愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

大脇城 豊明市

2021年12月15日 06時46分22秒 | 豊明市

大脇城石碑(豊明市栄町梶田)

豊明市史(桶狭間特集)を読んでいましたら、大脇のことが出てきました。大脇城について調べていますと、「尾州古城志」に「智多郡 大脇村 梶川五左衛門」とありました。さらにネットに愛知県埋蔵文化財センター「大脇城遺跡」という300ページに及ぶ報告書がありました。その中に桶狭間の戦い直後の梶川五左衛門の存在を示す史料が掲載されていました。


(「水野勝成覚書」抄 愛知県埋文センター「大脇城遺跡」より)

これによれば、梶川五左衛門は水野下野守(信元)方に属し、徳川家康と戦ったことが分かります。

ということは、桶狭間の戦いの時も梶川五左衛門は水野方で、徳川、今川方は敵になります。よく知られているように、今川義元は沓掛城から桶狭間に向かったとされています。途中阿野村、栄村を通って桶狭間に来たと言います。(梶野渡「地元の古老が語る桶狭間合戦始末記」より)


今川軍の予想進路と大脇城(赤の破線が今川軍の予想進路)

今川軍は大脇城に水野の家臣である梶川五左衛門がいることを知っていて、このような道を通ったのでしょうか。それとも、この段階で梶川は大脇城には居なかったのでしょうか。
少し謎が残りました。

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