りなりあ

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指先の記憶 第二章-12-

2008-11-30 23:31:47 | 指先の記憶 第二章

須賀君が落ち着いている事が不思議だった。
私は、とても緊張していて、周囲の雰囲気に圧倒されていたのに。
“このような場所”が初めてではないのだと気付いて、須賀君の“過去”を知らない事にも気付いてしまう。
須賀君とカレンさんと過ごした共通の日々を思い出して懐かしいと思っているのは私だけで、2人には私の知らない過去がある。
そして、その過去を2人は共有している事を思い出して、私は豪華な食事を楽しむことなど出来なかった。

◇◇◇

カレンさんが連れて行ってくれた和菓子の店に並ぶ桜餅を見て、私は迷うことなくそれを杏依ちゃんへのお土産にする事に決めると、東京に戻る新幹線に乗った。
桜餅を届ける為に、杏依ちゃんの実家のあるマンションを須賀君と一緒に訪問したが、彼女は“結婚後の自宅”に戻った後だった。
自宅に戻るのは当然だし、お土産を届けて欲しいと言われた訳でもないけれど、私は不満を感じてしまった。
杏依ちゃんの実家があるマンションの管理人さんと須賀君が面識があることも、その管理人さんが自分自身が預かることを提案した後で、隣の松原先輩の家で預かって貰う事も提案したのが不満だった。
結婚しても、松原先輩と杏依ちゃんの関係は変わらず、そしてそれを周囲も受け入れている。
それが私には不思議で、杏依ちゃんなら許されるという事が世の中に多すぎて、また不満が募る。
だから私は松原先輩に預けるよりも管理人さんに預かってもらう事を選んだ。
桜餅を預けて、家に帰る道中、私は無口だった。
なんだか、とても落ち着かないし、気持ちが満たされない。
この連休は楽しい時間を過ごせると思っていたし、確かに充実はしていたと思うけれど、私の心の中には空洞が存在していた。
須賀君との会話もなく、家に向かって歩きながら、私は自宅に戻ってしまった杏依ちゃんが桜餅を受け取るのは数日後で、生菓子だし、どうすればよいのだろう、と思った。
それを須賀君に相談できず、悶々と考えて、ますますイライラが募って、自宅へと続く階段を上った時。
数日前に聞いた声と同じ声が私を呼ぶ。
「好美ちゃん、康太君。お帰りなさい。」
その声に、私はとても安堵して、そして不思議なくらいにイライラとした気持ちが消えていった。

◇◇◇

私の家の前に立っている杏依ちゃんの周囲を、薄暗くなってしまった空気が包んでいた。
「自宅に…戻ったんじゃ…ないの?」
「これから戻るの。その前に、好美ちゃん達、帰ってきてるかなぁ、と思って。楽しかった?京都。」
「…うん。」
カレンさんに会えたのは嬉しかった。
京都の美味しい料理も、美味しい和菓子も。
そして綺麗に整えられた独特な景色や風景も。
「今度、私も行ってみようかな。」
「…杏依ちゃん、本当に…家出したの?」
問うと、杏依ちゃんが首を傾げて微笑む。
それが、とても可愛かった。
「…新しい生活って、疲れちゃうね。それに晴己君、ずっとお仕事だし、待っているのも嫌だから、実家に戻ったの。」
家出という単語が持つ意味とは随分と違う状況みたいで、私はホッとした。
でも、杏依ちゃんは、どこかいつもと雰囲気が違うし、なんだか、とても寂しそうだった。
そんな表情は彼女には似合わないのに。
「杏依ちゃん。今、杏依ちゃんのマンションに行って来たんだよ。京都のお土産渡そうと思って。管理人さんに預けてきちゃった。」
私の言葉に、杏依ちゃんが少し表情を緩めた。
「持ってくれば良かったね。生菓子だよ?早い方がいいかも。取りに戻れる?」

もっと嬉しそうに微笑むと思ったのに。
杏依ちゃんの頬は、それ以上緩まない。
「…ありがとう。取りに戻る」
「俺が取ってきましょうか?」
それまで、全く会話に入ってこなかった須賀君の声が、私の背後から杏依ちゃんに向けられる。
「姫野の家で待っていて下さい。時間は大丈夫でしょ?走って取ってきますから。」
「え?こ、康太君?」
止める杏依ちゃんの言葉を聞かずに、須賀君は階段を駆け下りて行った。


