匿名ということもあって、そこでは私はプライベートな出来事やそれに対する私見を開陳したり、時にはかなり私情も交えたりして、踏み込んだ議論を繰り広げている。
私の場合、「何かおかしいぞ」と感じる意見(人)に出会い、反論を重ねていくうちに、自分自身の考えがまとまっていくところがある。
(そのせいか、ここであらためて自分の考えをまとめようとしても、こちらはなかなか筆が進まないのだが…)
私にとって一番のエポックメイキングな出来事は、その掲示板での「学校否定派」の人々との出会いである。
彼らは、(しばしばスレッドのテーマとは関係なく)
「(学校では)子どもの個性が大切にされていない」
「画一的だ」
「考える力を奪われている」
「いじめなどを見ても、学校教育は弊害のほうが大きい」
などの主張を繰り広げる。
いろいろ理屈のようなものはこねているが、社会的影響を検証しようとしているでもない。言っていることは徹頭徹尾「学校教育はいらない」(ひいては「“義務”教育は不要」)、これだけである。要するに先に結論ありきなのだ。
彼らの主張は「学校が嫌い」という感情論の域を出ていないようにさえ見える。
これらを叫んでいる人々が同時によく主張している意見としては、
「国旗国歌の強制に反対!」
「教育基本法“改悪”に反対!」「共謀罪に反対!」
「お国の為に働く人間を作ろうとする教育に反対!」
などがある。
どうやらこれらの意見には、同じ思想的土壌があるようだ。
学校は「完全」ではない。それは確かである。
しかし、近代国家で学校以外の教育を礎となし得ている国は、今のところ存在しない。
慎重かつ長期間にわたる社会的検証も無しに、ただ自分が「学校が嫌い」だというだけで学校を否定し、それが当たり前になってしまったら、それは亡国の序章以外の何者でもないだろう。
(…というと、彼らは「国なんてなくていい」などと言いそうだな…)