2011年3月27日。
午前中に金沢香林坊の百貨店で開催されている、
親鸞聖人750回忌『親鸞展』に行ってきた。
展示品には複製品やデジタル・グラフィックなど、
パネル構成も多いものの心(=脳の働き)は、
一時(いっとき)でも“今ある困難”とは、
別の世界に引き込んでくれた。
余談ではあるが現在京都市内では、
*法然上人800回忌を京都国立博物館で、
*親鸞聖人750回忌を京都市美術館で、
開催中。
話題を変えよう。
お昼のNHKニュースのトップは、
相変わらず福島原発の事故問題。
これまでの数値とは異なり、
深刻な数値に驚きを覚えたものの、
その数値(水)の容量や空気中への影響など、
重要な項目には触れずに、
相変わらずのメカニズムの話。
それ(専門的な化学の話)を、
一般市民にニュースとして流す事で、
何かの解決策が見つかるのであれば良いが、
専門家ですら把握できない問題に多くの時間をかける、
放送方針がどうしても私には理解できない。
また、
原発内部の深刻な数値(状態ではなく)を、
大きく世間に報道する事で、
内部で働いている人達の動揺が、
“士気(=仕事への前向きな姿勢)にかかわる”ことや、
働く人達の家族の心情(=不安)を加味すると、
あなた方(放送局各位)のしている事(優先順位)は、
間違っているのではないか?
人の心の細部までを推測し報道を行っているか?
それよりも、
市民の力で解決できる可能性の高い被災地の様子や、
それぞれの避難所で見ることができる新しい取り組みや、
被災者を受け入れてくださった各自治体と被災者の交流。、
其々の避難場所での被災者の表情や今後の課題。
できることなら、
“被災地区の現状を優先”して報道して欲しい。
~それは安全な地から報道を見る私の偏見なのか?
私達が解決できない問題に報道時間をさくより、
私達が解決できるかも知れない話題を優先に!
~原発問題の報道が最大必須事項に依存はないが。
毎朝日課の朝刊(3部)の購入。
石川県で販売された朝日新聞朝刊一面トップ。
“集団疎開、住民に溝”
の見出しは心を痛めた。
これも私の偏見なのかも知れないが、
“疎開”の言葉は、
高齢被災者の方々には戦時を思い出し、
特に空襲の可能性の高い都市から田舎へと、
疎開した子供達が移動先では惨めな思いをしたと、
地元の人から人伝えに聞いたことがある。
また一部の人達の間には、
被災者を難民と捉える向きもあるようで心を痛める。
*疎開ではなく集団移動 or 移動&県外避難など。
~集団移転と文字にする場合は被災者が地元に帰れない場合。
*難民(避難民)ではなく被災者。
言葉の選択を誤ると要らぬ差別を生み出す事もある。
言葉の選択に誤りはないか皆で確認して欲しい。
~これも私が耳にした疎開のイメージの偏見なのか?
気付いた事を少しだけ。
店頭に並んでいる、生鮮食品は少しだけ…。
今日、八戸の沿岸部をみてきました。岩手の沿岸部に比べれば、まだ被害は小さいようです。しかし、未だ避難所生活している方もいます。
ボランティアの方に少し話も聞きました。「今日は仕事休みだから片付けけの手伝いにきてる。平日は仕事してるから、休みの日にきてる。」
災害ボランティアの募集している所からきてる訳ではなく、勝手にきて、地元の人に聞いて、手伝いが要る場所に行くそうです。
募集している所からだと、派遣先が決まるまで時間がかかったりしてるから、登録しないみたいです。
被災者住民の受け入れでは、他県からの受け入れ募集が沢山きています。しかし、被災者の方々は拒否しているみたい。「生まれ育った土地から離れたくない。」これが大半の意見。今被災者の方に必要なのは…全部。
食品、医薬品、服(大人、子供、赤ちゃん用)ガソリンなどの燃料。なんと要っても、仮設住宅。仮設住宅を建てるにしても、場所が無いです。行政の苦悩も、まだまだ大きくなって行く事でしょう…
被災者の安心や、希望は…。
お帰りなさい。
お父さんの具合はどうですか?
暫くはゆっくり家族のことだけ考えて、
落ち着いたら自分が感じるままに全力疾走。
また八戸の様子などをご連絡ください。
色々な情報。
本当にありがとうございました。
お互い頑張って行きましょう。