日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

さぁ~て、サクサク続きます。

2006-04-18 | 苦あれば楽あり
*・゜★三度目の妊娠☆.:*・゜

たまたま実家に帰省していたときだったのだが、検査薬で検査してみたら陽性反応が出た。次は自然分娩で産みたいと思っていたので、3年ほどあけての待望の妊娠だ。実家の父も母も大喜びだった。

3歳になったばかりの娘に
「ママのお腹に赤ちゃんが来たんだよ!○ちゃんはおねえちゃんになるんだよ」と説明してみたが、今ひとつピンときていないようだった。(そりゃそうだろうな^^;)
でも母親やジジババのうれしそうな様子から、「何かイイコトなんだな♪」というのは感じ取っていたようで、お腹を触っては「赤ちゃん、こんにちは!」などとやさしく話しかけていた。

しかし、また出血…
かかりつけ医のいない場所なので、いとこのかかっている産婦人科にわらをもすがる思いで受診してみたのだが、やはり超音波にも何も映らず、残念な結果を告げられた。
流産の後の処置はもうわかっているので、淡々と手続きをすませ、処置を受けた。

麻酔から醒めると、処置室の狭いベッドに一人寝かされていた。
あのときの空虚な気持ちは今も忘れられない。目覚めたときの天井の無機質な色、隣室で医者と看護婦が談笑するむやみに騒々しい笑い声…
手足も満足に動かないのに、涙だけがどんどんあふれてきて困った。
でも、迎えに来た母と娘の心配そうな顔を見て、「そうだ!私には子どもがいるんだった!」ということを思い出した。

帰ってから、「死」を知らない娘に説明するのにまた困ってしまった。
「赤ちゃんはね、神様のところに忘れ物をしちゃったみたい。だからもう一回お空に帰っていったのよ。」
聞いている娘は、娘なりに神妙な面持ちだった。
「赤ちゃん、また戻ってくる?」
「うん、きっと来ると思うよ。」
私はそう答えながらも、次の妊娠でやってくるかもしれない子どもを心待ちにする気分にはとてもなれなかった。それよりも、生まれることができなかったこの子にはもう会えない、そのことが悲しくて仕方なかったのだ。

この経験は、言葉では言い表せないほどの転機になった。
何しろ「失敗を踏み台に」だとか「よりよいものを目指して日々努力する」だとかの今までの方法論を、ことごとく打ち砕くものだったから。
ただ、「ありのままの事実」を「受け入れる」しかない、世の中にはそんな試練が満ち満ちているのだということを、たくさんの涙とともに思い知った出来事だった。

二度目の妊娠・パート2

2006-04-18 | 苦あれば楽あり
(長くなりそうなので「二度目の妊娠」は二部構成にしました)

手術は深夜だったにもかかわらず、運よく主治医の先生も麻酔医の先生もそろっていらっしゃったのは、運が良かったとしか言いようがない。

それにしても、帝王切開って「部分麻酔」なんだよね…
子どもの誕生の瞬間に意識があるのはうれしいんだけど、お腹を切ってるときに意識があるというのは全然うれしくない!!
実際手術中に、執刀医の先生方が「もう少し切ったほうがいいんじゃないか?」「いや、これでいいんだ」などと意見が食い違っているのが聞こえてくるのは気が気でなかった。

そんなこんなで無事出産。一仕事を自分の力で終えたと言うよりは、あれよあれよと言う間に流れ作業に乗っているうちに終わった、という感じだ。

しかし、シンドイのはそれで終わりではない。
子宮収縮や手術の傷口、授乳などなど、「痛いこと」続きなのは想像していた通りだったが、意外にも実はそれよりもっとつらいことがあった。
手術終了後から数日間、足に原因不明の湿疹が出て、寝てもさめてもかゆくてかゆくてたまらなかったのだ。

変な比べ方かもしれないが、
いつかは終わる「痛み」(たとえものすごい痛みでも)に立ち向かうほうが、
いつ終わるともわからないかゆみに寝ても覚めても苦しめられるよりもマシだと思う。まさにあれは地獄の苦しみと言ってよかった。
子どものアトピーに悩んで心中までしてしまう人の気持ちが、昔は全く分からなかったが、今はそのつらさが少しはわかる。
結局湿疹は原因不明なまま自然に消えたのだが(私は“溶ける縫合糸”があやしいとにらんでいる)私の人生観を一変させる出来事の一つだったことは確かだ。

