りなりあ

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指先の記憶 第二章-37-

2009-05-29 23:58:58 | 指先の記憶 第二章

雅司君が須賀君に甘える事に私が慣れる必要などないし、慣れないからといって意見を言える立場でもない。
でも、慣れたい、慣れなければ、そう思う気持ちがあった。
私が自分の感情さえコントロールできれば、カレンさんの家で過す夏休みは楽しい日々になりそうな気がしていたのに。
響子さんという存在は、私の決意と期待を簡単に壊した。
「暑いわねぇ。今日も。」
カレンさんがテーブルの上にグラスを置いてくれる。
ひとくち飲んで、ほんのりと甘いアイスティが体中に沁みる気がした。
「…うん。」
言葉数の少ない私に、カレンさんはそれ以上話しかけなかった。
テーブルの上に置かれたグラスを眺めながら、耳には楽しそうな明るい声が届く。
シャワーを浴びてすっきりとしたのに、雅司君はお昼寝にまだ突入しない。
今日は、とても暑かった。
テーブルに頬を乗せた私は、冷たいグラスを瞼に寄せた。
…気持ち良い。
カレンさんがコーヒー用に出してあった角砂糖を、指でグラスの中に放り込む。
溶けない角砂糖の上に、角砂糖が積み重なっていく。
「…甘い…だろうなぁ。」
馴れ馴れしいとか図々しいとか。
それは人懐っこい性格とは違うものだ。
杏依ちゃんの事を最初は苦手だった事を思い出した。
「甘そう…。」
風鈴が、チリンと音を鳴らした。

◇◇◇

空気を清々しくするような香りを感じた。
指先に、ふわふわとした柔らかさ。
そして、チリンと小さな音。
「…ん…あれ?」
視線を動かして周囲を見て、雅司君の姿を見つけた。
私の指は彼の髪を撫でていて、規則正しい寝息で雅司君が眠っていた。
中学生の時、子ども達と一緒に眠ってしまう事が多くて、須賀君に怒られた事を思い出した。
制服のまま眠って皺になって。
1人暮らしをしていても、私は精神面では随分と施設の人達に助けられていた。
あの頃と今では、私の生活は変わってしまって、施設に行く回数も減ってしまった。
私が最後に訪問したのは、いつだっただろうか?
杏依ちゃんが最後に訪問したのは…いつ?
記憶を辿りながら、また何かの香りを感じた。
雅司君の髪から指を離して、ゆっくりと起き上がる。
体にかけられている夏用の寝具を手に取り、雅司君の体にかけなおしながら、ソファの前に敷かれたマットの上で寝ている自分を不思議に思った。
確か、アイスティを飲んでいた。
カレンさんが用意してくれた、少し甘いアイスティ。
「好美ちゃん。」
抑えた声が私の名前を呼ぶ。
「うるさかった?ごめんね起こしてしまったみたい。」
見上げると、ソファの横に響子さんが立っていて、彼女が持つ籠の中には洗濯物が入っている。
ベランダに干してあった洗濯物の存在を思い出して、私は彼女から籠を取り上げようとした。
「大丈夫よ。」
響子さんが籠を床に置くと、ベランダの窓を閉める。
「好美ちゃんの洗濯物は康太が買物に行く前に部屋に置いて行ったから。」
「…え?」
見上げると響子さんが微笑む。
「…私に触られるのは嫌だろうなって思ったから。」
図星、だった。

◇◇◇

雅司君が眠っているから、室内の照明は消したままだった。
テーブルの上にはキャンドルが置かれていて、優しい光が揺れている。
目覚めた時に感じた香りは、ハーブティだった。
清々しいミントの香りに、私の頭が少しずつ覚醒していく。
「苦手じゃない?他の飲物にしようか?」
響子さんは飲んでいたミントのハーブティを私のカップに注ぐかどうか、迷っていた。

他の飲物を彼女に依頼するのも嫌で、自分で動くのも何となく億劫で、別に水でも良いのに、と思いながらも私はカップを響子さんへと寄せた。
苦手かどうかなんて分からない。
あまり馴染みのないもので、祖母と暮らしていた私の生活には登場しない飲物だった。
両手でカップを包んで、手のひらに感じる温かさにホッとする。
外の気温は高くて、冷たい飲物ばかり飲んでいた気がする。
「…美味しい。」
ひとくち飲んで、思わず言葉が零れ出た。
「良かった。」
顔を上げると、頬を緩めた響子さんの顔があった。


