minaの官能世界

今までのことは、なかったことにして。これから考えていきます。

ゲド戦記

2006年08月27日 | 映画鑑賞
ジブリの最新作。
中学生の甥っ子と観に行った。
混雑を避けて、午前中の上映にしたが、さすがジブリブランド、一番大きな箱が8割方埋まっていた。
しかし、びっしりと席が埋まっていた「ハウルの動く城」や「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」の時と比べると、熱気の度合いが違うというか・・・、ちょっと醒めた感じがした。
作品の中に入っていけなかった一番の原因は、やはり「絵」だと思う。
わたしの場合、まず「絵」の素晴らしさに「ハアァァァァ」と溜息が出て、その次に、生き生きと描かれた主人公たちに共感して、気がついた時には作品の世界にどっぷりと浸っているという具合だった。
ところが、今回の作品は、「絵」にノレないのだ。
これまでのジブリの瑞々しい感性が漂う絵と比べると、どこか違和感がある。
それがどうしてだか判らないままだったけれど、今、思えば、その違和感とは、自然を描く時の考え方の相違からきているのではないだろうか。
従来のジブリの「絵」の特徴であった大自然の美しさや生命力を描くことへの拘りや愛情が希薄になっているような気がしたのだ。
多分そのせいで、わたしには「ゲド戦記」の舞台となる「アースシー」の世界観がぼやけているように思え、ダイレクトに伝わってこなかった。
原作を読んでいないから、偉そうなことは言えないけれども、有名な「アースシー」の広大な海に点在する「多島海世界」のイメージは、それなりに頭の中に描いていた。
わたしのイメージでは、「青と白」のコントラストが美しい、そういう地中海のような世界が広がっているものと考えていた。
しかし、今回の作品では、何故か「赤」が目立っている。どうしてなんだろう。

これは、わたしの感性あるいは趣味の問題なので、如何ともしがたいが、なんだか暑苦しい。「アースシー」という語感から想像される爽やかな海辺の風が感じられない。

こういう何気ないシーンが秀逸であると思うがゆえに、余計に合点がいかないのだ。

例えば、「風の谷のナウシカ」の「オームの森」の描写は、実に見事にナウシカの世界観を描き出していた。それは、わたしの感性にしっくりと合っており、反対に、今回の「ゲド戦記」は、そういう意味で、わたしの感性には合わなかったようだ。
著名な日本画家の東山魁夷は、芸術の普遍性について、作品が一般大衆の平均以上に受け容れられること、最大公約数をどうやって創造するかが重要なポイントなのだと語っていた。10人のうち2人とか3人とかしか認めてくれないような作品であれば、芸術としての普遍性がないということだ。
とすれば、観客動員数からすれば大成功の部類に入る「ゲド戦記」は、たまたま「わたしの個人的な好みに合っていないだけ」なのだろう。

☆見所
導入部において、主人公の「アレン」が

父親のエンラッド国王を殺す場面では、

なぜ彼が父王を殺さねばならなかったのか、それが知りたくなった。
そして、竜が共食いをするようになった理由とは一体何なのか、
大賢人たるハイタカ(ゲド)とは何者なのか、

謎めいたストーリー展開に気持ちは逸る。
見所は、間違いなく、その謎を解き明かすところにある。
それなのに、その気持ちをはぐらかすようなその後の展開。
どう言えばいいのか、昂ぶるだけ昂ぶらせておいて、さっとかわされたような、誤魔化されたような気分とでも言っておこうか。
結局、アレンは、自分の「カゲ」・・・自分の心の中に巣食う暗黒面・・・に支配されて、狂気の中で父王を殺害したということらしいが、このへんがすんなりと理解できなかった。父親は、非の打ち所のない人民思いの善政を施す王であったようだし、母親もその立派な国王を補佐する優れた女性のようなのだ。

それなのに、なぜ、そういう父親を殺すに至ったのか、この部分を掘り下げて描いてこそ、原作にはない「父親殺し」を入れた価値が出てくると思う。
「親が子を殺す」あるいは「子が親を殺す」痛ましい事件が続発し、世間を騒がしている今の時代にマッチした設定と思うだけに、このへんの燃焼不足が惜しいと感じてしまった。

☆不覚
めったにないことなのだが、途中で睡魔に襲われ、一瞬、眠ってしまった。自分の落ち度は棚に上げて言わせて貰うと、それは、やはり興味を持ち続けて鑑賞するのには、間が悪い展開であったからのような気がする。

「父親殺しの理由」・・・結局、判らなかった。その代わりに、「クモ」が「アレン」を誘惑するシーンがある。

つまり、「アースシー」における様々な災厄は、全て「クモ」の呪術のせいにしたいようなのだ。そういう前提で物語を最初から観れば、なるほど話は繋がってくる。そうなのか? 本当にそれでいいのか?

