日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

「ハレ」と「ケ」の変遷

2006-03-31 | ヤワラカメの話
「ハレ」と「ケ」という言葉があります。ご存じだと思いますが一応説明すると
「ハレ」とは文字通り「晴れ」の意味ですね。
つまり天気がいいということ…ではなくて、「晴れの舞台」の「晴れ」、つまり
正式な場、改まった場、日常から離れた場を指します。
もう一つの言葉「ケ」(漢字では「褻」だそうです…書けん(- -;))は、その反対の「日常」のことですね。

で、本題ですが
面白いのは、「ハレ」と「ケ」が世につれ変わっていくということです。

たとえば、銭湯。
今のように、「一家に一つ」お風呂がなかった頃には、毎日通う銭湯は「ケ」そのものでした。
それが今やどうなったか…
「ケ」のままで細々とながら営業する銭湯も確かにありますが、「ハレ」の場に姿を変えることで生き残っているものもあります。
いわゆる「スーパー銭湯」ですね。
現代では、人々は「日常」から離れて疲れを癒すために、「銭湯」に足を運ぶようです。

反対に「ハレ」が「ケ」になったものといえば、ファミレスがその代表でしょう。
自分の幼い頃を振り返っても、家族そろって「レストラン」に行くという体験は、ちょっと特別な出来事だった気がします。
(ま、ウチの親はレストランが妙に好きなもので、我が家はわりとしょっちゅう行ってましたが^^;)
でも、きっと昔は
「今日の晩御飯はロイヤルホストよ!」「わ~い!!」
というような会話があったことと思います。

それが今やどうでしょうか…
「今日の晩御飯、ファミレスでいい?」「え~また~…?」
こんな会話なら聞こえてきそうです…
業績も未だ低迷から脱していないファミレスですが、今や「ケ」として自らの存在を認識しなおさなければならないようです。

…しかしそれ以前に、
現代では何でもカジュアル化されてしまって、「ハレ」も「ケ」も大して違わなくなっているような気がします。
本当は「ハレ」と「ケ」の落差が生活にメリハリを与えてくれると思うんですけどね…
もっと「ハレ」と「ケ」をそれぞれ存分にエンジョイしてみてはいかがでしょう?
きっと生活が彩り豊かなものになると思います

どちらが恥ずべき存在か

2006-03-27 | 堅めの話
一旦「在る」とされた“残酷な事件”を、後になって否定することほど難しいことはない。
先日、ウェブ上でとあるTV番組を見て、そんなことを考えた。

番組名は「たかじんのそこまで言って委員会」。
南京大虐殺の証拠とされる写真や記事を一つ一つ検証した本の著者である東中野教授を招いて、「南京大虐殺は本当にあったと言えるのか?」を論じていた。
教授は、膨大な数の資料をしらみつぶしに科学的・論理的に検証した結果を、冷静に根気強く説明していた。

冷静にVTRを見れば分かることだが、彼は「南京大虐殺はあった」とも「なかった」とも一言も言っていない。
その主張はただ、
「証拠とされた写真の数々は、証拠たり得ないものである」
ということ、ただそれだけなのである。
それなのに、某氏をはじめとするパネラーの幾人かは、すぐに混同して「それなら戦時中に虐殺はなかったのか?!」などとかみついていた。
(最後にはそのお粗末な頭の中も、徐々に整理されていたようだが。)

それにしても、
なまじことが残酷だと、ただの「事実の検証」がこうも難しいものになってしまうのか…ということを、あらためて思い知らされた。
「この事件の存在には疑問符がつく」という主張をしただけで、「被害者の人権」(それが架空の存在であっても)を踏みにじる“人でなし”扱いされてしまう。

しかしこれは、裏を返せば
人間という存在が、いかに「情」の前に脆いものであるか、ということの裏返しでもある。
人間は残酷な事象を伝え聞くと、条件反射的に弱者の味方についてしまうのだ。

卑近な例だが…たとえば痴漢冤罪事件。
女性である私の心情としては、反射的に女性の側についてしまい、痴漢行為への怒りが先立ってしまいがちだ。
一旦立件されたものが実は冤罪だった、と言われても「本当なんでしょうね?!」とすぐには信じにくいような気がする。

残酷な事件を検証しようとするものには、論理と個人的心情を切り離す強い心が必要だ。
事実を検証しようとすることは(それが残酷な事件であってもそうでなくても)勇気あることとたたえられこそすれ、非難されるいわれはない。

本当に非難されるべきなのは、
「残酷な事件の被害者には無条件で同情しそうになる」人の心の最も弱い部分につけこんで、
ありもしない「残酷な事件」を捏造・主張する、
あまつさえ「事実を検証する」ことさえ阻もうとする、
そんな卑怯さのほうだと思うのだ。

