りなりあ

番外編 12 4/7 UP 
ありふれた日常 4/8 UP
ありふれた日常 5/30 UP

約束を抱いて 第三章-50・完

2008-01-09 17:56:40 | 約束を抱いて 第三章

玄関のチャイムの音に、むつみと晴己は顔を見合わせ、そして時計を見た。
時刻は10時近くになっている。
むつみの両親が帰宅してもチャイムは鳴らさないし、こんな時間に誰かが訪問するのは珍しい。
2人がそう思っていると、またチャイムが鳴らされる。
家政婦の1人が、モニターを確信しようとキッチンに入ってきた。
そして、またチャイムが鳴り、続けて何度も鳴らされる。
むつみは驚いて晴己の腕を掴む。
「晴己様。」
家政婦が晴己を呼ぶ。
晴己はモニターに映る姿を確認した。
「僕が出るよ。」
晴己は小さな溜息を残して、むつみを置いて出て行った。

◇◇◇

「どうして晴己さんがいるんだよ?俺、全然聞いてないけど?」
「優輝に報告する必要はないだろう?僕は昔から来ているんだから。」
「昔と今を一緒にするなよ?来るなって言っただろ?晴己さんだって納得したんじゃないのか?」
「納得したつもりはないけれど?優輝こそ、非常識だな。こんな時間に。」
「俺が非常識なら晴己さんも同じだろ!」
「僕は、これを届けに来ただけだよ。」
晴己は封筒を2通取り出した。
「むつみちゃんに優輝の分を渡して貰おうと思っただけ。」
「なんだよ、それ?」
「久保コーチから聞かなかったか?日曜の事?」
「…聞いたよ。」
「で、優輝は?こんな遅くにどうした?」
「俺は練習終わって家に帰って、メシ食って。で、ちょっと走ろうと。」
「そう。これ、優輝の分。」
晴己が差し出した封筒を、優輝は1通でなく2通、奪うようにして取った。
「送って行くよ。」
「いい。走って帰るから。」
「送る。」
晴己の声は有無を言わせない口調だった。
「車で待っている。5分だけだぞ。」
晴己がドアを開けて外に出る。
玄関のドアが閉まるのと同時に、ダイニングのドアが開いた。

◇◇◇

「ほら。むつみの分。」
「…ありがとう。」
むつみは受け取った封筒を見て、それが新堂家からの招待状だと分かった。

「何のパーティなのかな?」
「新堂家の長男のお披露目。」
その内容に、むつみは少しだけ驚くが、新堂家なら不思議な事でもないと、思い直す。
「日曜日…迎えに来るから。」
それが、今の優輝には精一杯の言葉だった。
「うん。久しぶり…かも。また色んな人が集まる…よね?」
集まる顔触れを思い浮かべて、むつみは不安な気持ちが大きくなる。
「俺が…ずっと一緒にいるから。」
優輝にも日曜に集まる人々が想像出来るし、そこに絵里が現れるのも確実だった。
「にーちゃんも行くし、コーチも行くし、むつみの両親だって仕事が大丈夫なら行けるだろ?大丈夫だよ。じゃ、俺…。晴己さん待っているから。」
帰ろうとした優輝は、後ろからむつみに服を掴まれて、ドアノブを回す手を止めた。
「私は優輝君が一緒にいてくれれば、いい。」
慎一の事に対して怒っていた気持ちなど、どうでも良くなる。余計な話ばかり耳に入れる水野への苛立ちなど、消してしまいたくなる。怒りや苛立ちなど、むつみの前では無駄に感じるし、そんな不要な気持ちよりも、むつみへの想いの方が遥かに大きい。
だけど優輝は自分の素直な気持ちを上手に表現する術がなく、むつみの表情を確かめる事も出来ない。
優輝が出て行くのを見送り、閉められたドアの前で、むつみは外の音に耳を澄ました。
車の音が遠くなり、静寂が戻る。
「優輝君…ごめんね。」
話す事が出来ず、優輝に余計な負担をかけていることを悔み、ビデオの内容を思い出す。
懐かしい母の歌声。
リズムの違う、幼い自分の歌声。
そして、何度も繰り返される名前。
記憶に残らない出来事が、むつみの心を占めていく。
優輝以外の“何か”が、心に入り込んでくる事が、悲しくて切なくて、そして申し訳ない気持ちになる。
優輝への想いも約束も、散り散りに消えていくのを、むつみは自分で止める事が出来なかった。  



