りなりあ

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約束を抱いて:番外編-sweet&bitter-5・完

2007-07-20 18:03:28 | 約束を抱いて 番外編

「優輝君?」
晴己さんは納得していないだろうけれど、自分の気持ちを吐き出せた事にホッとして、俺は満たされた気持ちだった。
「無理して食べるから…。」
無理したつもりはない。
美味しいと思ったし、食べたかったし。
「涼さん達なら食べられるけれど、私達は無理なのに。私も味見出来なかったし。」
…?
「優輝君、お酒に弱そうだもの。」
…酒?
「優輝君、大丈夫。ねぇ、ここで眠らないで。」
頬をむつみの指に撫でられて、俺は少し目を開けた。
「優輝君、さっきのチョコね、アルコールが入っていたの。美味しくなかったでしょ?待ってね。」
再び奥へと行く彼女の姿を見送ろうと体を起こすと、眩暈が起きる。
そのまま力が抜ける。
むつみが戻ってくる気配を感じても、俺は動けなかった。
「優輝君、クスリ飲む?」
頬に感じる床の冷たさが気持ち良い。
手を伸ばすと、むつみの指に辿り着く。
「…いらない…不味いから。」
「優輝君。」
頭上から聞こえる声は、柔らかくて優しくて、でも困っているような声。
「上向いて。」
このまま眠りたいのに、髪を撫でてくれる指が気持ちよくて動きたくないのに、催促されて俺は体を動かした。
むつみの膝の上で固定された頭は、まだ鈍痛を残している。
「開けて。」
顎を軽く掴まれて、俺は仕方なく口を開けた。
苦い味が広がっていく。
チョコの苦い味ではなく、苦さだけが残る嫌な味。
すぐに水を流し込まれて飲み込むと、溜息が出た。
直後、何かが俺の口に押し込まれる。
「…っんっ!?」
驚いて目を開けると、むつみの笑顔がある。
「これで苦くないでしょ?」
どうやら押し込まれたのは檸檬味の飴のようで、口に広がっていた甘味と苦味が、酸味で消されていく。
なんだか、俺は勝手な事ばかり言っているのに、むつみは平然と俺を受け止めていて、凄く恥かしくなる。
俺は自分の気持ちを隠すように、被っていた帽子を目元まで下げ、そっと瞼を閉じた。

◇◇◇

「…いてぇ…。」
ベッドの上で思わず唸ってしまう。
今日はトレーニングをパスするしかなさそうで、この2日間で鈍ってしまった体に後悔する。
重い体で一階に下り、冷蔵庫から出したミネラルウォーターを飲むと、幾分気持ちがスッキリした。
「優輝、むつみちゃんが薬を渡してくれたぞ。」
兄が机の上に薬の袋を置く。
「…薬?…俺、昨日むつみの家に行ったよな?あれ?いつ帰ってきたんだろ?」
兄が怪訝そうに俺を見た。
「俺が迎えに行ったんだろう?おまえが晴己に電話なんてするから、怒った晴己から迎えに行けって言われて。どうして俺が晴己に怒られなきゃいけないんだ?」
兄は苛々とした口調で俺を責めた。
「晴己さんに電話?なんだろう?何の用事があったんだろう?」
「こっちが聞きたい!」
苛々している兄を放っておき、軽い朝食の後に薬を飲んだ。
苦い味が広がり、やはりバレンタインは好きじゃないと、改めて思った。

