りなりあ

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約束を抱いて:番外編-幸せへの願いⅡ-4

2008-10-07 00:03:28 | 約束を抱いて 番外編

◇香坂 志織◇

キャベツの甘い香りが、お味噌の香りと混ざって、キッチンに広がっていた。

「おはよう。志織さん。」
「おはよう。眠そうね。」
振り向くと夫が小さな欠伸をしていた。
「睡眠不足だけれど、充実しているでしょ?」
「志織さんは?戻ったのは、昨日の」
「8時ぐらい。純也が加奈子ちゃん達の練習に合流した後、ね。」
「なんだ…残念。月曜日は僕が帰る前に新堂さんの家に行っちゃうし、夜は帰ってこないで、あっちに泊まっちゃうし。昨日は僕が家に戻った時もいなかったし、加奈子ちゃん達の練習を終えて帰ってきたら、先に寝てるし。」
だって、月曜日の夜は奈々ちゃんの予想通り、あまり眠れなかったのよ?
「…もう少し、眠れば?」
「そんな事したら、志織さん仕事に行っちゃうじゃないか。」
不満そうな夫の顔が気になるけれど、沸騰しそうなお味噌汁も気になる。
「今日は早く帰ってくるから。」
そう言ってから、そんな事をしても夫は喜ばないのだと、すぐに気付く。
私が早く帰宅しても、夫は仕事に出ているし、結局は会えない。
私達の生活は、すれ違いが多かったけれど、この数日は特に多い。
「えぇっと、じゃぁ…外でランチでも。」
夫が笑顔になる。
嫌だわ。
杏依が結婚して、この家を出てから、夫が結婚前の状態に戻ってしまった気がする。
「あ、でも。あまりゆっくり出来ないよ。準備があるから。」
「準備?」
「今日。お誕生日会だから。」
「あ…。そうだったわね。」
夫が以前から訪問を続けている施設で、今日はお誕生日会が開催される事になっていた事を思い出した。
「志織さん。」
伸びてきた夫の手を慌てて掴んだ。
朝の挨拶は、言葉だけで充分だ。
「いいのよ。遠慮しないで。」
離れた場所から聞こえた言葉に、夫の動きが止まる。
「え…。ど、どうして?」
夫が瞬きを数回した。
「朝から遊びに来ちゃった。」
彼女の腕の中で、勝海が嬉しそうな声を上げる。
「杏依ちゃんが行くって言うから私も一緒に来たの。勝海と一緒に。」
杏依の姑、すなわち晴己君の母親が、このマンションの部屋には不似合いな着物姿で笑っていた。
「お、はよう、ございます。」
夫は挨拶をして、何も言わなかった私を少し恨めしそうに見た。
だって、私だって今朝聞いたんだから。
突然、杏依から電話があって、これから行くから、と。
「で、杏依は?」
姿が見えない娘を、夫は探す。
「出かけたわ。」
「え?こんなに朝早く?」
杏依がどこに行ったのか、私は知らない。
私が作っていたお味噌汁を美味しそうだと言って催促して、1人で先に食べちゃって。
そして、ちょっと行ってきまーすと朝から弾んだ声を出して、姑に勝海を預けると軽い足取りで出かけていった。
「志織ちゃん。」
晴己君の母親、つまり新堂の奥様が私を呼ぶ。
「私も食べたい。お味噌汁。」
「…どうぞ。」
来るのなら、お手伝いの1人でも連れてきて欲しいものだわ。
「嬉しい。だって食べたかったの。このお味噌。」
私と夫は視線を合わせて、2人が来た理由を、ようやく理解する。
「新堂の家には…お裾分け、なかったの?」
「やっぱり大量には作れないでしょ?1回だけ味見をさせてもらったけれど。こっそりと食べに行きたいけれど、杏依ちゃんにも他の人にも…ずるいって言われちゃうから。」
「ここで食べるのは…いいの?」
「うん。たぶん。うわぁ…良い香り。」
とても幸せそうに“奥様”が微笑んだ。