サンシャイン水族館

2006-03-26 | 今日の出来事。(私事編)
ボーイスカウトビーバー隊年度末最後の活動は、リッチにサンシャイン水族館♪
でも大人1800円もするのね…( ̄〇 ̄;)
スカウトの人数が少ない今だからこそ行けるのヨ!…
と強がってみてもちょっと寂しい…(;_;)
でも子どもたちは、マンボウだラッコだアシカショウだと楽しんでいたから、まあいいか(^-^)

現地解散のあとナンジャタウンにも行ったけど、激混みでマイッタ!!
でも、念願の「わさびソフト」が食べられたのはうれしかった(*^o^*)


ほぼ日まとめ読み中

2006-03-23 | 今日の出来事。(私事編)
ちょっと気に入ったお便りがあったのでご紹介♪

●さきほど
 仕事で郵便局へ行く途中に、
 会社の近くの
 ちいさな花屋のおにいさんを見かけました。
 仕事は終わったようで、商店街を
 かわいい彼女と手をつなぎながら
 これまでに見たこともない最高のニコニコ顔で
 たのしそうに歩いてました。
 いつもお店では笑った顔を見たことがないので
 軽い驚きが……。
 彼女のことが大好きなんだなあと
 ほほえましく感じると同時に、
 あの笑顔で接客すれば繁盛しそうなのに……と
 よけいなお節介が頭をかすめました。

・・・最後の二行が笑った
というのも、ウチのダンナも「営業スマイル」がチョー苦手なんだよね。
カメラを向けられたときに笑顔を作るのさえも一苦労。(ププッ…ばらしちゃった、ゴメンネ~♪)その上フラッシュに目をつぶるクセもあるし…
でもその分、普段リラックスしてるときには、とっても自然でイイ笑顔をするんだけどね~。残念ながらこれを知る人は親しい人だけだろうな…

でも、男性には意外にこういう人って多い?という気もするんだよね。(その点女性は…イヤイヤ

おめでとう、王ジャパン!!&オマケ

2006-03-22 | 今日の出来事。(私事編)
王監督、世界一の胴上げ イチロー、松坂ら活躍 (共同通信) - goo ニュース

今日のビールは最高でした!♪
さすがにキューバは強かったけど、やっぱり負ける気はしなかったなぁ。
それに、MVPが松坂くんだよ!うれしすぎる~(T-T)
イチローの喜び方もイイ!ここではしゃがないでいつはしゃぐ?!だよね♪
それにしても、いいチームだったんだね~…こっちにまでいい雰囲気が伝わってきて感動しましたよ。


…それでですね~、ここから先は自分の話ですが…
勢いあまってというか何というか、急に思い立ってナント車を衝動買いしてしまったのでありました♪
…ついこの前クルマ買いたいな~とほざいてたばかりなのに、こんなに早く実現してしまっていいのだろうか?!
でも…安かったんだも~ん♪

買ったのは同じ車種(でみおくん)なんだけど、試乗してみて一発で気に入りました。
残念ながら高速は試乗できないから推測なんだけど、心配だった騒音も今度は大丈夫そう!
だって、ドアを閉めるときの音からして違うんだもん。
前のは「バンッッ!!」って感じだったけど、今度のは「ばむっ」って感じ。
この違い、わかってもらえるかな~。(わかるか~っ!

…しかし、たったの6年でこのグレードアップはすごいなぁ。
今やこのレベルの車がこの値段で買えるなんて、日本ってなんていい国なんだろう…
野球も技術も世界に誇れるゾ、ニッポン!!
(強引にまとめてみました^^;)

「侍」を見た

2006-03-20 | 今日の出来事。(社会編)
王ジャパン決勝進出 6-0、韓国に雪辱 (共同通信) - goo ニュース

本当によかった!!

王ジャパンのWBCでの戦いぶりの中で、とりわけ私の目を引いたのは、いつもとは一味も二味も違う、アグレッシブなイチローの姿だ。
(WBC前)「今後30年は日本に手は出せないな、と・・・」
(前回の韓国戦敗戦後)「僕の野球人生で一番屈辱的な日」
これらの発言を、イチイチ敵意をもって取り上げる韓国のことは置いておくとして、私にとってはひときわイチローの魅力を増したことは確かだ。
「日本代表」という肩書きを彼がどんなに名誉に思っているかが、ひしひしと伝わってくる。

そういえば、トリノオリンピック女子フィギュアで金メダルを獲った荒川静香が、表彰台の上で君が代を口ずさんでいる姿にも感動した。
テレビではなぜか放映されなかったが、その後の日の丸をまとってのウィニングランでの彼女の美しさと言ったら…(ネット上で写真を発見した)

イチローや荒川静香の「思い」。
それは、単なる「愛国心」では片付けられないような気がする。

また、
最終的には「個人」に帰するアメリカ的な「プライド」とか、
逆に(社会主義国の選手によく見られる)「国家の威信を背負って」というものでもない。

日本人の誇りは
自らを誇りに思う気持ちと、自分の国を大切に思う気持ち、
両方に根ざしているものだ。それは「侍」にも通じているような気がする。
いまだに自国の国旗・国歌を蔑むだけの人がいる一方で、国際舞台で活躍する若い世代にこのような思いが着実に育ちつつあることを感じ、とてもうれしく思っている。


さて、次はキューバ戦だ!
松坂くん、魅せてくれ!!

