りなりあ

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指先の記憶 第二章-26-

2009-01-31 23:50:44 | 指先の記憶 第二章

「…やっぱり苦手…かも。」
私が最後に会った杏依ちゃんは、今までと随分と印象が違った。
「急に来たり急に来なくなったり。杏依ちゃんが会いに来てくれた時しか会えないなんて。勝手です。」
子ども達も待っているだろうと考えて、私自身も自分の事で精一杯で施設に行っていなかった事に気付く。
もしかすると杏依ちゃんは施設には顔を出しているのだろうか?
「去年とは状況が違うでしょう?杏依は結婚していて高校も違う。そんなに頻繁には会えないわ。」
「そう、ですよね。」
「夏休みになれば時間も出来るわよ。その前に、姫野さんはテストがあるのよ?まずはそれね。」
力なく頷こうとしたら、玄関の呼び出し音が響いた。

◇◇◇

瑠璃先輩が分けてくれた野菜を、須賀君は抱えていた。
そんな彼の背中を見ながら、この2週間、施設で過す時間が多かった彼に施設の状況を聞こうと思った。
「姫野。」
立ち止まった須賀君が振り向いて、その姿が街灯に照らされる。
「もっと早く歩けないのか?」
「だって…疲れた。」
色々と疲れてしまった。
勉強だけでなく、その他の事にも。
「姫野。夏休みになったらカレンさんの所へ行こうか?」
「え?」
須賀君が鞄の中から取り出したハガキを私は受け取った。
「あ!!カレンさん!」
そこにはカレンさんの綺麗な文字が並んでいて、紫陽花の写真が届いた事が書かれていた。
「うわぁ…カレンさんだ。カレンさんだ。あれ?えぇ?今度は大阪なの?引越したの?」
「みたいだな。」
「あーっ!!須賀君、私宛に来ているハガキなのに、勝手にポスト開けたの?プライバシーの侵害。」
「何を今更。プライバシーの侵害?」
再び歩き始める須賀君を追いかける。
「ねぇ、いつから?いつから行くの?部活は?いつから休み?何日ぐらい?どれくらい向こうに居れるの?」
須賀君が普通の速度で歩いても、私は小走りになってしまう。
彼は、どんどん身長が伸びていく。
それも腰の位置が変わっていくから、なんだか少し悔しい。
「2週間くらい行きたいけれど」
「本当に?そんなに長く行けるの?」
喜ぶ私に須賀君は視線をチラリと向けるけれど、歩く速度は変わらない。
「行きたいけれど、無理。」
「えー!!」
「2週間も俺と姫野が部活を休んだら、それも同じ時期に。怪しまれるだろ?」
「何を?」
今度は一度立ち止まって私を見て、そしてまた歩き出す。
「だから。瑠璃先輩が言ってただろ?俺と姫野の事、誤解を招くって。弘先輩も瑠璃先輩も、あの日の事、誰にも話していないみたいだから。松原先輩にも。」
「あの日ってカレーを食べた日?」
「そう。」
「…そんなに隠さなきゃ、いけない事かな?」
「だーかーら。姫野に好きな人ができたり、姫野の事を好きな人ができた時に困る。」
そうかもしれないけれど。
その“対象”である弘先輩には知られているし、それに…。
「ま…いいや、そんな事。私が気にしないと言っても須賀君は考えを変えないだろうし。それで?結局どれだけ行けるの?」
「…考え中。」
「なーんだ。決まったら教えてね。」
早速、帰ったら準備をしよう。
まだ早いけれど、その前にテストがあるけれど。
今度のお土産は何がいいかな?
それまでに、杏依ちゃんに会えるかな?
「姫野。」
自宅へと続く階段の下へと辿り着いた時、やっと須賀君が立ち止まり、まっすぐに私を見てくれた。
「今度は雅司も連れて行こうと思ってる。」
「雅司君も?カレンさん喜ぶよ、きっと。」
「大丈夫?」

「何が?」
「雅司と一緒で。」
須賀君の言葉に、私は戸惑った。
雅司君が私の事を微妙に嫌っているのは事実。
そして、私が雅司君に対して抱いている感情に、須賀君は気付いている。
雅司君が須賀君と一緒に過すのは当然で、それを私が拒む事などできない。
私が先輩達に勉強を見てもらって、瑠璃先輩の家で夕食をご馳走になっている間、須賀君は自由だった。
須賀君は雅司君と一緒に過していたに違いない。


