「彦根夏の陣」と銘打って街は賑わっている。
私たち、商店街直接のイベントとして4日から8日ナで「七夕まつり」。
4日の晩は「サマーナイトフェスティバル」が催され、車道が歩行者天国になる。
昨晩は閉店後、各店総出でアーケードの下にちょうちんや吹流しを付けた。
ちょうちんには電球をセットして灯が入る。
そして今朝は、竹笹に七夕飾りをセットして各店に立てかけた。

以前は豪華なクス玉や、大きな作り物など経費をかけたものだが
最近は節約して、色紙で手作りの飾りを作ったり、小さな装飾品になってきた。
それでも今年は彦根城築城400年祭で「ひこにゃん」はあちこちに登場だ。

いよいよ夜になると、イベントが始まる。
私は「屋台村」で焼き鳥屋さんになる。
暑い中、炭火で串に刺したかしわを焼いて、1本70円で売る。
次々と人が集まり行列が出来る。
「ハイ何本しましょ?」「ありがとうございました。」
「ハイ、次の方お待たせ!」と横を向いている暇もない。
すぐ横では「大道芸」の人がボールを使ったり、傘を回したりしているようで
大きな拍手が沸いている。
交差点の広場では「よさこいソーラン」の踊りがあり、何チームかの
演舞があるのだが、元気な音楽が流れてくるのを聞いているだけで、
それも見に行けない。
駐車場の前ではビンゴゲームが始まっている。
司会の人の軽妙なやり取りで盛り上がっている。
「ビンゴ!」と大きな声だ。
さまざまな景品が次々提供されていくので、
お客様には大人気だ。
8時過ぎには焼き鳥も完売して、
ぐちゃぐちゃに入ったゴミ箱の中を分別して、指定ゴミ袋に入れなおし、
ヤレヤレ、本日は無事終了。
お疲れ様でした。
私たち、商店街直接のイベントとして4日から8日ナで「七夕まつり」。
4日の晩は「サマーナイトフェスティバル」が催され、車道が歩行者天国になる。
昨晩は閉店後、各店総出でアーケードの下にちょうちんや吹流しを付けた。
ちょうちんには電球をセットして灯が入る。
そして今朝は、竹笹に七夕飾りをセットして各店に立てかけた。

以前は豪華なクス玉や、大きな作り物など経費をかけたものだが
最近は節約して、色紙で手作りの飾りを作ったり、小さな装飾品になってきた。
それでも今年は彦根城築城400年祭で「ひこにゃん」はあちこちに登場だ。

いよいよ夜になると、イベントが始まる。
私は「屋台村」で焼き鳥屋さんになる。
暑い中、炭火で串に刺したかしわを焼いて、1本70円で売る。
次々と人が集まり行列が出来る。
「ハイ何本しましょ?」「ありがとうございました。」
「ハイ、次の方お待たせ!」と横を向いている暇もない。
すぐ横では「大道芸」の人がボールを使ったり、傘を回したりしているようで
大きな拍手が沸いている。
交差点の広場では「よさこいソーラン」の踊りがあり、何チームかの
演舞があるのだが、元気な音楽が流れてくるのを聞いているだけで、
それも見に行けない。
駐車場の前ではビンゴゲームが始まっている。
司会の人の軽妙なやり取りで盛り上がっている。
「ビンゴ!」と大きな声だ。
さまざまな景品が次々提供されていくので、
お客様には大人気だ。
8時過ぎには焼き鳥も完売して、
ぐちゃぐちゃに入ったゴミ箱の中を分別して、指定ゴミ袋に入れなおし、
ヤレヤレ、本日は無事終了。
お疲れ様でした。
毎朝歯を磨くと、出血していた。
ビタミンが欠乏しているのだろうかと、総合ビタミン剤を飲んでみた。
歯茎の血行をよくするため、歯茎マッサージ用のシリコンのブラシで朝晩「歯茎マッサージ」もしていた。
今度新しく変わった歯科医の先生が
「3度の食後すぐに歯間ブラシを使って、歯科用のうがい薬で清掃しなさい。」
とおっしゃった。
これで1ケ月経過したが、歯茎がピンク色に、そして締まってきた。
年を重ねると、虫歯が無くても、歯周病で歯を失うことになる。
時々歯が浮いたようになって、硬いものが噛みにくい時があった。
いい加減に噛んで飲み込んでいては、消化にも影響する。
早く気が付いて、実践してよかった。
1日5回、歯磨きをしているが、最初の内は「じゃまくさいなー。」
と思っていたのが、今ではしないと気持ちが悪い。
よい習慣は、身につけて! 進歩!進歩!

