mimi-fuku通信

このブログを通して読み手の皆様のmimiにfukuが届けられることを願っています。

うるう日(閏日)の1日。

2008-02-29 23:52:19 | 日記・雑記・独り言

 今日は、4年に一度のうるう日だ。
 今日の夕食は、4年に一度のニク(29)の日と言うことで焼き肉だった。
 なんのこっちゃ。

 閏(うるう)とは、広辞苑(今年になって最新版が出たけど、ウチのは1991年の第四版)によると、
 潤(うるい)と書き誤ったところからの訓だそうだ。
 一年(地球が太陽を一周する時間)は、365日と5時間48分46秒なので、4年に一度の1日分の調整が閏日であることは、周知のことであろう。
 閏(うるう)は、うるいとも読み、うるいは、潤(うるい)なので、その意味は、恵み、恩恵、ゆとり、などである。
 ってことで、閏日とは、恵みの日、ゆとりの日と言った意味になるのだろう。
 閏年は、閏がある4年に一度の年。
 一般的には、夏季オリンピックのある年として認知されている。

 次の閏日は、1460日後。
 四年に一度の儲け日?も、あとちょっとで終わってしまう。

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村治佳織 比叡山 延暦寺コンサート 

2008-02-28 20:51:46 | クラシック・吹奏楽

村治 佳織
「比叡山 /延暦寺コンサート」
             
ハイビジョン クラシック倶楽部

2008年 3月  3日 (月) 06:00~06:55 (放送終了)

2008年 3月 10日(月) 13:00~13:55 (再放送)
http://www.nhk.or.jp/bsclassic/hvcc/index.html

 村治佳織さんのアルバムで、mimifukuがお気に入りなのは、
 「カヴァティーナ CAVATINA 」(1998年11月21日発売)だ。
 年に2~3回は、聴いている。
 多分、1200枚以上所持している音楽CDの中で、聴く機会は多い方だと思う。
 中でも、映画「ディア・ハンター」のテーマである表題曲は好きだ。
 このアルバムは、落ち着いた選曲が多く、録音も鮮明で、深夜ボーっとお酒でも飲みたい時に引っ張り出すことが多い。

 村治さんのギターは、かつての巨匠達のように、ふんわりと(たぶん、古い録音のせいだと思うが、)しているわけでもなく、現代の巨匠達のように超絶技巧を駆使したメリハリの利いた演奏でもない。
 一音々々丁寧に押さえ、しっかりとした音色で奏でられるので、安心して聞くことができる。
 TVやCMにも多数出演されているのでご存知の方も多いと思うが、美形な顔立ちは、多くの面で得をされていると思う。(逆に困ることも多いと思うが・・・。)
 そのため、純粋なクラシック・ファン以外の支持者も多いと聞く。
 TVで拝見する限りは、クラシックからイメージされる、「上品な。」と言うよりも、サバサバとした男っぽい面が多い方に感じられるが如何だろうか?

 タイプは全然違うのだが、松たか子さんのように、親子2代で受け継がれる血のようなものを村治さんに感じることができる。
 今の村治さんの演奏スタイルも好きだが、欲を言えば、松さんのようにドンドンと前に出て、これまでと違った自分にチャレンジすることができればもっと素敵になれる。

 比較的熱くなることのない村治さんのステージだが、今回はどのような演奏を見せてくれるのか?
 今回も、癒し効果の高い村治さんのギターに期待しようか。
  
 ~プロフィール~

 村治 佳織(1978年4月14日生まれ。東京都出身。)
 3歳頃からギタリストであるの・村治昇氏に習い始める。
 10歳からはクラシックギタリストの福田進一氏に師事。
 1989年、ジュニア・ギターコンテストにて最優秀賞を受賞。
 1992年、ブローウェル国際ギター・コンクールや東京国際ギター・コンクールで優勝。
 1993年、津田ホールにてデビュー・リサイタルを開催。
 1994年、日本フィルハーモニー交響楽団と共演し、協奏曲デビューを果たす。
 1995年、イタリア国立放送交響楽団の日本公演にソリストとして同行。
        全国各地で演奏し、高い評価を得る。
        第5回出光音楽賞を最年少で受賞。
 1996年、イタリア国立放送交響楽団の定期演奏会に招待される。
        このコンサートの模様は、ヨーロッパ全土にテレビ放映される。
 1997年、フランス・パリのエコールノルマル音楽院へ留学。
        アルベルト・ポンセ氏に師事。
 1999年、TV番組の収録を通して、作曲家:ホアキン・ロドリーゴと出会う。
 2003年、英国の名門クラシック・レーベル/デッカ・レコードと契約を結ぶ。
        日本人演奏家として初めてとなるインターナショナル長期専属契約。
 2005年、右手後骨間神経麻痺により演奏活動を休止。治療・静養に専念。
        本人は、「神様が与えてくれた休日。」と、後日談。
 2006年、回復後、ツアー、レコーディングを再開し、周知の活躍。


【放送される曲目リスト】

「ギターのための12の歌」 より、( 武満 徹 編曲 )  
 
   “ロンドンデリーの歌”  ( アイルランド民謡 ) 

< 2004年11月23日,/滋賀県大津市 比叡山延暦寺 にない堂 >


サウダージ No.3  ( ディアンス作曲 ) 

過ぎ去りしトレモロ  ( バリオス作曲 ) 

< 2004年11月24日,/滋賀県大津市 比叡山延暦寺 根本中堂 >

「ギターのための12の歌」 より、( 武満 徹 編曲 )  
    “ヘイ・ジュード”  
   “ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア”  (レノン&マッカートニー作曲 ) 
   “オーバー ザ・レインボー”  ( ハロルド・アーレン作曲  ) 

< 2004年11月23日,/滋賀県大津市 比叡山延暦寺 にない堂 >


「エピタフィオス」 から  ( テオドラキス作曲 ) 
  “不死の水”  
  “わが星は消えて”  
  “きみは窓辺にたたずんでいた”  

「ギターのための12の歌」 から
  “早春賦”  ( 中田 章 作曲 /武満 徹 編曲 ) 

「全ては薄明の中で」  ( 武満 徹 作曲 ) 

「ギターのための12の歌」 から
  “ラスト・ワルツ”  ( レス・リード & バリー・メイソン作曲 /武満 徹 編曲 ) 

< 2004年11月24日,/滋賀県大津市 比叡山延暦寺 根本中堂 >

   注:曲順に付きましては、異なった発表がありますのでホーム・ページでお確かめください。
              

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本田美奈子「最期のボイスレター」 ~岩谷時子との対話。

2008-02-27 20:31:00 | テレビ番組


 *ハイビジョン特集
 「本田美奈子:最期のボイスレター」
  
~歌がつないだ“いのち”の対話~

 放送局  :NHK-BSハイビジョン
 放送日  :2010年12月12日(日)
 放送時間 :午後7時5分~午後8時55分

 放送局  :NHK-BSハイビジョン
 放送日  :2008年3月3日
 放送時間 :午後2時~午後3時50分
(放送終了)
 
~3月10日、6月17日、10月31日に再放送がありました。

 放送局   :NHK総合/デジタル総合
 放送日     : 2008年3月24日
 放送時間 :午後7時30分~午後8時45分
(放送終了)

 <mimifukuから一言>

 急性骨髄性白血病のために亡くなった歌手の本田美奈子さんが、
 闘病中に偶然入院してきた恩師であり作詞家の、
 岩谷時子さんと交わしたボイスレターを通して、
 人が生きることへの希望や重みを考えさせられる番組。

