りなりあ

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番外編 11

2015-04-06 14:34:28 | 指先の記憶 番外編

一晩中降っていた雨が、葉の上で光っている。
窓から隣の家を見ると、朝の風に揺れるカーテン。
その部屋で眠る人達は、既に起床しているようだ。
見下ろすと、桜の木々の隙間から階段が見える。
その空間に現れては消えて、そしてまた姿を見せる人物が、階段を駆け上がっている。
空間と空間を移動する早さに、駆ける人物が誰なのか分かった。
「相変わらず元気だなぁ…」
溜息を吐き出して、そして背伸びをする。
着替えて髪を整えていると、階下から声が聞こえ始めた。
想像以上の早さに驚き、そして早朝から女性の家を訪問する図々しさに呆れながらも準備を終えて1階へと向かう。
既に家政婦さんが対応してくれていた。
玄関の向こうで、雅司を肩車しながらスクワットをしている中学生は、爽やかな笑顔。
額の汗がキラキラと朝日に輝いていて、あぁ若いなぁ、と思った。
今日は、ちゃんと両足で階段を上がってきたみたいだから、私の伝言は届いているみたい。
「おはようございます」
「おはよう よしみ」
「…おはよう雅司。優輝おはよう。どうしたの?」
離れを直接訪問するということは、私に用があるのだろう。
「兄から聞きました」
「そう」
「そうって…どうしてですか?」
「どうしてって、知らない。勝手に決まってた」
「勝手にって…にぃちゃんは誠実じゃないし、コロコロ気が変わるから、やめたほうが良いです」
私なんて1ダースだよ、って言ったら、優輝は嫌悪するかもしれない。
「お兄さんのこと嫌いなの?」
「兄弟だから、嫌いとかそういう問題じゃなく。にぃちゃんの女の人に対する考え方、俺は納得できないことばかりですから」
「そうだよねぇ。優輝は彼女一筋だものね」
眉間に皺を寄せて、優輝は私から目を逸らした。
「康太さんは知っていて、納得していますか?」
「あ…そうだね。どうなんだろう?どっかから聞いているかも?」
適当な私の答えに、優輝は呆れたように溜息を出した。
「康太さん、今度いつ戻りますか?」
「さぁ?いつかな?」
分からないから答える事が出来ない。
過干渉だった兄は、今では私に対して無関心に近いかもしれない。
無関心と感じるのは自分自身が悲しくなるから避けたい。
だから、出来るだけ関わらないようにしている、と表現するのが正しい…かもしれない。
「康太さん、忙しいですよね」
「そうみたいだね」
それだけが理由ではないと思うけれど、兄の大学生活が時間に追われる状況だというのは事実だった。
「急ぎの用事?」
「急ぎっていうか…この前のパーティ…勝海君の。康太さん来ているかと思っていたけれど。あ、そういえば、好美さんも来てなかった」
「だって私、勝海君に会っているもの」
結構、頻繁に。
あの母子、入り浸っているし。
「康太さんに会えるかと思って楽しみにしていたのに」
残念そうに言うけれど、そんな気持ちの余裕があったのだろうか?
先日のパーティでは、優輝も彼女に振り回されたはずだ。
もしかすると、余裕が出てきたのかもしれない。
テニスを再開して、彼女との関係が落ち着いてきたからなのかもしれない。
彼女を傷つけた存在が目の前から消えて、彼女が気にする存在が従弟だと分かって。
「今度、雅司が会いに行く時に一緒に行ったら?時間が合えば、だけど。優輝も忙しいでしょ?」
「いっしょに てにす しようよ」
「それは、いつでもOKですけれど。テニスでも遊びでも。だけど、俺…康太さんに」
優輝は、言葉を止めた。
困ったように私を見て、そして視線を逸らす。
そんな優輝は珍しい。
いつも真っ直ぐで、気持ちに正直なのに。
「連絡、しようか?」
私から兄に連絡をするのは控えているけれど、連絡して嫌がられるわけではないと…たぶん思う。
「お願いできますか?時間があれば、で…あ、でも、やっぱり康太さんしか頼めないかも」
なんだか切羽詰った感じだから、私は少し焦り始めた。
「大丈夫だよ。優輝。1人で悩まないほうが良いよ?話があるみたいだから連絡してあげて、って言っとくね?」
「はい。お願いします」
兄に連絡をする理由が出来て、ちょっと嬉しい気持ちと面倒だと思う気持ちと、妹が兄に連絡する事に理由など不要だと思う気持ちと…乱れる感情に自分自身が嫌になる。
混乱する私に反して、優輝の表情は柔らかくなる。
雅司を地面に降ろして、持参しているペットボトルを手に取った。
ゴクゴクと飲む姿は、去年から駅やテレビで観る姿と同じ。