◇◇◇

登校すると、昨日と同じように声がした。
「おはよう。優輝君。」
隣に立ったむつみが俺を見上げて心配そうに尋ねる。
「気分どう?薬飲んだ?」
「う…ん。苦いけど。」 
そう言うと、意味ありげに笑われる。
「俺さ、昨日むつみの家に行ったよな?」
「うん。来てくれたよ。」
「で、お礼言って…謝ったよな?」
「うん。」
「で、なんで晴己さんに電話したんだ?」
「え?」
「兄ちゃんが迎えに来たらしいけれど、本当?」
むつみは上履きに履き替えようとしていた動きを止める。
「もしかして、覚えてない、の?」
「うん…謝ったのは覚えているんだけど。」
じっと俺を見て、むつみが、また小さく笑う。
「…なんだよ。」
「内緒。」
「は?」
「内緒。優輝君忘れてるんだ昨日の事。」
「だから、何?」
「だから、内緒。」
むつみは面白そうに言う。
「なんだよ。何があって晴己さんに電話した訳?」
むつみは笑顔だけを返して、先へと歩いていく。
「むつみ。」
彼女を追いかける。
なんだか、とても。
俺は彼女に振り回されているような気がするのは、気のせいだと思いたい。
むつみは俺を好きなのだから、俺がむつみを振り回すのが当然で、俺がこんな風に彼女を追いかけるのは、おかしい。
「あ、そうだ。」
むつみが立ち止まって振り向いた。
「優輝君。」
彼女の素直な笑みは、楽しそうに俺に向けられる。
「チョコ、まだ残っているけれど、食べる?」
「…いりません。」
「えぇ?酷い。まだ残っているのに。涼さん達に持って行くのはダメなんでしょ?」
また食べるのは、出来る事なら遠慮したい。
「俺は甘いのと苦いのだけで、いい。」
“大人の味”は遠慮したい。
「それよりも、出来れば、俺は食事の方でお願いします。」
並んで歩く彼女が笑う。
楽しそうに嬉しそうに。

まぁ、いいか。
俺の家族になら。
むつみの優しさを、少しくらい分けてあげてもいいだろう。
バレンタインのチョコには縁遠い祖父と父。
何故かすっかり“彼女”の存在を感じさせなくなった兄。
彼らに少しだけ、お裾分けをしてあげよう。

甘くて苦い、この恋を。

                ◇sweet&bitter・完◇


約束を抱いて:番外編-sweet&bitter-4

2007-07-20 18:03:10 | 約束を抱いて 番外編

全力疾走したいのに体が思うように動かなくて、ヨロヨロとしながらも出来る限りの速さで、むつみの家へ向かう。
時刻は夜の11時になろうとしていて、非常識な時間に訪ねた俺を、むつみが迎えてくれた。
「優輝君、顔色悪いけれど大丈夫?」
俺が謝るべきなのに、むつみは怒って当然なのに、彼女が最初に出した言葉は、これだった。
促されるまま玄関に入り、そこに座り込んだ。
「…ありがとう、さっき気付いた。」
情けなくて視線を合わすことが恥かしくて、床を見ながら言う。
「寒くない?」
そう言った顔は、きっと俺の好きな顔、だと思う。
顔を上げたい気持ちはあるのに、恥かしくて顔を上げられない。
「…ごめん、むつみ。」
迷って戸惑って、やっとその言葉を言う。
「ううん。私が悪いの。ごめんね。」
「………………むつみ。チョコ、まだある?」
「あるけど?」
「食べたい。」
「気持ち悪くならないの?」
「さっき…食べてみた。にーちゃんの分。」
しばらく沈黙があって。
「ちょっと待って。」
家の奥へと向かった彼女が戻ってきて、俺は先ほど食べた色のチョコを口に含んだ。
甘くて舌に絡みつきながら、チョコが溶けていく。
「…大丈夫、なの?」
「…そうみたい。でも、こっちも。」
