴乃と話す男性の顔立ちが晴己と似ていることに驚いていた。
「哲也も大輔も直樹も、晴己には似ていないのに。“いとこ”が、こんなに似るなんて驚いたわ。」
「…いとこ?」
「そうよ。彼は晴己の…私達のいとこよ。おじいさまの孫。でも、私達のおばあさまの孫では、ない。」
「え?」
「彼の母親は、おじいさまの婚外子。つまり、おじいさまの非摘出子なの。」

◇◇◇

「楽しそうですね。」
姿を見せた男性を笹本一族が出迎えた。
舞は彼を見上げるが、また鈴の後ろに隠れてしまう。
「あなたもされたでしょ?シャンパンの。」
「あ、ああ。あれですね。結構楽しかったですよ。」
そして、また全員がゲームエリアに視線を送る。
「そうそう、哲也さんはねぇ。」
次の標的は哲也だった。
「ピアノの鍵盤に蛙を置いたり。」
「ドライアイスをばら撒いたり。」
「照明装置を壊した事もありましたよね。」
「それは大輔さんよ。」
「そうだったかしら?それじゃ、テニスボールを持ち込んで、ほら、今は一箇所でゲームをしてるけれど、あの時は会場全部使って私達の頭上とか足元とか、ずーっと打ち合っていたでしょ?」
「それは全員。晴己様も含めた全員。」
鈴乃が、はっきりと言い切った。
「えぇ?私、それは知らないわ。」
むつみは驚いて思わず問う。
「当然よ。だって小学生になる前の話だもの。」
「…はる兄でも悪戯好きな時期が、あったんですか?」
むつみの問いに全員が頷いた。
当然ながら、むつみはその頃の彼等を知らないが、大人達は困惑していただろうと安易に想像できた。
「そんな事があったんですか?」
祥子が驚いたように問う。
「…結構…楽しそうですね。」
「祥子ちゃん。今だから笑えるのよ?当時は大変で。」
笑い声が止まらない会話が気になるのか、舞が鈴乃の後ろから出てきて、大人達を見上げた。それに気付いて、むつみは再び身体を屈めて舞と視線を合わす。
「舞ちゃんのドレス可愛いわね。とっても似合っているわ。」
舞の頬が少し緩む。
「…ほんとう?」
舞の問いに、むつみが頷くと、舞が嬉しそうに微笑む。
舞の頬を撫でた。
いつも、杏依が頬を撫でるのが不思議だった。でも、自分がこうして舞の頬を撫でると、杏依達の気持ちが分かる気がする。幼い子供の頬は柔らかくて暖かくて。
その滑らかな指ざわりは、心まで優しくしていく。
まるで西洋の人形のように、クルリと巻かれた舞の髪は父親譲りの癖毛だった。
「ママとお揃いなのね。」
「うん。おそろいなの。えっと…。」
舞が戸惑い、鈴乃を見上げ、そして俯く。
むつみは、舞が鈴乃の事を“ママ”と呼んでいないことに気付いた。