指先の記憶 第二章-36-

2009-05-28 13:54:46 | 指先の記憶 第二章

三津屋響子さんは、私の手の甲を両方の親指で撫でた。
私は思わず彼女の手を振り払おうとした。
でも、ピクリと動いた自らの左腕を、どうにか止める事ができた。
彼女の右手の親指が私の薬指の爪を撫でる。
彼女の左手の親指が私の人差し指の爪を撫でる。
「…綺麗な…爪ね。自分で手入れしているの?」
彼女が私の爪に顔を近付け、そして視線を上げて私を見る。
「今…だけ。部活に行くと爪なんて伸ばせないから。手入れも…してもらったから、この状態は数日間だけ…だと思う。」
絵里さんが整えてくれた指先は、とても綺麗な爪…だと私自身も思う。
「数日間だけなんて、もったいない!私がしてあげるよ。というよりも、させて!こんなに綺麗な爪…指も」
再び彼女が私の左手を両手で包んだ。
そして、今度は私の顔を凝視した。
「響子。」
戸惑う私は、須賀君の声に止めていた息を吐き出す。
「何の用だ?」
須賀君が雅司君の靴を脱がせている。
「姫野が驚いているだろ?暑いんだから、そんなにベタベタ触るな。」
「えぇ?別にええやん。だってめっちゃ肌、スベスベやし。指細いし、まつげ長いし。髪も」
響子さんの指が、今度は私の髪を触ろうとする。
「触るな。」
須賀君の声に、響子さんの動きが止る。
「ちゃんと了解を取れ。」
「はいはい。相変わらずうるさいなぁ。髪触っていい?康太。」
「俺の了解じゃなくて、姫野に。」
響子さんが再び体を屈めて、私の視線と高さを合わせる。
「好美ちゃん。髪、触ってもいい?」
問いながら響子さんは止めていた手を動かした。
響子さんの右手は私の左手を掴んだまま。
そして彼女の左手が伸びてくる。
私は右手に持っていた鞄を肩にかけると、私の髪を触ろうとしている響子さんの左手首を掴んだ。
「…え?」
瞬きをした響子さんが私を見る。
「触っていいなんて、私、言いました?」
彼女の右手を振り払い、私も彼女の左手首から指を放した。
靴を脱いだ私は雅司君の瞳が私を見ている事に気付いて、脱ぎ捨ててしまった自分の靴を揃えると、響子さんの横を通り抜けた。
「あーぁ。なーんか嫌われたみたい。」
背後で響子さんの呟きが聞こえた。
「…結局…何しに来たんだ?」
須賀君の不機嫌な声。
「そうそう。めっちゃ気になって仕方ないねん。康太の髪型、もうちょっと後ろを短くしたほうがいい気がするねん。」
「別にええよ、このままで。あとは帰る前に、もう1回切るだけでええから。」
「そんなん言わんと練習させてぇな。やってみたい髪型があるねん。」
「勘弁してくれ。これから雅司を昼寝させやなあかんし、買物もあるし。響子と遊んでいる暇なんて、あらへん。」
私の鞄が床に落ちる。
「姫野?」
須賀君の声に私は振り向いた。
靴を脱いだ雅司君が私の横を通り過ぎて、洗面所のドアを開ける。
「…どうして?」
須賀君を見て、響子さんを見た私は、彼女と目が合ってしまう。
「どうして須賀君が、大阪弁…なの?」
何これ?
凄い違和感。
並んで立つ須賀君と響子さんは、綺麗に2人でフレームに収まるような…そんな感じ。
「まぁ…一応…住んでたし。」
「え?」

「小学生の時。」

「私は康太が大阪弁じゃない方が気持ち悪い。」
響子さんの言葉に、私は洗面所に入るとバタンとドアを閉めた。

「よしみ どあは しずかに しめなきゃ だめ」 
蛇口から流れる水の音を聞きながら、座り込んだ私は洗濯機にコツンと頭をぶつけた。

◇◇◇

雅司君は響子さんに懐いていた。
まるで幼い子どものように、彼女に甘えている。
幼い、というのは当然の事だけれど、私に対する彼の態度は子どもっぽくなくて、そして舞ちゃんに接する時の彼も子どもではない。
私にとって、子どもらしい子どもである雅司君の姿は、とても心を掻き乱された。