催促するようにして、少し色の濃いチョコを指差す。
むつみがそれを摘んで、彼女が俺の口に入れる。
「無理しないで。」
むつみが微笑む。
それは困っている風でも、悲しそうでもなく。
「甘い物が苦手なのは仕方ないでしょ?でも、食べる事が出来るみたいで、良かった。」
正直に言えば、チョコよりもむつみの作った料理の方が好きだけれど、それを言葉にするのは戸惑われた。
だけど、彼女は全てお見通しみたいだ。
「そっちも。」
俺は、まだ食べていない色のチョコを指差した。
「…これは…。他の方がいいわ。持ってくるから。」
むつみはチョコを俺の前に置き、また奥へと行く。
俺は不思議に思いながら、まだ一度も食べていない色のチョコを摘んだ。
そして、それを口に含む。
「…?」
甘さや苦さとは違う香りが広がる。
俺は壁に体を預けて目を閉じた。
「優輝君?」
名前を呼ばれて目を開けると、ぼんやりとした視界で、むつみの姿を見つける。
「食べたの?」
頷こうとして、頭に鈍痛を感じた。
「そう…。大丈夫?」
むつみの姿が揺れている。
「むつみ。」
自分の声が遠くで聞こえた。
「嫌なんだ。むつみが誰かの為に何かをしたりするのが。」
心に溜めていたものが言葉になっていく。
「それが俺の家族でも。もし俺にもチョコがあったとしても嫌なんだ。」
自分で言っていて馬鹿馬鹿しい奴だと思ってしまう。
「………………晴己さんにも作ったのか?」
「はる兄には、結婚してからあげてないよ。杏依さんから貰うし。杏依さんが手作りしているのを見たことがあるから、私は渡さないほうがいいなって思って。」
「じゃあ、晴己さんには、ないんだよな?」
再び確認する。
「うん。」
自分が何を一番気にしていたのかを思い知る。
座り込んでいる俺の傍に座る彼女の肩に額を乗せた。
「ゆ、うき、君…?」
「むつみ…俺、晴己さんがこの家に来るの、嫌なんだ。」
「え?」
「晴己さんがここに来て、むつみと一緒に料理をして、食べて、泊まって…俺の知らないところでむつみと晴己さんが会っているの、嫌なんだ。」
当たり前のようにこの家にいる晴己さんを見たくない。
それを嬉しそうに受け入れるむつみも見たくない。
「でも、昔からずっとそうだよ?」
「昔は昔だろ?今は俺がいるんだから。今でも晴己さんがそんなに大事?俺と晴己さんと、どっちと一緒にいたい?」
沈黙が続く。
そしてむつみの両手が俺の背中を撫でる。
「優輝君と一緒にいたい。」
その言葉を聞いて、安堵する自分がいた。
「晴己さんに電話して。もう来なくていいって。」
顔を上げてむつみを見た。
その瞳は驚いて戸惑っている。
「晴己さんに、はっきり言って。」
無理強いをしているのは分かっていたが、どうしても嫌だった。
しばらくして、むつみが立ち上がる。
彼女が俺から離れてしまった事を残念に思いながら、俺は再び壁に体を預ける。
遠くでむつみの声が聞こえる。
俺は隣に立っている彼女を見上げた。
受話器を持つ腕を掴んで、その腕を俺へと引き寄せる。
「優輝君?」
俺はむつみから受話器を取り上げた。
「晴己さん。」
『優輝?』
「俺が嫌なんだよ。晴己さんがここに来るの。そういうことだから来ないでよ。」
『こんな時間に何しているんだ?むつみちゃんの両親は?』
「…仕事、かな?いないみたいだし。」
『おい、優輝!』
「約束してよ。もう二人で会わないって。」
俺はそう言うと、晴己さんの言葉を聞かずに電話を切った。受話器をむつみに渡すと困ったような顔をしている。
「どうして?私から説明しようと思ったのに。優輝君の言い方だったら、はる兄は納得してくれないわ。」
そうかもしれない。