「竜の共食いの理由」・・・ほとんど語られていない。永遠の命を求める「クモ」の陰謀なのか。それならば、それらしいおぞましい儀式の描写とかそういったものが欲しかった。冒頭の嵐の海上でのドラゴン同士の戦いは、どういう経緯で起こったものなのか、これが語られないと、ストーリーが繋がらない。

「異常気象や疫病発生の描写」・・・これも上と同じ。悲惨さを描いてこそ、アレンが「魔法の剣」を抜く必然性が増すと思うのだ。

「クモとハイタカの因縁の描写」・・・こういうどろどろとした部分を描くことによって、ファンタジーの世界が俄かに現実世界と繋がってくるのだ。どろどろとした部分とは、つまり我々が住むこの俗世界を象徴する。物語がどこか上滑りなのは、そういう人間性を描くことに労力を注いでいないからなのではないだろうか。

かくて、わたしには、こういう重要な物語の要素どれもが、一呼吸ズレているというか、間を外しているみたいに感じたのだ。

それとは対照的に、妙に主題歌だけが頭に残る。
これは、予告編の時からそうだった。
ヒロイン「テルー」の声を演じる「手嶌葵」

彼女は久しぶりの大型新人だとは思う。
それだけに、彼女だけに依存していては駄目だとも感じてしまう。
もちろん制作側にそんな安易な考えはないと思う。しかし、彼女の澄んだ歌声を繰り返し聴くにつけ、その思いが強くなってきた。彼女を客寄せパンダ的に扱うのは逆効果だ。せっかくの決め台詞も、公開前に飽きてしまった。

そう言えば、テルーは、最初に登場したドラゴンのうち、海に落ちたあのドラゴンが化身したものだったようなのだが、これも「どうしてそうなったの」と首をかしげるばかりである。彼女に絶大な力が秘められており、「クモ」との最終対決には
彼女の力がなくてはならない設定なのであれば、それなりに物語を盛り上げて欲しい。このへんの伏線の張り方が、なんとも間が悪いのだ。本来、極めて感動的であるはずのこのシーンも、今ひとつ盛り上がりに欠けてしまうのも、そのせいだ。

やはりジブリ作品は、大自然を描かせたら右に出る者がいないほどの類稀な描写力を備え、ストーリーテラーと呼ぶに相応しい観客を惹きこむような物語の展開がなければ、眼の肥えてしまったファンは満足しない。


そういうわけで、わたしとしては、あまり楽しめなかった。
こんなことばかり書くと、ジブリ信奉者の方から怒られそうだ。
でも、わたしも、ジブリ作品のDVDはすべて持っているほどのファンなのだ。たぶん期待が大き過ぎたのだと思う。
これは、映画館に観に行く前に集めていたもの。

わたしはコーラが大好きなのだが、このオマケが欲しいばかりにサイダーをしばらくの間、買い続けた。「コーラvsサイダー」なんて、どうでもいいことではあるが・・・・・。

次回作は、従来のジブリ作品に見られた輝きを取り戻して欲しいのものだ。

偉大な父親を超え、新時代を切り開くには並大抵の努力ではかなわないと思う。
何をやっても、それこそ「カゲ」のように、かつての父親の姿が見え隠れすることだろう。わたしは、この作品を通して、ジブリの世代交代の格闘劇を垣間見たような気がしてきた。

DVDが出たら真っ先に買って、今回感じた数々の疑問を解き明かすべく、じっくりと観ることにしたい。


怖いもの観たさで観るもよし、今回は評価を控えます。
したがって、ハートは0個というこで・・・・・・。


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31 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Excalibur)
2006-08-27 12:56:58
この映画を観て、海の中に多くの島々が点在する世界である、

と感じるのはかなり難しいのではないかと思います。

登場人物たちの移動も陸路ばかりですし、そのせいか世界が凄く狭く感じられてしまったのは残念ですね。

実写ドラマ版の『ゲド』も評判悪いですし、原作者激怒の代物ですが(苦笑)、

少なくても”海が中心の世界”という気分だけは味合せてくれます。
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Excaliburさんへ (mina)
2006-08-27 14:30:24
第1作目ですから、細かい点は大目に見るとして、