 本田美奈子さんは2005年1月13日。
 白血病のために都内の大学病院に入院。
 その5ヶ月後の6月20日。
 道路で転倒し大腿骨他、複数の骨折をして入院してきた岩谷時子さん。
 ミュージカルを通して出会って以来、
 本田さんにとって岩谷さんは母のような存在。
 ~年齢的にはおばあちゃん(当事89歳)なんだけれど、
 岩谷さんをお母さんと呼ぶ本田さんの優しさを知ることができる。

 無菌室の本田さんと動けない岩谷さんがボイスレコーダーを通して、
 病気と闘いながら励まし合う声の記録は聞いていて胸がつまる思いがする。

 本田さんは岩谷さんへのボイスレターに必ず自らの歌を録音する。
  気持ちがブルーだと言いながらも歌う
 「祈り(岩谷時子作詞)」
は音程のずれを感じさせながらも、
 彼女の心情が見える。
 
 「神様 今日も世界をおまもりください。
 わたしにいのち 与えたもうた この御手で 
 曠野(あれの)は寒い 子羊は祈る。
 神様 お恵みを さまよう者に。
 おびえる子供らに 御救いを、
 おびえる子供らに 御救いを 。」
 
 
美奈子:
 「ねえ、お母さん。お母さんの詩ってすごいでしょ。
 心にいっぱいキズをおってしまって、
 自分が生きているのも辛くなるような子供達が、
 最近増えていると思うんですね。
 そういう子供達にお母さんの詩のメッセージ伝えるために、
 子供達の前で歌うことができたらいいなって、
 今思いました。」

 時子:
 「とっても綺麗な歌声を聴いて、
 さわやかな気持ちで寝むれない春の夜を眠りました。
 やっぱり色々と考えることの多いこの頃だけど、
 あなたも私もこれから頑張って生きていかなければならない、
 宿命を持っていると思うのね。
 だから、
 力を合わせて何とか幸せに、
 周囲も幸せになるように頑張りましょうね。」

 病気の二人が社会の憂いを考えるやり取り。
 89歳の岩谷時子さんが、
 「周囲が幸せになれるよう頑張ることが私達の宿命。」
 と言う件(くだり)には感銘を受ける。

 また、
 健康な者には想像もできないと聞く抗癌剤の副作用の辛さの中で、
 口から血を吐きながらも歌うことをやめない本田さんの姿勢に、
 感動しない者はいないだろう。

 病気との闘い。
 再びステージに立つことへの希望。

 一人の人間のすざましい闘病生活を通して、
 生きることの尊さを感じることができる、
 そんな番組になっていた。

 私は本田美奈子さんのステージを、
 東京の帝国劇場での「レ・ミゼラブル」で観覧している。
 彼女が歌う“オン・マイ・オウン”でのエボニーヌと同化するような感情移入と、
 声量の豊かさは素晴らしいものだった。

 ミュージカル界では高く評価されていたものの、
 一般的には過去のアイドル歌手との認知が強く、
 彼女の活動に対して生前にもっと高く評価されても良い歌手であったろう。

 マリリンのイメージが強いがアイドル時代から歌の上手な歌手だった。
 ただしクラシックを歌うには、
 ブレスの不足と声の硬さに少し違和感を覚えた。

 享年38歳。
 惜しい才能を失った。
 願わくばBS特集で、
 美空ひばりさんや尾崎豊さんのように、
 リクエスト特集を放送して欲しいものだ。

 もう一度、舞台での彼女に会いたい。
 

 *番組のレポートを綴ったブログへのリンク。
  http://blog.vita-cantabile.org/2008/02/post_324.html

  http://blog.goo.ne.jp/earth12wind/e/a4ceb585aa8e4191176bf3a1f793964b


 【関連番組】

 
BSエンターテインメント 
 
「歌伝説“愛の讃歌”」
 ~作詞家:岩谷時子の世界~

 放送局  :BSハイビジョン
 放送日  :2008年3月1日(土)
 放送時間 :午後2時30分~午後4時
(放送終了)

 「愛の讃歌」の訳詞で知られる岩谷時子さんの数多くの名曲を紹介。
 越路吹雪さんの才能に惚れ込みエディット・ピアフの訳詞等を手がけた、
 岩谷時子さんは作詞家としても日本の歌謡史において、
 1960~70年代にかけて数多くの名曲を世に送り出した。

 岩谷さんと言えば越路吹雪と言えるほど人生を越路吹雪さんに捧げ、
 マネージャーとしての岩谷さんの力量を劇団四季の浅利慶太さんは、
 「越路さんのような天才は二度と世に出てこないだろう。
 なぜなら岩谷さんのような(情熱的な)マネージャーが、
 今の世の中にはいないからだよ。」

 フジテレビ系列のドラマ、
 『越路吹雪・愛の生涯この命燃えつきるまで私は歌う』(2005年放送)で、
 天海祐希さんが越路吹雪さんを演じ、
 松下由樹さんが岩谷時子さんを演じおり、
 ご記憶の方も多いと思う。

 本田美奈子さんの当たり役:ミュージカル『ミス・サイゴン』
 
も岩谷さんの訳詞であり、
 「ミス・サイゴン」で知り合った本田さんの才能を高く評価し、
 数多く詞も提供した。

 岩谷さんは“ボイスレター”の番組では出演されなかったが、
 この番組では元気な姿を見ることができる。

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東京事変 Live tour 2007 in Zepp 東京 mimi-fuku番組情報。

2008-02-26 21:23:51 | J-POP

 
 <東京事変ライブ>

 ~live tour 2007 「Spa & Treatment」
     
放送局:BSフジ
日時 :2008年3月 1日(土) 19:00~20:55(放送終了)
日時 :2008年7月20日(日)17:00~18:55(放送終了)

 
 椎名林檎さんが現在所属している?東京事変が、3rdアルバム『娯楽(バラエティ)』の発表に合わせて行った全国ツアーのライブ映像。
 今回の放送は、<東京事変 live tour 2007:Spa&Treatment>より、2007年11月21日に大型ライブ・ハウス/Zepp 東京で行われたツアーファイナルの模様。
 東京事変、初のスタンディング・ツアー(ライブ・ハウス・ツァー)である。
 アルバム『娯楽(バラエティ)』では、椎名林檎さんは、作詞と歌唱のみを担当。
 作曲、編曲とサウンド面をバンドメンバーが担当するといった、新しいコンセプトに挑戦。
 今回のツアー・ライブは、この最新アルバムの楽曲を中心に、椎名林檎さんのソロ時代の懐かしいナンバーも交えたセットリストとなっている模様。
 最近は、かつての鋭さから、やや丸くなった椎名林檎さんが、果たして「小さな箱。」の中でどのようなパフォーマンスを展開するのか?
 乞うご期待。
                                        ~BSフジ・ホームページより転載、再編集。

11月21日のライヴ・リポートへのリンク。
http://gunjyotrip.blog109.fc2.com/blog-entry-74.html  (前編)
http://gunjyotrip.blog109.fc2.com/blog-entry-75.html (後編)

http://ro69.jp/live/archive.html?68

http://snowfallin.exblog.jp/7501327/

11月11日のライブ・リポートへのリンク。
http://music.jp.msn.com/news/3975.htm
 
 *ライブ・レポートは、番組内容のネタばれがありますので、ご注意ください。


【放送された曲目リスト】

01 復讐
02 酒と下戸
03 歌舞伎
04 OSCA
05 ランプ
06 ミラーボール
07 金魚の箱
08 群青日和
09 ピノキオ
10 某都民
11 月極姫
12 丸の内サディスティック
13 閃光少女
14 私生活
15 修羅場
16 黒猫道
17 キラーチューン
<アンコール>
18 体
<アンコール>
19 透明人間

