mimi-fuku通信

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【石川啄木・没後100年】:閉塞の社会に生き、ぢっと手を見る。

2012-04-14 07:33:33 | 文芸・思想・書物

朝起きて、
いつものように床中でコラムを読む。


『2012年4月13日:岩手日報』
きょう没後100年の啄木忌。
今また閉塞の中、
託された言葉をかみしめる。
の文字を1日遅れでiPodで見つける。

啄木の生きた時代の閉塞感。
はたらけど 、はたらけど、
猶、わが生活(くらし)楽にならざり。
ぢっと手を見る。
<一握りの砂>
の言葉が、
平成に入り国内で復活。

それ以上に深刻な、

はたらきたくて、はたらきたくて、
猶、世間はリストラと合理化の嵐。
認められない自分に頭を抱える、
を感じる人々が多いのではないか?

*****

昨日(啄木没後100年の日)は、

大きな大きなニュースが多くある中で、
北の国の話題でニュースは占められ、
問題提起にもならない、
空白の議論を続けた。

その北の国で生きる国民達は、
愚痴ひとつこぼせず。

われは知る。
テロリストのかなしき心を。
言葉とおこなひとを分ちがたき、
ただひとつの心を。

奪はれたる言葉のかはりに、
おこなひをもて語らんとする心を。
われとわがからだを敵に擲げつくる心を。
しかして、
そは真面目にして熱心なる人の、
常に有つかなしみなり。

はてしなき議論の後の、
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに。

われは知る。
テロリストの
かなしき、かなしき心を。
<ココアのひと匙>

では、
テロリスト(行動)になるしかない、
軍事国家の恐怖(言論統制)
が表現されているのだろうし、
蛇足ながら、
北の国ではテロリストすらうまれない、
強力な圧政が敷かれているのだろう。

また、

やや遠きものに思ひし
テロリストの悲しき心も
近づく日のあり。
<悲しき玩具>

の意味するものは、
亡くなっていったテロリストとの共通点である、
“死”を見つめた言葉なのだろうか?
*文中のテロリストは“闘う同朋”との意味も強い。
*闘う同朋(行動と言論)=圧制への抵抗運動。


*****

2012年4月14・15日の週末を利用し、
お花見見物を決め込む愚鈍な私に、
突きつけられた言葉は、

病みて四月──

その間にも、猶、目に見えて、
わが子の背丈のびしかなしみ。
<悲しき玩具>

101年前(亡くなる1年前)の、
花咲く四月の啄木の深い悲しみ。
幼い子供の成長と自分の死。

26歳で亡くなった、
啄木の言葉を思い起こし、
今の時代は、
何と軽い時代なのだろうかと思う。

しかし、
それでも、
2012年4月14・15日の土・日を利用し、
お花見見物を決め込む愚鈍な私に、
井上陽水さんの名曲:『傘がない』
の歌詞は大きな慰めになりえる。

閉塞の時代に、
ぢっと手を見る。

それは、
平成に入り誕生した、
格差社会により、
感じ方が大きく異なる。

はたらきたくて、はたらきたくて、
多くの会社を訪問しても、
受け入れられない自分に、
ひとり頭を抱える。


若者たちの希望は何処にあるのか?
また、
若者たちの求める希望が何なのか?
それを考えることも、
大人の努めであり政治の責任であるし、
若者たちもまた、
自分たちの希望が画一化していないか?
自分の希望に生涯をかける覚悟があるか?

と論ずるも、
花見を決め込む愚か者の言葉は弱い。

1日遅れの啄木忌。

合掌。

*****

一握の砂・悲しき玩具
石川啄木歌集 (新潮文庫)
420円
新潮社

 

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