指先の記憶 第二章-25-

2009-01-28 23:54:22 | 指先の記憶 第二章

「杏依ちゃんって変わってますよね?」
瑠璃先輩のアルバムには、杏依ちゃんの笑顔がたくさん残っていた。
「考え方とか行動とか、全然理解できないし。」
瑠璃先輩と杏依ちゃんは同じ保育園に通っていた幼馴染だということが、アルバムから分かる。
「我が侭だし勝手だし、周りの事振り回しちゃうし。なのに本人は全然気にしていないし。あれで結婚しているっていうのが、全く信じられない。」
アルバムの最後は、結婚式の写真だった。
杏依ちゃんの隣に立っている人は、彼女の“夫”だろう。
私が見た事のある雑誌の切り抜きは、とても無機質だった。
綺麗な顔だな、とは思ったけれど、この人が本当に実在するのが不思議な感じだった。
でも、アルバムの中の結婚式の写真は、写真そのものに温もりが残っているように、とても暖かそうな人だった。
指で、彼の姿を辿る。
「姫野さん。」
「は、はい?」
瑠璃先輩の声に、私は慌てて指を離した。
「杏依とは、いつから友達なの?」
「え、えっと。あ、あの。さっきのは悪口とかじゃないですよ?杏依ちゃんの事を悪く言ったつもりはなくって、だって、そのまま真実だし」
私は慌ててアルバムを閉じた。
「えーっと…真実というか」
「別にいいわよ。姫野さんの言った事、当たっているから。」
「…すみません。」
幼馴染である友人の事を、あんな風に言われたら、気分の良いものではないだろう。
「それに、姫野さんが杏依の事を嫌っているわけじゃないのは分かるから。」
「今は、そうですけれど。前は…嫌い、でしたよ。」
「え?」
私は膝の上に置いたアルバムの重さを感じながら、以前感じていた自分の心の中の黒い塊を思い出した。
「嫌いというよりも、苦手でした。」
このアルバムが正銘してくれた。
杏依ちゃんは幸せに包まれている。
「松原先輩の話題になると“香坂杏依”という同級生の名前が出ることが多くて。私は、その存在は知っていました。その人が家庭教師の人と付き合って婚約した事も。でも、私の前に現れて名前を呼ばれて」
あの夏に、施設の前で私の名前を呼んだ杏依ちゃんを思い出す。
「杏依ちゃんの雰囲気も、声も。苦手でした。」
康太君と呼んだ彼女の声が、耳から離れなかった。
「何度か会うようになって、それでも私は苦手で。」
杏依ちゃんは、いつも勝手だった。
私は受験生だったのに。
退屈だとか、クレープを食べに行こうとか。
「杏依ちゃんは私よりも年上なのに。」
「姫野さん。」
「はい?」
杏依ちゃんとクレープを食べた日の事を思い出していた私は、瑠璃先輩に呼ばれて顔を上げた。
「杏依の事、苦手なら会わなきゃ良かったのに。」
「だって…。杏依ちゃんが来てくれる事、子ども達は喜んでいたし。絵本とか紙芝居とか、杏依ちゃん上手だったし。みんなが喜ぶのに私が苦手だからって…。そりゃ…私が施設に行かなきゃ良かったかもしれないけれど、私だって子ども達に会いたかったから…。」
「し、せつ?」
瑠璃先輩が小さな言葉を発した。
「はい。施設です。あ…もしかして」
そういえば瑠璃先輩は、中学の時はサッカー部のマネージャーではなかった。
高校に入学してから須賀君は今の家に住んでいるのだから、施設の事を知らないのかもしれない。
「えぇっとですね。」
別に隠すことではないかもしれないけれど。
「そういえば聞いたことがあるわ。須賀君は中学までは弟さんと一緒に施設に住んでいたのよね。」
「そうです。で、そこに私は時々というか頻繁に遊びに行っていて、そこで杏依ちゃんに」

「え?杏依とは、そこで会ったの?」
「そ、うです。」

「杏依がその施設に通っているの?」
「最近はあまり…でも去年は、去年の夏休みは頻繁に。」
瑠璃先輩が両手をこめかみに当てて何かを考えていた。
「あのぉ…瑠璃先輩。最近、杏依ちゃんに会いました?私は連休に京都から帰ってきた日に会ったのが最後で。」
瑠璃先輩が顔を上げた。
「私も連休が最後よ。というか、姫野さんの家で会ったのが最後。」
「そう、ですか。」
「杏依に、会いたいの?」
戸惑いながら私は頷いた。