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「ゲイツとバフェット、後輩と語る。」マイクロ・ソフトの苦悩。

2008-02-24 21:43:36 | 経済・産業・mono

 約一週間かけて、「ゲイツとバフェット ~後輩と語る。」にこだわって書いてきた。
 
 この番組を最初に見た時には、別段大きな感動はなかった。
 言葉の中に新しい発見がなかったからだ。
 しかし、バフェットの啓蒙的姿勢を若い読者さん向けて、書き写すのも良いかなと始めてみると意外と色々なことが見えてきた。
 
 今回は、これまでとはまるで違った角度から、この番組の感想を、ひとつだけ集中して述べてみたい。
 ゲイツが言った、
 「当社にとって、最大の失敗は、
 <将来現実となって大きな成功を収めるものを見逃してしまうこと>です。」
 との発言にはアメリカらしさが垣間見える。

 日本の多くの企業の場合、まず最初に誰かが成功したことを手本に事業計画を立てる。
 また、日本には、、「勝ちに乗る。」との言葉をもじって、
 <勝ち馬に乗る。~勢いづく者に便乗するとの意味か?>との言葉もあり、不確実な事に対して、先頭に立って競争に参加する企業は少なかった。
 最近では、グローバル化の波もあり、一歩遅れると事業計画事態が窮地に追い込まれるといった例も見受けられる。
(カメラのデジタル化に乗り遅れたミノルタ等。)

 <最大のミスは、将来現実となって大きな成功を収めるものを見逃してしまうこと。>
 
は、現実にマイクロ・ソフトにも起きている。

 例えば、アップルに先を越された、携帯音楽プレーヤーの躍進。
 グーグルが先行した、WEB2,0と呼ばれる通信技術の改良がもたらした検索技術の驚異的な発達と、それにともなう広告収入型のビジネス・モデル。。
 マイクロ・ソフトの資金力があれば、早い時期に気づき、競争に入っていれば、競争力も対等以上にあったと考えられる。
 しかし、一歩で遅れたことが、今のヤフー買収計画につながっているのだろう。
 
 マイクロ・ソフトが、パソコン用基本ソフトOS(operating system)分野の独占を果したことで、すべてのコンピューターに関連する事業を先行、または独占するかに見えた。
 何をするにも、Windowsを介してアプリケーション(application software)を作動しなければならないと考えられたからだ。
 OSの占有率を高め、ほぼ独占状態になることで、アプリケーションの互換性がない他のOSは、事業規模を縮小せざる得なかった。
 そして、技術情報を秘密にすることによって、他のソフト会社がWindows 向けの応用ソフトの開発をしにくい状況をつくり出し、自社の電子メール・ソフト、表計算ソフト、文書作成ソフト、などを抱き合わせることによって、市場を独占、巨額の富をもたらした。
 ソフトの専有は、マイクロ・ソフトの独走を許し、王国を築き上げたのだ。
 
 <最大のミスは、将来現実となって大きな成功を収める可能性を見逃してしまうこと。>

 最近になってマイクロ・ソフト社は、、ヤフーの買収や、自社のOSの技術情報を無償で公開すると報じられている。
 このことから、マイクロ・ソフトの苦悩を読み取ることができる。
 マイクロ・ソフトの誤算は、時代の急激な変化を見逃したことなのだ。

 OSの情報公開によって、競合会社は、Windowsと互換性のある応用ソフトを開発しやすくなる。
 そのことは、実は、マイクロ・ソフトが自社のOSに対して危機感を持ち始めたことへの証明になるのだ。
 技術情報を公開することで、他のソフト会社に対して、Windows 向けの様々な応用ソフトの開発を促進し、Windowsの使用を継続してもらいたいとの思惑を感じることができるだろう。
 自社技術を知的財産として秘密主義に徹し、独占的な経営方針を貫いてきた同社がなぜここで方向転換しなければならなかったのか?

 1つは、世界の規制当局による自由競争の促進策に準ずる、欧州委員会から受けた独占禁止法違反に対する調査と是正命令。

 1つは、高速インターネット網が急速に普及することにより生じた、排他的なビジネス・モデルへの消費者の反発とそれに答えるかのごとく現れた、新たなビジネス・モデル。
 
 さらに、基本ソフトの分野でも、世界中の複数のソフト開発者が、インターネット上で連携しながら共同開発が進行するリナックス(Linux)の無償提供は、マイクロ・ソフトの経営基盤にまで脅威を与える可能性を秘めている。

 アプリケーション・ソフトも、インターネット上での無償提供が浸透(ソフトを無料で提供しながら広告料で稼ぐといったビジネス・モデル)しはじめており、マイクロ・ソフトへの依存度は今後、低下するだろうと見られている。

 このように、
 <将来、現実となって大きな成功を収める可能性を見逃してしまうこと。>
 が持つ大きな意味を知ることができるし、現代の世界の企業経営の現実を知る言葉になっている。

 逆に、
 <将来、現実となって大きな成功を収める可能性を誰よりも先に見つけること。>
 
が、これからの企業戦略にとって、最重要課題となることは予見している。

 大きな成功を収める可能性は、どこよりも先に消費者の願望をみつけだし、それを具体的な形にして提示する努力。
 言葉では理解していても、行動することは困難だ。
 イメージと現実。
 提示と受諾。
 提示と拒否。
 企業は絶えず、高速な時代の中で、選択することを求められている。 

 「ゲイツとバフェット ~後輩と語る。」
は、こうした現代の社会情勢や、今後の世界の動向をを示唆する多くの言葉が散りばめられていた。
 聞くだけでは、聞き逃してしまうことも、書くことや読むことで深く理解できることも多くある。
 そんな事に気付かされた一週間だった。

「ゲイツとバフェット/テキスト版。」へのリンク。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/cccbf051fb82250a6393f39d77915734

「ゲイツとバフェット/若者へのメッセージ。」へのリンク。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/c515054b2c36c262e3a5aa280d2fad47
 

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ビル・ゲイツとウォーレン・バフェット/若者へのメッセージ。下巻

2008-02-22 20:33:00 | 経済・産業・mono

中巻より、つづき。

質問:東欧の数ヶ国で均一税率制が成功し、西欧でも導入が検討されています。アメリカでの均一税率制の導入を支持しますか?