◇約束を抱いて 第三章-50・完◇


約束を抱いて 第三章-49

2008-01-04 19:27:57 | 約束を抱いて 第三章

庭で遊ぶ光景や食事の映像。
そのビデオには、幼いむつみを囲む彼女の両親と、一組の親子の映像が残されていた。幼いむつみは、何度も“しんちゃん”の名を呼んでいた。
晴己は声をかけることも抱きしめる事も慰める事も出来ず、彼女が涙を流すのを見ているだけだった。
「不思議。」
むつみは画面を見たまま、少しだけ笑みを浮べる。
「はる兄が私を見てくれる時、いつも優しくて暖かくて、それが私だけに向けられるのが不思議だったの。」
「むつみちゃん?」
「だけど、同じ眼差しを自分がしているのは…もっと不思議。」
2人で揃って画面に視線を戻す。
「こうして見ると、おねえさんだね。」
褒め言葉のつもりで言った言葉を晴己はすぐに後悔する。
「い、いや。お姉さんっていうのは、子供なのに大人みたいな感じで、僕が知らないむつみちゃんだな、と。」
「だって本当にお姉さんかもしれないもん。」
晴己は後悔して項垂れる。
「私、酷いの。お母さんが傷つくのが分かっているのに、お母さんが望まない事実を私は望んでいる。私だってお父さんがお母さんを裏切ったなんて嫌だけど。」
自分の欲望が渦巻くのを、むつみは感じていた。
「本当の姉弟なら、嬉しい…かも。」
それを晴己に言ってどうなるのだろう。晴己を傷つける言葉なのに。
「自分の気持ちだけしか考えられなくて。酷いよね。」
晴己は、彼女を追いつめているのは自分だと自覚していた。
「酷いかな?僕も同じ事を考えた事があるよ。」
むつみは晴己の言葉の意味が分からず、彼を見上げた。
「むつみちゃんは覚えている?それとも、“誰か”から話を聞いて知っているかな?僕の父親と“星碧”の噂。」
むつみはその話題を晴己が出した事に驚きと嫌悪を感じた。
「やっぱり…知っているんだね。」
晴己は、むつみの表情から、彼女が噂を耳にしている事を確信した。
「噂だよ。むつみちゃんが迷子になったから、僕と碧さんは会って、だから碧さんと僕の父親が出会った。順番が逆だからね。単なる噂だ。」
むつみが明らかに安堵するのが分かる。
「だけど、それが分かっているのに。あの時の僕は噂が真実なら、そう思った事がある。」
「え?」
むつみは驚いて晴己を見た。
「母の気持ちなんて考えなかった。斉藤先生の気持ちも。むつみちゃんと僕に同じ血が流れているのなら。」
堂々と愛する事が出来るのに。
その言葉を晴己は胸の中に閉じ込める。
「酷いだろう?父には祖母が産んだ3人の姉だけでなく、他にも兄弟がいて。そんな状況も羨ましいと思ったんだ。」
「はる兄には奈々江さんがいるわ。」
むつみの口調は厳しかった。
「直樹さんも哲也さんも。鈴さんの御主人だって…はる兄の従兄でしょ?」
晴己は会話の選択を誤った事を後悔する。
「私には“いとこ”だっていないもん。」
困ったな、と晴己は天井を見上げ、頭の中を整理した。
「むつみちゃん。しんちゃんが、従弟だという事は間違いないよね?」
「え?」
「母親同士が姉妹だからね。」
「あ…。」
むつみは拍子抜けした気持ちになった。
「…そんな事、今まで考えなかった。」
むつみが少しホッとした表情を見せる。
「従弟…だといいな。」
それは、むつみの複雑な気持ちを表していた。
「“しんちゃん”の父親は誰なのかな?」
「むつみちゃん。」
晴己の声は、昔と変わらず優しくむつみの心に届く。
「それはね、本人にしか分からない事なんだよ。」
「え?」
見上げると、困った顔をしている晴己がいて、むつみは自分の質問が晴己を困らせた事に気付く。
「母親にしか分からない事なんだ。」
「どうして母親だけ?父親には分からないの?」
その問いに真剣に答えようとして、晴己は言葉を止めた。
彼女は中学三年生で、既に“恋人”の存在もいるが、ある部分では子供なのかもしれない。
それを少し嬉しく思ってしまう自分を見つけて、晴己は1人で苦笑した。
そんな2人の耳に電子音が届く。
「え?誰?」
驚くむつみは晴己を見上げた。
そして、再度玄関のチャイムが鳴らされた。


約束を抱いて 第三章-48

2007-12-27 15:13:19 | 約束を抱いて 第三章

目を閉じるむつみの耳に届く鼓動は、様々な噂や真実を消してくれるような気がした。
どうして、もっと早く晴己に話さなかったのだろう?
どうして、雑誌を読んだ後に涼に会いに行ったのだろう?
守ってくれる人は、昔と変わらず傍にいてくれるのに。
むつみの晴己に対する態度を、図々しいと感じる人達がいるのは事実だった。それは、絵里から何度も言われた為、むつみは自覚していた。
むつみは精一杯晴己に対して距離を保っていたつもりだったが、そんな事をしても無駄だという事を思い知らされた。絵里に何を言われても、晴己から離れる事を選ぶ必要などなかったのかもしれない。晴己が結婚相手として選んだのは絵里ではなく杏依だし、杏依はむつみを受け入れてくれている。
今のむつみと同じ年だった杏依が家族の事で悩んでいた時、晴己が傍にいてくれたのは、想像がつく。
同じように、優輝に相談出来ないことが残念だが、この内容を優輝に話すことに、むつみは抵抗があった。
だけど、晴己なら全て受け入れてくれる。彼なら、むつみの知らない記憶を、欠けている記憶を補ってくれる。
安堵感で眠りに落ちそうになる自分を何度も引きとめ、そして何度も眠りに引き込まれ、ようやく身体を起こした。
「眠るのなら部屋に行く?」
晴己の問いに、ゆっくりと首を振る。
小さな頃は何度も晴己の腕の中で眠ってしまって、いつもベッドに運ばれていた。最後に運んでもらったのは、いつだったかと考えて、なんだか思い出すのが面倒な気がして、むつみは晴己の腕を掴んで支えにすると、再び身体を起こした。
「…大丈夫。」
床に手を置いて少し晴己から離れようと思った時、指が床にある物体に触れて、むつみは現実を思い出す。
「そのビデオテープ…見たの?」

