日々思うこと

日常と、
日常につながるもの。

おめでた続き!

2004-04-27 | 今日の出来事。(私事編)
このところ立て続けにおめでたのニュースが飛び込んできていて、私まで浮かれた気分である♪

まずはビーバースカウトの一人に妹が生まれた!早産だったが母子共に健康なご様子。まずは一安心だ。
そこの家では以前生まれて間もなくの女の子を亡くされたことがあるので、きっと喜びもひとしおだろう。

…そして実は今ビーバー隊では、もうお一人のお母さんが「出産待機中」なのだった♪

それから、かれこれ7年くらい担当してもらっている美容師さんもおめでた♪
独身時代からのお付き合いなだけにこちらも感無量…

そしてそして!
先日日記で触れた「学びの場」掲示板で、いつもイイ意見を書いておられるGさんも、先日父親となったことをHPで報告されていた。
Gさんには実際にはお会いしたことはないというのに、なんだかとても感動してしまった。

そういうニュースがあると、「あ~もう一人子ども欲しい!!」という発作的衝動にかられそうになる…
しかし「子どもがもう一人増える=シゴトやモノがその分増える…」と考えをめぐらして、かろうじていつも思いとどまっているのだが。…

それに、たぶん何人子どもを生んだとしても「もう一人欲しい!!」という衝動はなくならないような気もするんだよネ。

「謙遜」について

2004-04-20 | 堅めの話
「むやみに謙遜しあう場」が苦手だ。なんとも言えず居心地が悪い…

特にまだあまり親しくないもの同士の会話でありがちな
「私なんかホントにたいしたものじゃなくて…」「いえいえそんな…」という会話の応酬には、疲れてしまう。

そんなときは、キケンを承知で「いや~実は私、自信なくもないんですよね~…な~んて♪」などと言ってみることもある。
それで場が少し打ち解けることもあるが、ちょこっと「引いている」雰囲気を感じると結構凹む…
やっぱりリスキーな戦法だ…

だいたい、「私なんかお役に立てない存在で…」なんて、わざわざ自己申告する内容なんだろうか?
そう言われると「役に立つか立たないかはこちらが判断することですので」と意地悪く返したくなる。
(…と書くとモノスゴイ傲慢な人間みたいですね…いや、そもそも私は「役に立つか立たないか」なんて基準で人を見たりしません!!)

むやみに謙遜しあう慣習は、やっぱり人の間の距離を近づける役目は果たさないと思う。

…それにしても、どんなに謙遜が嫌いでも、謙遜のセリフ(「私なんて…」云々)には「謙遜」で返す(「いやいやそんな、私こそ…」)より他に方法がないのがツライところだ。

だって「私なんてたいしたものじゃなくて…」と言われて、うっかり「そうですね」と相槌を打ってしまったが最後、気まずい空気が流れることは目に見えているからだ…

人は外見で判断できない

2004-04-19 | 堅めの話
今日はボーイスカウトの活動で駅での募金活動をした。

…さて、イキナリですがクイズです。
募金に協力してくれる確率が高い人はどちらでしょう??

1.ハンドバッグを探りながら歩いてくるきちんとした身なりのおばさま
2.ポケットに手を入れて歩いている茶髪の若者

…答えは2番なんですよね~。
3年にわたって募金に立った上での実感ですから、まず間違いないと思います。

…まあ、「募金に協力してくれる」=「イイヒト」、「協力しない」=「ワルイヒト」というわけではないかもしれないが、実感としては「人は見かけではわからないものだ」という気持ちは確かなものになりつつある。


…ところで、街頭での募金活動に否定的な感想を持つ人も多いと思う。

実は私もかつてはそうだった。
ボーイスカウトで自分が募金活動に参加していなければ、今でも「そんなんでチマチマ小銭集めるより、どっかで働いて実際に人の役に立ったほうがいいんじゃないの?」な~んてクールに眺めていた側だったかも…

でも今では…

親からもらった小銭を握りしめてかけてきて、募金箱に入れた子どもが、「ありがとう」と言われて見せるうれしそうな笑顔。
一度は通り過ぎたのに、わざわざまた戻ってきてくれるおじさん。緑の羽根をつけようとすると照れくさそうに「いらないから」と立ち去ろうとする。
「ありがとうございました!」の子どもの声を受ける背中からも、うれしい気持ちが伝わってくる。

こういう、「世の中捨てたモンじゃない」的な気持ちを持たせてくれるのは、募金活動ならではかもしれない。

(…それに、先に述べたような「人間ウォッチング」ができるいい機会にもなっているし…)

県議会議員Fさん

2004-04-15 | 堅めの話
久々に我が家のポストに県議会議員Fさん発行の「F通信」が入っていた。実は私は数年来この人を密かに応援している。

初めてFさんの市議会報告(その頃は市議会議員だった)「F通信」を読んだのは、かれこれもう5~6年前だったろうか?
市政についてマンガなどを交えながらわかりやすく、かつ面白く書いてあり、かなり衝撃的(というのはオオゲサか…)だったのを覚えている。

市政について明確な意見を持っているというだけではなく、市民から出てくる様々な要望に対して丁寧に経過を説明する、その独りよがりでない姿勢にとても好感が持てた。

このような通信は選挙戦前になると「どっから沸いて出たんだ?!」というくらいあちこちで急にばらまかれだすが、Fさんは選挙前であるなしに関わらずコンスタントに発行し続けている。

それに、他の人のビラが口当たりのいい、万人受けのする主張を一方的に述べ立てているだけなのに対して、Fさんの意見には双方向のコミュニケーションが成立している印象を受けるのだ。
平たく言えば「聞く耳を持ってくれている」という感じだろうか。

実を言うと、厳密にはFさんの意見は私とは少し違う場合もある。
しかし、たとえばある問題に対して「自分はこう思う」→「しかしこういう意見を聞いた」→「ではこうしたらどうだろうか?」という心境の変化まで感じ取れる説明があると、「この人になら任せられる」という信頼感があるのだ。


そう、これが大事だと思う。
きちんとコミュニケーションが取れているという実感と信頼感。
意見そのものは多少違っていてもよいのだ。


よく生涯の伴侶の条件として「自分と価値観が同じ人」というのが上がるのを耳にするが、自分と全く同じ価値観を持つ人などいないと思っていたほうがいいだろう。
それよりも「この人とコミュニケーションがきちんと成立するか」を重視したほうがよいと思う。

(…まあこれも程度問題で、あまりにも価値観が違う人とやっていくのは難しいと思うけれど…)