指先の記憶 第二章-24-

2009-01-13 22:59:10 | 指先の記憶 第二章

私は振り向かないと決めて、歩き続ける。
「もう6月だぞ?入学式から、どれだけたつんだよ。」
「そうだけど。変だって言ったでしょ?分かる訳ないわ。」
聞きたくなくても知りたくなくても、須賀君と彼女の会話は私の耳に届く。
「私達だって自分の入学式」
「姫野。」
彼女の声に須賀君の声が重なった。
驚いて立ち止まってしまうが、私は振り向くことを戸惑った。
呼ばれたのだから、振り向いて良いのだろうか?
迷っている私の顔を弘先輩が覗き込む。
「姫野さん。康太が呼んでるよ?」
弘先輩は普段と変わらない。
「…そう、ですね。」
振り向いて、顔を上げられず床を見ていたら。
「姫野さん。康太が手招きしてる。」
弘先輩に言われて顔を上げると、須賀君の手が私を呼んでいた。
彼女の表情を確かめることが嫌で、視線を伏せながら須賀君の前に立つ私の前に包みが差し出された。
「ほら。」
受け取れと、須賀君の声が言っている。
それがお弁当だと分かるけれど受け取る事に戸惑っていたら、授業が始まる前の予鈴のチャイムが廊下に鳴り響いた。
「姫野、行くぞ。」
須賀君がお弁当を、私の頭の上に置いた。
「ちょ、ちょっと。須賀君!」
頭上から落ちそうになる弁当箱を、慌てて両手で押さえた。
須賀君は弘先輩に追いついて、2人は私に背を向ける。
「姫野。早くしろ。」
須賀君の声が、チャイムの音に混ざっていく。
私は彼女の事を放っておいて良いのかと考えながらも、彼女と視線を合わさずに、弁当箱を頭の上から下ろした。

◇◇◇

瑠璃先輩の家には、たくさんの写真が飾られていた。
それは、小さなサイズから大きなサイズまで様々。
幼い頃の瑠璃先輩が写っているだけではなく、風景や建物。
日本だけではなく外国の写真も多くて、毎日訪問しても全てを見る事は無理だった。
それに、勉強を教えて貰っているのだから写真に目を奪われている訳にはいかない。
写真に興味を示す私に、瑠璃先輩は最終日に見る事を許してくれた。
そして、2週間の勉強を終えて、瑠璃先輩の家で夕食をご馳走になるのは今日で最後だと寂しく思いながらも、今後は甘える訳にはいかないと自分に言い聞かせた。
心の何処かで、成績が悪いままで勉強が分からないと言えば、この2週間の関係を維持できるのかもしれないと思ってしまう私がいる。
今まで部内の事で色々と教えてくれるのは由佳先輩が多くて、瑠璃先輩との会話量は多くなかったから、こうして瑠璃先輩と話す機会が増えた事は嬉しかった。
それに反して、松原先輩は完全に“先生”だった。
ちょっと怖くて、厳しくて。
松原先輩との勉強の時間が終わり、先輩が教室を出ていくと、盛大な溜息が出てしまう。
怒らないけれど怒られるような気がして、松原先輩に聞けない事を瑠璃先輩に聞いて教えてもらっていたから、予習復習は完璧だった。
そして、瑠璃先輩と松原先輩と比べる事が不可能なぐらい異色なのが、弘先輩だった。
結局、私達は勉強をしなかった。
弘先輩は、いつも私にお菓子の箱を差し出した。
見たことのない珍しい物が多くて、新発売というだけでなく、海外のお菓子も混ざっていた。
由佳先輩の御土産を一番最初に選ぶ事が出来たと言っていた弘先輩は、いつも外国からのお土産のお菓子を喜んでいたのだと思う。
パッケージに書かれている日本語ではない文字や、日本語なのにちょっと字体が変な文字。
それらを見て笑ったり、弘先輩が本当なのか嘘なのか作り話なのか分からない寓話のようなものを話すのを聞いたり、私は弘先輩との時間で、教科書とノートを開く事はなかった。
「あれ?」
アルバムを見ながら、私は瑠璃先輩を見た。
「この写真、瑠璃先輩の入学式ですか?」
「そうよ。中学の入学式。枚数多いでしょ?おまけに桜が蕾だったり、満開だったり。」