指先の記憶 第二章-11-

2008-11-29 01:12:57 | 指先の記憶 第二章

「好美ちゃん。お茶どうぞ。冷めるわよ。」
カレンさんに促されて、少し冷めたお茶を私は口に含んだ。
喉に流れて、胃を満たしていく液体を感じて、そして空腹を感じた。
でも、私は食欲よりも心に溜まっている感情を吐き出したくて、湯呑を置くと再びカレンさんを見つめた。
「それでね、杏依ちゃん、何て言ったと思う?京都の和菓子を買ってきて、って言うの。勝手だよね?杏依ちゃん、とってもお金持ちの人と結婚したんだよ?新幹線代とか気にしなくても良いし、美味しいもの、たくさん手に入れられるんだよ?それなのに、私に買ってきてって言うの。」
杏依ちゃんが選んでくれた桜餅がお皿に載せられて私の前に置かれた。
それを置いたのが須賀君だと分かっていても、私はカレンさんから視線を逸らさない。
「私はね、遊びに来たんじゃないのよ?観光じゃないのよ?カレンさんが京都に引っ越したから、カレンさんがいるから、ここに来たのに。」
そんな事を言いながらも、新幹線の中で読んでいた観光ガイドの本の内容が頭を駆け巡る。
「…カレンさん。美味しい和菓子のお店、連れて行ってくれる?」
カレンさんが、お茶を一口、飲む。
「そうねぇ、その人はどんなモノが好みなのかしら?」
「好み、かぁ。杏依ちゃんの好み、分からないかも。」
カレンさんの隣で桜餅を一口で食べようとしている須賀君を見た。
「須賀君は杏依ちゃんの好み、分かる?」
「あー…。不明。あの人の事を深く知りたいとか理解したいとか、考えるだけでも嫌になる。無理無理。ある意味、生態不明な未確認生物。」
「…そこまで言わなくても。」
ちょっと、その言い方は杏依ちゃんが可哀相。
「変わった人みたいね。」 
カレンさんの言葉に、私は首を傾げた。
変わっているという表現は少し違うような、でも当たっているような。
今まで、杏依ちゃんみたいなタイプの人は私の周りにはいなかったし、これから先も現れないと思う。
それに、杏依ちゃんみたいな人が2人もいると、とても大変な気がする。
「こっちからの手土産も桜餅で良いんじゃないの?」
カレンさんが、あっさりとした口調で言い、そしてまたお茶を飲む。
「えぇ?嫌だよ。同じものを買うなんて。もっと驚くようなもの。あの杏依ちゃんが美味しいね、凄いねって言うようなものをお土産にしたいの。」
そんな私の訴えを、カレンさんは優雅な頬笑みで受け止める。
「美味しいね、凄いね、と言うと思うわよ。驚かないかもしれないけれど。たぶん彼女は好美ちゃんが桜餅を買って帰ると予想しているだろうから。まずは食べてみたら?好美ちゃんが買ってきてくれた桜餅。いただきましょうか?」
カレンさんの言葉を聞いて、須賀君が2個目の桜餅に手を伸ばした。

◇◇◇

カレンさんの住む家は、普通のマンションだった。
それは別に不思議でもないけれど、でも少し意外に思った。
一緒に住んでいる“同居人”は連休の間は留守にするらしく、私と須賀君はカレンさんの家に宿泊させてもらう事になった。
“同居人”に会ってみたいと思っていた私は、少し残念に思った。
“同居人”が女性なのか男性なのか。
それが気になるけれど、それをカレンさんに問うのは何となく遠慮してしまう。
でも部屋の雰囲気を見て、なんとなく同居人は女性のような気がして、それならその人は何歳なのだろうと気になって、そして…カレンさんの年齢を知らない事に気付いた。
質問すればカレンさんは答えてくれるかもしれないし、誤魔化されるかもしれない。
須賀君は知っているだろうし、彼が答えを持っているかもしれない。
でも、私はカレンさんに何も質問できなかった。
カレンさんの新しい生活を、カレンさんの今の幸せを直視する自信がなくて、懐かしい日常に数日間だけでも戻れるだけで、私は幸せだった。
でも、そんな私の小さな望みは、初日の夕食で消されてしまった。
高校生の私には不似合いな、料亭の懐石料理が並べられて、食事中の楽しい会話よりもカレンさんは食事方法を私に教え続けた。
それは、まるで、絵里さんみたいだった。
そして、須賀君は普段とは全く違う、とても優雅な丁寧な仕草で食事を続けていた。


