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mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

映画『カラマーゾフの兄弟(1968・ソ連)』:NHK-BSPで3日連続放送。

2013-02-25 19:44:00 | 映画・芝居・落語

映画:『カラマーゾフの兄弟:第1部』
~2012年6月18日(月)午後1:00~2:22(BS-P)
~2013年2月26日(火)午前2:50~4:12(BS-P)

映画:『カラマーゾフの兄弟:第2部』
~2012年6月19日(火)午後1:00~2:13(BS-P)
~2013年2月27日(水)午前2:30~3:43(BS-P)

映画:『カラマーゾフの兄弟:第3部』
~2012年6月20日(水)午後1:00~2:16(BS-P)
~2013年2月28日(木)午前2:00~3:16(BS-P)

トルストイの大河小説:『戦争と平和』
と並ぶ称されロシア文学の最高峰に位置する、
ドストエフスキーの長編小説:『カラマーゾフの兄弟』

私がこの小説を読んだのは20歳になるかならないか。
理由としての今東光さんの『極道辻説法』で、
「死ぬ前にあんな小説を一度は書いてみたいが俺には無理だ」。
の印象の文書に興味をひかれたのが最大の理由だろう。
今さんにとっての最高の文学作品こそ、
『カラマーゾフの兄弟』だった。

小説の読み方には様々なアプローチもあろうが、
当時の私の興味は思想的時代背景を読み解くことが目的で、
情景描写や生活空間などのイメージ(想像)は二の次だった。

映画:『カラマーゾフの兄弟』
1968年のソビエト(現ロシア)映画で監督の急死もありながら、
主役のミハイル・ウリヤノフが完成させた逸話を持つ長編作品。
この映画は、
以前にBS2で放送されたものを録画保存してあるが、
映画本編は傑作と言える映画ではないように思う。

しかし何よりのこの映画の最大の価値は、
小説:『カラマーゾフの兄弟』の時代のロシアにおける、
情景描写や市民の生活が目の前の現実(映像記録)にあること。
もしも、
ドストエフスキーが持つ“特異な精神性”を学びたければ小説を読めばいいが、
簡略化されたストーリーと時代描写(暮らし)に興味を持つ方は是非観て欲しい。
特に、
長大な『カラマーゾフの兄弟』の読書に挫折した方は、
この映画を鑑賞して〝もう一度〟トライして欲しい。
*物語のイメージを掴めば読書も容易に思う。

この映画の価値はストーリーよりも映像表現。
「読んでから見るか、観てから読むか」。
と角川のコピーを文字にするも、
私のお薦め本は新潮社発行の3冊。
*実際に私が読んだ翻訳で今も所持。

死ぬまでに必ず読んで欲しい作品だ。

<蛇足>
もしもあなたが、
『カラマーゾフの兄弟』に興味を持つなら、
先ず、
『新約聖書』(4つの福音書を読み、
次に、
『カラマーゾフの兄弟』(プロとコントラ)を読み、
最後に、
『ツァラトゥストラはかく語りき』(第1部)
を併せて読んで欲しい。
*長編だが( )内の項目だけは必読。


3冊の読書を制覇すれば、
時代の中で人々が求め続けた、
精神的支柱のヒントを見つける。
*1冊だけでは偏った支柱に過ぎない。

カラマーゾフの兄弟〈上巻〉
 (新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社
カラマーゾフの兄弟〈中巻〉
(新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社
カラマーゾフの兄弟〈下巻〉
 (新潮文庫)
ドストエフスキー
新潮社

~以下NHK-HPより記事転載。

プレミアムシネマ
「カラマーゾフの兄弟:第1部」
1968年・ソ連( BRATYA KARAMAZOVY)
ロシアを代表する文豪ドストエフスキー最後の長編小説を映画化。
父親殺しという罪が生まれた背景に渦巻く親子・兄弟間の憎愛や葛藤を重厚に描いた文芸大作。
カテリーナという婚約者がいながら父と同じ女性にうつつを抜かす長男ミーチャ。
ひとりの女性をめぐり激しく対立する粗暴な長男と強欲な父の間でとまどう信仰心の深い三男アリョーシャ。
そしてカテリーナをひそかに愛していた次男イワンは彼女への愛に決別する。

*****

「カラマーゾフの兄弟:第2部」
1968年・ソ連(BRATYA KARAMAZOVY)
19世紀ロシアを代表する文豪ドストエフスキーの遺作にして最高傑作とも言われる長編小説を映画化。
カラマーゾフ家の料理人、スメルジャコフによる悪しき入れ知恵からモスクワへと旅立った次男イワン。
一方、グルーシェニカに激しい執念を燃やす長男ミーチャは父フョードルのもとに彼女がいると思い込み嵐の晩父のもとへ。
その後、血だらけの手でグルーシェニカのもとへたどり着くが…。

*****

「カラマーゾフの兄弟:第3部」
1968年・ソ連(BRATYA KARAMAZOVY)
父フョードル殺害の容疑をかけられた長男ミーチャは無実を主張するがそのまま拘置所へと連行される。
病に伏せったスメルジャコフは彼がカラマーゾフの血を分けた兄弟だとイワンに告白後、急死。
裁判に出廷するはずだったスメルジャコフの代わりにイワンが衝撃の証言をする。
撮影中に亡くなったプイリエフ監督の志を継ぎ主演のミハイル・ウリヤーノフらが作品を完成させモスクワ映画祭金賞を受賞した。

〔監督・脚本〕イワン・プイリエフ
〔原作〕ドストエフスキー
〔撮影〕セルゲイ・ウロンスキー
〔音楽〕イサク・シュワルツ
〔出演〕ミハイル・ウリヤーノフ、キリール・ラヴロフ、アンドレイ・ミヤフコフ ほか
〔露語〕字幕スーパー/カラー/レターボックス・サイズ

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【今日は1日TV三昧】:映画・黒部の太陽(=男達の時代)を観た。

2012-03-18 23:55:55 | 映画・芝居・落語

2012年3月18日(日曜日)。
雨の日曜日は1日のテーマもなくTV三昧。

午後1時半から映画:『黒部の太陽』(録画)

午後4時頃から『TGC2012ss』(録画)
午後6時から茶の間で映画:『踊る大捜査線3』(放送)
を途中まで観て、
午後9時から自室で『N響アワー』(放送)
*N響アワーは3月25日の放送が最終回。

午後10時から『洋楽主義:ローリング・ストーンズ』(録画)
を観た。

何と言っても私の最注目は、
幻の大作:『黒部の太陽』

黒部ダム(富山県)建設に至るトンネル工事の物語。
*別名黒四ダムで親しまれるダムには何度か行っている。

映画:『黒部の太陽』
について少し文字にすれば、

1963年に完成した黒部ダムと1968年に完成した映画本編。
三船プロと石原プロの共同制作は巨額な資金を要した。
この作品は過去にTVでは一度も放送されたことがなく、
ビデオ・DVDで販売された実績もない幻の映画として知られる。

この映画を知ったのは20代の頃に仕事先で知り合った、
戦後から発破土(技士)をされていた大正生まれの方が、
日本全国のダムを渡り歩いた体験談の中で出てきた映画。
*その方の博学(読書家)は今も思い出に残る。

戦後間もない頃は一度山に入ると下山する術がなく、
大量の本を持って山に入り暇をみては飯場で読んだそうだ。
その方からは戦争の実体験も多く聞かせていただいた。

「観たい、観たい。」
と思いながら30年近い月日が経ち、

完全版ではないもののようやく観ることができた。
と言っても2009年には、
フジテレビでは香取慎吾さん主演でリメイク。

あらすじについても大筋は知っていたので、
初めて見る映画の感じはしなかった。
*実際に作品を鑑賞して感じた大きな違いは、
辰巳柳太郎さんの直線的で灰汁の強い演技など、
現代の役者では表現しきれない多くの演技表現に脱帽。
時代の中でこそ成立する演技に思い知らされた。

*****

東日本大震災から約1年の月日が過ぎた、
2012年3月17日午後8時。
映画『黒部の太陽』は公開から44年の月日を経て、
初めて電波にのってお茶の間に届けられた。

この作品に“思う所・学ぶ所”はあまりに多く、

男の時代の映画として強く印象に残った。

1956年(昭和31年)~63年(同38年)の労働事情。
 *労働で死ぬことが当たり前の時代。
 *労働で死ぬことは仕方のない時代。
 *労働で死なない工夫を試みた時代。
 *労働で死ぬことは許されない時代。

時代を紐解けば、
 *死ぬことが当然の時代(戦火の時代)。
 は昭和16~昭和20年。
 *死ぬことは仕方ない時代(戦後の貧困期)。
 は昭和20~昭和30年頃。 
 *死なない工夫の時代(労働環境の整備)。
 は昭和30年頃~昭和45年頃。
 *死ぬことは許されない時代(高度成長~安定成長)。
 は昭和45年(1970年代)以後。
私の労働イメージはそんな感じだ。

黒四ダム建設の時代を生きた人々。
*その方々の多くは現在もご健勝だ。

映画を観ながら、
“男達の生きた時代”は危険と隣り合わせの時代だった。
現代のような情報(通信)も機械(先端技術)もない時代のトンネル工事。
当時はトンネルを掘ること(=多くが炭鉱労働)や海に出ること(=漁師)は、
命がけの覚悟と強靭な体力が必要で女性が立ち入る場ではなかった。
*余談だがトンネル工事の貫通石の破片は保存ケースに詰められ、
安産のお守りとして関係者に配られることも多く私も1つ所持している。

少なくとも、
昭和30年頃までの若い女性は子供を産むことを要求され、

代わりに危険な労働からは守られる存在(母体)であるものの、
家庭内での暴力(DV)も絶えない時代であったとも聞いている。
『黒部の太陽』はそんな時代(=らしさの要求)の映画だ。

*****

【映画を観ながら21世紀(現代)の日本と比較】

電力の供給のために水力(ダム発電)で火力を補う。

そのためのダム工事の準備(電力確保)が進められた。
*脳裏を過る原発(発電)の意義と目的の共通点とリスク差。
*ダムが持つ治水(洪水調整&必要水の確保)効果。

映画を観ながら、
雪融期、雨期、夏、安定期、厳冬期
の地下水の流入とトンネル工事の工期。
*新潟県で起きている融雪と地滑りの比較。

私の地元地域である小松製作所のブルの活躍を見て、
インフラ整備全盛の当時とインフラ目標を喪失した現代日本。
*新興国に見る大きな開発目標と成長(=豊かさの渇望)

時代劇と言えば武士の時代のように認識するが、
『黒部の太陽』の時代に見る日本の姿(=成長期)は、
21世紀を生きる若者には時代劇と映るのだろうか?

『黒部の太陽』の時代が、
良い時代なのか悪い時代なのかの判断はつかない。
ただ1960年代生まれの私に言えることは、
絶望の戦後から10年ほどしか経っていない昭和31年に、
電力を求めて未曽有の難工事に挑んだ男たちの逞しさ。

日本再建にかけた男達の物語。

1970年の万国博覧会の2年前。
昭和43年に完成したカラー映像。
日本の戦後史を知る上で、
重要な記録として残された貴重な記録。

*私はこの映画をそんな目で観た。

完全版の放送が望まれるものの、
近日中の完全版の映画公開と、
2013年にはソフト販売の噂。

*『黒部の太陽(ノーカット版)』上映時間:3時間15分。
 ~2012年3月23~24日:東京国際フォーラムホールC
 チケットは既に完売の模様も全国展開の予定あり。

幻の映像が“安売りされる理由”は何処にもない。

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ジュリエッタ・マシーナ主演/映画『魂のジュリエッタ』をNHK-BSで観る。

2012-01-21 19:08:00 | 映画・芝居・落語

 NHK-BS放送では時に珍しい名作映画や、
 思いがけない贅沢な映画特集を放送することがある。
 *過去BS2でエイゼンシュテイン全集も放送された。

 ~2012年01月23日:午後1時~3時15分。
 NHK-BSプレミアムで放送予定の、
 イタリア映画の名匠であるばかりでなく、
 映画史でも指折りの巨匠として知られる、
 フェデリコ・フェリーニ監督作品
 映画:『魂のジュリエッタ』
 は、
 知る人ぞ知る傑作映画である。
 過去にも数度放送されている。

 映画:『甘い生活』以後、
 どんどん難解になっていく
フェリーニ作品。
 鑑賞者にとって、
 難解の頂点(?)に位置する名作映画、
 映画:『8 1/2(はっか にぶんのいち)

 
その女性版として認知され、
 難解度でも『8 1/2』と双璧の
 映画:『魂のジュリエッタ』
 
の主演はフェリー二監督の愛妻である、
 名女優:ジュリエッタ・マシーナ(1920-1994)

 フェリーニ監督の最高人気作品である
 映画『道(La Strada)』
 で、
 
ジェルソミーナ役を演じた名女優こそ、
 ジュリエッタ・マシーナだと文字にすれば、
 映画ファンなら知らぬ者はいないだろう。
 
 マシーナは、
 ポローニャ近郊の大学教授の娘として生まれ、
 ローマ大学の文学部に進学した才女でもある。

 その彼女が演じる頭の弱い娘:ジェルソミーナ。
 『道』の主人公:ジェルソミーナの演技(内面表現)は、
 それまでの総べての映画作品の中でも白眉とされ、
 多くの女優達の目標・指標とされた名演技だった。