「あ…本当だ。」
どうして“入学式”に撮影された写真の中の桜が、蕾の大きさを変化させているのか、とても不思議だった。
「杏依がね」
その名前に、私の心はチクチクと痛む。
「蕾が開きそうだと言って、入学式の前に撮影したの。それなのに明日の方が綺麗に咲いているとか、何度も言うのよ。」
それが、とても杏依ちゃんらしくて、思わず私は笑ってしまった。


指先の記憶 第二章-23-

2009-01-07 19:19:35 | 指先の記憶 第二章

朝日が差し込む教室は暖かくて、光を受けている弘先輩は穏やかな寝顔。
そんな弘先輩を、須賀君は不満げな表情で見ていた。
「…康太。」
あ、起きてる。
「痛い。」
弘先輩が目を開ける。
「…眩しい。」
そして、また目を閉じる。
「眠るな。弘先輩。」
先輩に対して命令口調は、問題だと思う。
弘先輩は怒るだろうか?
でも、弘先輩の怒っている姿は想像出来なかった。
「おはよう。」
弘先輩から、今日2度目の挨拶。
「お、は」
答えようとした私の前に、弘先輩は再び小さく割ったチョコを差し出した。
「ちょっと溶けちゃったね。」
私が受け取る事に戸惑い、弘先輩が眠ってしまった事で放置されていたチョコ。
それを摘んだ弘先輩の指が溶けたチョコで少し汚れた。
「溶けてるじゃないですか。」
須賀君が弘先輩の手首を掴んだ。
「康太」
弘先輩の小さな抵抗を無視した
須賀君が、弘先輩の指からチョコを取り上げて自分の口に放り込む。
指に付着したチョコを気にしながら、鞄から取り出したウェットティッシュを須賀君は半分に破ると一方を弘先輩に渡して指を拭くことを促した。
その行動が、須賀君の妙な几帳面さを現していて、私は彼の細かさに少し嫌悪した。
彼は間違っていない。
ウェットティッシュを持っていることも、指を拭くだけだから半分に分けたことも、決して間違っていないけれど。
「弘先輩、ありがとうございました。」
私は机の上に重ねていた教科書を鞄の中に入れた。
「お礼なんていう必要ないだろ?弘先輩寝てただけだし。姫野も。」
そうかもしれない。
でも、私の為に早朝の学校に
来てくれた事にはお礼を言いたい。
そして、私の中に、中学の頃のような気持ちがないことを気付かせてくれた事にもお礼を言いたかった。
「ありがとうございました。」
須賀君の声を無視して、再びお礼を言った私に弘先輩は変わらない笑みを返してくれる。
2度目はあるのだろうか?
今夜は瑠璃先輩の家に再びお邪魔することになっている。
週末も誘ってくれた。
瑠璃先輩に全てを頼るのは彼女の負担になってしまうだろうけれど、今後の事は瑠璃先輩が決めてくれるだろう。
「私、教室に行きますね。」
少しでも早く、ここから離れたくて私は2人よりも先に教室を出ることにした。
ドアを開けて、再度2人に挨拶をしようと思って振り向く前に、私は廊下に立つ人の存在に気付く。
「あの」
女子生徒が立っていた。
「はい?」
「ここに」
彼女が私の体の向こうを覗き込む。
背の低い私の頭上を彼女の視線が通り越していた。
その視線を追って振り向くと、弘先輩と須賀君がこちらに向かって歩いて来ていた。
「…康太」
その名前に、私は彼女に視線を戻した。
でも、彼女は私を見ていない。
「康太?」
須賀君が立ち止まった。
弘先輩は歩き続けて、そして私の隣に立つ。
「姫野さん。もうすぐ授業が始まるよ?」
まるで、女子生徒の存在など気付かないみたいに弘先輩は廊下に出て、そして振り向く。
「姫野さん。急いだほうがいいよ。」
須賀君も教室に行かなきゃ。
ここにいる女子生徒も。
でも、私を挟んで女子生徒と須賀君は向かい合っている。
「康太。」
今度は、彼女は、とてもはっきりと須賀君の名前を呼んだ。
「康太でしょ?」
そうです、須賀康太です。
私が答えたくなるほど、彼女は須賀君の名前を繰り返していた。
でも、須賀君は彼女の問いを肯定せず、小さな声で、
「遅い。」
と答えた。
「だって。分からないわよ。変でしょ?康太は急に転校しちゃうから、何処に行ったのか誰も知らないし。中学に入学した時も、新しく転校生が来た時も、ずっと探したのよ?高校だって」
この人は、私の知らない須賀君を知っている。
それが分かって、私は足を前に出した。


