愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

本宿城と本宿界隈(1) 岡崎市

2022年04月24日 14時38分47秒 | 岡崎市
松平記(21)の記事の中に山中城のことが書かれていました。
「其年三州山中城落申候、岡崎衆攻落し、松平権兵衛没落也」
天文17年、山中城を陥落させ、城主松平権兵衛が没落したという記事です。早速行ってみました。

本宿の交差点

現地に近づくと「本宿町城屋敷」という、いかにも「ここにお城がありました」という交差点がありました。

さて「富田病院」の敷地内だと思いますが、ここは、看板に「旧代官屋敷」と案内されている場所です。そこに資料館がありました。「郷土史資料展示室」と言います。中に入ると、「富田群蔵翁」の資料が展示されていました。富田群蔵とは、この本宿村の代官だったようです。「富田病院」のご先祖様のようです。

郷土史資料展示室の中

① 代官屋敷跡
看板に出ていた「代官屋敷跡」は、資料室の隣にあったレストランのことでした。「Yughino Yugo」という横文字のレストランです。なんか違和感が感じられますが、12時オープンだったので、早すぎて入れませんでした。

旧代官屋敷跡、レストラン「Yughino Yugo」


旧東海道

高速道路、国道1号線のすぐ南に旧東海道が走っていました。道幅は今の感覚では市道ぐらいです。今の感覚では、江戸、京都を結ぶ幹線道路とはとても思えませんが、当時としては広い道幅でここを籠や馬、旅人たちが往来していたんだろうなあと想像してみました。今みたいにトラックや自動車はないので、これくらいがちょうどよかったのかも知れません。

② 本宿古城
さて、本題の「山中城」です。


国道一号線側から見た本宿古城

現在は畑で私有地になっています。周囲を鉢地川が取り囲み、ちょうど堀のようになっていました。この川を渡る橋がありました。なんと、「ふるしろはし」です。ちゃんとこの地に城があったことを伝えているように見えました。

ふるしろはし

ぐるっと川を回っていますと、何やら土塁の跡みたいなものがありました。多分違うと思いますが、雰囲気がありました。

土塁跡のようなもの

続く

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