mimi-fuku通信

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『幸福とは何か?不幸とは何か?』:幸せの定義(2011年3月27日記)

2011-03-27 22:50:00 | 文芸・思想・書物


 人から、
 “幸せとはなんですか?”と聞かれる時に、
 私はいつも1つの答えを用意している。

 『幸福(幸せ)の定義』は、
 “考えていたいこと”を考えていられる状態を保つこと。
 
であり、
 『不幸(不幸せ)の定義』は、
 
“考えたくないこと”を考えなければならない状態(現実)。
 である。


 【幸せについて】

 我国で最も信頼が高いとされる、
 語学辞典:広辞苑(岩波書店)には、

 *幸福=満ち足りた状態にあって幸せだと感じること。
 *不幸=幸福でないこと、不幸せ、不運。
 また、
 *幸せ=幸福、幸い、運が向くこと。
 と記載されており、
 まるで“禅問答”のようだ。

 誰もが“幸せになりたい”と願いながら、
 幸せとは何かについての明確な答えを持たない事実は、
 幸せとは(個人個人の)感覚(感情)的な問題と捉えるからだ。
 
 幸せとは心の中の感じ方であって個々に感じる事が違う限り、
 幸せを定義する事は難しく殆どの辞書・事典では、
 幸せ(=幸福)について曖昧な表現に留めることは承知の通りだ。

 では“幸福”を仮に、
 “考えていたい事を考えていられる状態”
 と定義すればどうだろう。
 それは、
 個人の感覚的な問題ではなく、
 “人の脳の働き”の問題となる。

 また幸福を定義する上で必要な、
 不幸(=幸福の対義語として)を、
 “考えたくない事を考えなければならない状態”
 と定義すればそれもまた、
 個人の感覚的な問題ではなく、
 人の脳の働きの問題となる。

 人の心(=経験・環境・教育等で築かれた感情)は、
 多種多様であるが脳の働きは基本的には個々に変化はない。
 幸せを定義する上で必要な基本的な脳の働き。
 ~ソフトとしての感情に対するハードとしての脳が持つ機能。

 書き手(私)が文書を進める上で、
 読み手はこの事実(脳の働きの視点で捉える幸福の定義)
を、
 あなたの心(=脳の中の記憶)に留めて欲しい。


 【嬉しい気持ち】

 昭和の名人と言われる、
 落語界の巨人:古今亭志ん生さんの話で、

 「露天の店先で、
 支払いをしようと手に持っていた1万円札が、
 突然の風に吹かれて飛んでしまった。
 一生懸命探すが見つからない。
 探しながら、
 “1万円あればあれも買える、これも買える。”
 と頭に描きながら、
 更に探すがどこにも見つからない。
 仕方なく(覚悟を決めて)、
 1万円を失った事実を受け入れようとしたその時に、
 ふと目の前の“自分が乗ってきた自転車”のカゴの中に、
 探していた1万札を見つけたとき、
 人は“心から嬉しい”と感じる。」

 話の内容は、
 理解しやすいよう現代風に改良したが、
 志ん生さんが語る“嬉しさの意味”は深い。

 つまり、
 ある程度のレベルの生活(標準的な先進国の生活)は、
 心の動き(=脳の働き)は一定の状態が保たれており、
 平素の生活で“嬉しい”と感じることは少ない。

 しかし突発的に、
 自分が思ってもいない不幸(=考えたくない事実)に襲われたときに、
 その不幸(=考えたくない未来)が解決に導かれた時の心理こそが、
 “嬉しいと感じる瞬間”なのだろう。

 平素私達の多くは幸福(=安定)な環境の中で生きながらも、
 幸福である事に気づかないことが多い理由はそのためだ。

 戦時の中で生き抜いた古今亭志ん生さんの時代。

 “嬉しい”と言う感情は日常(=平和な状態)と、
 非常時(=災害や戦争状態)では大きく異なる。

 “嬉しい”と言う気持ちを、
 欲っしている人達と立場と、
 与える事のできる人達の立場。

 2011年3月27日。

 “嬉しいの言葉の意味”
 
を多くの方々が、
 思い悩んでいるだろう。


 【不幸の回避】

 幸福の定義を、
 “考えていたいことを考えていられる状態”
 だと仮定して
 “考えていたい事を持続(保持)”
 するためには何が必要か?

 人は、
 *病気にもなれば、
 *事故にも遭遇する。
 それは、
 偶発的な出来事の場合もあれば、
 自己責任の生ずる場合もある。

 考えていたい状態(=幸福な日常)が仮に“食べたい”と言う感情から、
 暴飲暴食の状態が続けば必ずいつかは内臓に障害をきたす。
 ~深刻な病気になれば生涯に渡って食事制限が課せられる。
 
 考えていたい状態が仮に“贅沢な暮らしがしたい”と言った感情から、
 見分不相応な生活が続けば近い将来に暮らしは必ず破綻する。
 ~不要な負債を繰り貸せば必ず将来“考えたくない事”を迫られる。

 考えていたいこと(=安定した生活)を持続するためには、
 計画的な生活と自らへの自制心が必要となり、
 そのためには、
 考えたくない事(=不幸)を先に見通し(=未来予測)、
 自身の生活環境のバランスを保たなければならない。
 ~それは個人も企業も国家も同じシナリオを持つ。