晴己の問いに、またむつみは首を振る。
「怖くて見れなかった。雑誌に書かれている事は噂かもしれない。でも、映像は…真実よね?」
全ては碧に聞けば解決すると分かっている。だけど、このビデオに残る映像が、雑誌の内容を否定する可能性もあるかもしれない。
「これは…碧さんに確認してからの方が良いと思うよ。」
晴己の意見は正しい。
「この雑誌とか、このアルバムとか。それに関する内容だと思う。私が知らない事、私に知られたくない事を、お母さんは纏めて箱に入れたのよ。私が書庫に入った後に色んな物が入れ替えられていた。休暇を取れないはずなのに、お母さんは急に休みを取って急に大掃除が始まって。私の目に触れないように片付けられていたもの。私も、ずっと疑問に思っていた事があるの。私の誕生日に撮影されたビデオテープは、1歳の時は父と母や2人の友達や仕事先の人達が祝ってくれている。それ以外の年は、はる兄も映っている。でも、2歳の時のテープは見た事がないの。」
言われて晴己も納得する。
3歳からの映像は晴己も何度も見ているし、1歳の誕生日の映像は碧に見せてもらった事がある。だけど、2才の時の映像は残していないと碧に言われた事があり、晴己も、その年だけ残っていない事を不思議に思った事があった。
「ごめん。」
謝る晴己を、むつみは不思議に思って見上げた。
むつみが確信を抱くほど、1人で悩んでいた事に晴己は苦しくなる。そして、中原慎一の存在を今まで追及しなかった事を悔んだ。

◇◇◇

「早送りして、はる兄。」
ビデオの中のむつみは楽しそうに歌っていて、見ていると恥ずかしくなる。
「いいだろう?見せてよ。かわいいから。」
見て欲しいと頼んだのは自分だからと、仕方なく見ていると、幼いむつみが曲調を変える。
「え?」
それは、以前碧の昔の映像が写った時に、碧が歌っていた曲だった。
「お母さんの歌と、なんだか違う。」
リズムに乗り切れていない幼い自分を恥ずかしく思いながらも、むつみは自分自身が歌っている事を不思議に思った。
「そうだね。確かに少し違うね。」
「はる兄、この曲を知っているの?」

「当時、凄く流行ったからね。」
ピタリと歌が止まり、画面の中のむつみが何かを見つけたのか、立ち上がる。
むつみは思わず晴己の背に隠れた。見たいような見るのが怖いような気持ちになりながら、晴己の背中から画面を覗き見る。
そんなむつみに、幼い自分の声が耳に突き刺すように痛く響いた。


約束を抱いて 第三章-47

2007-12-22 12:40:05 | 約束を抱いて 第三章

知っているのかと質問したのは自分なのに、知っていると答えが返ってきた事に、むつみは驚いた。
だが、晴己の穏やかな表情を見て心が落ち着いていく。きっと晴己は全てを知っている。疑問は、もうすぐ晴れる、むつみはそう感じた。
「ずっと気になっていた事があるんだ。」
晴己の視線は、むつみを見ながらも遠くの記憶を探しているようだった。
「2才の女の子が迷子になって泣いているのは当然だよね。でも、その子が“ママ”ではなく“しんちゃん”と繰り返すのが不思議だったんだ。」
むつみは驚いて顔を上げるが、2人の視線が合う事はなかった。
「“女の子”が斉藤家の娘だという事が分かって、母親が迎えに来て。僕は尋ねたんだ、碧さんに。“しんちゃん”が誰なのか。でも、碧さんは答えてくれなかった。」
静かなダイニングに、コップの中の氷がカランと崩れる音が響く。
「むつみちゃんは、しんちゃんがいなくなったと泣いていた。何処に行ったのか教えて欲しいと。」
再び、むつみが顔を上げると、今度はしっかりと晴己と視線が合った。
「次の日、しんちゃんは何処かでかくれんぼしているから一緒に探して欲しいとお願いされた。」
「3日目は?」
むつみの問いに、晴己が小さく首を傾げた。
「しんちゃんは家の中にもいないし外にもいない。きっと遠くに行ったんだよ。僕がそう言ったら、むつみちゃんは、すごく冷静な声で僕に言ったんだ。しんちゃんは、まだ少ししか歩けないから遠くには行けない、と。」
むつみは身震いをした。
「それからは?私は“しんちゃん”を探し続けたの?」
晴己が首を横に振る。
「私は…忘れてしまった…の?」
「どうなのかな?それは僕には分からない。でも僕が、むつみちゃんの記憶からしんちゃんが消える事を望んだのは事実だよ。だから僕から確認する事はなかった。しんちゃんの名前を出して、記憶を刺激するのは怖かったから。」

