日々思うこと

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「大人になる」ということは

2006-04-26 | 堅めの話
人は、生れ落ちたそのときには「自由」そのものだ。
なぜなら
「(自分が)やりたいこと・できること」は、
「イコールやってもいいこと」
だから。

もちろん、生まれたばかりの赤ん坊の「できること」なんて、飲む、泣く、寝るなど、数えるほどしかない。しかしそれらは全て「やってもいいこと」なのである。赤ん坊は「これはやってもいいことなのだろうか」などと悩むことはない。

それが乳児から幼児になって、「できること」が少し増えてくると、世界は少し様相の違ったものになる。

確かに、自分の足で歩けるようになった分だけ「自由」になったかのように見える。しかし、いくらそうしたいからといっても、交通量の多い道路を大人と手をつながずに歩くことはできない。
今までは、目に入るおもちゃは全て遊んでいいおもちゃだったのが、買い物先のスーパーのおもちゃで遊ぶことはできない。
つまり、「できること」の数が「3」から「30」くらいに飛躍的に増える反面、今までは存在しなかった「やりたいけどやってはいけないこと」が生まれるのだ。しかもその割合はどんどん増して行く。

大人となった人間はどうだろうか。
「できること」は星の数ほどに増えるだろう。
何にいくらお金をかけてもかまわない。その気になれば有り金全部ギャンブルにつぎ込むこともできる。
他にも、たとえばごみの不法投棄から詐欺、強盗、殺人に至るまで、良いことでも悪いことでも何でもできるだけの知恵も力も備わる。
しかし「できること」に対する「やってもいいこと」の割合は、いかに微々たる物となっているだろうか…

つまり、大人になるということは「できるけれどやらない、やってはいけないこと」を相対的に増やすということなのだ。言い換えれば、人間は「自由な存在」として生まれて、どんどん「不自由」になるということだ。

さらに言えば、品格の備わった尊敬すべき大人ほど、「できること」に対する「やってもいいこと」の割合が低い、つまり「不自由」であると感じる。
(これは「ノブレス・オブリージュ」の概念と通じるように思う。)
品格ある大人は、「やりたいこと、できること」がどんなに増えても、自分が実際に社会においてやるべきことは限られていることを知っているし、その覚悟ができているものなのだ。

親が子どもに教えるべきなのは「自由」ではなく「不自由」なのだ。そこを勘違いしてしまうと、この世の中はひどく住みにくいものになるに違いない…

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2 コメント

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大切な経験 (ヤマ親爺)
2006-04-27 14:17:35
世間が教師が親がやらなくなったこと、いややれなくなったのか、それはちゃんと怒ること。

結果、怒られる事に免疫のない人間が増える。

怒られ慣れてないから怒れない。

深い人間関係を築けず、自己の確立がすすまない。

だからちょっとした事で我を失い社会問題が起きる。

midstreamさんのおっしゃる不自由なものの一つは、実は「怒られること」でもある。

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同感です! (midstream)
2006-04-27 14:36:36
怒られる経験は絶対必要です!

「怒られると子どもが傷ついてかわいそう」なんて言う親がいますが、何言ってるんだ?!と思いますね。



この前出くわした親などは、

「自分がされて嫌なことは人にしてはいけないはず、だから子どもにもしてはいけない」などと言って、子どもの好きなようにさせていましたが…

「躾」って言葉、知ってる?って感じです…
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