 私は
 『道 (1954) 』
 『カビリアの夜(1957) 』
 『魂のジュリエッタ(1965)』
 『ジンジャーとフレッド(1985)』
 の4作のマシーナ主演作品を、
 過去に鑑賞(放送録画)しており、
 何れの作品も、
 目の離せない名演技に感嘆するばかり。
 *『カビリアの夜』は『道』に通ずる不朽の名作。
 『ジンジャーとフレッド』ではフェリーニ監督の懐刀、
 マルチェロ・マストロヤンニとの初共演。
 マシーナとマストロヤンニは大学時代の演劇仲間。

 4作品の内、
 『道』は何度も何度もTV(地上波含む)で放送され、
 廉価盤DVDも再販を繰り返し映像入手は簡単。
 また、
 2011年1月4日にNHK-BShiで放送された、
 『パッチギ』の井筒和幸監督のルーツを知る番組、
 
『チネチッタの魂:イタリア映画75年の軌跡』
 でも最も印象強く採り上げられていた名作中の名作。
 *映画『道』は2012年1月24日に放送予定(同時刻)。
 『魂のジュリエッタ』の翌日の放送なので是非お薦め。

 話を戻そう。
 映画『魂のジュリエッタ』は、
 フェリーニ監督の初カラー作品。

 注:オムニパス形式の映画:『ボッカチオ70』(1962)では、
 “誘惑”をカラー映像で撮影しているが単独作品んで初。

 フェリーニ監督の妻であるジュリエッタ・マシーナが演じる主人公:ジュリエッタ。
 この作品を創作したフェリーニの深層心理と主役:ジュリエッタの位置付け。
 実際の夫婦が共同作業で訴えかける妻(女)の葛藤と監督自身の自己分析。
 *伝統的な貞節やキリスト教(カトリック)的なモラルからの解放が深層テーマ?

 この映画を観る時、
 美しい天然色映像(色彩表現)と、
 ニーノ・ロータの多彩な音楽は、
 芸術(美術)作品を見る感覚が必要で、
 ストーリーだけに焦点に追うべきでない。
 逆に、
 時として出演者達が語るセリフを、
 ストーリーと絡めるのではなく、
 “独立した箴言”の如く捉えたほうが、
 鑑賞者の魂に訴えかけてくると感じる。
 でないと、
 『8 1/2』に通じる抽象表現(脈絡の見えない映像・筋書き)に、
 多くの鑑賞者は辟易し最後まで観る事が困難となるだろう。
 *ストーリーの意味付けは鑑賞後に各自が創作(想像)すれば良い。
 答えを出す必要は無いがユング的な夢とフロイト的幼児体験がヒントとされ、
 さらに、
 監督の教会(&信仰)不信と教会批判を許さないイタリア庶民の国民的体質。
 当時の時代背景やイタリア人の国民感情を考慮に映画を鑑賞すべきで、
 
『8 1/2』と『魂のジュリエッタ』の双子映画は安っぽいオカルト映画ではない。

 蛇足ながら、
 
ニーノ・ロータは音楽は切なく美しい。
 バンクーバー五輪ブロンズ・メダリストの高橋大輔選手が、
 フリー演技で使用したのが映画『道』のテーマであることは、
 あまりにも有名だ。
 
 フェリーニが愛した日常とフェリーニが訴える深層世界。
 映画の世界を変えた名匠・フェリーニ芸術(対比)を、
 是非ご堪能ください。
 


 『魂のジュリエッタ』:私の謎解きと感想。
 *映画鑑賞後にお読みください。

 ストーリーは比較的単純で幸せと感じるもマンネリの夫婦生活の中、
 夫への疑惑が現実的な不倫として明らかとなり葛藤の中で意を決し、
 浮気相手の家に乗り込むも会う事ができず夫は“はぐらかす”ばかり。
 *夫の収入で生計が成り立つ専業主婦ジュリエッタの立場を考慮して鑑賞。
 
 それ以外のストーリーは、
 オムニバスのように付随されたジュリエッタの深層の映像化。
 フェリーニは『8 1/2』で、
 映像では表現不可能なものを表現したい葛藤
 
を即興的制作過程で具現化した。
 ここで指す、
 表現できない映像とは幻覚や超常現象ではなく、
 個人の過去の経験や記憶(=深層・環境順応)。
 深層と言っても心理だけではなく無意識も含める。

 記憶は言葉や教育だけではなく、
 過去の体験や育った環境や育った時代等、
 個人・個人によって大きく異なる。
 さらに、
 人間が持つ進化の過程での記憶(本能)や、
 言葉にできない幼児体験やトラウマ。

 鑑賞者が映画(映像)をストーリー仕立てに観ると、
 〝ジュリエッタが心痛からノイローゼにかかった心の病〟
 のように感じるかもしれないが、
 映像は、
 ジュリエッタの過去の記憶や、
 生きる上で得る情報(洗脳)の具体化であり、
 ひとつの決断(自分なりの答え)に、
 辿り着くプロセスに至る個人の判断基準としての、
 受けた教育や観念や道徳(=集団交流・団体行動)。
 さらに決断の決定権を持つ、
 無意識(社会通念・狭義な常識・環境把握)の記憶。

 そのように映画を観ていくと
 幼児ジュリエッタの炎の中の誓い(=教会との契約)。
 ~この契約は過激教徒の自爆テロ心理のヒントにも成り得る。
 火刑台から救い出す祖父の存在(無神論者=マルキストの象徴化?)。
 *唯心論と唯物論の狭間に答えを求めた20世紀の社会。

 ラストシーン。
 幻覚(これまでの価値観)に助けを乞うジュリエッタ。
 しかし母(時代的観念の象徴?)の道徳観を自らが拒否し、
 幼児ジュリエッタ(過去の自分の根源)を束縛から解放し、
 祖父は“現実を生きろ”の言葉を残しジュリエッタを突き放す。
 *過去ばかりでなく様々な誘惑(=新しい価値観?)も振り払う。
 最後に、
 ジュリエッタに話しかける本当の友達。
 *自分自身なのか伝統的価値観なのか?

 ラストの微笑みは“独立心の目覚め”と捉えれば、
 古い価値観からの精神的解放と読み解くこともできる。
 しかし、
 これはあくまでも私個人の見方(感想)であって、
 決して正しい理由(わけ)ではないし、
 決して正しい必要もない。
 *それぞれの現実(=個人の正義)があってよい。

 では、
 “あなたはどのように感じましたか?”
 色々な人の意見・見方を聞いてみたい。

魂のジュリエッタ
[DVD]
1965年作品
(昭和40年)

 さらに、
 映画作品を理解するためには、
 前後の監督作品を鑑賞し、
 作品に至る流れを捉える必要がある。
 *如何なる場合も点の視点は思考を狭くする。

 下記に私が視聴した、
 ジュリエッタ・マシーナ主演映画を紹介。
 *他に『岸(1955)』があるが私は未視聴。

 年代別の4作品(5作品)を鑑賞することで、
 フェリーニ監督の語り口の変化や、
 マシーナの変幻自在の演技表現を堪能。
 *無垢な少女・娼婦・上流階級婦人・芸人。

 映画が社会に強く影響を与えた時代。
 日本を代表する、
 巨人:黒澤明監督もこの時代を生き、
 数々の心に残る傑作を世に残した。

 戦中・戦後の欧州の映画語法。
 また、
 敗戦国(イタリア・ドイツ・日本)で製作された、
 貧弱な機材によるペナルティと強い語り口。
 
 ジュリエッタ・マシーナが映像を残した時代。
 昭和27年~昭和60年に制作された、
 主演作4本の時代表現(+機材の変化)。

 そんな見方ができれば、
 映画鑑賞の楽しさも倍増。

 でも、
 難しく考えず、
 先ず、
 絵(映像)を楽しもう。

 『魂のジュリェッタ』は、
 そんな映画だ。

[DVD]
1954年作品
(昭和29年)

 *参考価格:1204円

カビリアの夜 [DVD]
1957年作品
(昭和32年)

 *参考価格:3636円

ジンジャーとフレッド
[DVD]
1985年作品
(昭和60年)

 *参考価格:2800円

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“横澤彪氏の笑い”&“立川談志さんの落語”を語る(枕は積雪の話)。

2011-01-28 00:00:00 | 映画・芝居・落語

 今日の日中は少しだけ暖かかったかな?
 でも夕方からは少し積雪。
 山間部の方からは溜息が聞こえてきそう。
 石川県の加賀地方(金沢市以南)のJR沿線での積雪は数センチ。
 寒い日は続くものの積雪は多くなく安堵して。
 次の土⇔月に強い寒波が来るものの平野部では大雪にはならないと思う。
 加賀地方の平野部での最大積雪は週末で30cmくらいかな?
 予報では今年の大雪はそれで峠を越えそうな見込み。

 でも、
 昨日までの時点で金沢市が11cmなら、
 白山吉野(白山市)で147cm、加賀栢野(加賀市)で132cm。
 *リンク先からアメダス→月表→雪(有線ロボット積雪深計)で確認。
 石川県防災センター→ http://ishikawa.wni.co.jp/
 
 今年の雪は山沿いには酷な日々が続く。
 とにかく気温が上がらないために雪が消えない。
 山間部の屋根の雪は、
 何段かに分かれての“雪の層”が確認できる。

 前にも記述したけど温度と高度の関係は凡そ600mに4℃下がるとされている。
 ~3:2(=1000m⇔6.6℃低下)と覚えておくと高地に出かける際に便利。
 平野部で4℃との天気予報が出ていれば石川県ではスキー場がある、
 500~1200m地帯は、1℃~マイナス4℃となり確実に雪になる。
 ~さらに風で運ばれた低い雪雲は山間部で遮られ同じ所に積雪。

 今年(2011年)の1月の平野部での平均気温は2℃前後。
 150mの高度では1℃で300mの高度では0℃。
 平均気温が例年並みの4℃の場合は、
 150mの高度では3℃で300mの高度では2℃。
 この“2℃の差”が雪を氷にするか水にするかの分かれ目になる。
 ドカ雪は降らないが一度降った雪が融けずこっとりと屋根の上に居座る。
 老齢家族は恨めしく屋根を見つめ不安な毎日を過ごしているだろう。
 平成に入って初めての寒い寒い1月が早く終わればと願う。
 ~
今度の土日の雪模様に屋根雪おろしをされる方々も多いと思います。
   できる限り2人以上で雪下ろしを行い呉々も屋根の縁(ヘリ)には近づかず、
   滑り落ちないよう
お気をつけてください。
   2月2日~3日は平野部では7℃まで気温が上昇との予報。
   もうしばらくの辛抱です?

 日本海側地方では空からの要らぬ白いチラチラが降れば、
 南九州地方では空から恨めしい灰色の火山灰が。
 鹿児島県と宮崎県にまたがる霧島連山・新燃岳(1421m)の噴火。
 昨年は口蹄疫に苦しみ今年は鳥インフルエンザに苦しむ南九州地方。
 自然の酷(火山噴火)は偶然の産物なのだろうが、
 環境がもたらす酷(異常気象)は人間が作り出す産物?
 ・・・。
 この話はやめよう。

 昨晩はPCを午後9時前には閉じ録り溜めたビデオを鑑賞。
 *爆笑問題のニッポンの教養:横澤彪
 *しゃべくり007:太田光
 *あさイチ:立川談春特集 
 どの番組も面白かった。
 
 今日のテーマは笑いの話。
 2011年1月8日に亡くなられた横澤 彪さん。
 言わずと知れたフジテレビの大物プロデューサーで、
 『オレたちひょうきん族』『笑っていいとも』の生みの親として知られ、
 ビートたけしさん、明石屋さんまさん、タモリさん等を第一線に引き上げた。
 『爆笑問題のニッポンの教養』では最後のテレビ出演をされている。
 NHK http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/20100921.html

 横澤 彪(よこざわ たけし)
 TVプロデューサー。
 1937生まれ。
 1962年東京大学文学部を卒業後フジテレビに入社。
 「THE MANZAI」、「オレたちひょうきん族」、「笑っていいとも!」
 など“軽チャー路線”を象徴する数々の人気番組をプロデュース。
 フジテレビ退社後は吉本興業東京支社長・専務取締役や、
 
鎌倉女子大学教授などを歴任した。

 番組内容
 現在バラエティ番組は全盛時代。
 お笑いタレントたちが日々席巻するTV界。
 今も続く「笑っていいとも!」や伝説のお笑い番組「オレたちひょうきん族」で
 80年代のTV番組に革命を起こし潮流を作り出した伝説のプロデューサー。
 ハプニングや素のリアクションを全面に押し出し、
 「ドキュメント性の高い笑い」は以後のバラエティ番組制作の王道となり、
 番組から飛び出したタモリ、たけし、さんま、紳助といったお笑いスターたちは、
 現在もTV界に君臨している。
 しかしその革命も元を正せば視聴率40~50%のお化け番組、
 『TBS:8時だョ!全員集合』
を向こうに回しての苦肉の策だった。
 爆笑問題も
 「この人がいなければ我々もなかった」と尊敬する、
 “カリスマ番組屋”の発想術とは?
 そこから見えてくるTVの過去・現在・未来を議論する。
 さらに番組の最後にはあの名場面が復活?