彼が須賀君に甘える事には少しは慣れてきたのに、須賀君以外の人に懐く雅司君の姿を見るのは、とても嫌な気分だった。


指先の記憶 第二章-35-

2009-05-08 01:28:01 | 指先の記憶 第二章

歩いて走って、たくさん食べて、雅司君の笑顔と瞳は、キラキラと輝いていた。
普段以上に楽しそうで、よく笑う。
とても幸せそうだけれど、この状態は興奮気味、と表現するのが正しいような気がする。
「この状態だと、雅司君すぐに眠りそうだね。」
ベンチに座った私は、少し呆れる気持ちを感じながら落ち着きなく動く雅司君を見ていた。
「ずっと、こんな感じだったの?1週間も。」
気持ちが言葉に表れてしまって、ちょっと嫌味っぽい口調になってしまった事を悔みながら、隣に座る須賀君を見た。
「最初の2日は、こんな感じ。」
須賀君は雅司君を見ながら、とても穏やかな表情をしていた。
そんな彼の心の内と、私の心が正反対な気がして、また後悔した。
須賀君と過せる日々を雅司君が喜び、それが興奮状態に繋がる事に、妙な抵抗を感じてしまう自分が情けない。
「2日だけ?3日目からは?やっぱり雅司君も疲れたのかなぁ。疲れるよねぇ。この状態だと。明日も同じなのかなぁ。疲れないのかなぁ。」
言いながら、また自分の言葉が嫌になる。
「熟睡したんだろ、たぶん。」
「え?」
「昨日。姫野と一緒に寝て熟睡したから今日は元気なんだろ、たぶん。」
「…今日も…一緒なのかなぁ…。私は熟睡できない、のに。」
「そうか?充分、寝ました、って顔してたぞ?」
「それは…雅司君が一緒だなんて知らなかったし、気付かなかったし、分かった状態で寝るのって、寝返りとか…気になるし。」
「二人とも寝相が悪いから、お互い様だろ。」
私の文句を、須賀君は適当に処理していく。
「にぃ!」
雅司君が手を振っている。
須賀君が手を振り返すと、雅司君が駆け寄ってきた。
「姫野が来て喜んでいるんだよ。明日の昼頃には落ち着くと思うから、もう少し我慢して。」
「…え?」
雅司君が須賀君の膝に両手を乗せた。
「にぃ あつい」
雅司君の額に汗が流れている。
座っているだけでも暑いのだから、走り回れば尚更だ。
「帰ったらシャワー浴びような。」
「うん」
須賀君が雅司君の汗をタオルで拭う。
「それからお昼寝して」
「おひるねして」
「その間、にぃちゃんは買物に行ってくるから」
「かいもの」
「雅司は何が食べたい?」
「にぃのごはん」
何が、と問われたのだから、メニューで答えるべき。
その言葉は、どうにか飲み込むことができた。
「にぃのごはん すき」
太陽の陽射しが強い。
眩しさに目を閉じたくなる。
「よしみは?」
「え?」

呼ばれて視線を向けると、雅司君は須賀君の膝の上に座ろうとしていた。
そんなに密着して…暑くないのかな?
「よしみは にぃ の ごはん なにが すき?」
屈託のない笑顔が私に問う。
でも、私は。
“ぼくは にぃと なかよしだよ”
そう言われている気がした。

◇◇◇


カレンさんの家に到着すると、聞き覚えのない声が、私の耳に届いた。
「お帰り~。雅司君、お帰り。」
知らない女性が姿を見せて、体を屈めると雅司君に頬擦りした。
「この子が好美ちゃん?」
姿勢を戻した彼女は、私よりも身長が高く、それに気付いた彼女は再び少し体を屈めた。
そして、私の左手を両手で包む。
「はじめまして。」
はじめまして、たぶん、きっとそうだと思う。
私は彼女の顔に見覚えなどなくて、でも、この妙に親しそうに手を握るのはどうしてなのだろう?
「私、三津屋響子。姫野好美さんでしょ?噂は聞いているわ。カレンさんと康太から。」
彼女が康太、と呼んだ事に、私は眉をひそめてしまった。
「気にするような内容じゃないから安心して。2人ともあなたの話ばかりしているから。自然と色々と知っちゃったの。と言っても、サッカー部のマネージャーをしてるとか、その程度。」
彼女は私が自分の事を勝手に話題にされている事に嫌悪を抱いたのだと感じたようだった。
本当は、そんな事どうでもよくて、それよりも、どうして康太、なのか、それが気になるけれど、そんな事、問うことはできない。