むつみが望んでいるのなら晴己さんは納得しただろう。
だけど、俺は分かってもらいたかった。
俺がむつみを好きで、むつみも俺を好きなんだって事を。
「…気持ちわ…る…。」
何だろう?
平気だったのに。
むつみが作った物なら、苦手なチョコも食べられるのに。
これで、兄達に食べさせなくても済むのに。
俺は、壁に体を預けて目を閉じた。


約束を抱いて:番外編-sweet&bitter-3

2007-07-19 18:28:34 | 約束を抱いて 番外編

感動している祖父と父、そして兄の声が聞こえる。
そして、それらに混ざって、むつみの声も聞こえてくる。
嬉しそうで、楽しそうで。
こんな状況………最悪だ。
見れないし食べられないし。
むつみに喜んでもらう事もできない。
さっきまでの苛々や胃のムカツキは消えて、今は胸が締め付けられるように痛い。
どうしてだ?
俺が食べられないものを、どうして兄ちゃん達が食べられるんだ?
むつみは俺の彼女なのに。
むつみを好きなのは俺なのに。
あの場がとても賑やかで楽しそうなのは分かる。
そしてむつみが喜んでいるのが分かる。
だけど、彼女を笑顔にしているのは俺ではない。
あの輪の中に、俺は入れない。 
悲しい気持ちは大きくなり、また苛立ちの気持ちが顔を出す。
むつみが俺のいない所で笑ってる。
俺に謝りに来たのだと思ったのに、兄ちゃん達に喜んでもらう為に手作りのチョコを持ってきたのかと思うと苛々した。
立ち上がった俺はダイニングの扉を開けた。
チョコの匂いが俺を襲う。
だけど苛立った気持ちは、気持ち悪さを封じ込めた。
驚いた家族がこちらを見るけれど、構わずにむつみに近付くと彼女が持っている紙袋を取り上げた。
そしてテーブルの上に置かれている三つの箱をその中に放り込む。
「優輝!」
驚いた兄が俺の腕を掴んだけれど、それを振りほどく。
「優輝、まだ残ってるんだぞっ!」
限界だった。
充満している甘い匂いも。
嬉しそうにしていた家族の声も。
そして、むつみの気持ちが少しでも他の誰かに向いているなんて我慢できなかった。
「俺は食べたくても食べられないのに、なんで兄ちゃん達が食べるんだよ。むつみだって、作ってくるなよっ!」
理不尽なことを言っているのは自分でも分かっていた。
だけど、どうしてもむつみを許せなかった。
チョコを持ってきたことが。
それが手作りだという事が。
どうして俺以外の人の事を考える訳?
俺にはそんな余裕全然ないのに。
むつみのことでいっぱいで、そんな余裕はないのに。
俺はダイニングを飛び出し階段を駆け上がる。
自分の部屋に入ると、持っていた紙袋を放り投げた。
悔しい。
あの時、試合に負けた時よりも遥かに悔しい。
チョコを食べられない原因を作った自分が悔しい。
もし俺がチョコを好きなら、きっとむつみだって喜んでくれるのに。
兄ちゃん達じゃなく、俺に作ってくれるはずなのに。
むつみは俺の彼女で、むつみの気持ちは全部俺に向いていて当然なのに。

◇◇◇

話し声がして玄関のドアが閉まる音が聞こえても、俺は部屋から出なかった。
むつみは家に戻ったのだろう。
どんな気持ちで帰って行ったのだろう?
溜息を出すと、床に放り投げられている紙袋が視界に入る。
袋を手に取り、中に入っている箱を見た。
恐る恐る開けると独特の甘い匂いが広がる。
すぐに蓋を閉じようと思ったけれど、むつみが作った“チョコ”に指を伸ばす。
吐くかもしれない。
熱を出すかもしれない。
だけど、このままだと、兄ちゃん達に食べられる。
それなら捨ててしまいたいが、むつみが作ったものを捨てること等、できない。
それに、食べてみたいと思った。
吐いても熱を出しても。
それを口の中に放り込む。
香りと甘さが広がり、何度か躊躇したけれど、思い切って噛んでみた。
………………。
それは甘くて、口の中で溶けていく。
………………美味しい。
そのチョコが美味しいのか、それがむつみが作ったものだからなのか。
きっと両方だろうけれど、美味しかった。
そう思った自分に驚いた。
気持ち悪さはなかった。
そしてまたひとつ、口に運ぶ。
同じように口の中で溶けていって。
それはさっきの甘さとは違って、少し苦く、だけどそれも美味しくて。
袋の中には、あと2つ箱が残っているはずで、俺は袋の中を覗いた。
「あれ?」
投げ入れた箱の他に、小さな袋が入っている。
手に取ると袋の中身は柔らかくて、ふわふわとした物体であることが、右手の感触で分かる。
俺は、結ばれているリボンを解いた。
『優輝君、寒くないの?』
手に取った中身を見て、今年に入って一番寒かった日を思い出す。
髪の短い俺を見て、むつみが尋ねた。
寒くないと答えたけれど、当たり前だけれど寒さは感じる。でも、髪が長いのは邪魔だ。
俺は、暖かそうなニットの帽子を被ってみた。
「優輝。」
ドアをノックする音がして、そして兄の声が頭上から聞こえる。
「むつみちゃん帰ったぞ。」
「…うん。」
情けなくて溜息が出る。
「馬鹿か、おまえは。」
兄の言葉が冷たく響いた。


