りなりあ

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指先の記憶 第二章-28-

2009-02-14 22:31:42 | 指先の記憶 第二章

眠っている雅司君は、当然だが大人しくて、普段の悪戯な行動や私に対する悪意というか敵意というか、そういうものは感じない。
この時期に幼い子どもを抱き続けると、暖かいというよりも暑くて、腕や腹部に微かに自分の汗を感じた。
きっと、その暑さは雅司君も感じているはずで、寝心地が気になって表情を確かめると、彼は気持ち良さそうに眠っていた。
その表情に、途端に私の心が穏やかに落ち着いていく。
ずっと寝顔を見ていたくて、でも私の瞼は重くなる。
小さな溜息を出して、私は壁に背中をあずけた。
視線を上げると台所で動いている須賀君の姿が見える。
彼は茹でたホウレンソウをまな板の上で切っていた。
きっと半分は明日の朝食。
そして半分は冷凍されて、近いうちに玉子焼きの中に混ぜられてお弁当の中に入る気がする。
同じ事を、祖母もしていたのを思い出しながら、私は目を閉じた。
「姫野。」
閉じたばかりの瞼が、須賀君の声に反応した。
「眠るな。」
「はぁ…い。」
また溜息を出して、姿勢を戻した私は小さな欠伸をした。
タオルで手を拭いた須賀君が台所の電気を消し、私の前に座った。
「大丈夫か?姫野。それにしても…俺の立場、なしだな。」
「え?どうしたの?」
「最近、雅司が夜中に何度も起きるって聞いたから、今日は、こっちに連れてきたのに。こんなに気持ち良さそうに眠ってさ…。」
「だって、凄く眠そうだったよ?明良君と待っている時から眠かったんじゃないの?」
「この様子じゃ、朝まで眠りそうだな。」
ホッとしたような、でも少し悔しそうな表情で、須賀君は雅司君を抱きかかえようとした。
でも、雅司君の手が私の服の紐をしっかりと掴んでいて、放してくれない。
須賀君が困ったと私に視線を向けた。
「須賀君。いいよ。このままで。」
「え?」
「押入れから布団、出して。」
「このまま寝るのか?」
「それしか方法がないかな、と思って。さすがに雅司君を抱えて歩くのは無理だよ。体重増えたみたいだし。2階に行くのは絶対に無理。最近暑いし、1日ぐらい。風邪とか大丈夫だと思う。」
雅司君を抱えたまま、そのまま横になる事は可能な気がした。
幸い、部活の後で瑠璃先輩の家に行った時、制服から着替えさせてもらっていたから、制服の皺を心配する必要はない。
「まぁ…そうだけど。でも風邪よりも、そのままの体勢で眠ると絶対に明日の朝、身体…痛いぞ?」
「大丈夫だよ若いから。すぐ回復する。」
寝心地が悪ければ、雅司君は私から離れるだろうし、密着したまま一晩中眠り続けるとは思えない。
「良かったな姫野。俺が梅雨前に布団を干しておいて。」
「…あ、りがとうございます。」
須賀君が押入れから出した布団を敷く。
「客用の布団が必要なのかどうか、それ自体が疑問だけれど、使わなくても時々は干さないと」
「はいはい。分かりました。」
須賀君が布団を干してくれていた事など知らなくて、まさか私の部屋のベッドシーツには触れていないだろうかと、少し不安になった。
「姫野。玄関の鍵は閉めていくから。ほら、転がれ。」
「こ、転がる?」
「そのまま布団の上に転がるしかないだろ?上布団を俺が」
「えぇ?ちょっと待って。」
想像しただけで、とても恥ずかしい気がする。
凄く幼い子どもに戻ってしまったみたいで、それを高校生の私が、それも同じ年の須賀君に、というのは、とても抵抗がある。
でも、雅司君を抱えた状態では、他に方法はない。
「そうしないと本当に風邪をひくぞ。俺の心配は姫野じゃなくて雅司。」
そう言われてしまうと、私は何も言い返せない。
雅司君を抱えて布団に横になった私の身体に、上布団がフワリとのせられた。

それは少し太陽の香りがして、須賀君のお母さんの実家だという家に泊まった日を思い出した。
少し恥ずかしい気持ちを感じながら視線を上げると、須賀君の指が雅司君の髪を撫でた。
とても、とても愛しそうな瞳で。
穏やかな優しい笑みで、雅司君の寝顔を見ている。
「姫野。」
須賀君の視線が私に向けられる。
「羨ましい、って顔してるぞ?」
「し、してないよ!」
思わず大きな声を出してしまった私の口元を、須賀君の手のひらが押さえた。