◇◇◇

書庫から取り出した雑誌を晴己に見せると、彼は眉間に皺を寄せ、閉じようとした。そんな晴己の動作を、むつみは止める。
「それを読むと、その頃の私は、この自宅じゃなくて別荘に住んでいたみたいなの。」
「碧さんは、むつみちゃんが生まれた後は、暫くは仕事を休んでいただろうし、その間は別荘で生活していても不思議じゃないだろう?」
「それじゃ、どうして?お母さんの姉も一緒に住んでいたの?私…お母さんに姉がいるなんて、今まで聞いた事がなかったわ。」
晴己は再び雑誌を開く。そこに書かれていたのは、星碧が娘と2人で別荘に滞在している事。夫とは別居生活を送っていること。その別荘に、星碧の姉が同居し始めた事。そして姉が妊娠している事などが書かれていた。
それらの内容は、特に妙ではなかった。
むつみの父親には仕事があるだろうし、その為に別居生活になるのは仕方がない。姉が出産経験のある妹を頼るのも、騒ぐほどの内容でもない。
だが、別の雑誌の内容が、むつみを更に混乱させた事が晴己には分かった。
姉が出産した事。その後、暫くは別荘に滞在していた事。彼女が未婚で子供の父親が定かではない事。そして、彼女は星碧の夫と過去に付き合った経験がある事。
「いつ…これを?」
「はる兄が料理をつくりに来てくれた…その次の週。」
晴己は今日までの日数を数えて、彼女を1人で悩ませていた事を悔んだ。
「…ごめん。」
「どうして、はる兄が謝るの?」
むつみは、晴己の対応が予想内だった為、思わず笑ってしまった。
「この雑誌を見つけた事を話さなかったのは私よ?はる兄は悪くないわ。」
悩んでいた事を晴己に告げて、晴己が後悔するのは分かっていた。それを申し訳ないと思う気持ちと、彼の自分に対する愛情を再確認して、むつみは安堵した。
晴己の想いを嬉しいと感じたり、それを当然のように受け入れてしまう自分を悲しく思いながらも、晴己に縋る想いが、むつみを縛る。
頬を撫でる指の温かさを感じて、むつみは戸惑いながら晴己の上着を掴んだ。
「もっと僕が…早く気付いていれば。」
涙で濡れた頬に張り付く髪を、晴己が剥がす。
むつみの脳裏に涼が思い出されるが、むつみは慌てて涼を消した。
「はる兄…。」
抱きとめてくれた腕は、昔と変わらず包んでくれる。
耳に届く鼓動は幼い頃から聞いていた音で、むつみは懐かしさを感じていた。


約束を抱いて 第三章-46

2007-12-20 00:45:48 | 約束を抱いて 第三章

涼は、むつみの話を全て理解出来なかったが、それが彼女の本心だと感じた。
晴己に頼り続けるのが怖いのも事実だろうし、優輝との事を反対されるのも怖い。晴己には、優輝との事を含めて全て受け入れて欲しいのだろう。
「これから先、晴己と全く関わらない事は無理だろう?喧嘩の理由が些細な揉め事だったり、勝手に優輝が怒っているのなら俺は協力するよ。でも、些細な事じゃないんだろ?」
むつみは頷いた。
「…ごめんなさい。迷惑…ですよね。」
涼は、上手にむつみを説得できなかった自分を悔んだ。
「迷惑じゃないよ。」
彼女を冷たく突き放す事が出来ない自分を恨めしく思う。
「相談に来てくれて嬉しかったよ。でも、俺は君の力にはなれない。」
隣に座るむつみが涙を落とすのが分かった。
「大丈夫だよ。」
もっと他に言葉があると分かっていても、慰める手段があると分かっていても、涼は何も出来なかった。
「晴己は…君を守る。どんな事があっても。」
『ただ、守りたかっただけなんだ。』
晴己の言葉が、涼の脳裏に何度も繰り返された。

◇◇◇

「はる兄、私はいつまでも小さな子供なの?」
むつみは、自分の前に置かれたオムライスを見て、そして晴己を見上げた。
「どうして?」
問いながら晴己は、その通りだと思う。
会う度に彼女の成長に驚くが、晴己は目の前の彼女を打ち消す気持ちがどこかにあった。成長すればするだけ、自分から離れていく事が怖い気持ちがある。そんな事を考えるのは良くないと分かっているが、晴己は、どうしても彼女と始めて会った時の事を忘れられなかった。
「だって、今でもオムライスに絵を描くもの。」
「可愛いだろう?」
むつみの不服な言葉を、晴己は可愛いという言葉で片付けた。
「可愛いけど。私だって来年は高校生だもの。受かれば、だけど。」
むつみの言葉が終わるのと同時に晴己が笑う。それを見て、むつみも自分の言った言葉に笑った。
「変なの。特別に覚えていたわけじゃないのに。杏依さんのお母さんが言った言葉でしょ?私と杏依さんがパーティが終わるのを待っていて、その間に部屋を散らかしてしまって。それを見た時に、しおりさんが言った言葉よね?そっか…、あの時の杏依さんは中学3年生だものね。」
むつみは、杏依と二度目に会った時の事を思い出していた。
「記憶は不思議なものだよ。覚えていなくても心の何処かに残っていて、耳の奥に残っている。急に思い出して、そして離れなくなる。」
晴己が言い、そしてむつみに食事を勧めた。
むつみは食事を済ませる事にした。晴己に聞きたい事があるが、今日の晴己は時間に少しは余裕がありそうで、むつみは後でゆっくりと話をする事にした。
昨日は、涼に頼ってしまった事を後悔した。晴己に連絡するのも図々しい気がして出来なかったし、優輝との関係は昨日と変わらず何も改善されていない。
和枝は帰宅しているし、家政婦達は既に仕事を終えている。両親も相変わらず遅く、久しぶりに晴己と2人だけで過す時間を、むつみは懐かしいと感じた。
「はる兄は私と初めて会った時の事を覚えている?」
「もちろんだよ。」
食べ終えたむつみが質問すると、晴己は即答した。
「少し前に、その頃の写真を見せてもらったの。私、凄く幸せそうだった。でも」
晴己の視線に促されて、むつみは戸惑いながらも、涼の助言を何度も心で繰り返した。
「書庫で、お母さんが見せてくれなかった写真を見つけたの。その写真の私は泣いていたわ。」
なぜか晴己が優しく笑う。
「はる兄は私の事を何でも知ってるよね?私の記憶に残っていない事も、はる兄は覚えているよね?」
今まで何度も、晴己の優しさと強さに支えられ、そして守られて生きてきた事を、むつみは改めて自覚する。
今、自分が抱えている悩みを晴己なら受け止めてくれる。きっと答えを見つけてくれる。
「はる兄は、“しんちゃん”を知っている?」
むつみは自分の声が震えているのが分かった。
音になった“しんちゃん”という言葉が自分の耳に届いて、思わず耳を塞ぎたくなった。
そんなむつみに、晴己の声が届く。
「知っているよ。」
晴己の言葉は優しく、そしてはっきりと、むつみの心に届いた。