指先の記憶 第二章-10-

2008-11-10 01:04:16 | 指先の記憶 第二章

それは甘く、すぐに私の口の中で溶けていく。
とろりとした感触が、舌の上に広がった。
「香坂先輩。姫野は甘いもの苦手なんですけれど。」
須賀君の言葉の厳しさに、甘さで思わず眉を寄せていた私は、彼を止めようとした。
でも、その前に。
「香坂先輩って呼ぶの、やめるんじゃないの?私、もう香坂じゃないわ。」
私の背中から聞こえる杏依ちゃんの声は、珍しく強く響いた。
「だったら、新堂先輩ですか?今は先輩じゃないのに?」
先輩だよ、須賀君。
杏依ちゃんは私達よりも年上で、同じ中学の先輩なのだから。
私は、そう思ったのに。
「先輩は、いらない。だって先輩じゃないもの。」
杏依ちゃん本人も“先輩”を却下した。
「…じゃ…杏依様。これで如何ですか?」
須賀君の妙に丁寧な口調に、私は噴出した。
似合わない。
どこからどう見ても、“様”なんて、杏依ちゃんには似合わない。
「康太君は、その呼び方をしないで。今も…慣れないもん。」
杏依ちゃんが私の背中で溜息を出した。
「好美ちゃんも変だと思うよね?」
杏依ちゃんの言葉に私は何度も頷いたが、彼女の言葉が気になって、私は自分を抱きしめている腕から抜け出して、振り向いた。
「…誰かが…杏依ちゃんの事、“杏依様”って呼ぶの?」
問うと杏依ちゃんが頷いて、私は座った状態で畳の上を後ろに移動してしまった。
「仕方ないわよ、杏依。新堂さんは“晴己様”って呼ばれているんだし。その奥様は“杏依様”になっちゃうわよ。」
瑠璃先輩の言葉に、杏依ちゃんが頬を膨らませた。
「…だって…慣れないもん。仕方ないかもしれないけれど、晴己君の従姉弟達とか、親戚の人には“様”は嫌だって言っているの。」
似合わない“様”に驚愕している私の背中を須賀君の両手が支えてくれる。
「それなら“いとこ”からは、どんな風に呼ばれているんですか?」
背後からの須賀君の声。
「杏依…さん。」
ポツリと呟いた杏依ちゃんの言葉に、私は再び噴出した。
やっぱり、“さん”も似合わない。
「じゃ、俺も“杏依さん”にするよ。ほら、姫野も。」
「えぇ?どうして私?」
振り向こうとした頭を、須賀君に後ろから両手で固定される。
「…好美ちゃんは今のままで良いよ。」
「そうだよねぇ。変わったのは名字だもんね。」
「でもさ、一応年上だぞ?先輩だぞ?」
先輩じゃないと言ったのは、須賀君なのに。
目の前の杏依ちゃんを見て、不安そうな表情の愛らしさに私は思わず微笑んでしまった。

「杏依ちゃんが年上でも先輩でも、すっごい金持ちの奥様でも。」
周囲の人が彼女の事を“杏依様”と呼んでいたとしても。
「杏依ちゃんは杏依ちゃんでしょ?結婚したからといって何が変わるの?」
杏依ちゃんの頬が緩む。
それは、まるで。
固い蕾が春の暖かさに、その花びらを広げるよう…だった。

◇◇◇

「聞いて、聞いて。カレンさん。私が選んであげるって、杏依ちゃんがね。あ、杏依ちゃんって、施設に時々来てくれる人で、1つ年上の人でね。でもね、この前、結婚したの。その人がね、選んであげるって言うから仕方ないなぁと思っていたら、桜餅を選ぶの!桜餅だよ桜餅。そりゃ、美味しいけど、生菓子だよ?新幹線で移動する私に桜餅だよ?それも私が京都に行くのに、だよ?変だよ。結局新幹線に乗る前にお店に取りに行って。でね、朝も早いから早く眠らなきゃ、って思っているのに、桜餅のお店から帰ってきたら、須賀君が何をしていたと思う?味噌だよ、味噌。味噌作るとか言い出して、お味噌作るって何を考えてるの、って私が怒って当然だよね?そりゃあね、おばあちゃんのお味噌は美味しかったよ。カレンさんも、知ってるよね?でも、同じ味なんて出せるわけないのに、買ってきたお味噌も美味しいのに、自分で作るって言い出して、簡単に出来るセットを買ったって言うけど、手伝えって言うんだよ?簡単なら1人ですればいいのに、私に手伝わせるんだよ?私は、それまで杏依ちゃんの相手をしていて、だって杏依ちゃん我が侭」
カレンさんが私の手を湯飲みへと導いた。
手のひらから伝わる温かさを感じて、私は深呼吸をした。