 不幸を回避する最善の方法は、
 自分や家族にとっての不幸な未来予測を推測し、
 回避するための準備(抑制)や知識の収得。

 幸福の定義が仮に、
 “考えていたいことを考えていられる状態”
 だとして、
 “考えていたい事(=幸福)”
 を持続するためには、
 自分自身をコントロールできる能力を身に付ける。 
 不幸の回避は、
 それに尽きるのだろう。

 
 【突発的な不幸】

 人は時に無情を感じる事が多い。
 2011年3月11日。
 東日本を襲った巨大地震
は、
 多くの人々の“考える能力”を永久に奪い去った。
 
 今を生きる者にとって、
 不幸であると感じるのが脳の仕組みなら、
 幸福だと感じるのも脳の仕組みによる所が大きい。

 亡くなった人の不幸は如何なるものか?
 その問題を解決するために宗教は、
 人々(=残された)に必要とされ続けた。
 ~特に念仏とお題目は鎌倉期から大衆に指示される。

 残された者の不幸とは何か?
 それは、
 *第1にすべてを失った喪失(焦燥)感であり、
 *第2に見通すことができない未来への不安。

 人類は、
 安心の中に生きる知恵として、
 衣・食・住に改良を重ね、
 人々が安心して毎日を過ごすために、
 医療の進化や環境の整備を整えてきた。

 しかし自然は時として、
 余りに多くの安心を一瞬にして奪い去る。
 *同時に日々の自然からの恵への感謝。
 
 災害時の衝撃的経験は幸福や不幸も通り越し、
 人の考える能力を一時的に停止させる事もある。
 
 しかし人(=人間)は、
 必ず何かを考えなければ生きてはいけない。
 
 多くの人達が、
 幸福である事に気付かなかった3・11以前と、
 多くの人達が、
 幸福とは何かを真剣に考え出した3・11以後。

 幸福は決して、
 一人では実現(達成)できない。

 個人個人が幸福を持続するために、
 自分自身をコントロールできる能力
 が必要なように、
 社会の幸福を持続するためには、
 社会全体が個人個人の役割に気付き、
 社会の一員として、
 一人ひとりがコントロールできる能力。

 それが何であるかを掴み取れば、
 残された人間は、
 どんな不幸をも乗り越えることができる。 
 ~社会の幸福なしに個人の幸福はありえない。

 皆が“考えていたい事”を、
 個々に考える事のできる社会。
 我国で実現できない理由はない。


 【補足:不幸の最大値】

 仮に、
 *幸福(幸せ)の定義=考えていたいことを考えていられる状態を保つこと。
 *不幸(不幸せ)の定義=考えたくないことを考えなければならない状態。
 だとすれば、
 *最大の不幸=考えることを許されない状態。
 ではないかと感じる。

 独裁国家、(極度な)主従関係、拉致・監禁、拘束、束縛。
 などの理由で、
 個人の自由や権利が侵された状態が“最大の不幸”と考える。
 ただし、
 何らかの依存症(薬物等)に対する一定期間の自由の拘束や制限は、
 その限りではないと感じる。
 また、
 他人の権利を法的に侵した罪人に対する自由の拘束や制限も、
 (法に基づく拘束=収監)その限りではない。

 個人個人が自由に考え自由に感じる事のできる社会環境。
 *幸福(幸せ)の定義=考えていたいことを考えていられる状態。
 が可能な社会こそが“幸福な社会”と私は定義付けたい。


 追記

 今日初めて知った事だが、
 
3月27日は“さくらの日”なのだそうだ。
 ~自家用車に備付けのナビゲーションが教えてくれた。

 桜の開花の早い年なら、
 3月27日頃(今日)には上野公園~不忍池周辺の桜が満開になり、
 4月3日には京都周辺のソメイヨシノが満開の花を咲かせ、
 4月10日すぎには大阪造幣局の花見に多くの人出で賑わう。

 それが今年はどうだろう?
 私の地元では今朝も雪化粧。
 桜の蕾(つぼみ)もまだまだ固い。
 
 巨大地震により壊滅的な被害を受けた被災地。
 燃料が少ない中での極寒の3月。
 自然の与える試練はあまりに厳しく惨い。
 しかし明後日(29日)以降は、
 平年並みの暖かい日が予想され、
 桜前線も徐々に北上していく事だろう。

 季節の春が必ず来るように、
 “被災者の方々の心に幸福感が芽生えますように”
 と、
 無力な自分は祈るしかできない。

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1 コメント

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ブログ拝見しました。 (伊藤 友貴)
2016-11-02 03:33:25
非常に感慨深い内容で考えさせられました。

しかし、わからない箇所がありましたのでコメント残させていただきます。
みみふく様は「幸福(不幸)とは人の感覚(感情)ではなく脳の働き」だと仰っておりますが、感情=脳の働きではないのでしょうか。

それともうひとつ。
「"考えたいこと"を考えていられる状態」とは、周りの環境に左右(影響)される。と言うことでしょうか。
もしそうならば外界の刺激により感情が揺らぐと思います。
以上の事から、感情と脳の働きは同じと解釈するべきではないのでしょうか。
お返事待っております。
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