約束を抱いて:番外編-sweet&bitter-2

2007-07-18 12:01:51 | 約束を抱いて 番外編

帰宅すると、祖母が心配そうに尋ねた。
「気分悪いのかい?」
「…………少し。」
「どうかした?」
「…………平気。今日バレンタインだから。」
「あぁ。14日。じゃあ仕方ないねぇ。」
祖母の納得した声を聞いて、俺は階段を上る。
チョコは小さな頃は大好きだった。
だけど、ある年。
散々食べた後に練習試合があった。
食べ過ぎで気持ち悪くて、そして試合に負けた。
それから、チョコは絶対にダメ。
あの甘い匂いを嗅ぐだけで、あの時の気持ち悪さと頭痛と、そして負けた悔しさを思い出してしまう。
負けた事は当然悔しいけれど、それよりも自分で自分の体をコントロールできなかった事が悔しい。
完璧に体も心も受け付けなくなっている。
そして今年は、苛々した気持ちも加えられた。
俺が逆の立場だったら、むつみのようには考えられない。
もしむつみが誰かに告白をされて、そいつの事を少しでも考えていたりしたら、俺だったら絶対に我慢
できない。
それにいくら世間ではハッピーで浮かれた行事でも、俺は余計なものを贈られて、気持ちが悪くなって、嫌がらせに値する行為
だ。
それをされても、相手を思いやって、ごめんね付き合えないからってニコニコ笑いながら言うのか?
誰ができるか、そんな事。
俺はベッドに横になり、胃のむかつきと気持ちの苛立ちを爆発させていた。

◇◇◇

むつみと俺の“関係”は、変わった…と思う。
殆ど毎日会っているし、“俺達”の事は周囲の周知の事実。
なんとなく周囲も好意的で協力的な気もする。
それに始まりが酷かったから、今は穏やかだし、俺達の間には大きな問題はなくなっている。
「優輝。」
浅い眠りを繰り返していたら、兄の声が聞こえた。
ドアの向こうから声が聞こえる。
「むつみちゃんが、これから来るって。」
「…え?」
そして階段を下りていく音が聞こえる。
時計を見ると時刻は9時前で、俺は体を起こす。
頭の奥に感じる痛みは少しだけ残っているが、気分は随分と楽になっていた。
ダイニングに行くと、家族全員が揃っていて、ちょうど夕食を終えた後だった。
「食べる?」
母が指し示す器には粥が入っていて、俺は小さく頷いた。
それから暫くしてインターフォンが鳴り、母が玄関へと向かう。
聞きなれた声が近付いてきて、むつみがこんばんは、と言いながら入ってきた。
「優輝君、気分どう?」
むつみは俺の前にある食べた後の食器を見ながら、少しホッとしたように尋ねる。
「えっと…向こうに行ける?」
そう言ってむつみは和室を指さす。
俺は椅子から立ち上がると和室へと向かった。
もちろん、むつみも来ると思っていたのに、彼女は俺の家族と会話を続けていく。
「この時間なら戻っていると思って。瑠璃さんに連れてきてもらったの。あのね。」
俺は振り向いた。
「チョコレート持ってきたの。」
むつみの手には紙袋が握られている。
そして彼女は俺と目が合うと、困った顔をした。
「…だから、優輝君は見ないほうがいい…よね?」
その紙袋に入っているであろう物体を想像して、また気持ちが悪くなる。
「涼さんは好きなんでしょ?おじさまとおじいちゃんは?」
その言葉にダイニングの空気が騒ぎ出したのが分かった。
「「え!?」」
おそらく兄にはあっても、まさか自分達にまであるとは思っていなかった祖父と父が叫ぶ。
「うん。三人分作ってきたの。」
「「「手作り!?」」」
今度は兄も混ざって叫ぶ。
手作り?
「優輝、閉めるぞ。見たくないし、匂いもダメだろ?」
嫌味な声で兄が襖を閉めた。
「可哀想に、食べられないなんて。」
襖の向こうから聞こえる兄の言葉が俺を突き刺す。
なんだ、
この状況は?
俺が食べられないものを、どうして作る?

「開けても良い?これ、作ったの?自分で?器用だね。それじゃ、早速頂きます。」
珍しく嬉々とした兄の声が、俺の頭痛を酷くしていく。
「それじゃあ、わしも。」
「ではでは、父さんも。」
嬉しそうな祖父と父の声も聞こえてくる。
そして。
「「「美味しいっ!」」」
三人の悲鳴に近いような声が響いた。
…最悪だ。


約束を抱いて:番外編-sweet&bitter-1

2007-07-17 02:29:33 | 約束を抱いて 番外編

「おはよう。」
その声の持ち主が誰なのか、振り向かなくても分かる。
「今日も寒いね。」

隣に立った彼女が見上げてくる。

「おはよう。」
短く答えてすぐに視線を戻そうとするが、彼女の笑みに思わず視線を止めてしまう。
最近は、周囲の鬱陶しさを無視できるようになってきているけれど、注目を浴びる行為は危険だ。
だから、名残惜しい気持ちで彼女から視線を離し、俺は靴箱を開けた。
バサッ、ドサッ、ドドッ。
そんな音がピッタリするかのように、靴箱から物が溢れ床へと転がった。
「…なんだよ!これ!」
驚いて飛ぶようにして後ろに下がった。
訳が分からず彼女を見ると、小さな笑みを返された。
「バレンタイン、だもの。」
その言葉に、俺は目眩を感じた。