同じだけれど、約半年で随分と成長している。
水分を摂取したことで、優輝の額に汗がキラキラと光る。
初めて会った時、とても真っ直ぐな瞳だった。
兄を見る時の瞳が、凄く輝いていた。
引越しの報告に来てくれた時は、早々に帰ってしまった。
次に来た時は、松葉杖。
暗い表情と、虚ろな瞳。
まるで別人のように変わってしまった。
「ぼくも のむ」
雅司が両手を優輝に向ける。
「ダメ。これは運動した後に飲むものだから」
そう言って、優輝は残りを飲み干した。
「じゃ ボトル ちょうだい」
「ボトル?」
空になったボトルを振って、優輝は私を見た。
「雅司。お茶入れようか?」
「うん」
嬉しそうに笑って、雅司は優輝からボトルを受け取ると、腕を伸ばした。
「ちょ…マジかよ」
項垂れた優輝に私は笑う。
「お気に入りだものね、雅司」
優輝のCMでの動きを、雅司は真似をしている。
あのCMは凄く爽やかで、結構評判が良いらしい。
「ねぇ、優輝もやってみて?」
「勘弁してください。俺、思い出すのも嫌なのに」
凄く嫌そうな表情を向けられて、だけどそんな素直な優輝の感情に私は安堵する。
「そう?格好良いよね雅司?」
「うん かっこいい!」
恥かしそうに視線を逸らす優輝に笑いそうになる私の前で、優輝は途端に表情を変えた。
「よしっ!だったら、もっと格好良い俺を見せてやる」
自分で言うなんて、なんて奴だと思う私の前で、優輝は雅司を抱き上げた。
視線が高くなって喜ぶ雅司が持つペットボトルが、太陽の光に輝く。
「次の試合、観に来てください」
もっと格好良い俺、期待できそうだ。
「やったね!雅司」
「うん!」
関係者席を確保できる…はずだ。
雅司が観戦したいと言っていると言えば、晴己お兄様も納得する…はずだ。
「にぃも!にぃも いっしょに!」
「そうだよね。兄も観に行くかどうか、聞かなきゃ」
「…マジで?」
「え?困る、の?」
「そうじゃ、なくて…康太さん来てくれたら…俺、マジでヤバイかも」
「え?何が?どうしたの?」
優輝の口元が変だった。
明るく笑う表情じゃなくて、ちょっと複雑そうな。
「すげー…嬉しいかも」
きっと、それは汗なのだと思う。
優輝の瞳が、キラッと少しだけ光った…気がした。
兄の幼少期を、私は知らない。
兄が、どの程度テニスをしていたのかを知らない。
だけど、優輝にとって、兄と過ごしたテニスの時間は、それなりに貴重な思い出なのだと彼の表情が語っている。
兄は私に子ども時代の事を語ってくれない。
私も聞かないし、他の人に教えて欲しいと頼むこともしていない。
だけど、優輝の存在が、私が知らない兄の子ども時代を教えてくれる。
「ちょっと待って、優輝。今から電話するから」
後でなど、待っていられない。
優輝が兄に会いたがっている。
兄の子ども時代が、それほど不幸ではなかったのだと私に思わせてくれる存在が、兄を待っている。
「え?こんな朝早くから?」
朝早くから私を訪問した本人が、何かを言っているが無視をした。
和室に入って仏壇にまだ挨拶をしていないことを思い出す。
「ごめんね。おばあちゃん、お父さん。優輝がさぁ、色々言うから」
適当な言い訳を言いながら、電話を手に取る。
呼び出し音の後、応答の声を聞く前に私は用件を口にする。
優輝が会いたいらしいよ。
言いながら玄関に戻って、優輝に子機を差し出す。
私の耳に届いたのは、兄が私の名前を発した音だけ。
それ以上を聞く余裕がなかった。
今、兄と話しをしてしまったら、私は余計な事を言いそうだ。
帰ってきて。
戻ってきて。
一緒にいて。
私は解放してあげることができない。
会話を終えた優輝が、子機を雅司の耳元に寄せる。
「にぃ おはよ」
雅司の耳には、優しい兄の声が届いているはずだ。
「優輝、大丈夫みたい?」
「はい。ありがとうございます。明日、早速ここで」
「そう。良かった。あ、優輝。練習は?」
「うわっ!そうだった」
「大丈夫間に合う?車、用意しようか?」
「走ったほうが速いです」
「そうだね」
優輝には、もう松葉杖は不要だ。
通話を終えた雅司が私に子機を差し出した。
切れていることを願ったが、受話器から私の名前を呼ぶ声。
『明日、優輝と14時に約束したから』
「はーい。あっ!雅司、階段ダメだからね。じゃぁね、兄さん、明日」
こっちは忙しいのよ、と兄に伝えて通話を終えた私は、とても卑怯な人間だ。
階段の上で、雅司と一緒に優輝を見送る。
眩しくて、輝いていた。
未来への希望に満ちている。
まるで太陽のようだと思った。
朝日が、輝きを増していた。


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