約束を抱いて 第三章-45

2007-12-15 22:27:49 | 約束を抱いて 第三章

「星碧の家庭環境なんて、どうでもいい。職業柄世間の注目を浴びるだろうが、俺達には無関係だろう?こんな事に優輝を巻き込まないで欲しい。どうして笹本絵里が俺に会いに来るんだ?先生の昔の恋人や、その子供の事なんて俺に言われても、どうしようもないだろう?斉藤むつみのケアは、晴己がしてくれ。」
涼は投げ捨てるように言うと、席を立った。
「涼。」
晴己が、涼の腕を掴む。
「絵里さんが…来たのか?」
「あぁ。俺が仕事を抜ける事を、事前に高瀬さんに話して了解を取って。支払いも彼女が先に勝手に済ませていて。用意周到な状況で俺に会いに来た。彼女が先に事実を掴んだら、むつみちゃんに全て話すつもりだぞ。」

◇◇◇

涼は、後悔する気持ちと自分の行動に納得する気持ちが交錯していた。
以前なら、面倒だという理由から彼女と関わる事を避けていたが、今は、関わる事に躊躇していた。その為、涼は途中で投げ出した。
優輝が巻き込まれていると感じているのは事実だし、早くこの状況から解放されたい。
その為に、早く事実を掴めば良いのだが、それが無理な事を、涼はすぐに悟った。
涼には、何の手段もないが、晴己なら、手段は無限に広がる。
そして、すぐに解決出来るだろう。
絵里と“競争”すれば、涼が負けるのは当然だった。
涼は、むつみや碧と関わる人物と接点がないのに比べて、絵里は小さな頃から、むつみの事を知っているのだ。
『あなたが勝てば、あなたが彼女を守ってあげられるわ。』
絵里の言葉が繰り返される。
涼は、その言葉を振り払うように、首を振った。
晴己なら、絵里よりも早く事実を掴める。そして、むつみの力になれる。これで良かったのだと、自分に言い聞かせながら、涼は電車を降りた。
人の流れに巻き込まれながら、ずっと優輝達の事を考えている自分が嫌になる。今日は飲みに行けば良かったと後悔し、優輝の機嫌の悪さは続いているのだろうかと考えながら、涼は改札を出た。
「むつみちゃん…。」
むつみが小さく会釈をする。
「…あの。涼さん、話があるの。」
帰路を急ぐ人込みの中、むつみの声が小さく響いた。

◇◇◇

制服姿のむつみを、何処に連れて行けば良いのか、涼は迷った。
何処か、ゆっくりと話が出来る場所に移動する事を、むつみが希望しているのは分かったが、涼は彼女の家に向かう途中にある公園に行く事を提案した。
「優輝と喧嘩?」
涼の問いに、むつみが戸惑いながら頷いた。
「優輝は分かりやすいから。苛々していて落ち着かない。」
「ごめんなさい。」
むつみが謝る。
「むつみちゃんだけが悪いわけじゃないだろ?」
「…私が悪いの。喧嘩って言うよりも、私が優輝君を怒らせちゃったの。」
むつみの話を涼は聞く事を躊躇した。
だが、以前のように冷たく彼女に接する事が出来なくなっていて、そんな自分に呆れる。
「理由が分かっているのなら謝れば?それで終わりだろ?」
「…話せないの。優輝君には。」
「どうして?」
むつみが涼を見上げてきた。
「混乱させちゃう…気がするから。」
涼は、むつみの言葉に、複雑な気持ちになる。
優輝に相談されると困ると思っているのは事実だった。優輝がむつみの状況を受け入れられると思えないし、混乱して当然だろう。それが分かるから、むつみは優輝に相談出来ないのだ。そんな弟が情けないと思う気持ちと、弟を気遣ってくれている彼女に感謝する気持ちが、涼の中で混ざる。
涼は零れ落ちた涙を拭おうとして、指を止めた。
彼女が何を悩んでいるのかを知っている。
だから、そのことを聞き出してあげて、そして力になってあげれば、それでいいと分かっていた。
「むつみちゃん。晴己に、聞いてみたら?どうして、あの写真の君が泣いているのか。」
「え?」
「晴己は、小さな頃から君の事を知っている。君の記憶に残っていない事実も、君の家族の事も。」
「…涼さん…。」
「今までなら、迷わず晴己に相談したんじゃないのか?」
「だって。」
「優輝が原因?」
むつみが涼から目を逸らす。
「…それだけじゃないわ。私…これ以上、はる兄に頼るのが怖いの。」
「どうして?」
「だって、私、優輝君を怒らせちゃったもの。練習できなくなっちゃうし、迷惑かけちゃう。そんな事、私がしちゃったら、付き合う事…反対されちゃう。」


