mimi-fuku通信

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外山滋比古著『思考の整理学』:雑感(脳の働きと散歩の効用)。

2010-06-27 00:06:27 | 文芸・思想・書物


 今日は一日梅雨の雨。
 これと言ってすることもなく、
 久しぶりに“のんびり”とした休日を過ごした。
 並行して何冊かの本を読んでいる中で、
 外山滋比古著:『思考の整理学』に気になる文書を発見。
 気になる箇所を
メモしようと考え同じメモをするなら、
 “ブログで共有”するのもイイかな?なんて。

思考の整理学 (ちくま文庫)
外山 滋比古
筑摩書房

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 1983年早春に書かれた『思考の整理学』は、
 東西の知の雄である“東京大学&京都大学で一番読まれた本”
 との評判(宣伝)で近年部数を飛躍的に伸ばしている。

 全部で6つの章に分かれる平易な文書は中学3年生以上ならお薦め。
 最初の2章は著者の個人的な見識が多々見られ読んでいて退屈を覚える。
 第3章はデジタル社会の現代にアナログ志向の方式が支持されるかは疑問。
 ハズレかな?と思って第4章を読み出すと気になる文書が満載。

 「人間頭脳にとっておそるべき敵があらわれた。
 コンピューターである(1983年以前の大型コンピューター)。
 これは倉庫(記録装置)としては素晴らしい頭脳を持っている。
 いったん入れたもの(入力されたデータ=記録)は決して忘れない。
 必要な時にはさっと引き出すことができ整理も完全である。」
 さらに、
 「そこでようやく創造的人間ということが問題(重要)になってきた。
 “(それは)コンピューターのできないことを(人間が)しなくては、”
 ということである。」
 ~別項として第6章:末項に人とコンピューターの関わりが予測されている。
 
 私のお薦めの第4章は“脳科学”の言葉がなかった時代に、
 人間の脳の仕組みを著者の見識と経験で語っている。

 要約し“自分の言葉”に置き換えると、

 ・心に何か“引っかかり”があれば記憶することは困難。
 ・関心のあることと関心のないことでは脳は“関心のある事”を優先する。
 ・頭(脳)は忘れるべきことを忘れなければ的確な判断ができない。
 ・人間の脳を倉庫(記憶と再生)としてのみ機能させたのでは、
  本来の脳の効率的な働き(思考)を阻害する。

 「人間は忘却を恐れるが人とコンピューターの違いは忘却であり、
 倉庫としての役割(記憶)をコンピューターに専念させることで、
 人間の頭(脳)は知的向上としての役割(創造)に専念させることが、
 これからの(人間の)方向性でなくてはならない。」

 「“忙しい”とは脳に様々な情報が入り脳の処理が混乱状態に陥ることで、
 その場合必要な情報と不必要な情報に振り分け脳内を整理すべきだ。
 情報過多による脳の混乱に収拾が付かなければ脳の活動は必ず乱れ、
 ノイローゼ(=不安定な精神)等はそうした原因から起きる(ことが多い)。」

 「人間(特に文明人)は“忘れてはならない”との強迫観念にかられるが、
 情報過多な社会に於いて人間は忘れる努力(脳の整理)が求められる。
 人の脳の役割は記憶(大脳新皮質による情報の記憶)ではなく、
 知的向上(生活の知恵)を求める機能(思考)に専念させることが望ましい。」

 となる(脳内の自然忘却には睡眠が最も適した方法と著者は指摘)。

 「(自分の身に)気にかかることがあり“何か(作業)”をしようとしても、
 頭の中は“上の空”ですべき作業に集中できない時がある。
 そんな時は(持ち時間を)思い切って外に散歩に出かけよう。
 散歩は早歩きが脳の活性に適しており30分も歩いていると、
 一番近い記憶(気にかかる事柄)は退散していくものだ。」

 散歩については、
 噺家・古今亭志ん生著:『なめくじ艦隊』に興味深い文書がある。
 「貧乏で金がないと電車にも乗れない。そんな時は歩く。
 (しかし)ただボンヤリと歩くのではなく噺(はなし)の稽古をしながら歩く。
 歩きながら稽古をしていると時間を忘れ2~3時間平気で遠くまで歩く。
 声を出しながら歩くと周囲から変人に見られるがお構いなしに稽古を続ける。
 (若い頃の)私にとって噺(落語)を覚える一番イイ方法は歩くことでした。」
 と語っている。