突然の和菓子ブーム!

2006-03-17 | お気に入り♪
…いや、私の中でだけ(いわゆるマイブーム)なんですけどね^^;
この前のPTAの会議で出た桜餅がスッゴクおいしくて、以来イキナリ和菓子にハマってしまいました♪
昨日はコドモとみたらし団子、今日は一人でまた桜餅(スーパーでやっと見つけた)…
カオをほころばせていたら、生協で頼んでた信玄餅が来て、今我が家はにわかに和菓子過剰状態です…

濃い目の日本茶と和菓子…これってかなりシアワセよね。
それに、春って和菓子が一番似合う季節のような気がする…♪

(気がつけば「和」のエントリが続いてるなぁ。)

坂本竜馬

2006-03-15 | お気に入り♪
今更ながら、だけど…坂本竜馬っていいよね!
「新撰組!」の江口洋介の影響も大きかったりするんだけど(^^;…でもイメージぴったりだった!)日本史に明るくない私にも、この人が人気がある理由はわかるなぁ。
「日本の行く末を案じる」というとき、ともすれば誰もが悲観論に陥りがちだが、坂本竜馬という人は理想を見すえつつも
「大丈夫!!」
と理屈抜きに確信させてくれる何かがあるのだ。

坂本竜馬は、例えるなら
「目の前にあるこの材料を使って、一体どんなものが作れるのかな?」
と、ワクワクしている少年のような感じだ。

実は現代にも(というか私の周りにも)、こういうタイプの人がいる。
会っているときはもちろん、別れた後まで何となく前向きな気分が続いて、何か知らないけど「いっちょやったるで~」的気分(どんな気分だ?!)になっている自分を発見する、そんな人だ。(ってどんな人だ?!うまく説明できなくてスミマセン…)


一方それとは逆に、何だか知らないけど「話すと落ち込んでしまう」タイプの人もいる。
言ってることは至極もっともだったり、描く理想はケチのつけようもないほどすばらしいものだったりするんだけどね…
先日のエントリの「痛々しい人」も、このタイプの人であることが多い。

先ほどの「少年」のたとえで言うなら、このタイプの人は
「こういうものを作りたいのに、あの材料がない、この材料がない」
とボヤいている老人のよう、なのである。常に理想と比べてしか現実を見られない、というか…

また、「私って楽観的なんだよね」とか「私、基本的に性善説を信じてる人だから」などと、ことさらに「人って素晴らしい」を力説する人にも、なぜかこのタイプの人がしばしば見られるのは不思議だ…
そういう人と話すときは、気が付くと会話を早めに切り上げようとしている自分がいる。
こればっかりは、いかんせん「気分」の問題だからどうしようもない…

痛々しい人

2006-03-09 | 今日の出来事。(私事編)
傍目に「痛々しい…」と感じる人っていないだろうか?たとえば
一生懸命背伸びして、自分を良く見せようという努力を続けている人…
「正しいのは自分よね?間違ってるのはあっちよね?」と必死で確認し続けているかのような人…
もちろん、誰にでも自分を良く見せたいという願いは多少はある。しかしそれが度を越していると、痛々しいとしか感じられないのだ。
私はそういう人に敏感である…なぜなら私自身も昔はそうだったから。


何でイキナリこんな話をしているかというと、IEの「お気に入り」を整理してて、なつかしいサイトを見つけたから。

ココでちょっと横道…「CAP」をご存知だろうか?
「Child Assault Prevention」の略で、アメリカ発の「子どもへの暴力防止プログラム」のことだ。(興味のある人は調べてみてほしい。)
私は一時期その活動に参加していたのだが、その会長さんという人が絵に描いたような「痛々しい人」だった…(ちなみに、その会はもう解散してしまっている。)

職業は歯科医師。会合にはいつもビシィッとメイク&ファッションを決めてきて、発言もデキるキャリアウーマン(死語?!)そのもの。
(余談…最初メールで連絡をとってから会ったのだが、メールで感じていた「何となく冷たい感じ…」は当たっていた。メールには案外その人の人となりが正直に表われるのかもしれない…)

