主郭
ここをさらに登ると主郭が見えてきました。
主郭への石段
主郭に入るには石段を登らなければなりません。石段は途中平場があり二重になっていました。この石段の先は厳重な門があったことと思います。小谷城にも本丸に登る際に石段がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/4b/9638882f841445ec1edbc0f47d4b8964.jpg)
主郭左側の石垣 鏡石のような大きな石があった
主郭の基壇には石垣がそれぞれ設けられており、いかにも織豊の城というイメージを受けました。また、門があったと思われるところに四角い石があり、もしかしたら門の礎石かなとも思いました。しかし、小さすぎるので、違うかなとも思いました。
門の礎石か
また主郭には石垣がかなり使ってありました。西側(海側)には土塁のようなものがあり、内側に立派な石垣がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/26/cfcffe36a744827c90c3d38a45ec16b0.jpg)
主郭西側石垣(内)
外側にも若干の石垣が残っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/32/a91ca9344a7a40f7638812422574519a.jpg)
主郭西側の石垣(外)
圧巻は主郭東側の石垣です。きれいに積んでありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/87/b6a677ea2838ef3aae3d057979bfe86c.jpg)
主郭東側の石垣(外) 角は算木積みのようです。
主郭の石垣の様子から織豊時代の城づくりの様子が見て取れます。したがって、この城の最後は京極家によって造られた跡と思われました。
後瀬山城 つづく
ここをさらに登ると主郭が見えてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/e3/78a3c179e5da762b89386ae7727f5ad2.jpg)
主郭への石段
主郭に入るには石段を登らなければなりません。石段は途中平場があり二重になっていました。この石段の先は厳重な門があったことと思います。小谷城にも本丸に登る際に石段がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/4b/9638882f841445ec1edbc0f47d4b8964.jpg)
主郭左側の石垣 鏡石のような大きな石があった
主郭の基壇には石垣がそれぞれ設けられており、いかにも織豊の城というイメージを受けました。また、門があったと思われるところに四角い石があり、もしかしたら門の礎石かなとも思いました。しかし、小さすぎるので、違うかなとも思いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/3c/281e31188e1d985c8086a0d2bf8473f1.jpg)
門の礎石か
また主郭には石垣がかなり使ってありました。西側(海側)には土塁のようなものがあり、内側に立派な石垣がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/26/cfcffe36a744827c90c3d38a45ec16b0.jpg)
主郭西側石垣(内)
外側にも若干の石垣が残っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/32/a91ca9344a7a40f7638812422574519a.jpg)
主郭西側の石垣(外)
圧巻は主郭東側の石垣です。きれいに積んでありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/87/b6a677ea2838ef3aae3d057979bfe86c.jpg)
主郭東側の石垣(外) 角は算木積みのようです。
主郭の石垣の様子から織豊時代の城づくりの様子が見て取れます。したがって、この城の最後は京極家によって造られた跡と思われました。
後瀬山城 つづく
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