指先の記憶 第二章-27-

2009-02-03 11:49:30 | 指先の記憶 第二章

須賀君と過せる時間が増えた事を雅司君は喜んだと思う。
そして、私が姿を見せない日々にも喜んだ気がする。
そんな事を想像してしまう状況なのに、雅司君と一緒にカレンさんの家に行って大丈夫なのだろうか?
私が、というだけではなく、雅司君は納得するのだろうか?
「雅司を引き取る事、何度も考えた。多分、無理じゃないと思う。部活を続ける必要はないし、やめればいい。2人で暮らす事、やって出来ない事はないと思うけれど。」
確かにそうだろうと思う。
大変だとは思うけれど、須賀君なら可能な気がする。
「俺の体、2つあればいいのに。」
冗談ぽく言った彼の言葉に、私の心がちくりと痛む。
祖父のようだ。
2つの家庭を持っていて、でも最終的には私達から去った祖父。
階段を上り終えると、須賀君は私の家の門を開けた。
私の家は真っ暗だったけれど、須賀君が住む家には明かりが灯っていた。
それを不思議に思いながら玄関の鍵を私が開けると、須賀君は野菜を台所へ置きに行く為に靴を脱いだ。
そんな動作は当然の事になっていて、でも、まるで自分の家のように須賀君は私の家に入る。
「こんばんは。」
私が靴を脱ごうとした時、開けたままの玄関が小さな音を立てた。
振り向いた私は、驚いた。
「…明良君?」
「僕の名前、覚えてくれていたんですね。」
明良君が嬉しそうに笑った。
「…にぃ。」
明良君の足元に姿を見せたのは、雅司君。
「…よしみ。」
私の姿に気付いて私を見上げて、雅司君が眠そうな目を向ける。
「あ…須賀君…須賀」
須賀君を呼ぶ為に、声を少し大きくしようと思ったら、私の足を小さな腕が掴んだ。
「姫野?」
台所から戻ってきた須賀君が玄関にいる私達を見た。
「雅司?明良君、ありがとう。帰れる?」
「大丈夫です。」
桐島明良君は失礼しますと挨拶をすると、玄関を静かに閉めた。
「雅司?どうしたんだ?眠っていたのか?」
須賀君が雅司君を抱え上げると、私は自分の肌に感じていた体温を一気に失った。
「あの子…今日、何かあったの?前に会った時は斉藤先生のお手伝いだって言ってたけれど。」
「さぁ?今日は特別、何もなかったと思うけど。雅司が懐いているから姫野を迎えに行く間、留守番お願いしただけ。おい…雅司。まいったな…野菜は茹でておきたかったのに。姫野、玄関の鍵。」
「ね、ねえ。明良君はいいの?あの子、小学生だよ?暗いし夜遅いし、駅まで」
「大丈夫。階段の下に車が停まっていただろ?」
「車?そうだっけ?」
須賀君が雅司君を抱えて家の奥へと進む。
私は玄関の鍵を閉めながら、車の意味を考えた。
和室に入ると須賀君は私に座ることを促して、私に雅司君を抱かせた。
重くなったな、と思いながらも、気持ち良さそうに眠っている雅司君を起こさないようにと気をつける。
「車って…家族の人が迎えにきてくれてるの?」
最初に思いつくのは、それが当然だろう。
須賀君は瑠璃先輩からいただいたほうれん草を取り出していた。
「運転手。」

「え?」
「運転手だよ。桐島の名前を聞いて、何か気付かないか?」
「桐島?」

私は首を傾げた。
「まぁいいか。姫野は知らなくても。とにかく裕福な家のおぼっちゃまってところだよ。明良君は。」
「へぇ…。」
私とは別世界の子なんだなぁ、と思った。
「ねぇ、須賀君。いつ…あの子に会ったの?私が」
私が会った時が、明良君が初めて施設に来た日、だよ?
もちろん、この2週間の間に会う機会はあっただろうし、施設での出来事を私よりも須賀君が詳しく知っている事は、何も不思議ではないけれど。
野菜を洗う水の音や、お湯の沸く音が邪魔をして、私の声は須賀君には届かないようだ。
声を大きくすると雅司君が起きてしまいそうで、私は問うことを諦めた。