りなりあ

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約束を抱いて:番外編-幸せへの願いⅡ-3

2008-10-04 15:55:41 | 約束を抱いて 番外編

◇目黒 祥子◇

お碗の数を数えて、途中で嫌になった。
「祥子。早く並べてちょうだい。」
母の声が私を急かす。
現在、祖父の家は慌しい。
お手伝いさん達だけでは手が回らなくて、母がお味噌汁を作っていた。
「えぇっと、何人だっけ?」
「人数分、ちゃんと出しているから。」
母が再び急かすから、私は重なっているお碗を作業台に並べた。
並べながら数字を数えて、また嫌になる。
食卓を囲む顔を思い浮かべてしまうと、朝から憂鬱な気持ちだ。
鈴姉さんをイギリスに留学させた祖父。
それに従った祖母。
孫の顔さえ見れなかった、鈴姉さんの両親。
姉と兄の狭間で、悩み続けた私の母。
そして、一番近くで舞ちゃんを見守ってきた絵里姉さん。
そんな“身内”の中で、舞ちゃんの笑顔だけが救いだ。
「叔母さま、おはようございます。」
「おはよう、絵里ちゃん。あら?髪、切ったの?」
母は、髪が短くなった絵里姉さんを驚いた表情で見ていた。
「はい。ここまで短いのは久しぶりです。随分と軽くなりました。おはよう。祥子。」
絵里姉さんは、とても清々しい表情で朝の挨拶をした。
「…おはよう、絵里姉さん。」
「どうしたの?祥子。元気ないわね?昨日はごめんなさいね。疲れたでしょう?」
昨夜、絵里姉さんの手伝いをした。
頼まれたわけではないし、たぶん、あまり役にも立てなかった。
海外へ出発する準備と言っても、絵里姉さんの荷物は少なかった。
突然決まったことなのに、絵里姉さんは、それほど焦っている風でもない。
焦って戸惑っているのは私だった。
祖父の決めた事に逆らえないと分かっていても、もう、いいのに、そう思ってしまう。
晴己様は杏依と結婚した。
そして、勝海君が誕生し、幸せの中で生きている。
今更…新堂も桐島も、笹本家に対して何も思わないだろう。
自分の婚約者が海外に行く事を、直樹さんは、どう思っているのだろう?
「舞。走っちゃダメよ。手を洗いなさい。」
鈴姉さんの声が近付いてくる。
「舞。その服、土だらけだから。どうして、さっきパジャマから着替えたばかりなのに。」
廊下を走る足音が響く。
そして、その音がピタリと止る。
「おはようございます」
台所に顔を見せた舞ちゃんは、朝から庭で遊んだようで、手も服も汚れていた。
「舞!」
鈴姉さんの声が近付いてきて、舞ちゃんが再び走り出して、そして鈴姉さんが台所の前を通り過ぎる。
「あの…絵里姉さん?注意しなくていいの?おじい様に舞ちゃん、怒られるんじゃ?」
笹本の家で、廊下を走る足音が響いたり、誰かの叫び声が響いたり。
そんな騒々しい状況を見た事は、ない。
「そのうち落ち着くわ。鈴に怒られるのを楽しんでいるんでしょう。」
絵里姉さんは、穏やかな表情で箸置きを並べていた。

◇◇◇

「おいしそう いただきます」
並べられた朝食に、舞ちゃんは嬉しそうに笑った。
「舞。熱いから気をつけてね。」
鈴姉さんの言葉に、舞ちゃんは注意深くお碗を両手で包む。
そして、少しだけ首を傾げた。
「どうしたの?じゃがいも、好きよね?」
「うん すき」
一口お味噌汁を飲んで、お碗がテーブルに置かれる。
その表情から気持ちを読み取れなくて、私は自分のお碗を手に取った。
それは他の大人達も同じで。
「美味しい。」
思わず出た言葉。
そして、それは他の大人達も同じで。
そんな私達を舞ちゃんは見て、そして。
「おいしいね」
その言葉にホッとして、でも。
「でも ちがう」
複雑な表情の舞ちゃんを不思議に思った。
「おみそのあじが ちがう おだしも ちがう」
5歳児の言葉に、私達は唖然とした。
こんなに小さな子が味噌やだしに拘るの?
…ちがう?
普段食べていた物と違うのだ。
違うから抵抗があるのだ。
大人達の動きは止っていて、沈黙が広がっていた。
そんな中で絵里姉さんは席を外し、暫くして戻ってくると、テーブルに包みを置いた。
「昨日、いただいたの。」
絵里姉さんが包みを開ける。
「鈴。少ししかないけど。そのうち、他のお味噌の味にも慣れるようになるわ。」
舞ちゃんがお味噌の香りを嗅いで、そして笑顔になる。
思い出させてはいけないと、記憶は忘れた方が良いと、そう思う気持ちはある。
でも、彼女から記憶や思い出を奪う権利は、私達大人にはない。
「舞が…いつも食べていたお味噌、なの?」
鈴姉さんの問いに舞ちゃんが笑顔になる。
「うん。あまり たくさん つくれないから まいにち じゃないけど。」
「じゃぁ…舞のお味噌汁、作るわね。ちょっと、待って。」
立ち上がった鈴姉さんの姿を舞ちゃんの視線が追いかける。
「まま。」
娘の呼び声に、鈴姉さんが立ち止まって振り返る。
「ままは おじいちゃんは みんなは この おみそしるが すきなの?」
舞ちゃんの問いに、私達大人は視線を合わせて、そしてお碗を見た。
私のお碗の中のお味噌汁は半分くらいになっていて、それは祖父も祖母も、他の大人達も同じだった。
再び、舞ちゃんがお碗を両手で包む。
香りを嗅いで、一口飲んで。
「おいしい!」
その言葉を素直に嬉しいと思えなかったのは、私だけではないと思う。
「おいしいよ まま」
お碗を置いた舞ちゃんが、味噌の包みを絵里姉さんの前に返す。
「えりさん まい みんながすきな おみそしる まいも すき」
幼い彼女が、自分の心と戦っている。
言葉にはしないけれど、彼女の心の中は渦巻いて混乱しているはずだ。
「誰かの、手作り、なの?」
私の問いに絵里姉さんと舞ちゃんが視線を合わせた。
そして、とても幸せそうに2人が微笑む。
「まいの かぞくだよ」
舞ちゃんが、私を真っ直ぐに見ていた。
「とても たいせつな ひとたちなの」

彼女を護ってきた、もう1つの家族。
その大きな存在から引き離してしまった私達親族の罪は、大きい。
「かぞくは ずっと いっしょなの あえなくても かぞくなの」
その言葉は、きっと誰かが舞ちゃんに伝えた言葉なのだろう。
元気な声で話す舞ちゃんの言葉の意味に、私達はチクチクと胸を痛める。
「まま すわって?おみそしる おいしいよ」
舞ちゃんの催促に鈴姉さんが席に戻る。
少し戸惑いながら、お味噌汁を味わって、おいしいわね、と呟いた。
「美味しいわね。舞ちゃん。」
私の言葉の後に、祖父や祖母の声も続く。
緊張感が漂う朝食の時間だけれど、幸福を感じた。
同じ物を食べて、美味しいと感じる事が出来る“家族”の存在の大きさに、私は日頃気付かない平凡な幸せを感じていた。