 ~以上NHK-HPより記事転載(リンク先には爆笑問題や番組ディレクターの感想あり)

 横澤さんの自宅を爆笑問題が訪ね、
 “80年代:お笑いの黄金期”のエピソードを聞く。
 色々な興味深い話の中で、
 短時間の短いネタを次々に披露しなければならない現代のお笑いの悲喜劇は、
 新しいモノを次々に要求するニーズ(視聴者)の変化に合わせた結果との見方。
 『全員集合』のお笑い(=ドリフターズ)が緻密に計算されたお笑いなら、
 『ひょうきん族』のお笑いは突然に予想もしない事が起きるライブ感。
 『笑点』『サザエさん』の予定調和に安心する心理と、
 昨今のお笑い番組のように次に何が起きるかを期待する心理。
 “現代のお笑いは数字にばかり気をとられ思い切った冒険をしない”
 とは横澤氏の言葉。
 “数字を守りたいがために本当に作りたいものを作れていない現実”
 とも。
 
 新年1月8日に放送された

 『カウントダウン“江”~大河ドラマ50作すべて見せます~』
 にコメント出演された萩本欽一さんが語った、
 大河ドラマを超える視聴率を命題としての、
 『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』
 大河ドラマなる予定調和を、
 野球拳(じゃんけん)なる先の見えないライブ形式で対抗。
 結果として先が読めないお色気は大河の牙城を崩した。
 
“予定調和に安心する心理 vs 次の何かを期待する心理”
 は、
 いつの時代にも共通した対立概念なのだろ。

 今年の朝日新聞元旦号のテレビ紙面(別刷り)で、
 <バラエティの未来は?>
 なる記事が掲載されていた。
 日本テレビ:古立善之さん、TBS:合田隆信さん、
 テレビ朝日:加地倫三さん、フジテレビ:港浩一さん。
 現在のバラエティ番組を支える敏腕プロデューサー達が振り返る。

 ・ドリフターズの入念な稽古(=いかりや長介さんの笑い)。
 ・萩本欽一さんの素人を巻き込んでの番組制作。
 ・
THE MANZAI:芸能としての漫才をカッコよく演出。
 ・ひょうきん族:決め事のない(アドリブ)ぶっ壊しのバラエティ。
 ・オールナイト・フジ&夕焼けニャンニャン:軽チャー路線。
 ・天才たけしの元気が出るテレビ:ありえない単純性。
 ・進め!電波少年:やってはいけないことをやってのけた。
 
 以上の番組から読み取れるお笑いの進化の過程は、
 凡そ“常識と非常識の境界”を何処に定めるかになるのだろうか?
 現在のバラエティ番組の苦悩を加地さんは、
 
視聴率を命題にすると視聴率の取れないものは“やらない”という免罪符ができる。」
 古立さんは、
 「新しいモノを創ろうとミクロの競争をしているけど視聴者の求めるものは違う所に?」
 合田さんは
 「結局最後は(視聴率を)気にしない奴しか(視聴率競争に)勝てない。」
 朝日新聞・元旦号を読み返してみると、
 どこか横澤さんの発言と通じていて興味深い。

 *しゃべくり007:太田光
 は多くの人が観てるだろうし、
 まっいいか。

 
 *あさイチ:立川談春特集

 一昨日(おととい)にも触れた番組を昨晩ようやく視聴。
 本物(純粋に噺を楽しむ)の落語ブームが来るか来ないかは別にして、
 (ブームが来ても)テレビで古典落語を放送することは難しいと感じる。
 ショートなネタを次々に繰り出す“現代のお笑い”は、
 変化し続ける携帯電話のブームのようなもの。
 機能の変化を半年単位で実感できる時代に、
 黒電話(回転ダイヤル式固定電話)を求める人は少ないだろう。

 現在落語を楽しめる番組は、
 NHK教育テレビの
 
【日本の話芸】
 教育:毎週火曜 午後2時~2時30分
 毎週月曜:午前5時5分~5時35分(再)
 総合:毎週土曜 午前4時30分~5時(再)
 BS2:土曜午前2時55分~3時25分(金曜深夜)

 と、
 TBS地上波&BS-TBSで不定期に放送される、
 
落語研究会】が代表格だろうか?
 ~BS:2011年01月29日:午前3時~
 第70回落語研究会
 「竹 の 水 仙」 柳家 喬太郎
 「三味線栗毛」 古今亭 菊之丞
 「転宅」 橘家 文左衛門

 NHK教育の『日本の話芸』すら30分の枠内での演目は、
 演題により大幅なカット(編集及び噺家の意図)がされ、
 満足のできない省略が見られる。

 あさイチで出演された、
 “立川談春さんの芝浜”は70分に及ぶと紹介。
 平素名人達の演目:芝浜は40分前後。
 「芝浜」の名人と言われた桂三木助(三代目)さんには、
 30分にも満たない“芝浜”も存在。
 放送された、
 談春さんの「芝浜」のサワリを拝見し成る程。
 談春さん自身も反省されているテンポの遅さ。
 さらに、
 噺のシナリオライター(原作に対する言葉の組み立て)としての能力を、
 高く評価される談春さんらしい細かい説明(場面背景)が随所にあるようだ。
 談春さん自身が語るとおり、
 「70分も芝浜にかけるから凄い!」
 は大きな誤解。
 余分な贅肉を削ぎ落としテンポを己の信条とした八代目:桂文楽。
 殆どの演目を25分前後に纏め上げた芸風は“見事”の他に言葉はない。
 しかし現在は、
 ホールと言う時間制限のない空間での落語に人気があり、
 寄席と言う時間制限のある落語は満員になりにくい現実。
 また、
 テレビの中の短縮された時間制限に振り回されながらも、
 自己の存在意義を主張しなければならないTVタレント。
 TVの数分のネタと寄席の15分⇔30分の落語と、
 寄席:独演会やホールで行われる長時間の落語。

 あさイチの談春さんの「芝浜」のサワリを見ながら、
 求める者(観客)の要求としての一人芝居。
 新しい落語ファンが求める現代風のシナリオの整理。
 ~予習してこない観客への時代背景の説明。

 
新春落語研究会:柳家喬太郎さんの、
 “布哇(ハワイ)の雪”を見た時にも“そんなこと”を感じた。
 それはそれで噺家にとって難儀な時代なのだろう。
 あと、
 
深く印象に残ったのは師匠:立川談志さんの名言。
 “修行とは如何なる矛盾にも耐えることだ”
 談志さんらしい理路整然としながらも奥行きのある言葉に微笑んだ。

 前にも文字にしたけれど、
 CDムック 立川談志 Vol.1~Vol.3 (価格:各1260円)
 Vol1 「芝浜」S57/12/9収録 & 「源平盛衰記」S57/6/18収録
 Vol.2「黄金餅」S47/3/19収録 & 「野晒し」S50/9/7収録
 Vol.3 「居残り佐平次」 S43/7/25収録 & 「あくび指南」S42/11/19収録
 発売元:竹書房
 竹書房 http://www.danshi.co.jp/topics.htm
 

 Vol2の「野晒し」は面白かった。
 昨年の8月に新宿:末廣亭で柳家花緑さんの「野ざらし」を見た。
 基本は怪談噺なのだが八五郎なる怖れを知らぬ主人公の物語。
 花緑さんは
お調子者:八五郎の動作の隅々に磨きをかけ演出し好印象。
 立川談志さんは八五郎を乱暴者に想定し荒々しくもスピード感たっぷりに。
 談志さんの演目は“釣り場”のシーンで終了したが息もつかぬ噺のテンポに感心。
 1982年の「芝浜」には首を傾げる部分もあったが、
 1975年の「野ざらし」は本当に面白い!

 談志さんの言葉の言い回しやマクラの個人中傷を、
 個人的には好きにはなれないが、
 ビートたけしさん、太田光さんと続く毒舌(=虚と実の演出)は、
 談志さんなしには生まれなかったと人伝に聞いている。
 ひょうきん族の中で演じられた空気に反する“たけしさんのぶっ壊し”の芸風。
 しゃべくり007の中でも、
 太田光さんの“ぶっ壊し”の芸風の話題は番組の主題だった。

 笑いの本質としての、
 “庶民が口にできない言葉の代弁者”

 それがいつしか行動に置き換えられたのが『ひょうきん族』の凄みなのだろうか?
 と同時に1980年以後の笑いの挑戦はタブーとの戦いであったのだが、
 視聴者に拒否される事例(時代の慣例との相違)が多かったことも事実だし、
 バイオレンスの行き過ぎが弱者にとって寛容ではないことも、
 事実として受け止めるべきだ。
 ~たけしさんの初期映画の中の“バイオレンス”が表現としては適当なのかを、
 キューブリック監督の“時計仕掛けのオレンジ”の非現実と比較し笑いを捉えると、
 笑いの中のタブーの所在(行動原理と無機質の狂気)が見えてくるような気がする。

 話が脱線したが、
 立川談志さんの凄みは言葉のバイオレンスに似通う気もするし、
 噺家としての立川談志さんの本質的な凄みは闊達な学習(稽古)の賜物
 であるのだろう。

 ただし私が落語に望む、
 “粋(いき)の美学”は談志落語には極めて希薄に感じ、
 “業の肯定=野暮の代弁”に聴こえてしまう部分は残念だ。

 
“粋の美学”
 その事については既に述べた(下記リンク参照)。

 *『粋(いき)と野暮(やぼ)』を学習し『日本人気質』を探求する。
 ブログ内 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100530



 【追記】
 
 そう言えば一昨年好評を博したCD付マガジン、
  隔週刊『落語・昭和の名人(完結編)』小学館が2011年2月8日創刊。
 興味がある方は下記リンクへ。
 小学館 http://www.shogakukan.co.jp/pr/rakugo2011/list.html

 
 <ブログ内:関連記事>

 *『新宿・末廣亭(すえひろてい)』:寄席の鑑賞と落語の考察。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100811

 *NHK-BS2:『東京落語会600回記念』スペシャル番組の情報。
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20091011

 *明石家さんま伝説 <FNS27時間テレビ> ~mimifuku的評説。
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20080727


 

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NHK総合『つかこうへい・日本の芝居を変えた男』:番組情報。

2010-12-22 22:12:34 | 映画・芝居・落語


 ヒューマン・ドキュメンタリー
 『つかこうへい:日本の芝居を変えた男』

 放送局:NHK総合/デジタル総合
 放送日:2010年12月24日(金)
 放送時間 :午後10時~午後10時43分
  ※北海道地方は別番組

 <mimifukuから一言>

 つかこうへいさんが亡くなったのが今年の7月。
 つかさんについて多くの知識を有さないが、
 当ブログでも2つの記事があり多くの閲覧を得ている。

 つかさんが亡くなって思いだしたかのように、
 3つの熱海殺人事件のビデオ映像を観た。

 ・由見あかり主演:『熱海殺人事件:売春捜査官』
  出演:由見あかり 田中竜一 戸田禎幸 吉田智則
 ・阿部寛主演:『熱海殺人事件:モンテカルロ・イリュージョン』
  出演:阿部寛 平栗あつみ 山本亨 山崎銀之丞
 ・石原良純主演:『熱海殺人事件:サイコパス』
  出演:石原良純 鈴木聖子 鈴木祐二 小川岳男
 
~何れも過去にNHK-BS2で放送された作品。

 つかさんと言えば『映画:蒲田行進曲』をイメージする人が多いと思うが、
 私は“熱海殺人事件”に拘りたく、
 『ザ・ロンゲスト・スプリング:熱海殺人事件』(1992年・白水社)
 『小説:熱海殺人事件』(1996年・角川書店再販)
 『シナリオ:熱海殺人事件・売春捜査官』(1996年・メディア・ファクトリー)
 『高校生のための実践演劇講座:Ⅲ・演出論・演技論』(1997年:白水社)
 の4冊を読んだ。
 ~熱海殺人事件は基本ストーリーからのバリエーションで数種類が存在。
   口立ての演技指導は題目(タイトル)が同じでもセリフの変化が顕著で、
   つかさんの目で俳優・女優が最も光るセリフを創作し次々と言葉を叩き込む。

 2010年年末。
 何故“つかこうへい”であり“松田優作”なのか?
 ~同12月22日:『ラスト・ディズ・松田優作×香川照之』を放送。
 1970年代の熱気が生み出す新しい文化形態の模索は、
 1965年(昭和40年)頃からの急激な社会変化と、
 若者達の意識の変化(=戦後生まれの社会進出)
 によるものなのだろう。

 ・
1948年4月24日生まれのつかこうへいさん
 ・1949年9月21日生まれのの松田優作さん。
 松田さんの誕生日を調べてアレッと気付いた、
 ・1949年9月14日生まれの矢沢永吉さん。
 