指先の記憶 第二章-22-

2009-01-04 02:01:32 | 指先の記憶 第二章

私が弘先輩の存在を“認識”したのは、2年前の紫陽花の季節だった。
あの日、須賀君は早朝練習をサボっていて。

私は、校庭で弘先輩の姿を見つけて。
その前に本屋で会っているけれど、弘先輩は覚えているのだろうか?
本人に確認してみたい気もするけれど、あの日は私にとっては非日常の、決して忘れられない日。
祖母が亡くなり、1人になってしまった日。
でも、弘先輩には普段と変わらない日常の一瞬だったと思う。
きっと覚えていない。
あの本を私に差し出してくれた事など。
紫陽花を持って来てくれたカレンさんが、『好美ちゃんも、そんな年頃なのねぇ。』と言った日、私の心の中には確かに恋心は芽生えていたと思う。
弘先輩が卒業した事で少しずつ薄れてしまったその気持ちが、同じ高校に入学し、同じクラブに入部した事で、再び存在が増してきたのは事実だ。
でも、今の気持ちは、中学の頃と何かが違う気がする。
私の生活は、弘先輩の恋心だけで1日を終える訳ではない。
遠くに行ってしまったカレンさんの事、舞ちゃんや雅司君の事。
毎日、とても気になる。
絵里さんにも会いたいし、会いに来てくれない杏依ちゃんの事も気になる。
そして須賀君は私の生活の大部分を占めている。
確かに、気持ちが落ち着かないのは事実だ。
弘先輩は、なんだか独特の空気の中で1人で行動している感じだから、とても対応に困る。
2人で過しているのに、弘先輩は眠ってしまっている。
何時に眠るのかな?
いつも昼休憩は部室で眠っているみたいだし。
中学の時、須賀君が弘先輩はレギュラーではないと言ったのが理解できる。
早朝練習にも顔を見せるだけだし、部活も休む事がある。
でも、時々試合に出ると結果を残すから、弘先輩の事は理解できない事が多い。
睡眠不足の私は、弘先輩と同じように机に重ねた教科書の上に頭を乗せてみた。
思わず溜息が出てしまう。
“先輩達”は、とても気遣ってくれたのだと、改めて分かった。
瑠璃先輩は、先輩の御両親の田舎から送られてくる野菜を分けてくれる。
それは、私が1人暮らしだと知っているからだけれど、瑠璃先輩は、私の家族の事を何も深く聞かない。
そして、松原先輩は、自然に私の緊張を解いてくれた。
でも、弘先輩に対しては、どう対応して良いのか分からない。
相手が先輩だから、私よりも年上だから、相手から何か行動してもらいたいと思ってしまう。
それを期待しない方が良いとは思うけれど、私は完全に放置されている。
そんな事を気にせずに、私は勉強をすれば良いし、しなくちゃいけないけれど、ちょっと悔しい。
拗ねてしまっている自分に気付いて、情けないと思うし、その気持ちを弘先輩に要求するのは無理で、気持ちの処理に困ってしまう。
須賀君になら、この不満を言えるのに。
でも、そんな“甘え”があるから、雅司君の事に対して感じていた不満を言葉にしてしまった。
言ってしまった事を後悔していて、謝りたいけれど、私が謝ると須賀君は、何と返事をするだろう?

◇◇◇

さらさらと、髪が揺れていた。
誰かが髪を撫でている。
とても優しくて、そして大きな指。
「姫野。」
その声に、私の瞳はパチリと開いた。
視線が捕らえた人の顔を見て、慌てて頭を上げた。
「おはよう。…何してるんだ?勉強は?」
「…あ。」
周囲を見渡して、私は自分の前で眠っている弘先輩を見つけた。
その弘先輩の額を須賀君が私のボールペンで軽く押している。
「ちょ、ちょっと。須賀君。何してるの?」
驚いて慌てて、私は須賀君の手首を掴んだ。
「俺が聞きたい。どうして寝てるんだよ?弘先輩、姫野に教えなきゃダメだろ?姫野だって釣られて眠るな。」
「だって」
「だって?」
須賀君の瞳が私を見据える。
昨夜は眠れなかったと言えば、その理由を聞かれそうで、その理由を答えるのは嫌で。
「あぁ!!すっげぇー不安。任せていいのか?この人に。俺はどうして、今まで姫野の生活に気付かなかったんだよ。ムカツク。最悪だ。」
「あ、あのね。須賀君。そんなに自分を責めなくても。」
「だったら、まともな成績を保て。」
須賀君が、また弘先輩の額をボールペンで押した。