日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

歓送迎会

2006-04-29 | 今日の出来事。(私事編)
昨日は子どもの小学校の歓送迎会だった。
私は本部役員なので、朝から夕方まで学校に入り浸り、準備から接待まで駆けずり回って、グッタリ疲れた一日だった。
運悪く胃腸にくるカゼが流行っていて、何名かが体調不良(ご本人やお子さん)で欠席だったが、まずまずの盛況だったように思う。

でも、一つ判明したことがある…
私にとって一番疲れるのは
「何十個もテーブルやイスを運ぶ」ような肉体労働でも、
お偉方を接待する精神的な緊張でもなくて、

・・・「沈黙」の中に身をおくことのようなのだ。

もちろん大自然の中で味わうような沈黙のことではない。
広い会場で大勢人がいるのに「シ~ン・・・」と静まり返っている、そんな沈黙の世界のことだ。
そんな中でしゃべらなければならない司会の友人の緊張が伝わってくるような気がして、今年はなおさら居心地が悪かった。(とはいえ、お偉方の挨拶続きの中で「盛り上がり」を期待するほうが無理というものか…)

しかしその後の懇親の時間も、私にとってはあまり楽しい時間とは言えなかった。
テーブルの間隔が広いので、気軽に場所を移動することもできない。
本当はお世話になった(なっている)先生方と、もっといろいろな話をしたかった人もたくさんいたと思うが(私もそうだった)、残念なことにとてもそんな感じではなかった。

あとで考えたのだが、こういう場こそ「立食形式」をとったほうがいいような気がする。
お世話になった先生を囲んで三々五々話の輪ができる、そのほうがテーブル席に縛り付けられて向かいや隣の人とばかりしゃべるよりも、「歓送迎会」の意に沿うものになるんじゃないだろうか。

飲み物はセルフでお願いすることにする。(紙コップにあらかじめ名前を書いておいてもいいかも。)
お茶菓子もあちらこちらに盛っておいてセルフで。
予算に余裕があるようだったら会場の飾りつけを少し豪華にしたり、お土産のお菓子を用意してもいいと思う。
ご年配の来賓の方にはテーブル席を作っておく。
そっちのほうがよほど楽しく有意義な歓送迎会になりそうだ!

でも立食って「疲れる」ってイメージがあって、あんまり評判よくないよね…
確かにお偉方の挨拶の間中ずっと立ってるのは疲れるし…

そうだ!挨拶を短くするorなくせばいいんだ!

…まとめると結局
「お偉方の長い挨拶がイヤ」ってことか…^^;

「大人になる」ということは

2006-04-26 | 堅めの話
人は、生れ落ちたそのときには「自由」そのものだ。
なぜなら
「(自分が)やりたいこと・できること」は、
「イコールやってもいいこと」
だから。

もちろん、生まれたばかりの赤ん坊の「できること」なんて、飲む、泣く、寝るなど、数えるほどしかない。しかしそれらは全て「やってもいいこと」なのである。赤ん坊は「これはやってもいいことなのだろうか」などと悩むことはない。

それが乳児から幼児になって、「できること」が少し増えてくると、世界は少し様相の違ったものになる。

確かに、自分の足で歩けるようになった分だけ「自由」になったかのように見える。しかし、いくらそうしたいからといっても、交通量の多い道路を大人と手をつながずに歩くことはできない。
今までは、目に入るおもちゃは全て遊んでいいおもちゃだったのが、買い物先のスーパーのおもちゃで遊ぶことはできない。
つまり、「できること」の数が「3」から「30」くらいに飛躍的に増える反面、今までは存在しなかった「やりたいけどやってはいけないこと」が生まれるのだ。しかもその割合はどんどん増して行く。

大人となった人間はどうだろうか。
「できること」は星の数ほどに増えるだろう。
何にいくらお金をかけてもかまわない。その気になれば有り金全部ギャンブルにつぎ込むこともできる。
他にも、たとえばごみの不法投棄から詐欺、強盗、殺人に至るまで、良いことでも悪いことでも何でもできるだけの知恵も力も備わる。
しかし「できること」に対する「やってもいいこと」の割合は、いかに微々たる物となっているだろうか…