約束を抱いて 第三章-44

2007-12-13 01:03:27 | 約束を抱いて 第三章

東校舎の廊下を、むつみは急ぎ足で歩いていた。
水野が言った様に確かに人は少ないが、優輝の姿も見つけられない。
角を曲がり、前方を見て立ち止まる。
廊下の窓から外を眺めている小柄な身体が、むつみに気付いて、こちらを見た。
以前、体調が悪い彼女に声をかけた事がある。そして、翌日に礼を言いに来てくれた女子生徒だった。
むつみは軽く会釈だけをして彼女の横を通り過ぎた。しかし彼女の声が、むつみを止める。
「橋元先輩を探しているんでしょう?」
振り向いた先には、戸惑った表情の少女がいる。
「私…さっき、会いました。たぶん、この先の美術準備室だと思います。」
むつみは礼を言うと、急いで美術準備室を目指した。

◇◇◇

準備室の前の廊下に、優輝は立っていた。
すぐにむつみに気付くが、彼はそこから一歩も動かない。
「優輝君。」
むつみは、優輝に何か言わなくてはいけないと思いながらも、言葉が出ないまま彼の前に立つ。
「何?」
優輝の言葉の冷たさに、むつみは去年の事を思い出す。
最近では全く感じる事はなかったが、以前は優輝に嫌われていた事を思い出した。
「中原に会っていたんだろ?」
「え?」
「昨日も、その前も。」
「…どうして…知っているの?」
むつみの問いが肯定になり、優輝は表情を強張らせた。
「知り合いが入院って、嘘だったのか?」
「嘘じゃない。中原君のお母さんが。」
また、優輝の表情が硬くなる。
「それが、むつみと関係あるのか?」
問われて、むつみは答えられなかった。
「弁当まで渡さなきゃいけないのか?」
「だ、だって。お母さんが入院しているのよ?中原君、ちゃんと食事していないみたいだし。コンビニで買った小さなパンだし。だから学校で倒れちゃったし、さっきだって、同級生の友達と一緒にいても身体が小さいし、それは、あまり栄養が取れていないからだと思うの。小学校を卒業してから、こっちに引越してきて、親しい人もいないし」
むつみは言葉を止めた。
優輝が怪訝そうな瞳を向ける。
「むつみ。そんなに中原が気になるのか?」
むつみはその問いに頷いた。
「えーっ!!やばいじゃん、優輝さん。」
むつみの反応に驚いている優輝の変わりに、別の声が廊下に響いた。
「斉藤先輩、それはちょっと酷いよ?俺はさ、中原よりも先に先輩に会っているし、それに優輝さんよりも先に告白してるんだよ?それなのに、中原が“気になる”なんてショックだなぁ。」
水野が優輝とむつみの間に立つ。
「優輝さん、もっと強く言えばいいのに。自分の彼女が他の男に会っていたり、弁当を届けていたり、そんなことしているのに許すの?」
「…水野君が話したの?」
むつみは水野に問う。
「そうだよ?俺の家は中原の家の近くだし。話すと困るの?ナイショだった?優輝さんには。」
水野が笑う。
「水野君には関係ないわ。」
「同じ事、優輝さんにも言われたけれど。でも、俺は先輩が好きだし。部外者じゃないと思うけど?だって俺、早く2人に別れて欲しいから。」
別れるという言葉に、むつみと優輝は1度視線が合うが、すぐに2人とも視線を逸らした。

◇◇◇

待ち合わせ場所には、既に涼が来ていた。
涼の表情は強張っていて不機嫌だった。
「優輝の様子がおかしい。」
晴己が椅子に座ると同時に、涼が言う。
「喧嘩か揉め事か。優輝の苛々が収まらない。いいかげんにしてくれないか?俺は以前と変わらず二人の付き合いには反対だ。むつみちゃんに何があったのか知らないが、優輝が振り回されるのは困る。晴己は、あの家族と親しいよな?そっちで解決してくれないか?両親の間の複雑な話を優輝に相談なんてされたら、優輝が受け止められる訳がない。練習に集中できなくなる。」
涼は、晴己に話す間を与えなかった。
「彼女の育った家庭環境が、どれだけ複雑なのか晴己なら知っているよな?全部話せば?彼女なら受け止めるだろう?中途半端な状態だから悩んでいるんだ。」
「涼?」

晴己が不思議そうに涼を見た。


約束を抱いて 第三章-43

2007-12-10 11:19:02 | 約束を抱いて 第三章

むつみが他の事を考えていたのが彼女の表情から分かった。
「優輝君…お帰りなさい。」
思い出したように言った言葉が、優輝を不安にさせる。今は放課後なのに、この時になって初めてその言葉を言われるのは、少しも嬉しくなかった。
「何か用事があるのか?」
焦る気持ちで、むつみの腕を掴む。
「…ちょっと。」

はっきりと答えない彼女が、優輝から視線を逸らす。
「昨日は何時に戻ってきたんだ?」
「…え?えっと、昼過ぎ、かな?」
「それからは?」
「え?」
優輝は自分の質問に、むつみが戸惑っているのが分かった。
もっと穏やかな口調で質問すればいいのに、それが出来ないし、困っている彼女に上手に対応する事も出来ない。
そんな自分を晴己と比べてしまい、嫌になる。
「それから何処かに行った?」
「お見舞い。」
「え?」
予想外の言葉に優輝は気が抜け、むつみの腕を放した。
「知り合いが入院しているの。」
むつみが、ようやく優輝を見た。
「でも昨日は会えなかったから。だから今日、もう一度行こうと思って。」
「なんだ、そんなことか。」
「どうかしたの?優輝君?」
尋ねるむつみの表情に、優輝は自分の気持ちが落ち着くのを感じた。心配そうに自分を見るむつみは、普段と何も変わらない。水野の話に過剰に反応してしまった事を悔やみながら優輝は首を横に振る。
「別に。」
苛立ちや不安で乱れた心は、むつみと時間を共有するだけで穏やかになる。
手を振って立ち去る彼女の背中を、優輝は見送っていた。