バフェット:
 「私は支持しません。
 私はこの国の税率は充分、フラット(均等
)だと思っています。
 社会保障のための給与税は、現在12%以上ですが、所得の最初の800万円~900万円にだけ課税されています。
 だから、私やビルのように高所得者は、払ってないのも同然なのです。
 ですが、私達の会社の社員にとっては非常に大きな税額と言えるでしょう。
 さらに所得税もかかりますし、その税率もおそらく私達よりも高いでしょう。
 キャピタル・ゲインにかかる税率は15%に軽減されていまし、配当も15%です。
 この国の近年の税率は非常に裕福な層を優遇するように変えられてきているのです。
 貧困層に対しては、なんの救済にはなっていません。
 率直に言って、私やビルにはもっと多くの税率が課せられるべきなのです。
 考えてみて下さい。年収800万円の人にとって、12%、約100万円の税金が掛かれば残りは700万円です。
 仮に8億円の年収の人に、12%、約1億円の税金が掛かれば残りは7億円。
 それが、所得にかかわらず、一律に12%の税金を掛けてしまえば、年収200万円の人にとって24万円の税金が徴収され、手元には176万円しか残らないのです。
 その上に、他の税金や他の社会保障費が掛かれば、生活は困窮するに決まっています。
 
ひとりの人に掛かる最低限の生活費を保つことのできないような税制であれば、それをフラット(均等)だとは、私は思っていません。
 私達は多額の税金は払っていますが、税率に換算すると非常に低いと言わざる得ないのです。
 私達が支払っている税率は、25年前の今よりも、はるかに所得の低かった時代に支払っていた税率の半分以下です。
 政府は、本当に金持ちを優遇し過ぎています。」
 (キャピタル・ゲイン:債券や株式など資産の価格の上昇による利益のこと。価格が下がって損をすることは、キャピタル・ロスと呼ぶ。)

ゲイツ:
 「私もウォーレンの意見に賛成です。
 財政の収支を合わせるには、もっと累進的な課税が必要だと思っています。
 いずれ、みなさんも、その必要性を認識するでしょう。
 たくさん稼いでいる人が、より高い税金を負担するべきだと気付くはずです。
 均一の税制とは、見た目には平等に思えますが、国民の中で最低限の生活ができない人達がいることも事実です。
 その人達からも均等に税金を徴収して、より生活が困窮することを、他人事だと見逃してはならないのです。
 国民一人ひとりの生活を守る義務が、国民にはあるのです。
 そのために、裕福な層から税金を多く徴収し、貧困層の生活を保護することこそが、私は平等の観念に即していると考えています。
 キャピタル・ゲインに掛かる税率も見直すべきでしょう。
 富がなければ債権や証券を持つことができません。
 その富める層が、株式などで儲けたお金に掛かる税金について考えることも必要です。
 また、相続に掛かる税金もこの国では、さほど重いものではありません。
 私達が言うのは皮肉に聞こえるでしょうが、この国の税率はもっと累進的であるべきです。」

バフェット:
 「例えば、
 やろうと思えば私は所得税を一切支払わずに生活することもできるのです。
 私が持っている自社株を担保にしてお金を借り、毎年その借りたお金で生活をすればいいのです。
 そして、私が死んだ時に、不動産でその借りたお金を返済すれば済むのですから。
 そのことで、私は所得税を一円も支払わずにこの先、死ぬまで暮らしていけるのです。
 しかし、自分で言うのもなんですが、このようなやり方は非常に不公平ですよね。」


質問:おふたりの純資産の合計は9兆1000億円になります。この金額は世界の貧しい国、70ヶ国のGDPの合計を上回っています。そこで、おふたりの莫大な財産は、世界の繁栄にどのように貢献できるとお考えですか?

バフェット:
 「私の資産はできるだけ社会に役に立つ方法で使って貰おうと考えています。
 地域規模ではなく、世界的な規模でできるだけ有効に、世界中の人の暮らしを向上させるために使って欲しいものだと思います。
 方法としては、慈善事業に寄付するのが懸命でしょう。
 そこで効率よく、より合理的な方法で使って貰えればと思っています。
 慈善事業組織の中で、ビルとメリンダのように効率的な方法で運営している団体を私は知りません。
 ですから、私は彼等を支持するのです。

ゲイツ:
 「恵まれない人達に富を使うことは消費ではありません。
 富を自分達の生活や贅沢のために使うことは消費になります。
 しかし、自分の目的のためだけに富を使うのではなく、社会のために使うことを私は提言します。
 富を一番上から循環させる。
 それは、富める者の義務なのです。
 地位が上がれば上がるほど、社会に対しての責任は重くなります。
 そして、できれば富だけでなく、多くの頭脳も活用して欲しいのです。」


質問:10年後は何をされていると思いますか?

バフェット:
 「医者に聞いてないんだ。
 もしも、充分に健康体であれば今と同じことやっているでしょう。
 いつまで、続けられるかは健康しだいです。」

ゲイツ:
 「10年後、私は60歳になります。
 大台に乗るたびに10年後はもう年寄りだと思っていました。
 <40歳の時は50歳なんて>とね。
 でも50歳になってみて、まだ年寄りではありません。
 今後は、経営と慈善事業とのバランス配分を考えた時に慈善事業へのウェイトを重視することになるでしょう。
 仕事は大好きなので続けては行きますが。」


質問:今までの人生でビジネス以外の最大の成功はなんですか?

ゲイツ:
 「いい家庭を築くことですね。それが、一番です。」

バフェット:
 「私と同じ位の年齢の人達に聞くと、
 <私の人生は成功だった。>と言います。
 そういう人達には、家族や仲間が、いつもそばにいます。
 信頼できる人達に囲まれて生活をする。
 そういった、生活こそが成功と言えるでしょう。
 逆に長者番付にのっているような人や、世間から見れば成功者として見える人でも、誰からも愛されない人は成功者とは言えません。
 そういう、人達は自分が愛されていないことを知っています。
 それは、虚しいことです、
 ごく普通の仕事をしていても、仮に境遇に恵まれていなくても、愛されていると実感できる人は、大きな成功を感じているものです。
 愛されていると言う実感を得るには、同じように愛することも必要です。
 信頼できる仲間と長く親交を持つには、自分が信頼されていなければなりません。
 成功は、自分の中にあるのです。
 ですから、自分に投資することが必要になるのです。
 それは、お金だけではありません。
 成功するための投資とは、信頼される人間になるための投資なのです。
 だから、成功者は信頼できる仲間に囲まれて生活できるのです。
 だから、成功者は多くの人から、愛されている実感を得ることができるのです。
 そういう人達を私はたくさん見てきました。」

(注)1ドルを100円で計算しました。その時々のレートで掛け算してください。

(注)口語表現のために主張が弱くなる部分は、加筆再編集してあります。
   また、若い人達が理解しやすいように補足文も多く使用しています。
   そのため、放送された内容とは異なる部分がありますことをご了承ください。


【番組の内容】

 ウォーレン・バフェット氏の母校であるネブラスカ大学に、親友であるビル・ゲイツ氏と共に尋ね、
学生たちから投げかけられるストレートな質問
に答えていく内容です。

 学生達の口から飛び出す数々の疑問、質問に対し、ジョークを交じえながらの回答で会場全体を和ませてみたり、それぞれの経験談を踏まえ真剣に答えたりと、普段では聞けない
ふたりの本音にせまるインタビュー番組になっています。

                                            (おわり)

 *上巻へのリンク。
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/c515054b2c36c262e3a5aa280d2fad47

 *中巻へのリンク。
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/a3ffa33cec7894f048a4439a502ba35d

 *ビジネス/テキスト版へのリンク
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/cccbf051fb82250a6393f39d77915734

 *ウォーレン・バフェット:アメリカ企業の救済と、その影響力。
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/8d191e9f562a67f4c07aaef3870c1b24

 *マイクロ・ソフトの苦悩。 
 http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/8615bba4167549286eb23161380f0376

 

 「ゲイツとバフェット ~後輩と語る」
  NHK BS1
  08年2月 8日  午後  9:10~10:00(放送終了)

  08年2月15日  午前10:10~11:00(放送終了)

 

 原題: Buffet and Gates Back to School
 制作: NET(アメリカ)2006年

 ビル・ゲイツ(1955年10月28日生れ)
 
マイクロソフト社の会長。
 高校時代の友人と共同でマイクロ・ソフト社を起こす。
 個人資産は約5兆円、世界一の富豪と言われる。
 
 ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団共同会長。
 テキサス州ダラス市生まれのメリンダ・フレンチ(旧姓)と1994年1月1日に結婚。
 3人の子供とともにシアトル郊外に在住。 

 ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団
 ビル・ゲイツが、妻のメリンダ・ゲイツ、父親のウィリアム(ビル)・ゲイツ・シニアと共に作った慈善団体。

 ウォーレン・バフェット(1930年8月30日生れ)
 世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの最高経営責任者であり、投資会社の成功により、4兆円を超える資産を築く。世界を代表する敏腕経営者。

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ビル・ゲイツとウォーレン・バフェット/若者へのメッセージ。中巻

2008-02-20 21:54:14 | 経済・産業・mono

 上巻からのつづき。

質問:お二人の成功に影響を与えたことと、何か習慣にしようとしたことはありますか?