社会形態の変化(欲求)を見抜き何かを変えようと戦う戦士は、
 戦後の“ベビーブーム”と呼ばれる世代から生まれた。

 番組『つかこうへい:日本の芝居を変えた男』で紹介されるだろう、
 【大分市つかこうへい劇団】を旗揚げしたつかさん40代の挑戦。

 私が映像を通し心動かされた“つか芝居”こそ、
 『大分市つかこうへい劇団の熱海殺人事件・売春捜査官』
 であり、
 つかさん自身が作品解説した言葉としての、
 「この作品では、
 女性軽視の問題、同性愛者の生き様、在日朝鮮人問題等、
 差別された者の痛みとその中で強く生き抜く希望を描いた。
 しかし、
 この作品(1996年)では男性から女性に主役を交代させることで、
 これまでの男の美学から女の時代の女の美学に“すり変えて”書いてある。
 またこの芝居を引き締めたのは同性愛者の戸田刑事の苦悩であり、
 朝鮮人:李大全(戸田禎幸・二役)の叫びである。」
 
*『小説:熱海殺人事件』解説より転載。

 以前に文字にした記事と重なり心苦しいが、
 『つかこうへいさんの遺書』として、
 友人、知人の皆様。
 つかこうへいでございます。
 思えば恥の多い人生でございました。
 先に逝く者は、
 後に残る人を煩わせてはならないと思っています。
 私には信仰する宗教もありませんし、
 戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
 通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
 しばらくしたら娘に日本と韓国の間。
 対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
 今までの過分なる御厚意、
 本当にありがとうございます。
 2010年1月1日 つかこうへい

 朝鮮人:李大全(戸田禎幸・二役)の故郷としての対馬(誤り=五島)と、
 売春捜査官のストーリーで重要な意味を持つ対馬。
 {訂正}対馬海峡を見渡すアリランの花咲く五島(列島)カミ島の丘(岬)。
 大分市つかこうへい劇団に託した、
 売春捜査官に投影されるつかさんの深層。
 この作品は、
 
韓国では許されなかった日本の大衆文化の輸入が、
 1999年に許可された後のソウルでの舞台公演で、
 『熱い波・女刑事物語』(原題『売春捜査官』)として、
 日本人による初めての舞台芝居として行われた。
 
~BS2『K-POP:青春グラフィティ』でも日韓文化交流の壁を解説。

 つかさんが亡くなって知った事だが、
 李大全(り・だいぜん)役の戸田禎幸(さだゆき)さんも既に鬼籍。
 戸田さんの訃報の情報は九州地方で放送された
 『裸の心で芝居しろ~つかこうへい・舞台の秘密~』
 で紹介されている(私は未視聴)。

 ~以下ホームページ記事転載。
 先日亡くなった劇作家で演出家のつかこうへいさん。
 斬新な舞台で多くの人を魅了した。
 役者の生気あふれる舞台の秘密を関係者の証言で明らかにする。
 つかこうへいさんは、
 福岡県出身で戦後日本の演劇界に旋風を巻き起こした氏は、
 40代半ばに地方で新たな挑戦に乗り出した。
 団員3人の“大分つかこうへい劇団”の結成だ。
 つか氏は素人の役者たちと真っ正面からぶつかることで、
 新境地を切り開きさらなる飛躍を遂げる。
 僅か5年の活動の中でつか氏は何を目指し何を見つけたのか。
 演劇界の巨人:つかこうへい氏の知られざる人物像に迫り、
 その演劇の魅力の原点に迫る。


 大分市つかこうへい劇団の当時の舞台を紹介した、
 “演劇◎定点カメラ”さんのレビューには、
 
http://homepage1.nifty.com/mneko/play/TA/19970816s.htm

 舞台が終わった後のアトラクションとして、
 プレスリーや山下清さん的な仮装をした地元市役所所員による、
 大分:由見牧場(主演女優の実家)の高級牛肉プレゼントのための、
 全員起立の“じゃんけん大会”や、
 観光パンフ、お守り鈴、ティッシュが全員にプレゼントとある。
 ~あのシリアスな芝居とアトラクションは私のイメージとして辻褄が合わない。
   市役所の職員が同行したとされる演劇の運営方法や町興しの手法は不明。
   個人的な感想ながら演劇を芸術として捉える視点からはほど遠いブレを感じる。

 “大分レポート”さん(東京在住のファンの方)の劇団への思い入れは強く、
 http://homepage2.nifty.com/kitaclub/ooita-asako-bangai.htm
 長文のレポートは読み応え充分(必読)。

 さらに地元大分県の、
 空日記”さんのブログ記事には、
  http://ameblo.jp/yttp0603/entry-10627736650.html

 ・地元ケーブルテレビ局勤務:由見(よしみ)あかりさん。
 ・病院勤務:田中竜一さん。
 ・地元広告代理店勤務:戸田禎幸さん。
 と大分市つかこうへい劇団の役者陣の経歴が記入されている。

 全国で約4万8千人以上が観劇したとされる、
 『大分市つかこうへい劇団公演:熱海殺人事件・売春捜査官』
 に興味は尽きない。
 
~不適切な言葉が多い作品ながらNHK地上波で再放送されればと願う。


 前置きが長くなった。
 本題に入ろう。

 つかさんが育てたとされる役者(俳優・女優)には、
 風間杜夫さん、平田満さん、三浦洋一さん、
 阿部寛さん、石原良純さん、筧利夫さん、
 広末涼子さん、内田有紀さん、黒木メイサさん
 
等の第一線・主役級の俳優陣が目白押し。
 つかさんをメジャー舞台演出家として紹介するのはいとも簡単だ。

 しかし注目すべきは、
 仕事を持ちながら活動する北区つかこうへい劇団や、
 大分市つかこうへい劇団(既に解散)の役者の質の高さ。

 口立てと呼ばれる古くからの日本演劇に伝わる演出手法を進化させ、
 厳しく激しく鍛えあがられたアマチュア劇団の光。
 
 つかこうへいを学ぶ時、
 スティーブ・ジョブスやマイルス・デイビスに通じる創作手法を感じる。
 “私のイメージ・レベルに到達する者には必ず光を!”
 ~スタッフ・メンバーの技量を最大限に生かしながら、
   自分自身に吸収し高いステージに到達していく手法


 優秀な指揮者は、
 オーケストラの楽団員から尊敬をこめて“シェフ”と呼ばれる。
 食材を自由に味付けするシェフ(料理人)同様に、
 オーケストラは進んで信用できる指揮者の食材となる。
 
~(要求に応じる事のできる)良い食材になるための技術の研鑽。

 つかこうへいを学ぶ事は、
 人の本質(個々の本能的内面)を抉り出す手法としての、
 稽古(口立て)を通しての変化・変化・変化の要求。
 考える事を許さない身体で覚えさせる厳しい演技指導に、
 ぼんやりとしている昨今の日本人が失った職人気質を感じる。
 ~本当は一人ひとりが輝きを持っていはずなのに光る術を知らない。
   それは国家・行政・企業・個人を含め指導する術を知らない事の同類。

 話を戻そう。
 2010年の年末。
 何故“つかこうへい”であり“松田優作”なのか?
 その答えは各自(視聴者)が考えるべき事なのだろう。
 私が出した答えは失われた情熱。
 
 “諦めてはいけない!”
 “逃げてはいけない!”

 今テレビでは松田優作さんが、
 オーディション“ブラック・レイン”に挑んでいる。
 ~松田優作さんも在日2世(韓国)であり私生児として育った。
   差別される事の心理的抑圧は個のエネルギーとして、
   昇華されることは多くの芝居や映画が教えてくれる

   “悔しさを恐れてはいけない”
   番組から“そんなこんな”を感じる。


 <ブログ内:関連記事>
 *劇作家:つか こうへい氏の稽古(口立て)と遺書(遺言)に学ぶ。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100714

 *つか こうへい&由見あかり“熱海殺人事件”の演出論と演技論。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100719


 ~以下NHKホームページより記事転載。

 今年亡くなった劇作家つかこうへいさん。
 観客の心をわしづかみにする衝撃的な作品を生み演劇界に
 “つか以前”“つか以後”といわれる革命を起こした。
 また情熱あふれるけいこで、
 風間杜夫・阿部寛・黒木メイサなど多くの俳優を育てた。
 独創的な世界はどのように生みだされたのか? 
 栄光と波乱に満ちた生涯。
 知られざる舞台裏を多くの映像と証言でたどる。
 番組はつか芝居に出演し大きな影響を受けたという、
 俳優・富田靖子さんを案内人にデビュー以前の秘話、
 九州・大分でアマチュアを集めた劇団を旗揚げした40代、
 そして在日2世という生い立ちに向き合った作品の舞台裏など、
 演劇に全てをかけた62年の生涯をたどる。

 【語り】富田靖子
 

コメント (2)
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『奄美豪雨』と『東大寺大仏展』と『池袋演芸場(寄席)』の話題。

2010-10-23 01:40:00 | 映画・芝居・落語


 20日、21日と携帯電話からブログにアクセス。
 こんな感じか?と更新を自宅で確認。
 あまりに愛想のない記事なので少しお化粧。
 色々な関連記事もWebから転載記入しました。
 今日も文字にしたい言葉は盛り沢山。
 では限られた時間の中で…ごちゃまぜに。

 奄美地方での豪雨災害
 沖縄近海での台風から延びる前線が、
 九州、四国、近畿、東海の太平洋側の地域に大雨を降らす。
 これまで何度も日本が経験した事例が数多くあります。
 しかし、
 南シナ海での台風が南西諸島に影響を及ぼした台風は少なく、
 奄美地方での大雨は特異な事例として記憶される事になりました。

 これまでの台風は南シナ海に入ると勢力を弱める事が通例で、
 特に大陸沿岸部(浅瀬)では急速に勢力を弱めていました。
 ~南西諸島から北上する東シナ海での台風も同様に勢力が衰退。
   しかし近年は東シナ海で発達する台風も見受けられ、
   中国近海で起きている変化の謎に注目すべきでしょう。

 ところが、
 今回の台風13号はフィリピンを通過した後に速度を落とし、
 海底が深い海域(浅瀬に比較し発達しやすい)で停滞したことで、
 南シナ海で勢力を強める結果を生みました。
 一度は885hPaまで成長した猛烈な台風はフィリピン横断後も、
 勢力を弱めず南シナ海に進入し再発達(945hPa)し停滞。
 奄美地方付近に停滞する秋雨前線の位置と符合し雨雲を刺激。
 思わぬ事態(記録的な豪雨)を引き起こしたようです。

 日本のメディアは日本近海の台風以外はあまり注目しません。
 しかし、
 台風がもたらす気象の変化は著しく思わぬ事態を引き起こします。
 台風=警戒
 南の海上に居座る夏と北からの冬の便り。
 何が起きるか分からない?
 そんな気象状況が顕著になりつつあるようです。
 ~10月第5週は季節はずれの寒気が襲来。
   フィリピンの東海上には台風の卵(熱帯低気圧)。
   決して油断できぬ状況が続きます。


 東京国立博物館で開催中の『東大寺大仏~天平の至宝』展。
 を20日(水)のお昼時間を利用して観てきました。
 東大寺展については2002年に奈良国立博物館で開催された、
 『東大寺のすべて』展を観覧しているので良いかな?と思いつつも、
 時間が許す限り観るべきとの平素の姿勢を重視。
 結果的に大きな収穫がありました。
 館内は雨模様のせいか混雑はなくゆっくりと鑑賞。
 よくぞ“こんなもの”までと驚嘆する名品がありました。
 
 注目すべきは3体の肖像彫刻。
 『国宝:良弁僧正坐像』(平安時代)
 『国宝:重源
(俊乗)上人坐像』(鎌倉時代)
 『重文:公慶上人坐像』(江戸時代)
 普段は東大寺でも期日限定で開帳される肖像仏が、
 展覧会の会期全期間で展示。
 さらに、
 肖像彫刻ではありませんがリアルな人型の、
 『国宝:僧形八幡神坐像』(鎌倉時代)

 『国宝:良弁僧正坐像』の漂う厳しさ&張り詰めた背筋。
 『国宝:重源上人坐像』の日本的風貌&後ろ襟からの首と頭部の存在感。
 ~昭和には町でも時折見られた老獪な風貌も平成に入り減少傾向。
 『重文:公慶上人坐像』の喉仏周辺のリアリティ&静かな表情。
 仏師の技量と表現には唸るしかありません。

 特に、
 『国宝:良弁僧正坐像』を鑑賞して感じる禅の意義。
 先日読んだ鈴木大拙著「禅と日本文化」では、
 禅の指標(モットー)を“言葉に頼るな”と記されています。
 禅について思惟する時、
 『国宝:良弁僧正坐像』を見よ!
 そんなことを感じました。
 ~ただし良弁上人と禅宗とは関係がありません。
 身体で覚える経験。
 3体(+1体?)の肖像彫刻に込められた禅への思い。
 機会があれば是非ご鑑賞ください。

