大晦日の街はいつもと変わらず明るく、行きかう車や人もにぎわっている。
震災直後にはコンビニの看板も何もかも暗かったのに、慣れというのはこわいものだ。
震災の日、私と娘は近所の美容院にいた。
最初は同じベンチに座っていたおばさんが貧乏ゆすりをしているのかといぶかしく思っていたら、見る間に揺れは大きくなっていった。まだカラー途中の娘は不安そうだ。
店員さんはすぐに自動ドアを開放して様子を見ていた。吊り下がっている照明はひどく揺れていたが、棚のものはトリートメント?が一つ落ちただけだった。
それにしても長い…揺れの長さからおそらく震源が遠いこと、そして地震の規模が尋常ではないだろうことをなんとなく察した。
しかし、そのころまだ学校にいた息子よりも先に不安になったのは、なぜかハムスターだった^^;ケージが落ちてケガでもしていたらどうしよう…?揺れがおさまってから私はいったん家に様子を見に戻ったが、幸いなことに家の中は何一つ被害もなく、何も変わっていなかった。(ハムスターも変わりなかった。)
娘を迎えに行き、ほどなくして息子も帰ってきた。さすがに第一声は「こわかったよ~!!」だったが、担任の先生の冷静な対応の話を聞いて安心するとともに、あらためて感謝した。
都内で働く夫は、帰ってくるのに8時間を費やしたが、あの手この手でなんとか自宅にたどりついた。
その後テレビから流れてくる映像は、予想もしていなかった惨状だった…
津波とはこんなに恐ろしいものだったのか。
それは、ハリウッド映画のCGでよく見るような、透き通った波が高い壁のように迫ってくる、そんな光景とは程遠かった。
どす黒く盛り上がった海面は防波堤をやすやすと超え、木も車も建物も何もかも押し流し、飲み込んでゆく。
「波」というより、「海」そのものが恐ろしいものとなって襲ってくる、そんな感じだった。
逃げ惑う人々の叫び声、子どもの泣き声は今も忘れられない。知らぬ間に涙があふれ、掌で口を覆って呆然とテレビ画面に見入っている自分に気づいた。人はショックを受けると本当に口を覆うんだな…なんていうことをぼんやり思ったりした。
妹から「あまりテレビ見ないほうがいいよ」と言われてハッと気づいた。そういえば9.11同時多発テロのときもあやうく軽い鬱になるところだったのだ。
そして原発事故。とにかく恐ろしくてたまらなかった。
特に水道水から放射線が検出され始めてからは、悲観的な考えばかりが頭をよぎった。どこのスーパーでもミネラルウォーターは売り切れ…このまま水道水が汚染されたままだったらどうすればいいんだろう?
とにかく自分の家族のことを考えるのが精一杯だった。
食品の不足には困ることはなかったが、灯油が底をついたのにはあせった。ガソリンスタンドはどこも長蛇の列で、品薄状態が続いていたからだ。
私はダメもとで、PTA会長さんに情報を求めた。以前ガソリンスタンドを経営していた方なので、何か伝手がないかと思ったのだ。
残念ながらその日はガソリンが手に入る店はなかったが、その会長さん宅はたまたま灯油を買ったばかりとのことで、気前よく自宅用を分けてくれた。(もちろんお礼にビールを持っていった♪)
翌日、灯油を入荷した個人商店を教えてくれたので、早速買いに行った。
気のよさそうな店主は世間話をしながら普通に灯油を売ってくれた。ガソリンスタンドの殺気立った様とはまるで別世界のようだった。
非常事態のように見えても、地域社会は思った以上に落ち着いていて、堅実に日常は営まれていた。それは、ともすればパニックに陥りそうだった私に落ち着きを取り戻させてくれるのに十分だった。
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混乱の続く震災のさなか、出かけた二つのイベントは、忘れられないものになった。
一つは、私の所属する合唱団のピアニストさんの開いたサロンコンサート。いつもと同じようで何かが違う、そんな不思議な感じの都心のホテルのロビーで、ショパンやラヴェルの音楽を楽しんだ。コンサートの冒頭にはプログラムにないアダージョの演奏があり、深く心に沁みるものとなった。
もう一つは小学校の金管バンドの「6年生を送る会」。
指導者のお一人に、二十歳前後のとっても元気な女性(というか、女の子といってもいい感じ)がいるのだが、いつも通りに明るく元気で、周りに笑顔を振りまいていた。
「作ったものではない、本物の明るさ」というのは強いんだな・・・彼女の姿に救われる思いだった。
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震災の後、教会に何度か足を運んだ。そうせずにはいられなかったから。
両親ともクリスチャンなので教会にはなじみはあったのだが、ちゃんと礼拝に参加したのは結婚式以来かもしれない。
結局は神頼み・・・こんなことがあって初めて無力さを思い知るのだから、人間とはなんと愚かな存在かと思う。
それでも、穏やかな牧師さんのお話を聞き、讃美歌を歌っている間は、心が安らいだ。
日常がほぼ震災前に戻った今、こうやって書いていてもなんだか昔の話のようにも感じる。
気がつけば教会もご無沙汰になり、クリスマスにやっと顔を出した程度だ・・・
でも、いつもと変わらぬ年の瀬を迎える今、あらためて「忘れてはいけない」と強く思う。
いつもと変わらないはずのクリスマスや年末年始を、愛する人と一緒に迎えられない人のことを忘れずにいたい。