「買物?」
急いで買物をしていた私の焦る気持ちは、弘先輩の穏やかな声に消えていく。
「はい。夕食の買物です。」
こんなに元気な声を出す私を、須賀君と絵里さんが見たら、冷たい視線を向けられそうだ。
「そういえば姫野さん1人暮らしだったね。自分で作っているんだ?凄いね。」
須賀君が作ってますなんて、言えないし、言いたくないかも。
「このチョコ買うの?新発売だよ。どうぞ。」
弘先輩がチョコの箱を差し出してくれる。
「あ、りがとうございます。えーっと、新発売だし、どんなかなぁ、と思って。」
満面の笑顔で勧められると、喜んで受け取るのが正しい気がして、ちょっと困る。
「美味しそうだよ。僕も買おうと思っているんだ。それとも一緒に食べる?」
違う意味で、私の気持ちが焦りだす。
「そ、そうですね。か、買ってみようかな。」
答えながら弘先輩の買い物籠を見て、私は思わず一歩下がった。
「ひ、弘先輩。連休にどこかに旅行、ですか?」
弘先輩が持っている籠には、お菓子が山盛りに入っていて、凄い光景だった。
「あ…これ?頼まれた買物。僕が全部食べるわけじゃないよ?姫野さんは、連休はどうするの?僕は」
「あの、弘先輩?」
「なに?」
ご機嫌っぽい?
今日の部活では、眠そうで面白くなさそうでボンヤリとしていたけれど。
「チョコ、貰って良いですか?」
「はい。どうぞ。」
弘先輩が再び差し出してくれたチョコの箱を受け取って、自分の籠に入れた。
あの本を手に取る事が出来なかった日を思いだす。
「これぐらいで大丈夫かな?姫野さんは、まだ買物あるの?」
「いえ、終わり、ました。」
「じゃあ、一緒にレジに行こうか?」
“一緒”という単語を、あまり聞かせないで欲しい。
会計を終えて、スーパーから出て、弘先輩とは方向が逆だから挨拶をしようと思ったのに。
「一緒に帰ろうか。姫野さん。」
絵里さんに言われたように、身だしなみをきちんと整えておけば、弘先輩の好意を素直に喜べたのに。
「えぇっと、方向逆、ですよね?私、こっちですから。」
「送って行くよ。もうすぐ暗くなるから。」
須賀君が待っているから、早足で帰るべきなのに。
でも、須賀君が怒るのは、暗い道を1人で歩くからだよね?
弘先輩に送ってもらったと言えば…許してくれる、かな?
◇◇◇
「…階段。」
自宅へと続く階段の前に来た時、弘先輩が階段を見上げて呟いた。
「弘先輩、ありがとうございました。」
「姫野さんの家…この上?」
「はい。向こうから坂道もあるけれど、いつも、こっちです。」
「大変だね。」
「慣れてます。子どもの時からですから。」
弘先輩が階段を上ろうとする。
「弘先輩、ここで大丈夫です。」
「…ここ。」
「はい?」
「上に…広場、ある?」
「はい。今は使われていませんけれど。中には入れないし。広場と言うか森と言うか、そんな感じになってます。」
「小さい時、遊んだかも。」
「そうですよね。私も小さい時は遊具で遊んだ記憶があります。」
不思議だった。
近所なのだから不思議ではないかもしれないけれど、幼い時、同じ場所を遊び場にしていたのが不思議だった。
「久しぶりだから、上ってみてもいい?」
「でも、“広場”には入れませんよ?」
弘先輩は止める私の言葉を聞かずに、階段を上っていく。
そんな弘先輩の後ろ姿を見ながら、私も階段を上り、家まで送ってもらうのが嬉しくて、少しでも長く一緒にいられる事が嬉しくて。
そして、肝心の事を忘れていた。
家の門を開けて、ここまで来たのだから家に招くべきなのか?と考えて、私の自宅に須賀君がいる可能性を考えていた時。
「遅い!」
須賀君の声とともに、玄関の扉がガラガラと音を立てて中から開けられる。
「姫野!雅司と一緒に昼寝してから、どれだけウロウロ」
そして、扉がガラガラと閉められた。