つまり、大人になるということは「できるけれどやらない、やってはいけないこと」を相対的に増やすということなのだ。言い換えれば、人間は「自由な存在」として生まれて、どんどん「不自由」になるということだ。

さらに言えば、品格の備わった尊敬すべき大人ほど、「できること」に対する「やってもいいこと」の割合が低い、つまり「不自由」であると感じる。
(これは「ノブレス・オブリージュ」の概念と通じるように思う。)
品格ある大人は、「やりたいこと、できること」がどんなに増えても、自分が実際に社会においてやるべきことは限られていることを知っているし、その覚悟ができているものなのだ。

親が子どもに教えるべきなのは「自由」ではなく「不自由」なのだ。そこを勘違いしてしまうと、この世の中はひどく住みにくいものになるに違いない…

景気回復?!

2006-04-25 | 今日の出来事。(私事編)
日曜日にボーイスカウトの活動で緑の募金活動をした。
毎年同じ時期に同じ街頭に立っていると、何となくその年の景気動向のようなものが伺えて面白い。

今年は何がすごかったって「出足のよさ」だ。
まだ募金箱を組み立てて準備しているそばから「入れようと思って待ってるんだけど」とニコニコしながら立っていた露天商のおじさんを始めとして、
担当する場所に着くや否や、まだ一声も発しないうちから人々が足を止めてくれるのに驚いた。

その後も老若男女問わず、例年にも増してにこやかに募金に協力してくれる人が多かった。昨年はもっと足早に通りすぎる人が多かったような気がするのだが…
もっとも、募金額から言えば例年を特別上回るほどではなかったのだけれど今年は何だか雰囲気に明るいものを感じた。なぜだろう?
これも景気回復の前兆か?

一時間半声を出しっぱなし、立ちっぱなしで、スカウトもリーダーもよくがんばっていた。ホントにお疲れ様!

パート2(予想外に長くなってしまった…)

2006-04-20 | 苦あれば楽あり
そのまま「陣痛室」(←スゴイネーミングだよね^^;)に入れられ、徐々に強くなる陣痛との戦いが始まった。

…わけなんだけど、私の場合眠くて意識モーローだったのでだいぶ助かってたんじゃないかと思う。
「…きたきたきた!!」(眠りが浅くなる)
「ん~~イタタタ…」(陣痛)
「…はぁ~…」(熟睡)
この繰り返しだった。

しかし午前3時ごろ。破水をきっかけに、イッキにお産っぽくなった。
そこからあとは“何も考えられなかった”という感じ。いや、何も考える必要もなかった。
人間ってまぎれもなく“動物”なんだ。後からくっつけてきた人間の知恵なんて、こんなときには何の役にもたたない。

今回は自然分娩に臨んだ私だが、帝王切開の前歴がある場合子宮破裂のリスクが高くなるので、お医者さんや看護婦さんに「異常な痛みがあったらすぐに知らせてください」と言われていた。
でも、陣痛も初めてなのに、この痛みが正常か異常かなんてわかるのかなぁ…と不安だったのだが、そんな心配は無用だった!すべては「本能」が教えてくれた、そんな感じだ。

「はい、これで最後ですよ~、がんばって!」の声かけが何度かあって(…そのたびに、「さっきこれで最後って言ったじゃん、ウソツキ!」と心の中で文句を言いながら^^;)無事誕生。「男の子ですよ」という声が聞こえたときは心底うれしかった。
(一人目のときは男でも女でもどっちでもよかったけど、二人目となるとやっぱりちょっと思惑が混じってしまうよね…


・・・というわけで、これで私の“出産秘話”はおしまい。

私の場合、流産の後それほど間をおかずに子どもを授かったことには、神様のお恵みと感謝せずにはいられない。
流産の悲しみが出産の喜びで癒され、結果的には「ハッピーエンド」になったから…
これから年齢を重ねると、妊娠の確率が下がる一方で流産の確率は上がっていくだろう。
「もしも最後の妊娠が流産で終わったら…」と思うと、3人目にトライする勇気はどうしても起きなかった。