二度目の妊娠・パート1

2006-04-18 | 苦あれば楽あり
何だか照れくさくなってきたので、イッキに書き上げることにしました(笑)


*・゜★二度目の妊娠☆.:*・゜

イキナリのつわり攻撃から始まった。とにかく何もかも気持ちが悪い。
口に出来るものが一つまた一つと減ってゆき、もう二度とおいしくご飯を食べられないような気がして、精神的にもかなり落ち込んだ。なんていうのか、「生きていても楽しいことなんか何もない…!」そんな気分なのだ。
そんなオオゲサな!と笑う人もいるかもしれない。でも私にとっては、「食べる」というのは「生きる」ということに直結しているんだな…と痛感した数ヶ月だった。

何とかつわりを乗り切った後、今度は「逆子」であることが判明。毎晩シンドイ「逆子体操」をすることになる。
そうまでしたのに結局最後まで「定位置」には戻らなかった。誰に似たのかガンコなわが子…
仕方がないので帝王切開の予定を組んだ。夫はその頃海外出張が多かったのだが、手術予定日近辺は空けておいてくれた。

ところが予定日まであと2週間足らずとなったある晩、夫の海外出張中に出産の兆候が!
「もしかしたら予定日までには逆子が治って自然分娩できるかも…」と一縷の望みをつないでいた私は、心の準備もできないままに急遽手術に臨むはめに…
母親とタクシーで病院に向かう途中、体の震えが止まらなかったのも初めての体験だった。
(でもアタマの片隅では「人間って怖いとホントに震えるんだぁ~」と妙なことに感心していたのだが。^^;)

☆そうそう、母親と言えば…
里帰り出産をしなかった私は、出産前後は九州に住んでいる母親に来てもらうことにしていた。
不思議なことに、このときも二人目出産のときも、「母親が来た当日」に入院し、翌日出産しているのだ。
「かけこみセーフ」というべきか、はたまた母親の顔を見てホッとして産気づいたということなのか…なんとも不思議な偶然だ。

一度目の妊娠

2006-04-18 | 苦あれば楽あり
出産を間近に控えためすねこさんのリクエストにお応えいたしまして、今日から4回にわたって私の「出産秘話」をお届けいたします。
といってもそんな大したモンは出てきませんよ…^^;ありふれた話の部類だと思います。それでも、私にとってはインパクトありすぎな出来事ばかりでした。…


*・゜★一度目の妊娠☆.:*・゜

随分早くから“つわり”のような症状が出始めたので、もしや…?とはりきって妊娠検査をしてみたのだが、結果はなぜかうすらぼんやりとしか出なかったので、…??という感じだった。
「検査時期が早すぎたかな?」と思って、もう少し様子を見ることにしたのだが、ほどなくして出血があり、初めて産婦人科に受診することになった。

診察の結果は「子宮外妊娠の疑いあり」で即入院。それまで産婦人科受診どころか入院の経験すらなかった私は、「大出血を起こしたら命にかかわるので監視下に置かせてください」と言われて、ただただ動転するばかりだった。

婦人科に空き部屋がなかったので、しばらく産婦人科病棟の4人部屋に何組かの母子と一緒にいた。つらくはなかったかというと…正直に言うと、そのとき私は自分のことで手一杯だった。生まれなかった赤ちゃんの心配よりも、自分の命の心配をしていたのだ。
しかしほどなくして、「稽留(けいりゅう)流産」と診断名が下った。
その後看護婦さんが「婦人科の部屋があきましたのでそちらに移れますよ。」とすまなそうに言ってくれたのだが、私ときたら「そっちのほうが静かだろうな」くらいにしか思わなかった。

後になって考えてみると、流産したものにとって「母子と同室になる」つらさは想像するにあまりある…(しかし、実際問題部屋がないときたらどうしようもなかったわけだが…)
今となっては、そのとき自分の心が自分のことで手一杯だったことに感謝したいくらいだ。でなければ“底なし沼”にはまりこんでしまっていたかもしれない…