ゲイツ:
 「大学時代には、土壇場にならないと何も取り掛かる事はありませんでした。
 友人に
 <勉強なんかしなくても僕はできるんだ。>ってカッコつけたかったんですね。
 誰もが経験していると思いますが、普段は勉強しない振りをして、2~3日前になって必至にやるんです。
 当時は、スケジュールを組んで毎日勉強している学生に違和感を覚えていました。
 でも、社会では土壇場は通用しないのです。
 社会に出ると目の前の仕事を次から次へと処理していかないと追いつかないですからね。
 仕事とは、毎日々々の積み重ねです。
 さらに、自分に課せられたノルマや、契約期日の厳守などは、ビジネスの大原則です。
 それを守れない社会人は、誰からも相手にされなくなります。
 社会に出たら、スケジュールを守らなければやっていけません。
 仕事の先送りは、良い習慣ではないのです。」

バフェット:
 「大事なのことは、自分にとってヒーロー
と呼べる人物を持つことです。
 つまり、自分にとっての手本であり、目標となるべき人物のことです。
 自分が今後、どのようなビジョンを立てて歩むべきかに疑問を感じた時に、決断すべき方向性を、その人物を通して考ることができるます。
 あの人なら、この緊急事態をどのように乗り切るだろう?
 あの人なら、この場合どのような決断を下すだろう?
 と自分に問いかける時に、自分の中で、ヒーローと呼べる第三者が居れば、彼に相談することができるのです。
 自分の中にもう一人の自分を持つ。
 そのことで、自分を見つめ、冷静な判断を持つことができるものです。
 
 2点アドバイスをします。
 1つ目は、
 私は、できる限り自分に対して投資をします。
 つまり、あらゆることを自分に採り入れ、経験させることが重要なのです。
 そして、行動することを恐れず、自分を磨き上げることです。
 自分に投資することに、時間やお金を惜しんではなりません。
 自分こそが最大の財産ですからね。
 皆さんはこの国で生まれて高い教育を受けています。
 でも、ほとんどの方は
 <自分の持つ可能性のほんの一部しか使わず>
 人生を送っています。
 <自分にこそ、投資をしてください。>
 誰もが大きな可能性を秘めているのですから。
 
 そして、もう1つは、
 なんでもいいから
 <自分が夢中になれるものを見つけてください。>
 私の幸運は、若い時にそれを見つけることができたことです。
 ただ、単にお金のためだけに仕事をしたくはないでしょう。
 自分にとって、快く思わない仕事をしたくはないでしょう。
 毎朝、仕事に出かける時は、ワクワクしていたいでしょう。
 私は尊敬するベン・グレアムの会社に入社した時、給料がいくらかを聞きませんでした。
 私にとって正しいことは、
 <その会社で働くことだ。>
 と私は、理解していたからです。」
 
(ベンジャミン・グレアム:1894年5月8日生まれ~1976年9月21日没は、アメリカの著名な経済学者。また、実際にも自己の投資に対する理論を実践し投資家としても優れていた。著書に『賢明なる投資家』がある。)


質問:これまでの最悪の投資は何ですか?

バフェット:
 「ひどい投資は何度かしましたが私は別に困ったりはしません。
 株主は困るでしょうがね(笑)。
 投資の判断を誤らないことは不可能です。
 失敗(ミス)が拡大しないよう努力はしますけどね。
 でも、失敗したからと言って、くよくよすることは、馬鹿げています。
 私の最大の失敗は、実は表にでません。
 それは、投資すべきなのに投資を怠ることです。
 分かっていながら投資しなかったことで、これまでに1兆円くらいの利益を逃してきました。
 その昔、ビルの会社の株を買おうとしなかったのは、ビルの会社のことを良く知らなかったからです。
 決断を下すほどの材料も下調べもしていませんでした。
 投資をする場合、裏づけのない行動をすべきではありません。
 ですから、ビルの会社の株を買わなかったことを失敗とは言いません。
 私にとって失敗(最悪の投資)とは、決断を下すだけの知識や材料ががあったにもかかわらず、そのタイミングを逃してしまうことです
 行動すべきチャンスに、投資しなかったり、小規模に押さえることなのです。
 小切手を切るべき時に、その判断を誤る。
 買うべき時に買うことに躊躇することは、表に出ない失敗なのです。

 このような失敗は何度もありましたし、そのことで大きな損失もでています。
 しかし、失敗することは投資の世界では当然のことですし、そのことにこだわって、、いつまでも考えることは、時間の無駄になります。
 大事なことは失敗しても、前向きに次のチャンスを考えることです。」

ゲイツ:
 「当社の場合、一番痛い失敗は、
 <将来現実に起きる変化を見逃してしまうこと>です。
 変化を見逃し、後手に回ることは、多くのチャンスを失うことになるのです。
 例えばテレビ番組をインターネットを使って配信するアイディアを他社に先駆けて考えていたら、おそらく、5年は早く始めることができたでしょう。
 我々は新しいものに何でも飛びつく訳ではないのですが、飛躍的に発展する分野に入り込む隙があって、もしも、それを見逃してしまったら、取り返しの付かないミス(失敗)となるのです。
 そのためには、新しいテクノロジーや、社会が求める事、他社の情報など、いろいろなデータをより早く入手しなければなりません。
 出遅れることもまた、企業にとっての命取りとなりますからね。」


質問:多くの人に影響を与える立場の方として、何か考えていることはありますか?

ゲイツ:
 「この国の恵まれない境遇の人達と広く接することが重要です。
 なぜ、この人達は苦しんでいるのか?
 何が、この人達を苦しめているのか?
 その事を理解した上で、考えるべきなんです。
 理想を言えばこの国だけでなく、もっと恵まれない世界中の国々に行って、貧困の現実を見てきて欲しいと思います。
 そして、何かを感じてきてください。
 そして、
 <何かを感じたなら行動すべきなのです。>
 ほんの僅かな援助で、劇的な変化を起こすこともできるんです。」
 (ビルの財団は、世界のポリオワクチン投与費用の90%を負担している。)


質問:私達の世代の抱える深刻な問題点と、それについて私達は何ができるのでしょうか?