私の目を開かせ、語りつくせないほどのことを教えてくれた「妊娠・出産」(それから「結婚」も)に、感謝せずにはいられない。

四度目の妊娠

2006-04-20 | 苦あれば楽あり
*・゜★四度目の妊娠・パート1☆.:*・゜

四度目の妊娠は、当初から何となく“肝が据わった”感じだった。
実際つわりも軽く、逆子でもなかったので、それほど気をもまなくてすんだというのもあるけれど。

予定日近いある日の午後。
その日の夕方に母親が来てくれることになっていたのだが、いつもより何となくお腹の張りがキツいな~と感じていた。それに、割と規則正しく来ているような気もしないではない…う~む、これって陣痛なのかな??何しろ初めてのことだから自信がない…
母親の「念のため診てもらっておいで」の一言で病院に行くことにした。帰宅した夫に送ってもらう。

「これで陣痛じゃなかったらなんか恥ずかしいな~…」
「まあまあ、そのときは気晴らしにドライブしたって思えばいいじゃない。」
「そうだね♪」
娘を母に預けて、会社から帰ってきたばかりの夫に、病院に送ってもらった。
そのときの“ドライブ”は、幸せな気分とともに今もはっきり思い出せる。

しかし…
「あんまり痛くなかったので、陣痛じゃないと思ったんですけど一応…」
「何言ってるんですかっ!もう陣痛10分おきに来てますよ!」
診察するなり、なぜか看護婦さんにおこられた(; ;)だって陣痛なんて初めての経験だからわかんなかったんだもん!!

さぁ~て、サクサク続きます。

2006-04-18 | 苦あれば楽あり
*・゜★三度目の妊娠☆.:*・゜

たまたま実家に帰省していたときだったのだが、検査薬で検査してみたら陽性反応が出た。次は自然分娩で産みたいと思っていたので、3年ほどあけての待望の妊娠だ。実家の父も母も大喜びだった。

3歳になったばかりの娘に
「ママのお腹に赤ちゃんが来たんだよ!○ちゃんはおねえちゃんになるんだよ」と説明してみたが、今ひとつピンときていないようだった。(そりゃそうだろうな^^;)
でも母親やジジババのうれしそうな様子から、「何かイイコトなんだな♪」というのは感じ取っていたようで、お腹を触っては「赤ちゃん、こんにちは!」などとやさしく話しかけていた。

しかし、また出血…
かかりつけ医のいない場所なので、いとこのかかっている産婦人科にわらをもすがる思いで受診してみたのだが、やはり超音波にも何も映らず、残念な結果を告げられた。
流産の後の処置はもうわかっているので、淡々と手続きをすませ、処置を受けた。

麻酔から醒めると、処置室の狭いベッドに一人寝かされていた。
あのときの空虚な気持ちは今も忘れられない。目覚めたときの天井の無機質な色、隣室で医者と看護婦が談笑するむやみに騒々しい笑い声…
手足も満足に動かないのに、涙だけがどんどんあふれてきて困った。
でも、迎えに来た母と娘の心配そうな顔を見て、「そうだ!私には子どもがいるんだった!」ということを思い出した。

帰ってから、「死」を知らない娘に説明するのにまた困ってしまった。
「赤ちゃんはね、神様のところに忘れ物をしちゃったみたい。だからもう一回お空に帰っていったのよ。」
聞いている娘は、娘なりに神妙な面持ちだった。
「赤ちゃん、また戻ってくる?」
「うん、きっと来ると思うよ。」
私はそう答えながらも、次の妊娠でやってくるかもしれない子どもを心待ちにする気分にはとてもなれなかった。それよりも、生まれることができなかったこの子にはもう会えない、そのことが悲しくて仕方なかったのだ。