 そして、
 二度とお目にかかることは無いと思われる、
 『国宝:
不空羂索観音菩薩立像・光背』。

 
過去に“宝冠”が外され展示されたことはありますが、
 “光背”が外され公開された事はあるのでしょうか?
 光眩い光背の細密彫刻。
 ~溜息、溜息、溜息~
 正面右に展示された等身大の不空羂索観音像パネル。
 光背の前に不空羂索観音をイメージしつつ大きさを推量。
 東大寺法華堂の宇宙空間の広がり。
 東大寺法華堂:不空羂索観音ファンの方は必見。
 この1点だけで東京まで足を運ぶ価値はあります。
 *関連記事→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20090302

 さらに、
 大仏殿前から運び出された『国宝:八角燈篭』の大きさを実感し、
 バーチャル映像に映し出される巨大な東大寺デジタル大仏を拝見。
 東京国立博物館でしか体験できない東大寺が“そこ”にあります。
 
 
 池袋演芸場を体験。
 10月20日(水)の夜。
 仕事が終わって食事もとらず副都心線を利用し、
 一路“新宿から池袋”へ。 
 副都心線:新宿三丁目(伊勢丹側)から歩いて3分が末廣亭なら、
 副都心線:池袋駅(東武百貨店側)から歩いて3分が池袋演芸場。
 *末
廣亭→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100811

 6時30分過ぎに池袋演芸場に到着。
 昔々亭桃太郎さんの高座終盤をモニターで確認。
 お仲入り(休憩)の間に席につきました。
 8時30分が終演時間なので2時間弱の演芸鑑賞。
 館内は20人にも満たない少ない観客。

 ☆新山ひでや、新山やすこ夫妻の漫才は愛の賛歌?
 シャンソンは越路吹雪さんの持ち歌が多く嬉しい誤算。
 ほのぼのとした楽しい時間でした。

 ★三遊亭笑遊さんの世間話
 結局は噺(はなし)はせずにマクラだけ。
 すし屋の話やお足(給金)の話。
 20人にも満たない客席と20人以上の出演者。
 席亭(劇場主)の取り分が半分。
 残り半分を出演者で分ける。
 “おいおい”って感じで高座は終了。
 「いいですね。」を連呼しながら、
 何が良いのやら少し心配?

 ☆柳家蝠丸さんは落語「天狗裁き」。
 演題は馴染み深い天狗裁き。
 驚きはないものの安定した技量。
 安心して落語を楽しみました。

 ★東京ボーイズ
 とにかく感覚が私にあってます。
 2人になった東京ボーイズ。
 歌をテーマに楽しい漫談。
 スパイスの効いた曲紹介はタイトルだけなら30曲?
 歌振りの仲八郎(ウクレレ)さんの無表情な言葉の連射は秀逸。
 決して上手ではない菅六郎(三味線)さんの味のある?節回し。 
 東京ボーイズだけで木戸銭の元は取れました(笑)。

 ☆桂伸治さんの落語「お見立て」
 マクラでは“ここだけの話”を連発。
 落語芸術協会の現会長と現副会長の艶話や、
 寄席の裏通りは怪しげな店が多いから気をつけろ。
 そして吉原の話に入って「お見立て」の噺に突入。
 花魁のしたたかさや田舎者:木兵衛を声色で描写。
 あっと言う間の30分でした。

 と言うわけで駆け足で東京の2日間を紹介。
 「本当に仕事してるの?」
 って感じる方も多いかも知れませんが、
 お昼を抜いても、
 夕食が午後9時を過ぎても、
 せっかくの東京出張。
 
 “経験は幾つであろうと自分への最良の投資”

 帰り時間を遅らせてでも、
 開港したばかりの羽田新国際ターミナルにも立ち寄って。
 好奇心と情報収集と体験行動。
 日々の生活に無駄な時間など存在しません。
 なんて、
 実はとんでもない“ずぼら”でもあるのですが…。

 時間は既に午前1時40分。
 明日の休日は旧家(町屋)探訪。
 歩くぞ~(笑)。


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『新宿・末廣亭(すえひろてい)』:寄席の鑑賞と落語の考察。

2010-08-11 00:00:00 | 映画・芝居・落語


 2010年8月4日。
 東京新宿。
 末廣亭(末広亭=すえひろてい)で生まれて初めて寄席を観た。

 写真上右が<末廣亭>の外観。
 看板や提灯(ちょうちん)など独特の風情を感じる。
 林家正蔵さんの幟旗(のぼりばた)は昼の部の主任(トリ)。
 正面玄関上(向かって右)に昼の部の出演者を掲示し、
 中央のレンガの中に見える小さな窓のチケット売り場(木戸口)
を挿み、
 3つ並ぶ看板の上(向かって左)に夜の部の出演者を掲示。

 写真下の掲示板は夜の部の出演者を拡大したもので、
 当日ぶらりと寄席に訪れても出演者を確認することができる。
 ~ただし当事者の都合により出演者が替わることも多いようだ。
 夜の部は、
 午後5時開演→9時終演で本日の主任は柳家花緑さん。
 私が入場したのは午後6時40分頃。
 入船亭扇橋さんの出番の前だった。



 入場料は、
 一般:2700円。
 学生:2200円。
 シルバー:2500円。
 小人:1800円。

 入場料(木戸銭)を支払うと番組表が手渡される。
 写真が番組表(プログラム)の表紙と裏表紙で、
 ・落語色物定席(じょうせき)。
 ・八月上席(かみせき)新宿末廣亭。
 ・東京名所:文化芸術振興費補助金。
 等の文字が読める。
 ~上席(かみせき)とは月の1日~10日のことで11日~20日を中席(なかせき)、
   21日~月末前日を下席(しもせき)と呼び10日ごとに出演者が替わる。
 
 今月(2010年8月)の主任(トリ)は6人。
 主任のみ30分の持ち時間が与えられ、その他の演者は15分。
 お中入り以外に休憩時間はなく目まぐるしく演者が変わるのが寄席の特徴。

 場所は、
 新宿:伊勢丹百貨店に辿り着けば伊勢丹前から歩いて2分程で、
 最寄り駅は地下鉄新宿3丁目駅(丸ノ内線・都営新宿線・副都心線)。
 JR新宿駅から歩いても10分はかからない。

 末廣亭HP→ http://www.suehirotei.com/


 
<寄席の鑑賞>

 私が目にした演者は、
 【落語】 :入船亭扇橋(いりふねてい せんきょう)
 【落語】 :三遊亭円丈(さんゆうてい えんじょう)
  ~お中入り~ 
 【落語】 :古今亭菊丸(ここんてい きくまる)
 【漫才】 :笑組(えぐみ)
 【落語】 :柳家小さん(やなぎや こさん)
 【落語】 :柳家権太楼(やなぎや ごんたろう)
 【太神楽】:翁家和楽社中(おきなや わらく しゃちゅう)
 【落語】 :柳家花緑(やなぎや かろく)

 生まれて初めて見た寄席の落語が入船亭扇橋さん。
 声が小さく聴き取り難いものの昭和の香りを感じた。
 マクラ(本題に入る前の前置き)の部分で雪が降り積もった末廣亭の話は、
 八代目:桂文楽著『あばらかべっそん』のよく似た一説を思い出した。
 数人の客を相手に出番の演者が寄席に来ず高座をまかされる話。
 “なんで雪降り積もる中(客が)来るんだよ”と嘆き節。
 ネタ(本題・噺)は『心眼』と言う噺らしいのだが小声で聴こえ辛く、
 聞き手の油断もありストーリーを見失った。
 でも蚊の飛ぶ消入るような音は絶品で高座全体の雰囲気はよかった。
 後席の柳家権太楼さんが語った、
 「扇橋師匠を見れるだけで幸せだと思わなくちゃいけない。」
 に思わず拍手!

 三遊亭円丈さんは創作落語の旗手。
 マクラで地方営業の話をされ沖縄県や福井県の県民性を披露。
 本題はイスラム圏の新人落語家の噺なのだが…。
 圓丈(えんじょう)の点(濁点)をとったら圓生(えんしょう)
 と襲名問題で笑いをとったが古典の名手“圓生”の名跡を継ぐのは?
 高座を通して何を語りかけたのか15分では到底理解できなかった。

 古今亭菊丸さんは『鰻屋(うなぎや)』を披露。
 板前が留守の間に客と店主が料理をしようと生簀(いけす)を覗くと、
 死んでいる鰻を一匹見つけ、
 「この鰻、死んでいるじゃないか。」
 「そのままにしておいてください。
 そうするだけで年金が貰えますから。」
 には思わず上手いと呟いた。
 これがCDや映像とは違うライブ感なのだろう。
 身振りの大きな芸でないので印象には残り難いが、
 芸に取り組む真面目さに好感をもった。
 
 漫才:笑組は面白かった。
 でも落語の持つストーリーがなく点の質疑応答。
 「昨日寄席に来てくださった方は?」
 と問いかけ誰も手を挙げないと、
 「昨日のネタでいいか。」
 の予想内の応答にセンスを感じない。
 漫才師としての雰囲気は立派なんだけど、
 家に帰って思い起こせば何も出てこない。
 たぶんこれが現代漫才の本質なのだろう。
 そう言えば絶後の名コンビ“やすきよ”には、
 確実にストーリーが存在した。

 柳家小さん(六代目)さんの 怪談噺『虎の子』
 8月の演題らしく怖~い噺のオチ(サゲ)が駄洒落。
 “虎の子の金(とらの子のかね)”なんだよな~。
 楽しい小噺でした(笑)。

 柳家権太楼さんの演目は『町内の若い衆』
 一目見て上手なのが理解できた。
 小気味イイ発声に自在な声色(こわいろ)。
 短いスト-リーながら起承転結が明確で、
 初めて聞いた噺なのだけど物語を細部まで記憶。
 惹き付ける話術に師匠の大ネタ(長編落語)を聞きたい思った。

 太神楽(だいかぐら):翁家和楽社中の皆さん。
 楽しい芸の数々は平素の稽古の賜物で、
 ハラハラドキドキの生芸は新鮮な驚き。
 でも一番印象に残ったのが小ネタの傘回し。
 傘の上をまわる一升枡の乾いた心地の良い音色。
 木と木がぶつかり奏でる和の音空間を感じた。
 
~なんてったって最前列中央で観てたしね。

 本日の主任(トリ)は柳家花緑さん。
 先日NHK-BS2で再放送された、
 『柳家小さん・花緑:超時空二人会』
 当時の花緑さんのイメージと古典落語のイメージとの合致の困難。
 高座を鑑賞する前は一抹の不安が過ぎる。
 演題『野ざらし』は名作と誉れの高い怪談噺。
 通(つう)の方は上手い噺家(落語家)の高座は情景が見えると言う。
 まさにそうした情景描写を落語界のサラブレットは見事に演じきった。
 ~周知の通り花緑さんは名人(五代目)小さんの孫で六代目は息子。
 特に素晴らしかった“釣り場”のシーン。
 お調子者:
八五郎の動作の隅々に磨きをかけ心を込めた演技は、
 大きく使う身のこなし/細かい手の動き/視点の位置/に目を瞠った。
 声の張りあげから歌の調子まで鑑賞者を陽気な気分にさせてくれたのは、
 花緑さんの39歳の年齢と八五郎の年齢イメージがリンクしたからなのだろう。
 マクラの部分で、
 舞台裏で演奏される三味線や太鼓の鳴り物は寄席では生演奏。
 三味線はネコの皮で作られ太鼓は馬の皮で作られている。
 “この話を忘れないでください”と前説。
 *太鼓は幇間(たいこ・ほうかん)
 *馬の皮は馬の骨。

 2つのキーワードの説明が初心者にも分かりやすく丁寧だった。
 “寄席に来るものは勉強してから来い”
 対立する2つの概念(場面説明と突き放し)を、
 花緑さんは若者の立場に立って高座に上る。
 39歳には39歳に“花咲く演目”がある。
 花緑さんの『野ざらし』はそんなことを感じさせてくれる。
 

 <落語の考察>

 20年ほど前になるだろうか?
 新宿の紀伊国屋ホールで5代目:柳家小さん師匠を観ている。
 書籍を求めに行ったら偶然に公演当日で当日券を買って観た。
 しかし、
 何の予備知識もなく名人のホール落語を聞く無知(無茶)は、
 何の記憶も残せないままに会場を後にした。
 私の地元(石川県)でもホールで2度、公民館で1度、料亭で1度。
 これまでの人生の落語経験は合計で5度。
 落語について何を語るべき経験はない。

 5代目:柳家小さん師匠の高座。
 もし今の自分が目にしていれば違った感想を持ったに違いない。
 *(噺を聞く前に)この部分を忘れないでください。
 *寄席に来るものは勉強してから来い。
 対立する2つの概念(場面説明と突き放し)を寄席の鑑賞で文字にした。
 特に古典落語の場合は江戸時代や明治時代の庶民生活の描写も多く、
 現代感覚の知識だけで対峙すれば必ずストーリーを見失う。