ゲイツ:
 「国家間や国内の格差の問題が非常に深刻になっていると思います。
 格差が広がることは、社会の流動性を損ない、アメリカの目指した平等の観念が崩れてしまいます。
 ですから、平等を守るための取り組みについて、皆で考えなければなりません。」

バフェット:
 「私達の国(アメリカ)は幸運の切符を持っているのです。
 現代のアメリカで生まれたという事実。
 高い教育を受けたという事実。
 200年前の時代であれば、今と同じ能力や技術を持っていてもそれを生かせなかったでしょう。
 同じように、世界には、才能があってもそれを生かせない人達が多くいます。
 彼等は、私達のような幸運の切符を持っていないのです。
 10年前、ビルと一緒に中国に行きました。
 そこには賢い人達も大勢いましたが、彼らにはチャンスがなかったのです。
 少なくとも当事は。
 私達は、国内の恵まれない人達を助けるだけではダメだと思うのです。
 ビルとメリンダが取り組んだように、もっと世界をみて世界中の恵まれない人達に手を差し伸べるべきなのです。
 世界には、貧困の悲しい現実や残酷なことが、まだまだ沢山あります。
 あなたがたの世代はそういうことにもっと取り組んで欲しいですね。」
 
(ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団 :ビル・ゲイツが、妻のメリンダ・ゲイツ、父親のウィリアム(ビル)・ゲイツ・シニアと共に作った慈善団体。)


質問:何か「特別な力」を持てるとしたら何がいいですか?

ゲイツ:
 「寿命を延ばしたり、ものすごい速度で文字が読めるとか?」

バフェット:
 「ビルは私の3倍も早く読めるじゃないか。
 そのことだけでも、私は人生を10年は無駄にしている(笑)。
 真面目に答えよう。
 世界中の核兵器の削減ですね。
 人類の存亡にかかわることです。
 残念ながら、核の知識は世界に飛び出してしまった。
 悪魔を解き放ってしまったのです。
 世界の中には、悪いことを考えている人達もいます。
 核が悪い人達の手に渡り、使われてしまったら、どのような現実が待っているのか?
 難しいことですが、いずれは皆さんの手で、核の削減や廃絶をかなえて欲しいと思います。」


質問:物にあふれたこの時代に、子供達に対してどのような正しい価値観を教育すべきですか?

バフェット:
 「私が有名になるのは遅かったので、子供達は私が金持ちだとは思っていませんでした。
 そこそこ儲かってからも昔と同じ家に住んでいましたからね。
 でも、ビルの場合は子供が生まれた時にはもう有名人だったから大変だったでしょう。」
 (バフェットは、1957年に315万円(当時)で購入した家に現在も住んでいる。)

ゲイツ:
 「ウチの場合、子供の成長期には大きな家がありました。
 そんな中にいると子供達は勘違いするのです。
 <何でも手に入るのだ>と。
 ですから、小遣いを与える時には、きちんとしたルールを定めなければなりません。
 今日お菓子を買ったら、明日は買えない。
 と理解させることが必要です。
 限界があることを教えることです。
 また、幸い子供達と旅をして、世界の現実を見せることもできました。
 そして、この国(アメリカ)がいかに無駄の多い国なのか?
 私達が当たり前と思っている暮らしが、いかに特別なものなのかを知る機会になったと思います。」

 
(ゲイツは、ワシントン州にある119億円の邸宅に住んでいる。)

バフェット:
 「ウチの子供は、世間の基準に照らし合わせれば、金持ちの部類に入るでしょう。
 しかし、私の財産を子供達は相続しないことになっています。
 私の財産の99%はいずれは慈善事業に寄付することになっているからです。
 だから、子供達は大金持ちにはなれないのです。
 私は、莫大な富を継承することには興味がないんです。
 だって、それはアメリカらしくありません。
 才能を持つもの全員に公平なチャンスがある。
 それがこの国の精神であるはずです。
 <裕福な家に生まれたから、無条件で社会の中の高い地位を手に入れられる。>と言った考え方は、アメリカ的ではないと私は思います。」
 (バフェットは、3兆円以上をビル&メリンダ・ゲイツ財団に寄付すると約束している。)
                                        つづく。

上巻へのリンク。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/c515054b2c36c262e3a5aa280d2fad47

下巻へのリンク。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/56ce9d7765541a9f45550fd8c943375e

 

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ビル・ゲイツとウォーレン・バフェット/若者へのメッセージ。上巻

2008-02-17 21:45:45 | 経済・産業・mono


 *文字で読む、番組ダイジェスト。
 
(内容は多くの加筆を含み、放送されたものとは異なる部分があります。)

 「ゲイツとバフェット ~後輩と語る
 
 ビル・ゲイツ氏
(記事:青色)
ウォーレン・バフェット氏(記事:紫色)は、世界の長者番付のトップを争う2人。
 その彼らが、バフェットの母校で開かれた学生からの質問に答えます。

質問:どのような方法で組織全体の倫理指導を行っているのか?
    経営陣がどのように考えているのかを確かめる方法はあるのか?

バフェット:
 
「我が社は潤沢な資金があるので、多少の損失を出す余裕はあります。
 しかし、評判を落とす余裕はありません。
 企業が評判を落とすことは、その企業にとって命取りとなりかねません。
 現代の社会では、企業イメージを高めることが、最も有効な宣伝となるのです。
 私の会社では、経営陣に対して、新聞テストと言う方法を採用しています。
 <自分がしたことが、翌日の新聞に掲載されたとして、家族や他人が読んだ時、嫌な感じを与えないか。>
 という基準です。
 それにクリアーしない事は、してはならないのです。
 身近な人が嫌だと感じることは、多くの人にとって嫌だと感じると考えてみれば、答えは出るでしょう。
 他人が嫌だと思うことをすることは、企業イメージを悪くすることとイコールなのです。
 逆に、他人が良いと感じることは、企業イメージを高めます。
 企業に対するイメージは、その企業を認知してくれることと同じなんです。
 そして、そのことを、<新聞テスト>において考えることで、企業の倫理性を保つことができるのです。」


質問:お二人が知り合ったきっかけは?

バフェット:
 
「最初に会ったのは、1991年7月にワシントン・ポスト誌の、知り合いの女性に招かれたパーティにいった時です。」

ゲイツ:
 
「私の母は社交的でパーティを催すのが好きなんです。
 当事私は仕事に没頭していて、その事を気にかけた母が、
 ~息抜きが必要だから、時にはパーティに出席して人と会うように。~
 と勧めてくれたのです。
 <ウォーレンさんも来るから>と。
 そこで私は、時には母の勧めに乗ってみるのもいいかなと、僅かな時間、顔だけ出すつもりで出席したのですが、ウォーレンとの話がとても面白く、そのままずっと話し込んでしまいました。
 その後は、色々な口実を見つけては、ウォーレンと会っています。」

バフェット:
 
「親の言うことは聞けと言うことだな(笑)。」


質問:過去にもらった最高のアドバイスは何ですか?

ゲイツ:
 
「ウォーレンのことになりますが、ウォーレンの手帳は見ると予定表が真っ白なのに驚いて、
<意味のないことにはかかわらないことにしているのですか?>と尋ねると、
<本当に重要なことだけを選んで、それ以外は上手にノー(no)と断ることも大切だよ。>
 とアドバイスしてくれたのです。」

バフェット:
 「
実を言うとあの頃は、どこからもお誘いがかからなかっただけなんだ(笑)。」

バフェット:
 
「私は銀行家の父から多くのアドバイスを貰いました。
 直接的な言葉より、父の姿勢や、普段の会話の中から覚えたことですが、
 多くの人は、自分を見つめる時に、
 <内側からの得点よりも外側からの得点を気にする。>ものなのです。
 <自分自身が、どのように思ったり感じたりするか?>ではなく、
 <世間がどう思うか、他人から自分はどう見られているのか?>
 そのことばかりを考えている人達のことです。
 <自分の内側の得点、それに満足していれば幸せな人生が送ることができる。>
 
はずなのに、
 <外側からの得点ばかりを気にする人は、いささか虚しい人生を送る。>
 
ことになるでしょう。」


質問:お二人は、意見やアドバイスを誰に求めるのですか?