この経験は、言葉では言い表せないほどの転機になった。
何しろ「失敗を踏み台に」だとか「よりよいものを目指して日々努力する」だとかの今までの方法論を、ことごとく打ち砕くものだったから。
ただ、「ありのままの事実」を「受け入れる」しかない、世の中にはそんな試練が満ち満ちているのだということを、たくさんの涙とともに思い知った出来事だった。

二度目の妊娠・パート2

2006-04-18 | 苦あれば楽あり
(長くなりそうなので「二度目の妊娠」は二部構成にしました)

手術は深夜だったにもかかわらず、運よく主治医の先生も麻酔医の先生もそろっていらっしゃったのは、運が良かったとしか言いようがない。

それにしても、帝王切開って「部分麻酔」なんだよね…
子どもの誕生の瞬間に意識があるのはうれしいんだけど、お腹を切ってるときに意識があるというのは全然うれしくない!!
実際手術中に、執刀医の先生方が「もう少し切ったほうがいいんじゃないか?」「いや、これでいいんだ」などと意見が食い違っているのが聞こえてくるのは気が気でなかった。

そんなこんなで無事出産。一仕事を自分の力で終えたと言うよりは、あれよあれよと言う間に流れ作業に乗っているうちに終わった、という感じだ。

しかし、シンドイのはそれで終わりではない。
子宮収縮や手術の傷口、授乳などなど、「痛いこと」続きなのは想像していた通りだったが、意外にも実はそれよりもっとつらいことがあった。
手術終了後から数日間、足に原因不明の湿疹が出て、寝てもさめてもかゆくてかゆくてたまらなかったのだ。

変な比べ方かもしれないが、
いつかは終わる「痛み」(たとえものすごい痛みでも)に立ち向かうほうが、
いつ終わるともわからないかゆみに寝ても覚めても苦しめられるよりもマシだと思う。まさにあれは地獄の苦しみと言ってよかった。
子どものアトピーに悩んで心中までしてしまう人の気持ちが、昔は全く分からなかったが、今はそのつらさが少しはわかる。
結局湿疹は原因不明なまま自然に消えたのだが(私は“溶ける縫合糸”があやしいとにらんでいる)私の人生観を一変させる出来事の一つだったことは確かだ。

二度目の妊娠・パート1

2006-04-18 | 苦あれば楽あり
何だか照れくさくなってきたので、イッキに書き上げることにしました(笑)


*・゜★二度目の妊娠☆.:*・゜

イキナリのつわり攻撃から始まった。とにかく何もかも気持ちが悪い。
口に出来るものが一つまた一つと減ってゆき、もう二度とおいしくご飯を食べられないような気がして、精神的にもかなり落ち込んだ。なんていうのか、「生きていても楽しいことなんか何もない…!」そんな気分なのだ。
そんなオオゲサな!と笑う人もいるかもしれない。でも私にとっては、「食べる」というのは「生きる」ということに直結しているんだな…と痛感した数ヶ月だった。

何とかつわりを乗り切った後、今度は「逆子」であることが判明。毎晩シンドイ「逆子体操」をすることになる。
そうまでしたのに結局最後まで「定位置」には戻らなかった。誰に似たのかガンコなわが子…
仕方がないので帝王切開の予定を組んだ。夫はその頃海外出張が多かったのだが、手術予定日近辺は空けておいてくれた。

ところが予定日まであと2週間足らずとなったある晩、夫の海外出張中に出産の兆候が!
「もしかしたら予定日までには逆子が治って自然分娩できるかも…」と一縷の望みをつないでいた私は、心の準備もできないままに急遽手術に臨むはめに…
母親とタクシーで病院に向かう途中、体の震えが止まらなかったのも初めての体験だった。
(でもアタマの片隅では「人間って怖いとホントに震えるんだぁ~」と妙なことに感心していたのだが。^^;)

☆そうそう、母親と言えば…
里帰り出産をしなかった私は、出産前後は九州に住んでいる母親に来てもらうことにしていた。
不思議なことに、このときも二人目出産のときも、「母親が来た当日」に入院し、翌日出産しているのだ。
「かけこみセーフ」というべきか、はたまた母親の顔を見てホッとして産気づいたということなのか…なんとも不思議な偶然だ。