わたしには、雰囲気が合いませんでしたね。

名作の映像化は難しいのだと思います。
返信する
はじめましてvv (リリコ)
2006-08-27 17:01:40
美しいブログに惹かれて参りましたvv

私の「ゲド戦記」の記事はあまり深くない記事ではありますが、末席に置かせていただきたいとTBさせていただきましたvv



私の友人も、今回の絵はジブリにしては甘いと同じような感想を持っていたので、やはりそうだったんだなあ、と改めて思いました。

それから、新人を強調させただけの映画に見えるのもいけないですよね。

原作が深い分だけ、表面を掬ったようにあっさりと流してしまった感じがしたのですが。



今後の作品にも期待したいと、願っている一人です。
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リリコさまへ (mina)
2006-08-27 17:32:21
こちらこそ、はじめまして。

リリコさまのブログを拝見させていただきました。

歯切れの良いご意見で、読んでいてスッキリしました。

原作者からも批判されているようで、こうなると、次回作は(アニメ化の許可が取れず)制作が難しいかも知れませんね。
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え~?? (猫姫少佐現品限り)
2006-08-27 18:49:01
最初のドラゴンが、テルー??

全然わかりませんでした、、、

いぁ、父殺しという重罪を、あんな簡単にほっぽってしまっては、、、

浅すぎます。
返信する
猫姫さまへ (mina)
2006-08-27 19:34:13
そうですよね、

父親殺しの罪はどうなるんでしょう。

それも、善政を施し、国民に愛されていた国王を殺しちゃったんだから、これはもう死罪は免れないでしょう。吾郎監督も無茶をやってしまいましたね。

物語が破綻しています。

続編制作の許可は取れるのでしょうか。

心配です。

にもかかわらず、観客動員数は、さすがにジブリブランド。かる~く400万人を突破したとのこと。

大ヒットじゃないですか。

凄いなぁ。
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エキサイトのt2minaです (t2mina)
2006-08-27 19:35:40
こんばんは。エクスカリバーさんの所によくいらっしゃるんですね、それでうちにも。そうもありがとうございます。ゲドのことこんなに詳しく書いて下さっているので、私にわかる所を少しばかり書き込ませてくださいね^^。

まず、私短い感想をTBしました。

ゲドは今や6巻もあるんですよね。3巻で終りかと思いきや4巻がかなり遅れて出て、その後追加の2巻。ハリーポッターになぞった、とか、ファンタジーブームにあやかろうとした、とか言う人もいます。

でもね、あの時代にアメリカでイギリス物に劣らない少し違った視点でファンタジーを書いたのはル・グィンが始めてだと思うんです。
返信する
長いので分けました (t2mina)
2006-08-27 19:45:28
それなのに、今回の映画はあまりにもお話を割愛しすぎているし、改変もしているのに同じ名前を着けているんですよ。心理学的にもよく取り上げられるのですが、1巻は自分の影の投影と引き戻し、2巻は女性の対象喪失、3巻では老年期、そして4巻ではジェンダー議論を巻き起こしたといったボリュームのある作品なんです。映画にあるような父親殺しは3巻にはないし、アレンは主人公ではありません。それから、絵はやっぱり明るすぎるんです、特に色使いが。原作の白黒のがっしりした版画のイメージと違うんです。色んな事が本質と離れているようで、私としてはアニメの題名を変えて欲しい、と思ってしまいました。

もし、時間があれば、1巻だけでも読んでみてくださいね。長くてほんと、ごめんなさい。ぺこり。
返信する
度々で失礼します。 (Excalibur)
2006-08-27 20:29:00
例えば『ロード・オブ・ザ・リング』や『ナルニア国物語』ならば、小説を読んで映画を観て「ああ、あそこはこうなったんだな」という楽しみも出来ますし、逆に映画を観てから小説を読んで「実はそうなっていたのか」という発見もあるかと思いますが、この作品に関しては全くの別物ですからねぇ。

興味がおありならば是非とも原作に当たっていただくことを、私もお勧めします。
返信する
もうひとりのminaさまへ (mina)
2006-08-27 20:57:22
原作がそんなに大長編とは知りませんでした。

要するに、消化不良を起こしたのですね。

そして、若い監督は頑張り過ぎた。

そういうことならば、今回の作品がこんなふうになってしまったのが、よく理解できます。

結局、脚本が悪かったのでしょう。

何もかも突っ込み過ぎたんですよ、多分。

欲張り過ぎとも言えるでしょう。

次回があるのなら、次回作に期待ということで・・・・・・。
返信する

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