バフェット:
 
「鏡を見るよ(笑)。
 これは、本当のことなんだ。
 私の仕事の性格からいって、多くのことは私一人で決めなければなりません。
 そのためには私自身が決断できる環境を整えなければならないのです。
 幸い私には優れた仕事のパートナーが多くいます。
 しかし、決断を迫られた時に会議によって多数決で決めなければならないようなら、私は投資をする資格のない人間だと自分に戒めています。
 <誰も責任を取らない、大人数から生まれた判断(責任転嫁のできる状態)は優れたものにはならない> 
 と考えるからです。
 何かの行動を起こす時に、それぞれの意見を聞いて、中間の妥協案を図ることは、最初から責任の所在を有耶無耶にする手段なのです。
 そんな、役員が多くいる会社に人材はいないのです。
 すべての行動が<失敗を恐れるあまりに後手に回る>ようでは、投資をする資格はないと言えるでしょう。」

 
ゲイツ:
 
「私にとって今後、会社が一番重要なことは、どのテクノロジーに賭けるかといったことです。
 私にもウォーレンのように優れたパートナーがいます。
 言いたいこと言い合いながら、お互いの考えを尊重して前に進みます。
 本当に難しい局面にぶつかった時は、父や妻、ウォーレンに相談します。
 私には、私の事を理解してくれる人が大勢います。
 私自身、判断の誤りが多いことを自覚しています。
 興奮したり、偏っていたり、抜けている部分も多いんです。
 そんな時(正しい判断力が欠如するような精神状態の時)に重要な決断に迫られた場合、自分にとって必要なのが信頼できる仲間や、相談できるパートナーを持つことです。
 
それは、自分にとっての大きな財産になりますし、正しい判断に導いてくれます。」

バフェット:
 
「ビルとの違いは、我が社は多種多様な企業が入り混じったグループであると言う事です。
 グループの中には40人の異なった経営者がいます。
 それらの経営者には、それぞれの決断があり、その事を尊重します。
 分権されないグループは、多くのものを失う結果になるのです。」


質問:社会人一年生が、一日も早く経営陣に加わるために何をなすべきですか?

バフェット:
 
「ひとつ知っておいて欲しいのですが、才能を持った人とは、非常に目立つものです。
 それは、知能指数が200を超えるなどの理由ではなく、その人の振る舞いがそう感じさせるのです。
 大切なことは、
 <仕事に対するエネルギーや質の高さや、周囲に対する接し方。>
 などです。
 ただ、若いうちに準備できることは、準備しておいた方がいいでしょう。
 苦手な人には時間がかかるかも知れませんが、訓練してでも、
 <人前で、できるだけ気楽に話ができるようになること。>
 が重要なのです。
 これができれば、50年、60年先と必ず役に立ちます。
 一度身に付いたものは、中々失うことはありません。
 それは、あなたにとっての確かな財産となるのです。
 人前で話すのが恥ずかしいと言うことは、ビジネスにとっても、人生にとっても、大きな弱点になります。
 <話し方と言うのは、大事な技術なのです。>

 
その他に、あなたがもし、周りの人達の良い点をを引き出す才能を持っていたなら、それは大変に貴重なことです。
 このような才能は、他人に対する姿勢から生まれるのです。
 そういう人は、仕事において他人と競う必要がありません。
 自分にとっての優秀なパートナーを見つけることができるからです。
 自分を優秀に見せようと何から何まで、自分でやらなければ気のすまない人がいます。
 そういう人は、仕事において他人と競い合います。
 しかし、そういう人達は、優秀に見えても、信頼を得てはいないものです。
 もっと、良いやり方があるかもしれないのに、人の意見を聞かずに自分の意見ばかりを主張して、人の良い点を潰してしまうからです。
 さらに、自分のことを優秀だと感じている人は、他人のミスを許しません。
 逆に、それぞれの人達が持つ適材適所を見つけ、人に仕事をまかせ、そのミスを補うことができる人は、他人からの信頼を得るものです。
 そして、多くの信頼できる仲間を持てば、自分の仕事は軽減できるのです。
 なにから、なにまで自分でやろうとして、無駄に時間を過ごす人を優秀とは言えません。
 <人の良い点を見つけ、引き出していくこと。>
 を若いうちに気づいて、早くから実践していければ、それはあなたにとって莫大な利益を生み出します。」
 (バフェットは、1951年にデール・カーネギーの「話し方講座」を受講している。)

ゲイツ:
 
「我が社の場合、昇進のチャンスは、入社の3年後からです。
 <優れた経営戦略を立てることのできる人>
 <リーダーとしての資質に長けている人> 
 <開発能力の高い人>
  この3つの能力を持った人の中で、それぞれの個性に相応しい適正に応じて、昇進することができるます。
 しかし、3つの能力を兼ね備えた人物は中々いないものです。
 なぜかは分かりませんが?
 そこで、大切なことは、その能力の中で、何か1つに秀でた人は、自分のない能力を別の誰かに託しても良いのです。
 一人が3つの能力を持たなくても、三人で3つ能力があれば、お互いに補えばよいのです。
 私には、スティーブ・バルマーがいます。
 スティーブは実業家肌で、私は技術家肌ですが、長年かけて相手がどのように考えているかを学びました。
 このように、自分の足りない部分を自覚することや、自分に足りない部分を補う仲間を作ることも経営陣に加わる早道かも知れません。」

                                         つづく。
中巻へのリンク。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/a3ffa33cec7894f048a4439a502ba35d

下巻へのリンク。
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/56ce9d7765541a9f45550fd8c943375e

 

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「日本の風景を変えた男たち」 ~3人の建築家の作品と生涯

2008-02-15 21:49:22 | テレビ番組

<ハイビジョン特集 ~番組情報 
シリーズ/日本の風景を変えた男たち
 ~
3人の建築家の作品と生涯
 ~

 「廃虚から超高層、そして…」
   ~建築家・池田武邦の戦後~  
  
BShi  2月18日(月) 午後8:00~9:50(放送終了)
    2月26日(火) 午後2:00~3:50(放送終了)

 今から、ちょうど40年前に完成した巨大建造物「霞ヶ関ビル」を設計した建築家は、いま茅葺きの小さな家に住んでいます。
 その名を、池田武邦(たけくに)さん/1924年1月14日高知県生まれ。

 海軍兵学校を卒業した池田さんの生涯は、日本の戦中戦後史と見事に重なると言えるでしょう。
 沖縄での海戦の折り、乗っていた巡洋艦「矢矧」が沈没。
 
 九死に一生を得たのち、戦後は、建築家として活躍し、日本では最初の超高層ビル「霞ヶ関ビル」や、日本で最初の超高層ホテル「京王プラザホテル」、さらには、「NHK放送センター」など、今も古びれることのない多くの名建築を作り続けました。
 
 しかし、時代の転換を機に、心機一転するかのように、彼は一直線に走り続けてきたこれまでの自分の姿勢に立ち止まります。
 
 「これが、果たして自分が目標にしてきたことなのか?」
 「これが、果たして自分が思い描いてきた日本の姿なのだろうか?。」
 
 それからの彼は、東北の山深く、日本の面影を残した村々を訪ね歩きました。
 「美しい日本の姿とはなんなのか?」と。
 そして今、環境と調和し、風土と溶け込んだ建築をめざしています。
 80歳を過ぎた現在も、彼の建築への問いかけは続いているのです。
 
