>・・・残念ながら、今日の学校教育が直面している危機は無数の行為の複合的効果である。
そして、たぶんそのほとんどの行為は「善意」に基づいて行われている。
日本の教育をダメにしてやろうと陰謀を画策している好都合な「張本人」はどこにもいない。
文教族も、文科省の官僚も、教育委員会も、自治体の首長も、現場の教師も、保護者も、メディアも、教育学者も、もちろん子どもたちも・・・全員が「日本の教育を良くしたい」と思ってさまざまなことを行ってきた、その集積が今日のこのありさまなのである。
・・・・・
単一の「有責者」を名指して、それを排除すれば話が終わると言うような知性の怠惰が許される場面ではない。
その簡単な話がなかなか通じない。
国家や自治体が管理し、教育行政が箸の上げ下ろしまで指示し、政治家がそれぞれの教育理念をかざして介入し、メディアが口やかましくコメントし、保護者や地域社会がそれぞれ注文をつけてきた結果、教育の現場は「こんなふう」になった。
今の教育はあまりに多くの人々の要求を受け容れたせいで、「誰の要求も満たしていないもの」になったのである。
教育に関係している人間の誰一人として教育の現状を「私の要求が実現した結果だ」と思っていない。
だから全員が教育の現状に対して腹を立てている。
でも、これは「みなさんの要求」が無文脈的・断片的に実現した結果なのである。
現状がご不満であることはよくわかる。
でも、だからといって、また「みなさん」がそれぞれの立場からこれまでの要求をさらにエスカレートさせても、それは混乱をより深める結果をしかもたらさない。
最終的には、全員が「オレ以外の全員を黙らせろ」ということになる。
「オレ以外のものの教育への干渉が教育を悪くしているのである。みんなひっこんで、オレひとりで仕切れば、教育はよくなる」とみなさんおっしゃっている。
なるほど。論理的には筋が通っている。
でも、それはできない相談である。・・・
ーーーどうやら私も、この現実と向き合うところから始めなければならないようだ。
そして、たぶんそのほとんどの行為は「善意」に基づいて行われている。
日本の教育をダメにしてやろうと陰謀を画策している好都合な「張本人」はどこにもいない。
文教族も、文科省の官僚も、教育委員会も、自治体の首長も、現場の教師も、保護者も、メディアも、教育学者も、もちろん子どもたちも・・・全員が「日本の教育を良くしたい」と思ってさまざまなことを行ってきた、その集積が今日のこのありさまなのである。
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単一の「有責者」を名指して、それを排除すれば話が終わると言うような知性の怠惰が許される場面ではない。
その簡単な話がなかなか通じない。
国家や自治体が管理し、教育行政が箸の上げ下ろしまで指示し、政治家がそれぞれの教育理念をかざして介入し、メディアが口やかましくコメントし、保護者や地域社会がそれぞれ注文をつけてきた結果、教育の現場は「こんなふう」になった。
今の教育はあまりに多くの人々の要求を受け容れたせいで、「誰の要求も満たしていないもの」になったのである。
教育に関係している人間の誰一人として教育の現状を「私の要求が実現した結果だ」と思っていない。
だから全員が教育の現状に対して腹を立てている。
でも、これは「みなさんの要求」が無文脈的・断片的に実現した結果なのである。
現状がご不満であることはよくわかる。
でも、だからといって、また「みなさん」がそれぞれの立場からこれまでの要求をさらにエスカレートさせても、それは混乱をより深める結果をしかもたらさない。
最終的には、全員が「オレ以外の全員を黙らせろ」ということになる。
「オレ以外のものの教育への干渉が教育を悪くしているのである。みんなひっこんで、オレひとりで仕切れば、教育はよくなる」とみなさんおっしゃっている。
なるほど。論理的には筋が通っている。
でも、それはできない相談である。・・・
ーーーどうやら私も、この現実と向き合うところから始めなければならないようだ。
教育について思うこと (内田樹の研究室)