◇◇◇

「優輝君、置いていくの?」
立ち去ろうとした俺は腕を掴まれ、仕方なく振り向いた。
むつみが驚いた顔を向けている。
「優輝君が貰ったもの、でしょ?」
「…俺が甘いもの嫌いだって知ってるだろ?」
早く離してくれよ。
気持ちが悪い。
「でも、優輝君に贈られた物よ?このまま放って置くの?」
「だったら拾っておいて。」
「…私が?」
むつみは不機嫌な顔を俺に向ける。
その顔も可愛いけれど、今はそれどころじゃない。
「俺から望んで貰った物じゃないし。」
彼女は更に不機嫌になる。
「でも今日はバレンタインよ?」
「迷惑。」
俺の腕を掴む彼女の手を振り払い、頭の奥に響く痛みを感じながら俺は、フラフラとした足取りで歩いた。

◇◇◇

俺はこの行事が嫌いだ。
チョコを食べられなくなってからは、受け取る事を拒否していたが、今年は、貰うことになるなんて考えもしなかった。
だって、“彼女”のいる俺にどうして贈る?
鞄を開けると、甘い香りがする。
あの後、むつみが全てのチョコを拾って俺に渡してきた為に、俺は、仕方なく贈り主へと返す事にした。
「甘いもの食べられないから。だから、これ返すよ。」
「でも、私も返してもらっても…受け取っていただければそれで…それから、あの…急ぎませんから、返事をまた…。」
苛々する。
人の目を見ない態度も、はっきりと話さない口調も、名前なんて知らない女子生徒の態度が俺を苛々させる。
「どうしてさぁ、即効断る?結構かわいかったじゃん。」
チョコの入った鞄を持つ事を願い出てくれた吉井が、不思議そうに問う。
「返事はホワイトデーでいいだろ?1ヶ月間考えれば。」
「なにを?」
「付き合うかどうか。」
その言葉に俺は首を傾げた。
「考える必要なんてないだろ?むつみがいるんだから。」
「1ヶ月先なんて分からないだろ?」
「別れてるって事?」
「…ないとは言えないじゃん。」
俺がむつみを嫌いになったり、むつみが俺を嫌いになったり、他に好きな相手ができたり?
「ありえねぇ。」
思わず笑ってしまう。
「なんだよっ。余裕かよ。」
吉井が不機嫌な声を出した。

◇◇◇

「無神経だと思う。」
むつみの家へと向かう帰路を歩いていた。
「――――――――――――――――――何が?」
気分が悪い俺は無口になっていて、むつみの言葉に遅い速度で反応した。
「皆の前で返すなんて。」
むつみが俺を少し睨んでいる。
「…いらないから。」
「そうだとしても皆の前ですることじゃないでしょ?何処かに呼び出してあげればよかったのに。」
「貰ってよかったのかよ。」
それはあり得ないけど。
自分の近くにあの甘さがあるだけで気持ち悪いのだから、あのまま捨てるしかなかった。
それなのに、捨てずに返した俺は親切だと思う。
「私がダメだって言えることじゃないし。」
なんだ?
「彼女達のうちの誰かと付き合っても良かった訳?」
「そうじゃなくて!私は、もっと他に方法があると思うわ。酷い方法を選ぶ必要なんてないのに。」
珍しく感情が露な彼女の声が耳障りだった。
「俺は正直に自分の気持ちを言っただけ。それに俺、むつみ以外の子の気持ちを思いやったり気遣ってやったり、そういう器用な事できないから。」
変だぞ、こいつ。
俺に告白してきた人達の気持ちを思いやるなんて。
「別の場所に移動する時間が無駄。面倒なんだよ。」
「どうして?相手の気持ちを考えようとしないの?」
むつみが考えている場合か?
「帰る。」
むつみの動きが止まる。
「え?久保さんが今日は休みだって。えっと、もちろん優輝君は自分でトレーニングするだろうけれど、でも、一緒に御飯、食べない?」

俺は何も答えず体の向きを変えると自分の家へと向かう。
「優輝君!?」
むつみが呼んでいるけれど、無視することにした。