一度目の妊娠

2006-04-18 | 苦あれば楽あり
出産を間近に控えためすねこさんのリクエストにお応えいたしまして、今日から4回にわたって私の「出産秘話」をお届けいたします。
といってもそんな大したモンは出てきませんよ…^^;ありふれた話の部類だと思います。それでも、私にとってはインパクトありすぎな出来事ばかりでした。…


*・゜★一度目の妊娠☆.:*・゜

随分早くから“つわり”のような症状が出始めたので、もしや…?とはりきって妊娠検査をしてみたのだが、結果はなぜかうすらぼんやりとしか出なかったので、…??という感じだった。
「検査時期が早すぎたかな?」と思って、もう少し様子を見ることにしたのだが、ほどなくして出血があり、初めて産婦人科に受診することになった。

診察の結果は「子宮外妊娠の疑いあり」で即入院。それまで産婦人科受診どころか入院の経験すらなかった私は、「大出血を起こしたら命にかかわるので監視下に置かせてください」と言われて、ただただ動転するばかりだった。

婦人科に空き部屋がなかったので、しばらく産婦人科病棟の4人部屋に何組かの母子と一緒にいた。つらくはなかったかというと…正直に言うと、そのとき私は自分のことで手一杯だった。生まれなかった赤ちゃんの心配よりも、自分の命の心配をしていたのだ。
しかしほどなくして、「稽留(けいりゅう)流産」と診断名が下った。
その後看護婦さんが「婦人科の部屋があきましたのでそちらに移れますよ。」とすまなそうに言ってくれたのだが、私ときたら「そっちのほうが静かだろうな」くらいにしか思わなかった。

後になって考えてみると、流産したものにとって「母子と同室になる」つらさは想像するにあまりある…(しかし、実際問題部屋がないときたらどうしようもなかったわけだが…)
今となっては、そのとき自分の心が自分のことで手一杯だったことに感謝したいくらいだ。でなければ“底なし沼”にはまりこんでしまっていたかもしれない…

母は強し

2006-04-14 | ヤワラカメの話
人間、共通の体験があると結びつきが強くなるものだ。
それが苦しい体験であればなおのこと…
「母親」と名のつく人たちがあっという間に意気投合できる秘密の一つに、「苦しい体験」を共有しているということがあるような気がする。

たとえば、究極の「苦しい体験」といえば、出産。
何かのはずみでそのへんの話が出始めたら、もう盛り上がるのなんのって…
私自身もいろいろと修羅場をくぐりぬけてきたほうだと思うが、何しろ出産をめぐるドラマは百人百様。どの話にも身を乗り出して聞き入ってしまう。
あるときには手に汗握り、あるときは涙しながら…
これで旧年来の友人のように打ち解けなかったらウソというものだ。ある意味“戦友同士”だものね。
(…しかも話題が話題なだけに、気がつけば赤面モノの打ち明け話合戦になっていたりする…詳しい話はここではモチロンできません^^;;)

生まれたら生まれたで、子育てに悩みは尽きず…
子どもが入園・入学すれば、学校や幼稚園についてあーでもないこーでもない…道理で飲み会がなかなかお開きにならないはずだわ^^;

そりゃあもちろん、誰だって苦しいことはイヤなもの。
でも、そんな母親同士のたわいない話の輪の中にいるとき、ふと「生きている実感」のようなものを感じることがある。おおげさなようだけれど、「人生ってなんて素晴らしい!」みたいな感覚だ。
“人生の本質”というと何か壮大なもののような気がするけれど、案外一見たわいない“枝葉”の部分にこそ宿っているのかもしれないな…
苦しいことに出会わない人生を選択し続け、人と共有したいと思うものを持たないまま送る人生っていうのも、味気ないだろうなぁ…という気がする。

いろいろなことが分かり始めた今、私にはもう迷いはない。
かくしてますます、「母は強し」を地でいこうとしている私であった…いいのか、こんなんで?!(でも“恥じらい”の気持ちは大切にネ♪)