その人のHPには、「子どもの人権」「ジェンダーフリー」「男女共同参画社会」などを礼賛する言葉が並んでいて、理想主義的なところが垣間見える。
プロフィール欄にも、気恥ずかしいくらいの「痛々しい光線」があふれている…(以下抜粋)


(家族紹介)長男・6歳
・・・オーストラリアのグレートバリアリーフで一緒にシュノーケリングをして、・・・広い海の中で2人手をつなぎ、彼とこの時からなんだかとても強い絆が生まれました。・・・
長女・4歳
・・・80年代ディスコのCDをかけて踊るのがダイスキなのは私に似たんでしょうか…;;ジュリアナ、Mカルロ時代を思わず思い出してしまいます。・・・

(自分の性格) ポジティブ。気が強いが涙もろい。結構社交的(?)
自己主張が強い(わがままとも言う?)

(好きな食べ物) デ・ラ・コリンヌのカイザーロールに(今はないのですが)本町のかねいちのポテトサラダをはさんだカイザーサンド、福砂屋のカステラ、シナボン、パリのアンジェリーナのモンブラン、イタリア・カファレルのジャンデューヤチョコレート(ジャン・ポール・エヴァンもおいしいけど)、フレイバーの(シフォンケーキもスキだけど)ブルーベリーバックル☆

(お気に入り)
定番 サプリメント(毎朝何種類も…)、オバジシリーズの美容液、資生堂のボディクリエイター


・・・ここにちりばめられた精一杯の背伸び…痛々しいとは感じられないだろうか。
たとえば、自分で自分の性格を「気が強い」とか「社交的」という人には、なぜだか痛々しいものを感じてしまう。「本当はそうじゃないんだろうな…」というような…
本当に社交的な人は、自分で自分のことを「社交的」とは言わないような気がするのだ…


…でも、私が彼女を「痛々しい」と感じる最大の理由は、表面的には理想的な家庭に見えて、実はご主人との間がうまくいっていない、ということを知っているからかもしれない…
最後にお会いしたときは、「ダンナがわかってくれない、離婚するかもしれない」と深刻な様子だった…
あれからうまくいっているのだろうか。…

「国風派」20代で台頭(日経MJより)

2006-03-06 | 今日の出来事。(社会編)
「和」が短期の流行を超え、長期的な消費の基調のひとつになろうとしている。
消費者の関心はしゃれた和風小物などから古来の精神文化へと深化していく。その動きの先頭に立つのは中高年よりも二十代の若者だ。社寺や茶華道、平安文化に傾倒する新たな「国風派」の台頭。底流には若年層の価値観の「近代離れ」がうかがえる。
(3月1日日経MJより)


いや~、私はそうじゃないかな~と思ってましたよ♪
(後からなら誰にでも言えるってのがクヤシイ…)
何を隠そう私自身も、「新撰組」の影響もあって最近急速に「日本」「和風」に傾倒していたりする♪(…二十代じゃないけどね…ホットケ!

日経消費マイニングの調査によれば、
「伝統的な日本料理」
「国内旅行」
「古典的な美しい日本語」
「神社仏閣など」
「京都の伝統文化」
などの項目で、「五年前と比べ関心が高まった」と答えた人の割合が軒並み増えているという。

「角帯をきちっと締めて立ち姿を変え、同時に精神面でもすっときれいに立ちたい、と思う若者が増えたようだ」(某呉服店社長)
「若い人の心構えが変わってきた。雅楽を一生の趣味と決め、息長く続ける人が多い」(日本雅楽会理事長)


この調査でとりわけ面白いと思ったのは、世代による価値軸の違いだ。
「子供・次世代に伝えたいこと」の回答を二十代と六十代で比べた結果は以下の通りだとか。

六十代では五割以上が「平和憲法や民主主義」を挙げ、以下
「高度成長を支えた勤勉さ」
「忠孝・長幼の序などの道徳観」
「科学的・合理的な考え方」と続くのに対し、

二十代では
「『雅』など京風の美意識や季節感」
「『わびさび』『幽玄』などの美意識、自然観や文化」
「『粋』『いなせ』など江戸町民の美意識や文化」
などが六十代の倍以上。
反面、
「科学的・合理的な考え方」は7.6%、
「勤勉さ」は11.4%しかない。
(「平和憲法や民主主義」も約35%。)


高度成長期や「戦後民主主義」で失ったものを取り戻す方向に、時代はちゃんと動いているようだ。
もちろん、これも「いいことばかり」ではないだろうし、行き過ぎはまた別の弊害を生むことも分かっている。しかしそれでも、とりあえずはこの動きを好意的に見守りたい。“和風好き”当事者としても…
(「だからアンタ二十代ちゃうやろ」って?いいんだってばっ!!