 ”落語を聞く困難”は話の途中で聞き手が躓いた時点で本質を見失うこと。
 演者すらも戸惑う対立する2つの概念(場面説明×突き放し)とは、
 古典の名作を紹介しようにも聞き手が見失えば笑いを得ることは難しい。
 ~古典落語に必ず笑いが必要なわけではないのだけれど…。
 演じ終わって聴衆の反応が薄い場合に感じる(客側の)楽しみの喪失。
 演者としては強い敗北感を味わうことになるだろう。

 漫才と落語の違い
 今回の寄席を経験し現代風の漫才はその場の楽しみこそ提供できるが、
 家に帰って話の内容がまるで記憶に残っていないことに驚いた。
 逆に権太楼さんの下世話な下町の噺は初めて聞く演題であるものの、
 そのストーリー展開の楽しさは映画を観るように脳裏に張り付いた。
 サゲ(オチ)の女房の独白はブラック・ユーモアなのか?事実なのか?
 想像力さえ働かせてくれる権太楼さんの話術には恐れ入る。

 現代の漫才(お笑い芸人)を否定するわけではないが、
 “大衆(庶民)が求める分かりやすさ=単純明快”
 が芸の基準に置かれ、
 “大衆は娯楽に複雑な思想や教訓を求めない”
 が現代漫才が提供する速度性(ショート・コント方式
)なのだろう。

 日本的な情緒ある話芸とアメリカ的な単純明快の娯楽
 落語が持つ日本的な了見は学習(予習・復習)を聞き手に求めている。
 現代漫才が持つスピード感は一瞬の笑いを手に入れようと必至だ。
 落語が目指すお笑いと現代漫才が目指すお笑いとは、
 本質的に違ったものであり時代を映す鏡のようにも感じる。
 と言うよりも“落語の本筋”は、
 聴衆に過剰な笑いを求める事自体が邪道と思える。

 先月(2010年7月)大相撲名古屋場所を観戦した。
 賭博・暴力団との関係等の一連の事件。
 昨年小学館から販売された『落語・昭和の名人』CDブックに、
 金原亭馬生(きんげんてい ばしょう)さんの『佐野山』が入っていた。
 購入当初は強い印象は残らなかった。
 しかし大相撲を揺るがす大事件の後で『佐野山』を聞くに及んで、
 落語とは時代々々の文化の教科書としての位置を確認した。

 大横綱:谷風と引退を余儀なくされた十両筆頭の佐野山のストーリー。
 千秋楽結びの一番を年寄り(理事会)に懇願する大横綱:谷風。
 千秋楽の一番が決まり判官贔屓に転じる江戸の庶民気質。
 “八百長”と“花を持たせる”の意味の違い。
 『佐野山』のストーリーには江戸気質(日本人気質)の粋(いき)が満載で、
 近年の日本人気質の方向性(=合理主義)の野暮(やぼ)も同時に感じる。

 落語とは何か?
 演者と客との相互空間。
 ホールに来る客を有名を求めてくる方も多いが、
 寄席に来る客の多くは噺を聞きに来る。
 特に常連さん(リピーター)は家に帰って学習しなおし、
 さらに寄席に行って新しい噺を耳にする。
 学習と経験を繰り返すことで江戸文化の真髄や日本人気質を学ぶ。
 また同じ演題を違う演者がどのように料理(演じ分け)するのかを楽しみ、
 比較することで客(聞き手)の批評や自らの演者への格付けが決まる。
 (自分にとっての)お気に入りの誕生は一瞬の場合もあるが、
 多くの場合は足を運ぶ回数の多さで決まる。

 話は尽きないが落語について考える時に、
 落語鑑賞はオペラ鑑賞と似ていると感じる。
 決められた演目を演者が違った表現で発表する場としての古典落語は、
 大筋のストーリーに忠実であれば自由自在に噺や動きを組み立て直す。
 オペラも同じで、
 決められた楽曲を歌手達が(演出家の下)思い思いの表現や技量で発表し、
 舞台が進行するにつれ歌手達の調子や本気度が鑑賞者に伝わることで、
 鑑賞者の高揚感の空気を歌手が感じる時に会場内で相乗効果が生まれる。
 
~相乗効果はコンサートでもスポーツ観戦でも場の空気でガラリと変化。
 
また、
 落語では古典落語の<現代解釈>があるように、
 オペラでも<読み替え演出>が近年顕著だ。
 
 守るべきものと創るべきもの。
 江戸の庶民文化の教科書が古典落語であるように、
 昭和の庶民文化の教科書としての創作落語が求められる。
 戦前の日本人気質と戦後の日本人気質。
 さらに平成の日本人気質の変化。
 人が持つ普遍的心理と時代背景の係わり。
 一瞬の笑いを求める芸は時代と共に風化する。

 残すべき時代の証言。
 古典落語を学ぶ時、
 そんなことを考える。


 
<ブログ内:関連記事>

 *NHK-BS2:『東京落語会600回記念』スペシャル番組の情報。
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20091011

 *“横澤彪氏の笑い”&“立川談志さんの落語”を語る。
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20110128

 

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つか こうへい&由見あかり『熱海殺人事件』:演出論と演技論。

2010-07-19 10:30:00 | 映画・芝居・落語


 本来であれば、
 <大分市つかこうへい劇団:『熱海殺人事件・売春捜査官』の考察>
 とタイトルを付けるべきであろうが、
 <つか こうへい&由見あかり『熱海殺人事件』:演出論と演技論>
 とタイトルを付けさせていただいた。

 7月14日の当ブログ内の記事。
 *劇作家:つか こうへい氏の稽古(口立て)と遺書(遺言)に学ぶ。
 でも記述させていただいたが過去にNHK-BS2の番組【劇場への招待】で、
 由見(よしみ)あかり主演:『熱海殺人事件:売春捜査官』が放送された。

   ☆大分市つかこうへい劇団『熱海殺人事件:売春捜査官』☆
   出演・木村伝兵衛部長刑事:由見あかり、熊田留吉刑事:田中竜一
       戸田禎幸刑事:戸田禎幸、犯人・大山金太郎:吉田智則
   作・演出:つかこうへい (1997年8月:紀伊國屋ホール公演)

 私が、
 大分つかこうへい劇団の『熱海殺人事件』にこだわる理由は、
 
“劇作家:つか こうへい”に興味を持つ前に、
 “女優:由見あかり”への興味が先行したからだ。
 つかさんが亡くなった報道を聞き真っ先に頭に浮かんだのが、
 BS放送で観た『熱海殺人事件:売春捜査官』の映像だった。 

 手元につかさんが記した3冊の本がある。
 『小説:熱海殺人事件』(1996年・角川書店再販)
 『シナリオ:熱海殺人事件・売春捜査官』(1996年・メディア・ファクトリー)
 『高校生のための実践演劇講座:Ⅲ・演出論・演技論』(1997年:白水社)
 舞台『熱海殺人事件・売春捜査官』が初演されたのが1996年5月。
 シナリオを除く2冊の著作でつかさんは『売春捜査官』を意識した解説を披露。
 BS2で放送された東京新宿:新宿紀伊国屋ホール公演の映像を再確認し、
 “つか芝居&つかワールド”を探ってみたいと思う。

 【放送された由見あかりさんのコメント】
 &つか こうへいさん著作による解説。


 「元来木村伝兵衛役は男性が演じる役で女性の私がが演じることに、
 戸惑いはあったのですがつかさんが私なりの伝兵衛を求めたので、
 (最終的には)自由にやらせていただきました。」

 「好きなシーンは女性ならではのセリフで、
 “でもねここで引くわけにはいかないんですよ。
  ここで引くとやっぱり女は使いもんにならん。
  お茶汲みさせときゃイイってことになりますから、
  世の中の女の人のためにも私が心を鬼にして、
  踏ん張んなきゃいけないんです。”
 やっぱり働いている女性の人達はみんな(心の中で)思ってると思うんですが、
 中々(女性の立場で)表に出しにくい言葉じゃないですか。
 だからセリフ部分を強調して力を入れてやると気持ちいいですよね。」

  ~この作品では女性軽視の問題、同性愛者の生き様、在日朝鮮人問題等、
  差別された者の痛みとその中で強く生き抜く希望を描いた。
  しかしこの作品(1996年)では男性から女性に主役を交代させることで、
  これまでの男の美学から女の時代の女の美学に“すり変えて”書いてある。
  またこの芝居を引き締めたのは同性愛者の戸田刑事の苦悩であり、
  朝鮮人:李大全(戸田禎幸・二役)の叫びである。
  <小説:熱海殺人事件・解説より>

 
 ~相手のセリフを待ち言葉を正確に言おうとするだけでは駄目だ。
  必要なのは言葉の伝達であり断じて意味の伝達ではない。
  その人間のパッション(情熱)とそれを有効に伝えるリズム感なのだ。

  ~役者の本心をついた良いセリフだけが残ればいい。
  私が役者として信用できる連中は偽者のセリフになると、
  決まって言い澱んだり閊るので安心してカットできる。
  <演出論・演技論>

 
「(私は身体が小さいので)声が出なかったり動きが小さかったりと、
 稽古をする前は不安はあったのですが日々の稽古をしていく上で、
 自然と(発声や動きが)身についていきました。
 つか芝居の稽古は限界まで体力を酷使することで自信に繋げます。」

  ~私は生来の演出家であり今だかって文筆家などと思ったことがない。
  きっと私は言葉よりも信じられる“肉体や空間”を知ったからだろう。
  また(肉体や空間を)信じなければ劇団を維持することはできない。
  活字などが定着してしまえば演劇が演劇であるべき何かが失われる。
  <演出論・演技論>

  ~『熱海殺人事件』は4人だけで演じるシンプルな芝居だ。
  舞台には最小限
の道具しかなく4人の力量だけで演じる芝居は、
  役者のかかる負担や要求が普通の演劇の何倍にも相当する。
  そのために不屈のエネルギーで役者達は稽古に稽古を重ねることで、
  初めは拙い表現が次第に鍛え上げられていくと私は信じてやまない。 
  <演出論・演技論>

 「舞台の非日常と普段の日常の違いに自分ながら驚かされることがあります。
 平素は普通に暮しているのに舞台では内に秘めるパワーを一気に出しちゃう。
 つか芝居は力で押し切る部分もあるけれど(本質は)自分の内から出てくる。」

  ~演出家である喜びは個性豊かな役者達の表情やセリフの成立。
  私は役者の肉体や完成が蠢く稽古の現場で活字を追うことがあっても、
  机の上で戯曲など書いたことがない。
  魅力ある役者と言うものが能のない作家に書かせ、
  能のない演出家に演出させてくれる。
  作品は役者の肉体を通して練り上げられ肉体とともに滅びる。
  つまり演出とは役者を愛し役者を憎む力のことだ。
  <演出論・演技論>


 
【大分市つかこうへい劇団

 大分市つかこうへい劇団は地元のオーディションで公募した素人劇団。
 活動は1996年5月~2000年12月までとされる。
 『小説・熱海殺人事件』(1996年再版)には作品上演年譜が示されており、
 大分つかこうへい劇団の初舞台は1996年5月:大分コンパルホール。
 1999年には日本の劇団として戦後初めて韓国で日本語による舞台公演。
 「韓国公演に周りの方々は“凄いことだ凄いことだ”と言われるですけど、
 自分にしてみれば韓国の役者さんと日替わりでやるんで面白そう。」
 由見さんが番組内で語った言葉の意味を調べてみると、
 韓国では1999年に日本の大衆文化の輸入が許可されソウル・大学路の舞台で、
 『熱い波・女刑事物語』(原題『売春捜査官』)の公演が行われている。
 ~参考として韓国人による『韓国語版:熱海殺人事件』の上演は1985年。
 解散までに国内112公演:観客動員は延べ4万8千人に上る。
 2000年12月31日(20世紀最後の日)に解散。
 
 【熱海殺人事件と演出(口立て)論】
 
 1974年11月~12月:舞台『熱海殺人事件』は文芸座で初演。
 1975年:つか事務所開設。
 1976年9月:つか事務所公演『熱海殺人事件』VAN99ホールで公演。
  出演:木村伝兵衛部長刑事:三浦洋一、熊田留吉刑事:平田満
     :ハナ子:井上加奈子、大山金太郎:加藤健一
 1985年:『ソウル版・熱海殺人事件』韓国ソウルで公演。
 と続き『熱海殺人事件』はバリエーションを変えながら、
 “つか劇団の代表的な演劇”として進化していく。