◇◇◇

「おはよ、優輝さん。」
昨日と同じように、登校した優輝を水野が呼び止めた。
だが今日は、立ち止まらない優輝を水野が追いかける。
「斉藤先輩に聞いた?」
「水野には関係ないだろ。」
優輝は昨日から続く苛々が大きくなるのを感じた。気持ちが落ち着いたのは、むつみと話していた時だけで、彼女の後姿を見送ってからは大きな不安を感じていた。
「話してくれなかったんだろ?だろうな、言えないよな。」
水野は答えない優輝に話し続ける。
「昨日も見たよ、あの2人。」
その言葉に、優輝は立ち止まった。

◇◇◇

「斉藤さん。」
名前を呼ばれて、むつみは視線を外から戻した。
「何度も呼んでいるのに。」
クラスの女子が困ったように見ている。
「あ…ごめんね。」
「大丈夫?」
むつみは、彼女の言葉の意味を理解できなかった。どうして心配されるのか分からず、先ほどまで見ていた校庭に視線を戻す。
クラスメイト達に混ざって校庭を駆ける慎一の姿が見える。
「斉藤さん。」
再び名前を呼ばれて、むつみは教室に視線を戻した。そして、彼女の視線を追って教室を見渡すと、他のクラスメイト達もむつみを見ていた。
状況が分からないむつみに男子生徒が言う。
 「ちょっと酷すぎ。中原と親しいのは分かるけどさ。でも、橋元がかわいそうだよ。さっきみたいに嬉しそうに外を見てさ。橋元、それ見て教室出て行ったぞ。」
その言葉に、むつみは自分の行動を再認識した。
「斉藤さん大丈夫?昨日も今日も、橋元君は何度も斉藤さんに話しかけようとしていたのよ?それなのに、斉藤さんが全然気付かないから。」
むつみは自分の行動を悔み、急いで教室を出ようとした。しかし、ドアを塞ぐ人の姿に、むつみは足を止める。
「優輝さんなら階段上って行ったよ。揉め事?」
水野が、むつみを見下ろしていた。
むつみは彼を無視しようと思ったが、優輝の行き場所を知っているかもしれないと思い、仕方なく水野に問う。
「何処に行ったか…分かる?」
「さぁ?2階か3階か屋上か。追いかけて、どうするの?」
水野が身体を屈めて近付いてくる。
「中原の事、どうやって説明するの?」
水野の小さな声に驚いたむつみは、彼の表情から今の状況を楽しんでいることを確信した。
「東校舎じゃない?あっちは人が少ないから。」
水野の勧めに、むつみは彼の身体の脇を通り抜けて東校舎へと向かった。


約束を抱いて 第三章-42

2007-12-02 13:08:24 | 約束を抱いて 第三章

「おはよ、優輝さん。」
校門を通り抜けた優輝は、水野に呼び止められた。
「話があってさ、練習途中で切り上げてきたけど。いい?」
優輝は自分よりも身長が高い水野の背中を見ながら、水野の後を付いて行った。人通りの少ない場所に辿り着くと、水野が立ち止まった。
「優輝さん相変わらず練習ばっかりだけど、この連休も。でも、時々は俺の家に来てくれても良いのに。」
「学校で会ってるだろ。」
「俺達は追いかけて転校までしてきたのに?」
水野の言葉に優輝が溜息を出した。
「追いかけてきた?病院だろ?」
「そうだけど。」
水野が不服そうに答えた。
「病院が偶然にも優輝さんの転校先の近所だったけど、迷わず転校を決めたのは優輝さんがいるからだろ?それも小学6年の卒業間際に。それなのに偶然にも、斉藤先生の“娘”が優輝さんの“彼女”で。まさか、優輝さんに彼女がいるなんて考えもしなかったよ。て言うか、俺のほうが先に斉藤先輩に告白したと思うけど?こっちは、それなりに色々と心配してたのに、結局テニス続けているし。」
今度は、水野が溜息を出した。
「どうして、こんなにややこしいんだよ。」
「ややこしくしたのは、水野だろうが。」
優輝は投げやりな言葉を出した。
「そんなことを言いながらも、斉藤先輩の気持ちが自分から離れることはないって、思っているんだろ?」
言い当てられて、優輝は言葉を止めた。
「昔からそうだよな。自信だけは誰にも負けないくらいあって。周囲も協力してくれて。それが優輝さんの実力だと思うけれど、それが恋愛にまで及ぶとは思わないけれど?第一、どうして彼女なんているんだよ?俺達と遊ぶ時間もないくらい、いつも練習練習だったのに。」
「俺とむつみの事は、水野には関係ないだろ?」
「関係あるよ。俺は斉藤先輩が好きだって言っただろ?」
「そんな事、本気にすると思うか?水野は昔から、俺のしてきたことは真似るし、取り合おうとするし。」
今度は、言い当てられた水野が不服な表情を見せた。
「だからって、斉藤先輩が自分のモノだって自信を持っているのって変だと思うけど。だって優輝さん、斉藤先輩の事、何も知らないじゃん。この連休、一度も会わなかったんだろ?その間の斉藤先輩のこと、知ってる?」
「むつみは別荘。」
「で、昨日、戻ったんだよね?」
「そうだけど。」
優輝の相槌に、水野が笑った。
「こっちに戻ってから、何していたと思う?」
「にいちゃんが、むつみの家に行ったけど?」
「ふーん。じゃ、涼さんに会う前だよ。」
「会う前?」
「先に言っておくけど、俺は偶然見ただけだから。たまには手を抜こうと思って、コンビニに行ったらさ。」
水野が優輝の瞳をまっすぐに見た。
「斉藤先輩が、中原と会っていた。」
水野の真剣な眼差しを見ていた優輝は、その言葉に緊張を解いた。