 番組は、池田さんが足跡を残した日本各地での思い出やインタビューを、<戦中戦後史>とからませながら建築という形を通して日本を見つめ直していきます。

 巡洋艦「矢矧 (やはぎ)」
 
1945年(昭和20年)
 4月6日:大本営の作戦遂行のため、「大和」以下駆逐8隻とともに沖縄へと出撃。
 4月7日:米軍の航空部隊による波状攻撃により大火災をおこし、さらに魚雷数本をうけ、航行不能の後、沈没。
 複数の生還者が存在する。


 「鉄塔三都物語 」 
 ~塔博士・内藤多仲~ 
 
BShi 2月19日(火) 午後8:00~9:50(放送終了)
    2月27日(水) 午後2:00~3:50(放送終了)

 東京タワー、大阪の通天閣、名古屋のテレビ塔、札幌のテレビ塔 。

 どれもこれもが、その街を象徴する建造物として人々に親しまれています。
 これらの塔はすべて一人の建築家の手によって設計されました。
 その名は、内藤多仲(たちゅう)さん。
 <1886年6月12日山梨県生まれ。 ~1970年8月25日没。>
 人々は、尊敬の念をこめて彼のことを「塔博士」または、「耐震構造の父」と呼んでいます。
 
 関東大震災の後、ラジオ放送を開始するため電波塔の計画が持ち上がります。
 それには台風にも地震にも強いことが求められました。
 そこで白羽の矢が立ったのが内藤さんだったのです。
 彼は、関東大震災でほとんど被害を受けなかった、「日本興業銀行本店」や「歌舞伎座」の構造設計を手がけていました。
 
 戦後、焼け野原に建てられた集約電波塔(高層タワー)は、テレビという新しい大衆娯楽の発展に寄与しただけでなく、
 「その都市を一望に見渡すことのできる展望台」としてや、
 「街のどこからでも見つけることのできる目印(シンボル)」として、
人々の心をとらえました。
 
 また、高層建造物は、展望台からの眺めを目当てに、多くの観光客も引き寄せ、街の活性化にも大きな役割を果たしています。
 
 番組では、内藤多仲さんの建築人生を紐解き、3つの塔が出来るまでのエピソードや、人々の思い、それぞれの塔(タワー)が、ニッポンの風景にどのような影響を与えたのかを描いていきます。

「いにしえから天へ地平へ」 (再放送)
 ~建築家・丹下健三 <mimifuku推薦番組>

BShi 2月20日(水) 午後8:00~午後9:50(放送終了)
    2月28日(木) 午後2:00~午後3:50(放送終了)

 
日本が世界に誇る建築家と言えば、多くの方々が口にする建築家。
 その名は、丹下健三(けんぞう)さん。

 *1913年9月4日大阪市で生まれる。
  生後すぐに父の仕事の都合上、大陸に渡る。
  少年時代を愛媛県今治市で過ごす。
  ~2005年3月22日没>

 建築家丹下健三さんは、伊勢神宮や桂離宮など、日本の伝統的な建築意匠を現代建築に取り入れることによって、日本建築を世界に紹介してきたと言われます。

 特に東京オリンピックのために建造された「代々木国立競技場」は、当事の最先端技術である、吊り建築構造による巨大空間の実現により世界の建築界に衝撃を与えました。
 日本の伝統を学習し、普遍化を認めながらも、その建築様式を超越した新しい建築技術を模索しながら突き進んだ丹下建築の集大成が、「代々木国立競技場」であり、その完成は、1963年時点において、日本の建築業界の技術水準の高さを世界に知らしめた瞬間でした。
 
 番組では、丹下さんの視点の独創性と美意識を示す「広島平和公園」や、丹下さんの空間概念と宗教観が垣間見える「東京カテドラル聖マリア大聖堂」などを紹介しています。
 さらに、丹下さん自身が生涯にわたって目標にした「都市のトータル・デザイン」についても触れており、都市計画における建造物との一体性を強く感じさせる内容になっています。

 「一度造ったモノと同じモノを造ろうとは思いません。ひとつ、ひとつ、前回造ったモノを踏み台にして、次へ次へと上がっていくのが面白いのです。」 丹下健三。

 「天才とは、現状に満足せず、自分に満足せず、時代の変化を恐れず、いかなる時も、新たなものに挑戦する姿勢と、絶え間ない努力と精進。」
 
 そんなことを感じさせる番組になっています。
 ぜひ、ご覧ください。


関連番組
「 世界の名建築100選 」 (再放送)  
 BSハイビジョン 
 3月26日(水) 午後8:00~9:50
 3月27日(木) 午後8:00~9:50

 古くは古代エジプトの神殿から、新しくは東京オリンピックの代々木体育館まで。
 専門家へのアンケートをもとに選んだ世界の建築100選を紹介しています。
 
 「衣」「食」とともに、人間の暮らしに欠かせない「住」。
 洞穴から出て竪穴式の小屋に暮らしはじめた人間は、文明の黎明とともに巨大なピラミッドや神殿を築き、壮麗な教会や宮殿を建て、やがて近代建築に至る多種多様な建造物を生み出してきました。
 
 「神々と交流するため。」
 「権威を誇示するため。」
 「快適な暮らしを送るため。」

 と世界の名建築を訪ね歩くことによって、人間の営みや暮らし、さらには文化水準を知ることができます。
 エッフェル塔やサグラダ・ファミリア大聖堂など世界でなじみ深い名建築はもちろん、小さな村の教会や、知られざる古民家まで、世界各国有名無名の建築を一挙公開。
 人々にとって、歴史の舞台となった空間や美を集大成した番組です。
 
 「中尾彬さん(俳優)が訪ねるフランス郵便配達夫の理想の迷宮。」
 「アンガールズが探る日光東照宮の謎。」
 「島田雅彦さん(作家)が探訪する知られざるロシアの近代建築。」
 
など旅の気分もまじえ、さまざまな角度から名建築の魅力に迫っています。

「世界の名建築100選」作品リスト
http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/0a5d02c9789b833103992fbc3f9a72b3

                 ~以上、NHKホーム・ページより転載、加筆再編集。

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御願神事「拝殿内部」 ~加賀市/菅生石部神社 その3

2008-02-12 22:58:01 | 街ネタ(写真館)

3日続きで御願神事の話題です。

写真は菅生石部神社の拝殿内部での竹割りの様子です。

祭礼に司る世話役の方(多くは若衆のOBの方々)が竹を割っている写真は、
床に無造作に割られた青竹を片付ける際に若衆が神殿の床板で割れなかった竹を、
床に設置されている石にめがけて叩きつけている様子です。
竹は全て割りつくすことが神事の決まりとされ、
このような珍しい写真を撮ることができました。


また、
竹を頭上に掲げダンスでもするかのように若衆が動き回る様は、
トランスを思わせるパフォーマンスでこれも珍しい写真だと思います。
拝殿内部の床めがけて思いきり竹を叩きつける音も豪壮で、
言い伝わる音で大蛇をおびき寄せる民衆の知恵(戦術)と、
祭りが近づく頃には“鳴り物が禁止”される理由の意味。

お祭りを見学する際は、
そんなことを学習すると、
一層楽しみが増すような気がします。

*本文→ http://blog.goo.ne.jp/mimifuku_act08/e/cd9f1e2de04db8419b08dd3c23601cb6


*菅生石部神社



*鳴り物禁止


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