 基本的な原作の骨格を残しアプローチを変える。
 『小説:熱海殺人事件』で描かれるテーマは殺人者(犯人)の教育?
 話題にもならない陳腐な殺人事件を刑事たちの手で美しい殺人へと変えていき、
 新聞の片隅に掲載されるべき殺人者を犯罪史上に残る立派な殺人者へと教育。
 なんとも奇妙な物語である。
 『熱海殺人事件』の発案として著者自身が必ず語る例としての、
 “仕事がなく退屈な消防士が自ら放火して出動する実話”から触発。
 報道(大衆)が求める“絵になる事件”と埋没する絵にならない事件。
 『小説:熱海殺人事件』では同じ殺人事件でありながらも
 世間や報道が求めると殺人事件(=犯人像と動機)に焦点を当てる。
 そこには舞台『熱海殺人事件・売春捜査官』の主要主題である、
 女性軽視の問題、同性愛者の生き様、在日朝鮮人問題等の差別などは
 描かれていない。 
 つかさんは劇作家として必ずしも多くの作品を残してはいない。
 つかさん自身が述べるようにつかさんは作家や脚本家ではなく演出家なのだ。
 つかさん自身が小説中の木村伝兵衛部長刑事である。
 木村伝兵衛は殺人者に美学を見出そうと犯人像を創作する。
 つかさんも同様に芝居に美学を詰め込もうと役者像を創作していく。
 机に向かって書く新しい作品よりも出来上がった作品の価値を検証。
 役者のキャラクターに合わせた芝居(脚本)を再構築し、
 役者のキャラクターに合わせた役柄(演技)を当て嵌めていく。
 つか演出の妙技は目の前の役者を磨き光らせる技術であり、
 台本に書かれた文字の列記など所詮は価値がないと決め付ける。
 キャラクター像に合わせて次々と台本を変化させていく“口立て”の演出。
 ただし口立てとは本来役者同士の話し合いで行われる演出らしく、
 つか流の口立ては演出家の美学としてのみ成立し、
 原則的に舞台上でのアドリブは許されないようだ。
 ~大衆演劇(旅役者)が口立てによって芝居演出するのは長年の経験から、
 お客さんを読み解き“場にあったアドリブ”が要求されるためとされる。

 【演劇の現状と可能性】
 
 この文書で注目すべきは、
 大分市つかこうへい劇団が地方都市の市民劇団であること。
 どこにでもいる平凡な市民(日常的な生活)がつかさんの手にかかり、
 どこにも存在しない強烈なキャラクター(非日常的な人物像)に変化する。
 「舞台の非日常と普段の日常の違いに自分ながら驚くことがあります。
 平素は普通に暮しているのに舞台では内に秘めるパワーを一気に出しちゃう。」
 と語る由見さんの言葉に垣間見える“つか演出”の秘密。
 平凡な市民の隠された内面を焙り出し“内に秘めたパワー”を開花させる。
 言葉中注目すべきは“誰もが何かのパワーを内に秘めている”だろう推測。

 つかさん自信が語る、
 「私は“芝居の華”とはハッピー・エンドではないかと考えている。
 劇場を後にするお客さんたちが明日を生き抜く希望になれば本望だ。」
 は劇作家つか こうへいのベースに流れる信念。
 つか芝居は学べば学ぶほどに暴力的なセリフとは裏腹の人への愛情を感じる。
 私が現在手にしている3冊のつかさんの著作物。
 読めば読むほどにつか舞台:『熱海殺人事件・売春捜査官』に心を寄せた、
 つかさんの心情を知る。

 『高校生のための実践演劇講座』の冒頭に、
 「様々な地方を回って嘆かわしいのは使い勝手が悪く見場ばかりが強調された、
 収容人数を誇るための大劇場(ハード)が増え肝心のソフトに目がいかないこと。
 ならばソフトを育てなければならないと北区や大分市の協力を得て若者を育成。
 稽古場では毎日のように夕方の6時~夜11時を過ぎる頃まで、
 仕事を持つ若い役者志望者達が身体の限界に立ち向かいながら励んでいる。
 大分市や北区だけでも団員募集をすれば数百人の若者が全国から応募。
 芝居(演劇)をしたい情熱が各地で眠っているのだろうと思います。」

 
 小さな劇場でマイクを使わず地声(生声)を張上げての熱のこもった芝居の追及。
 418人収容の紀伊国屋ホールをメイン劇場に据えた80年代の『熱海殺人事件』。
 その理由は役者のパッションを最大限に発揮できる劇場としての意味付けがあり、
 舞台の大きさや客席の配置により役者の立位置や目の動きが変わる演技法を、
 知り尽くした演出家の配慮が伺われる。

 集客力のある大劇場での演劇を否定(拒否)したつか芝居。
 私が“つか芝居”をテレビで拝見する度に感じた、
 大声を張上げるだけの大雑把で下品な芝居との印象を覆した、
 女優:由見あかりと大分つかこうへい劇団の舞台映像。
 “彼女の目の力に触れた時の衝撃”は今も新鮮に残っている。
 2010年:由見あかりさんは39歳となり今西あかりさんとして、
 地元大分県で家庭を持ち日々の暮しをされているようだ。
 
 ある女性から女優としての素晴らしい輝きを引き出したつか演出。
 彼にとって役者とは愛すべき者であり素人・玄人関係なく磨き上げた。
 失われた“つか演出”は再現できる演出家が暫くはでることがないだろう。
 自らの中に木村伝兵衛の美学を見出し徹底して追及したつかさんの美学。

 「テレビでは輝きを失った玄人役者が昔の名前で出ています。
 映画には具にもならない青い大根が多く並べられています。
 真実の演技を求めた多くの原石は陽の目の見ないままに、
 自分が持つ輝きに気付かず日々の暮らしを懸命に生きています。
 見つけることのできないもどかしさと過ぎていく時間。
 それを掘り起こすのが私の役目だと思っています。」
 そんな言葉が脳裏をよぎった。

 <ブログ内:関連記事>
 *劇作家:つか こうへい氏の稽古(口立て)と遺書(遺言)に学ぶ。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100714

 *NHK総合:つかこうへい・日本の芝居を変えた男。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20101222

 ~以下記事転載:韓国で公演された熱海殺人事件売春捜査官について。

 *萬物相:つかこうへいこと金峰雄(朝鮮日報)
  http://www.chosunonline.com/news/20100714000042

 1999年に日本の大衆文化の輸入が許可され、
 ソウル・大学路の舞台で在日韓国人作家つかこうへいの、
 『熱い波・女刑事物語』(原題『売春捜査官』)の公演が行われた。
 韓国の警察官ミン・ワンスと、
 彼のところへ捜査技法を学びに来た日本の刑事が登場する。
 二人は腹違いの兄弟だ。
 初めは育ってきた環境や経験の違いから激しい愛憎を示すが、
 弟が日本に戻るころ思いを打ち明ける。

 「お兄さん。
 わたしたち在日韓国人は言葉はできなくても祖国を思う気持ちは、
 韓国に住む人に少しも劣っていません。
 あなたたちには足りない人間に思われるかもしれませんが、
 わたしは日本で育った自分に誇りを持っています。
 またわたしのような人間を今まで育ててくれた日本に礼を尽くして、
 恩返しするのが人間としての道理だと思います。
 お兄さん。
 『礼』というのはですね“人を許すということ”です。
 そして『義』というのは未来に向かって共に夢見ることです」
 そのセリフの通り在日韓国人2世のつかこうへいが、
 祖国と日本に対して持っていた考えは差別と抑圧と寂しさに苦労した、
 父の世代とは違っていた。

 つかこうへいは1948年に九州で生まれ、
 慶応大学文学部フランス哲学科在学中に演劇の世界に飛び込んだ。
 大学時代に全学共闘会議(全共闘)の学生運動が激しかったが、
 「他人の家に間借りしている身分で主人との争いに参加する必要があるのか」
 という考えから演劇に没頭した。
 つかこうへいが巻き起こした演劇の新しい風は、
 「つかブーム」という言葉を生んだ。
 評論家らは日本の演劇史を「つか以前」と「つか以後」に分けた。
 <金泰翼論説委員:朝鮮日報日本語版記事転載>

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劇作家:つか こうへい氏の稽古(口立て)と遺書(遺言)に学ぶ。

2010-07-14 01:00:00 | 映画・芝居・落語


 
NHK-BS2では、
 これまでに3作品の『熱海殺人事件』を放送している。

  ・由見あかり主演:『熱海殺人事件:売春捜査官』
  
出演:由見あかり 田中竜一 
戸田禎幸 吉田智則
 ・阿部寛主演:『熱海殺人事件:モンテカルロ・イリュージョン』
  
出演:阿部寛 平栗あつみ 山本亨 山崎銀之丞

 ・石原良純主演:『熱海殺人事件:サイコパス』
  
出演:石原良純 鈴木聖子 鈴木祐二 小川岳男
 
 我家の映像コレクションには幸い3作品総てのビデオ録画が残っており、
 舞台映像:『熱海殺人事件』の総て確認する時間はないものの、
 出演者達のインタビューやメイキング映像を確認してみた。

 熱海殺人事件の3作品の中で一番最初に映像鑑賞したのが、
 *大分市つかこうへい劇団:『熱海殺人事件:売春捜査官』
 ~1996年5月大分公演が初演で放送は東京での引越し公演。

 つかさんの代表作である『舞台:熱海殺人事件』の木村伝兵衛役を、
 初めて女性が演じた由見あかりさんのカッコよさにはぶっ飛んだ。
 「警視総監殿。いま義理と人情は女がやっております。」
 
の決め台詞と決めポーズは“つか演出”の最高傑作との呼声も高い。

 NHKでの放送は戦後初の韓国公演(芝居)が決まった直後の放送。
 番組では主演の由見さんが舞台中継の放送後にインタビューに応じている。
 舞台では大胆で強靭な演技を見せる由見さんは小柄でほんわかムード。

 「声が出なかったり動きが小さかったりの不安はあったのですが、
 日々の稽古をしていく上で自然(発声や動き)に身についていきました。
 つか芝居の稽古は限界まで体力を酷使しますので自信が付きます。」

 「舞台の非日常と普段の日常の違いに自分ながら驚くことがあります。
 平素は普通に暮しているのに舞台では内に秘めるパワーを一気に出しちゃう。
 つか芝居は力で押し切る部分もあるけれど(その実)自分の内から出てくる。
 働いている人達(女性達)が見ていてスカッとしてくれれば嬉しいと感じるし、
 お客さんの反応や拍手を頂いた時に明日も頑張ろうと思う。」

 「つか芝居は言葉のマジックで最初笑わせておいても最後に心に残る。
 韓国公演に周りの方々は“凄いことだ凄いことだ”と言われるですけど、
 自分にしてみれば韓国の役者さんと日替わりでやるんで面白そう。」

 
 「実家はコンビニをやっているのでコンビニのお手伝いをしたり、
 普段は家では料理をしたりと家事手伝いですね。」
 と答える。

 大分市つかこうへい劇団は地元のオーディションで公募した素人劇団。
 しかし、
 舞台で演じられた4人の高度な芝居はどんなプロの演者よりも素晴らしく、
 つか演出、つかワールドと言われる世界の秘密を知りたく探ってみた。
 それは(素人であれ玄人であれ)、
 役者さんが持つ可能性を最大限に引き出す技術なのだろう。
 厳しい稽古を通して成長する役者を自分の型に嵌めているようで、
 役者の内なる可能性を見抜き言葉を連射砲のように当て嵌めていく。
 “自分でない自分を発見させ自覚させていく=言葉のマジック”

 その“口立て”の手法について、
 つかさん自身の口から述べているインタビューを、
 手持ちのビデオ映像に見つけたので下記に掲載する。


 <稽古(口立て)について>

 『サイコパス』のメイキング映像。
 “つかワールドに挑む!石原良純の319日”
から。

 石原さんは北区つかこうへい劇団に35歳で入団。
 基礎レッスンから挑戦する石原さんは、
 舞台の基礎練習ができていないため不味さが目立つ。
 北区きたこうへい劇団の役者さんの多くが20代の若者で、
 本業(役者)だけで食べることはできずアルバイトを持っている。
 石原さんだけが芸能の世界を生業としているが若い劇団員の動きに、
 全然スピードが付いていけず本業俳優としての焦りを感じる。

 つかさんが亡くなった折の報道では、
 稽古に台本(シナリオ)が無いように語られているが、
 演出助手の西澤周市さんが台本を元に立稽古を開始。
 演技のベースができるまでは演出助手が演技指導を勤め、
 つかさんが直接指導するわけではないようだ。

 つかさんの舞台は照明と音楽と役者だけの簡素なつくりで、
 その分役者の演技力が強く要求される。
 石原さんは『サイコパス』の主役を射止めるも、
 下手を打つと降板させられる緊張感がある。

 配役が決まって初めてつかこうへい氏が稽古に参加。
 ベースの台本で稽古をしながら、
 つかさんが台本を次々と言葉で書きかえていく。
 “口立て”と言われるつかさん独特の手法で、
 つかさんが帰った後に劇団員達が台本を再確認し上書き。
 4色のペンで記憶を辿りながら言葉を確認し何度も上書き。
 つかさんの放った言葉の山を文字に書き換えるのは、
 役者とスタッフの仕事のようだ。

 つかさんは語る。
 「役者が持つ執念を感じながら言葉を選び言葉を引き出す。
 テクニックだけで2時間の芝居を持たせることは土台無理で、
 役者の人間性や痛みや経験が出てこないと話に面白味がでない。」

 役者を役柄(キャラクター)に合わせるのではなく役柄を役者に近づける。
 役者が持つ表情や能力を引き出すための手法が“口立て”のようだ。

 つかさんは語る。
 「芝居(稽古)を通じて役者が成長(変化)することで台本が変わる。
 役者が成長することで作品が成長し新たな可能性を求めて変えていく。
 作家ってのは所詮4割の力で残りの6割は役者の力。
 台本が成長する事は役者が持つ魅力をどのように引き出すかが肝心だ。」