「なんだよ。中原かよ。それがどうしたんだよ。」
「中原だったら何の害もないとか思った?他の男だったら焦っただろ?中原だったら平気なのか?」
「偶然会っただけだろ?それがどうしたんだよ。」
「だったら斉藤先輩に聞いてみたら?優輝さんに話せるんだったら、隠さずに話すだろ?絶対に変だって。俺には冷たいのに、中原には親切だし優しいし。」
「それは水野が鬱陶しいからだろ?」
「ちょ、ちょっとなんだよ、優輝さん。」
「話って、それだけか?俺、教室に行くから。水野も早く着替えろよ。授業始まるぞ。」
「えーっ、ちょっと優輝さん。」
立ち去る優輝を、水野は慌てて追いかけた。

◇◇◇

優輝は、久しぶりにむつみに会って、落ち着かない気持ちになった。それは水野が話した内容が原因なのか、それとも、久しぶりに会うむつみの雰囲気が少し変わっているような気がするからなのか、よく分からないまま、優輝はその日の授業を過ごした。
授業を終えると、むつみは急いで教室を出て行った。優輝は慌てて彼女
を追いかけた。


約束を抱いて 第三章-41

2007-11-30 00:02:34 | 約束を抱いて 第三章

絵里がコーヒーを飲み終え、カップを置いた。
その動作は緩やかで穏やかで、着物だから動作が緩慢になるのかもしれないが、絵里の様子は妙に落ち着いていた。
「私だけが知っているのは卑怯な気がして。」

絵里の考えや行動は既に卑怯な部類に入ると思うが、その事を口にせず、涼は絵里の話を頭の中で整理した。
「私、これで失礼します。」
立ち上がった絵里を、涼は見た。
そんな涼の視線に気付いて絵里が視線を下げる。
「何か?」
「いつも和服なのか?」
「いいえ。」
絵里が、また微笑む。
「和服は嫌いではないですし、好んで着る時もあります。ただ今回は」
今日、何度彼女の微笑を見ただろう。
何かを企むような、相手を見下したような、だけど不思議と吸い寄せられるような微笑。
「むつみちゃんの事で涼さんに会いに来たんですもの。むつみちゃんの考え方を見習っただけです。」
「どういうことだ?」
涼の質問に絵里は笑顔を返す。
「それでは失礼します。」
そう言って、絵里は立ち去って行った。
残された涼は、周囲の視線を受けていることを、その時になって気付いた。
この場所なら絵里は目立たないだろうと思っていたが、それは大きな勘違いだった。ホテルを出て行く彼女の後姿も視線を集めると感じたし、やはり笹本絵里は目立つ存在だったように思う。
涼は絵里の話を全て理解できないまま、残っているコーヒーを飲み、早々に立ち去る為にウエイターを呼んだ。

◇◇◇

「今日もお仕事だったの?お休みはないの?」
「5月の末に休みを取る予定だよ。」
むつみは、涼が持ってきたケーキの箱を丁寧に開けた。
「美味しそう。でも、いいの?おじいちゃん達には?」
「いいよ。会社の近くのホテルで買ったから、また今度買って行くから。休みの最終日だし優輝も戻ってくるから、うちで一緒に夕食でもと思ったんだが。」
「優輝君は遅いみたいよ。帰ったらすぐに眠ると思う。」
むつみが言ったように、優輝の帰宅は遅くなるようだった。自宅に連絡した涼は、優輝の予定を祖母から聞かされ、仕方なく買ったケーキを持って、むつみの家を訪ねたのだ。
だが、会う約束をしていない2人を、涼は不思議に思った。
優輝が練習から戻るのが遅い事が分かっていたとしても、むつみが別荘から戻っているのだから、連休の間会えなかった2人は会う予定を立てていると思っていた。
確かに、2人だけで会うことを極力避けるようにしているのは周囲の大人達だが、その大人達は出来る限りの協力をしていると思う。本人達が望みさえすれば、少しだけの短い時間でも会う事は可能なのに。
「久しぶりだから早く会いたいと…思わない?」
直接的な質問だと、涼は言葉にした後で思った。
だが、むつみは少し微笑むだけで何も言わなかった。そんな彼女の対応が中学生とは思えなくて、涼は妙な気持ちになる。直接的な言葉を投げられて、恥ずかしがるわけでも戸惑うわけでもない。
むつみの考えている事を掴むのは難しかった。駅で涼を待っていた時、彼女の気持ちに気付くべきだった。
優輝と喧嘩をした可能性や晴己と何かあった可能性は考えたが、彼女が家族の事で悩んでいるとは思いもしなかった。
あの時の、泣いている幼い自分の写真の意味を、むつみは晴己に聞いたのだろうか?
「涼さん?どうかしたの?お仕事で疲れている?」
考え込んでいた涼は、むつみの声に視線を上げた。
心配そうに見ている彼女を見て、彼女が絵里の話した内容を知っているのかどうか、涼は気になった。
「別荘は、どうだった?」
「すごくのんびりと過ごしちゃた。はる兄は来れなかったから残念だったけれど、意外と楽しかった、かも。はる兄には内緒よ。」
「来れなかったのか?」
「お仕事が忙しいみたい。最近、会っていないから。」
そう言った彼女の寂しそうな表情に、涼は改めて、彼女の中に存在する新堂晴己を見せられた気がした。