 私の(胡散臭い)記憶に間違えがなければ、
 ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏が、
 「歩きながら考え事をしていると自宅の前まで来ているのに
 もう一度(遠回りをして)自宅の周辺を歩き回ることがある。
 そうする事で脳が整理されアイディアが纏まる事がよくある。」
 と述べている。

 3者3様に面白いのは、
 外山滋比古さんは気になる記憶を退散させるために歩くことを推薦し、
 古今亭志ん生さんは記憶する方法論として歩くことを薦めている。
 さらに私の記憶に誤りがなければ、
 益川敏英さんは思考の整理と創造を求めて歩くことを実践されている。
 
 散歩(歩くこと)の効用。

 現代社会で散歩することは、
 生活習慣病予防やメタボ予防のための健康管理法として語られるが、
 上記の事例に示されるように脳の活性化にも大きな役割を果すようだ。
 ~他にも多くの作家や芸術家の経験談が様々な形で目に付く。
 歩くことによって血流がよくなり脳に潤滑な栄養分が行き渡る。
 ~澱んだ水はいずれ汚濁するが流水は絶えず場面を清らかにする。
 また散歩することは、
 視界に入る情報の処理や自然(季節や気象)を認識するなど、
 人間の脳の働きを活性化する要因を多数秘めている。
 ~エコにもなるし出きる限り歩こうね!
 そんなことを思いながら第4章を読んだ。

 その他に第4章、
 “とにかく書いてみる”ではサッカー:本田圭佑選手の
 100冊を超えると『本田ノート』を連想したし、
 “ホメテヤラネバ”では先日記述した歌手:矢沢永吉さんの
 『人を動かす』(デール・カーネギー著)の一説を連想した。
 さらに、
 “ホメテヤラネバ”での<ピグマリオン効果>は初めて聞く名称。
 褒めることの効用については別の機会に…。 

 <追記:第6章・コンピューター>

 ~1983年に記入された外山滋比古氏の予言~

 「人間は機械(主に産業機械)を発明して労働を肩代わりさせてきた。
 機械は(人間にとって)召使であり人間が思うように使いこなす道具。
 それは逆に人間は自分達が作り出した機械(テクノロジー)に、
 仕事(主に肉体労働)を奪われる続けた歴史(産業革命)でもある。
 人間は機械のできない事務処理(頭脳労働)に仕事を求めた。」

 「コンピューターの出現は、
 人間の聖域であるべき領域(頭脳労働)を脅かし、
 人間達が優れていると信じた部分(記憶と再生)を、
 曖昧な事実として受け止めたさせるに至った。」

 「(これまでの日本の)学校教育は、
 記憶と再生を中心とした知的訓練(知識の習得)を主に行った。
 そのため(日本の教育制度が)子供達に求められたものは、
 コンピューター的な人間の育成であり、
 そのことを疑う者はまれであった。」

 「(世界に先立ち)コンピューターが普及したアメリカでは、
 創造性の開発(育成)に目を向けた事は偶然ではない。
 人間が真に人間らしく生きるためには、
 機械(コンピューター)の“手が出ない分野”や“出しにくい分野”に、
 (人間の)活路を求めるしか手はなく創造性はその最良な手段である。」

 「これからを生きる人間は“人間にしかできない仕事”を見極め、
 抽象的な概念である創造性を具体的に具現化(思考の発達)することで、
 創造的生き方や独創的生き方を模索・実行する事が求められている。」
 
と記されている(自分の言葉に置き換えた)。

 1983年のコンピューターの役割であった記憶と再生は、
 2010年:解析や分析(判断)の分野でも人間の持つ知的領域に進行し、
 人間が人間に求める事柄が日々退却する毎日を誰もが感じている。

 デジタル技術の開発は日進日歩に加速し人知を超える過多な情報に、
 「“忙しい”とは脳に様々な情報が入り脳の処理が混乱状態に陥ることで、
 情報過多による脳の混乱に収拾が付かなければ脳の活動は必ず乱れ、
 ノイローゼ(=情緒不安定)などはそうした原因から起きる(ことが多い)。」

 を実感している方も多くいるのではないだろうか?

 人間らしく生きるとは何か?
 外山滋比古さんが見出す答えは意外にも?
 散歩する(=自然を肌で感じる)事から始まるのかも知れない。

 著作を読みながら“そんなこと”を私は感じた。

 


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