 <つかこうへい氏の遺言>

 友人、知人の皆様。
 つかこうへいでございます。
 思えば恥の多い人生でございました。
 先に逝く者は、
 後に残る人を煩わせてはならないと思っています。
 私には信仰する宗教もありませんし、
 戒名も墓も作ろうとは思っておりません。
 通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
 しばらくしたら娘に日本と韓国の間。
 対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
 今までの過分なる御厚意、
 本当にありがとうございます。
 

 報道で知ったつかさんの遺書を読み、
 白洲次郎氏の遺言を思い出した。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100522

 遺言書
 一、葬式無用。
 一、戒名不用。
 昭和五十五年五月。
 正子、春正、兼正、桂子 様
 白洲次郎 (花押)

 在日韓国人であったつかさんが育った時代は、
 今よりもずっと民族差別が多い時代。
 ・由見あかり主演『熱海殺人事件:売春捜査官』
 では民族差別や男女差別や同性愛差別を扱い、
 ・阿部寛主演『熱海殺人事件:モンテカルロ・イリュージョン』
 ではゲイの心理描写やスポーツ・モチベーションの所在の確認を扱った。
 そうした問題(人と人の差別意識)を舞台で取り扱うのは、
 つかさんが育った環境や時代と大きく関係があるのだろう。
 マイノリティの救済=何時か公平(いつかこうへい)。
 自らが国内に於いてマイノリティ(少数派=差別対象)であった事実は、
 夫婦別姓を選択し自らの遺骨を対馬海峡に沈めてくれと願った。
 日本と韓国と2つの母国を持つ心の葛藤を理解することは無理だ。
 何かの行動には必ず何かの動機付けがある。
 つかワールドにかんじる“才能”は葛藤から生まれた産物。
 と言うよりも才能は絶えず葛藤の中から生まれるものだろう。
 つかこうへいさんの厳しい稽古と演者に身につく自信。
 演者は苦しみの中で
 “自分でない自分を発見する”
 才能とは自分が知らない自分を発見すること。
 自分に満足して立ち止まっているものに才能など芽生えない。

 つかこうへい氏の遺言。
 言葉を読んで理解できるほど簡単ではない。
 白洲次郎さんでさえ墓を作る事は拒まなかった。
 つかこうへいの遺言は、
 日本人の死生観も韓国人の死生観も否定し、
 独歩の死生観で語られている。
 つかさんの遺言を、
 思想としては理解できるが、
 行動に移すことは凡人には無理なこと。
 家族との信頼や世間との信頼が構築されなければ、
 つかさんの遺言の実行は不可能だろう。

 実現不可能な遺言が彼なら自然にうつる。
 それはこれまでの、
 つかさんの姿勢であり主張であり人生。

 だから彼は多くの人達から、
 天才と言われるのだろう。


 <ブログ内:関連記事>
 *つか こうへい&由見あかり“熱海殺人事件”の演出論と演技論。
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20100719

 *NHK総合:つかこうへい・日本の芝居を変えた男。
  http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/d/20101222

 ~以下Web記事転載。

 *「対馬海峡に散骨して」:つかこうへいさん死去。
  
<中日スポーツ:Web記事>
  http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2010071302000145.html

 戦後の演劇界を代表する劇作家、演出家、作家の
 つか こうへい氏(本名:金峰雄・キム・ボンウン)福岡県出身が
 2010年7月10日:午前10時55分。
 肺がんのため千葉県鴨川市の病院で死去した。
 葬儀・告別式は近親者で済ませた。
 つたさんは今年1月に肺ガンであることを公表。
 病院で治療を続けながら演出の指示を出し、
 最後まで舞台への意欲を見せていた。

 慶応大在学中からアングラ劇の活動を始め、
 1974年に『熱海殺人事件』で岸田国士戯曲賞を、
 当時最年少の25歳で受賞。
 同年「劇団つかこうへい事務所」を設立。
 『初級革命講座飛龍伝』
 『ストリッパー物語』
 などテンポの良い演出とユーモアで70~80年代初めにブームを起こした。
 俳優の内面をさらけ出させる演出法など演劇を志す若者に影響を与えた。
 
1982年。
 戯曲を小説化した「蒲田行進曲」で戦後生まれとして初めて直木賞を受賞。
 深作欣二監督、風間杜夫主演で映画化もされ大ヒットした。
 
1994年。
 東京都北区と95年には大分市と組んで劇団を設立。
 北海道北広島市でも演劇人育成セミナーを開催するなど、
 演劇による地方からの文化発信に貢献した。

 主な戯曲に
 「戦争で死ねなかったお父さんのために」
 「広島に原爆を落とす日」
 「幕末純情伝」

 著書に在日韓国人2世としての思いをつづった
 「娘に語る祖国」シリーズ
 などがある。
 ~長女は宝塚歌劇団の女優愛原実花。

 1991年読売文学賞。
 2007年に紫綬褒章。
 
 *「大分に勇気をくれた」と元劇団員ら早世惜しむ。
   <西日本新聞:Web記事>
  http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/184122 

 つかさんは1995年に地方からの文化発信を掲げ、
 <大分市・つかこうへい劇団>を旗揚げ。
 1年のうち3カ月を大分で過ごし、
 地元を中心にオーディションで選んだ素人を役者に育て全国で公演を続けた。
 2000年の解散までに国内112公演:観客動員は延べ4万8千人に上る。
 1999年には戦後初めて日本語での韓国公演を成功させた。
 『売春捜査官』の舞台で主役を演じた、
 今西(旧姓・由見=よしみ)あかりさん(39)は、
 「厳しくも優しい人だった」と振り返る。
 “ピリピリした空気”の稽古場で、
 厳しい口調でしかられ指導されたが、
 部屋(稽古場)を一歩外に出ると、
 「のどの調子が悪かったのか?」
 「ちゃんと飯食ってるか?」
 と声を掛けてくれた。

 つかさんの移動など日常を補佐した同市職員の後藤益信さん(49)は、
 本番の舞台の袖から役者を見守るつかさんに温かみを感じたという。

 劇団員となり実家の長崎市から大分市に移り住んだ田中竜一さん(37)は、
 「今の私があるのは先生のおかげ。劇中の言葉が今も心に染みる」
 と話した。
 「バブル後の閉そく感の中、大分に勇気と誇りをくれた」。
 創設時から劇団の事務局を務めた衛藤延洋さん(52)は、
 「地方には光る原石がたくさんいる。問題は磨けるかどうかだ」
 と言っては稽古後に団員を食事に連れて行っていた、
 つかさんの姿を思い出し、
 「シャイで気配りができ人情の機微が分かる人だった」
 と目を赤くした。
 同市は劇団に対し年間約3千万円を助成していた。
 釘宮磐市長は、
 「先生の精神を引き継ぎ今後も地方からの文化の発信に取り組む」
 とコメントした。

 

2010年1月1日 つかこうへい

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三遊亭圓生著:『浮世に言い忘れたこと』を読む。

2010-05-12 22:40:00 | 映画・芝居・落語


 2010年。
 4月には古今亭志ん生著:『なめくじ艦隊を感動のうちに読み終え、
 5月には三遊亭圓生著:『浮世に言い忘れたこと』を読んでいる。

 三遊亭圓生さんは昨年(2009年)亡くなった三遊亭圓楽さんの師匠
 古今亭志ん生さん、桂文楽さんと並ぶ“昭和の三名人”の一人として、
 後世まで語り継がれる噺家(はなしか)。

 『浮世に言い忘れたこと』は、
 現在絶版で中古市場か図書館でしか入手できない。
 私の手元に現在あるのは、
 1981年10月に講談社より発行された初版。 
 読み進むうちに芸に打ち込む姿勢や心意気に深く感銘する内容で、
 一芸に秀でた人の確かな考えを確認した。
 その中の一説を掲載させていただく。

 気転を働かせること。
 何かに困った時にどういう処置をとったらいいのか…。
 これは突然起こることですから最初から考えるおくことはできません。
 演芸中に突然何か起こった場合に(どのように)上手く処理できるかは、
 平素の心がけにもよりますが私(あたくし)は詰まるところ、
 “自分の立場に責任を持つ”ことだと思います。
 太平洋戦争中には演芸中によく空襲警報に出会いました。
 その場合で演者は決して慌ててはいけません。
 客は皆、演者に注目して(噺を)聞いています。
 その最中に、
 注目している(先の)人間が一人で慌てふためいて舞台から飛び降りでもしたら、
 それこそ群集心理で一同が大騒ぎ(パニック)になることは必定なんです。
 だから落ちつき払って、
 「ただいま空襲警報でございますから皆様どうかお静かにご退場願います。
 お静かにどうぞ…。」
 とことさらゆっくりとしゃべると客も慌てず順序よく帰ってくれたものです。
 客があらまし帰ったのを見届けて楽屋に入ると、
 今度は慌ててゲートル(巻き脚絆)を巻いたりしたものですよ。
 なにも私(あたし)に度胸があるわけでもなんでもない。
 ただ自分の責任というものを考えて自分が慌てたらどのようになるかと思うから、
 わざと落ち着き払ってみせてるだけで内心は本当に怖いですよ。
 
 
丁度この件を読んでいる時間は小松→東京行(5月10日朝)の飛行機の機内で、
 目の前にいるキャビンアテンダント(客室乗務員=スチュワーデス)に注目。
 彼女達は、
 万が一の時に冷静な対応を求められる責任ある職業の筆頭に位置するだろう。
 2007年8月20日の中華航空機の炎上爆発事故での機内の対応のニュースや、
 1985年:日航機墜落事故での生存者による機内の様子の証言等を思い出す。

 そうした中で、
 近々発覚した西武鉄道職員によるキセル事件や、
 日本大学の職員による情報流失事件の報道には落胆する。
 その他にも管理すべき立場にありながら
 解雇相当の“責任感の感じられない職員の行動”が報じられる。
 特に“個人情報の流失”については、
 個人や団体に違法認識がないのか頻繁に繰り返されており、
 被害者も被害の実情が確定できないから仕方ないと諦めるのではなく、
 共同による賠償請求が妥当だとも感じる。
 
 お銭(あし)をいただくからには。
 芸の道を目指す“今時の人”は直にお銭(あし)のことを気にします。
 ともかくパーッとあがって一年ばかりでも人気があって、
 ピシャッと落っこちてでも早く売れたほうが良いと言う。
 (一時の人気で)儲けた金でアパートでも建てておいて、
 家賃のあがりで生涯喰っていくって了見だそうです。
 でもね、
 アパートを建てるために芸人になるくらいなら、
 他に色々な方法があるはずです。
 芸人になろうという気持ちが本当にあるなら、
 “一生芸の道で喰っていく。”といった気位が必要です。
 人間はただ生活していくだけが能じゃない。
 やっぱり自分がやりたいことをやるのが人間じゃないかと思います。
 だから私は喰う事ができなくなったら、
 大道に立ってでも噺をする気概があります。
 私は必ずお銭をいただけるだけの噺をしますよ。
 どんなに(傍から見て)惨めでも芸人としてはその方が立派だと思います。
 私はどんなに路頭に迷おうが生涯これと目指した生業(なりわい)を続け、
 “初志を貫徹する生き方”に魅力を感じます。
 今時の(手軽に儲かる方法ばかりを考えている)芸人に言いたいことは、
 世の中銭勘定だけでは駄目だってことに早く気付いて欲しい。
 人の目の届かない所でコツコツと地固めして叩いて地馴らしして…。
 芸人というのは日々修行をしていかなくちゃ駄目なんですよ。
 
 この頁(ページ)を記するに当たって頭に浮かぶのは、
 2010年6月の参議院選挙の候補者名簿。
 覚悟も過去の地固めもない人物の名前だけを拝借して擁立する政党の無秩序。
 政治を“腰掛け”に考えているとしか思えてならない著名人への憂い。
 現役続行を表明しながら“二束のワラジ”を履こうとする国民的アイドル。
 以上は私の目には国民(有権者)に対し無礼な態度にうつる。
 個人的には圓生さんが述べている、
 初志貫徹よりも流動的な社会変化の中での臨機応変を好む。
 ただし、
 混迷を通り過ぎ悲鳴に近い国民生活の実態を鑑みることもなく、
 今尚(政治について何も知らない)素人議員を擁立する政党に私は無念を感じる。
 どこまで国民感情が低俗なレベルと位置付ければ気が済むのか?

 圓生さん風に言うならば
 一生この道(政治の道)で生きて行きたい。
 例え(惨めな思いをして)喰えなくてもいいじゃないか。
 私は国民のために日々研鑽をしたい。
 政治家とは“そうあるべき”と希望したい。


 
<補足>
 
 『浮世に言い忘れたこと』は下記の4部構成になっている。
  ・人情浮世床。
  ・寄席こしかた。
  ・風狂の芸人たち。
  ・本物の味。 
 中でも、
 “人情浮世床”は昭和の落語を伝える花伝書として貴重。
 入手が可能なら是非読んでいただきたい一冊です。

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