ビタミンが欠乏しているのだろうかと、総合ビタミン剤を飲んでみた。
歯茎の血行をよくするため、歯茎マッサージ用のシリコンのブラシで朝晩「歯茎マッサージ」もしていた。
今度新しく変わった歯科医の先生が
「3度の食後すぐに歯間ブラシを使って、歯科用のうがい薬で清掃しなさい。」
とおっしゃった。


年を重ねると、虫歯が無くても、歯周病で歯を失うことになる。
時々歯が浮いたようになって、硬いものが噛みにくい時があった。
いい加減に噛んで飲み込んでいては、消化にも影響する。
早く気が付いて、実践してよかった。
1日5回、歯磨きをしているが、最初の内は「じゃまくさいなー。」
と思っていたのが、今ではしないと気持ちが悪い。
よい習慣は、身につけて! 進歩!進歩!
仏教が中国から伝えられた平安時代、その仏典からの解釈がいろいろあったようだ。
当時文字の読める者は極少数で、解釈できる人も一部の人。
又富のあるものにしか仏教に接する機会もない。
自力(業)で仏教の教えを身につけるとなると、当時実際いたかどうか・・。
比叡山で天台宗を学んでいた法然も仏道をさとるどころでなく、煩悩に悩まされていた。
仏典を何度も何度も読破しても「かなしきかな、かなしきかな。いかがせん、いかがせん。」と嘆いていた。
ついに善導師による「観無量寿経」の中から、ひたすら念仏を唱えることによって
阿弥陀さまは救ってくださるということにたどりつく。
そして一番大事なことは、どんな人も、富んだ人も、貧しい人も、賢い人も、愚かな人も、
罪を犯した人でさえ「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることで往生させてくださる。
往生とは、死ぬことではない、仏の道に生きることだと。
鎌倉時代にかけ、相次ぐ戦乱、天災、飢饉で、人々は"生き地獄”を生きていた。
盗みをした者、体を売りその日を暮らしている女性、
狩りや漁業の殺生を生業とする者、その者たちに
「それはそれでしかたがない、念仏を申しなさい。
心がさみしいでしょう。念仏申すことで心が温かくなるでしょう。
南無阿弥陀仏と声を出して申すことで仏様は許して下さる。」
そのように法然は、分け隔てなく万民に説き広める。
そんな法然に対し他宗の僧が問答を迫るシーンでは
中村梅之助演じる法然の、思いを述べる台詞回しが熱く胸に迫った。
ここで上手く表現できないが、「念仏を唱える人は御同朋、御同業。みな父母兄弟である。」
このことばが心に残っている。
その教えを受けた親鸞が恵信尼とともに教えを広めていく。
私の家の浄土真宗の宗祖は親鸞聖人だが、
親鸞様の教えの元となった法然上人の生き様がよく分かった。
命あるものが、お互い父母兄弟と思って、おだやかに過ごせないものか。
「南無阿弥陀仏」で浄土に生きるまで、この世を大切に過ごしたい。
当時文字の読める者は極少数で、解釈できる人も一部の人。
又富のあるものにしか仏教に接する機会もない。
自力(業)で仏教の教えを身につけるとなると、当時実際いたかどうか・・。
比叡山で天台宗を学んでいた法然も仏道をさとるどころでなく、煩悩に悩まされていた。
仏典を何度も何度も読破しても「かなしきかな、かなしきかな。いかがせん、いかがせん。」と嘆いていた。
ついに善導師による「観無量寿経」の中から、ひたすら念仏を唱えることによって
阿弥陀さまは救ってくださるということにたどりつく。
そして一番大事なことは、どんな人も、富んだ人も、貧しい人も、賢い人も、愚かな人も、
罪を犯した人でさえ「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることで往生させてくださる。
往生とは、死ぬことではない、仏の道に生きることだと。
鎌倉時代にかけ、相次ぐ戦乱、天災、飢饉で、人々は"生き地獄”を生きていた。
盗みをした者、体を売りその日を暮らしている女性、
狩りや漁業の殺生を生業とする者、その者たちに
「それはそれでしかたがない、念仏を申しなさい。
心がさみしいでしょう。念仏申すことで心が温かくなるでしょう。
南無阿弥陀仏と声を出して申すことで仏様は許して下さる。」
そのように法然は、分け隔てなく万民に説き広める。
そんな法然に対し他宗の僧が問答を迫るシーンでは
中村梅之助演じる法然の、思いを述べる台詞回しが熱く胸に迫った。
ここで上手く表現できないが、「念仏を唱える人は御同朋、御同業。みな父母兄弟である。」
このことばが心に残っている。
その教えを受けた親鸞が恵信尼とともに教えを広めていく。
私の家の浄土真宗の宗祖は親鸞聖人だが、
親鸞様の教えの元となった法然上人の生き様がよく分かった。
命あるものが、お互い父母兄弟と思って、おだやかに過ごせないものか。
「南無阿弥陀仏」で浄土に生きるまで、この世を大切に過ごしたい。