愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

阿野一里塚 豊明市

2014年10月18日 20時14分24秒 | 豊明市
愛知県の一里塚
 愛知県は江戸時代には東海道が通っていました。東海道には一里塚がありました。今で言う「道路標識」です。この一里塚には榎などの木が植えられて、旅人が休憩できるようになっていたそうです。愛知県には、下記のように東海道に一里塚が置かれていたようです。(Wikipedia)

71里 - 細谷、豊橋一里山 (愛知県豊橋市東細谷町字一里山30-1) 豊橋市史跡
72里 - 二川 (愛知県豊橋市二川町字東町)
73里 - 飯村 (愛知県豊橋市三ノ輪町)
74里 - 下地 (愛知県豊橋市下地町四丁目)
75里 - 伊ノ奈 (愛知県豊川市伊奈町)
76里 - 御油 (愛知県豊川市国府町)
77里 - 長沢 (愛知県豊川市長沢町)
78里 - 本宿 (愛知県岡崎市本宿町)
79里 - 藤川 (愛知県岡崎市藤川町)
80里 - 大平 (愛知県岡崎市大平町岡田) 国の史跡
81里 - なし(岡崎宿内?)
82里 - 矢作 (愛知県岡崎市矢作町付近)
83里 - 尾崎 (愛知県安城市尾崎町)
84里 - 来迎寺 (愛知県知立市来迎寺町古城24-1) 愛知県史跡
85里 - 一ツ木、刈谷一里山 (愛知県刈谷市一里山町深田)
86里 - 阿野 (愛知県豊明市阿野町池下114、阿野町長根4) 国の史跡
87里 - 有松、鎌研橋 (愛知県名古屋市緑区鳴海町鎌研付近)
88里 - 笠寺 (愛知県名古屋市南区白雲町)
89里 - 伝馬町 (愛知県名古屋市熱田区伝馬二丁目4付近)
90里 - なし(海上七里)

 今日は豊明市の阿野一里塚を見に行きました。阿野一里塚は江戸日本橋から86里目に当たるそうです。また、現存する一里塚の遺跡の中では道の両側に残っている数少ない遺跡だということです。

東海道の北側の一里塚


道の南側の一里塚

江戸時代の榎か
 両側とも小高い塚のようなものがあり、特に北側の塚には古い木の株が残っていました。もしかして榎なのでしょうか。見る人が見れば、何の木の切り株なのか分かるとおもいますが、私にはわかりませんでした。

かなり根が露出していました。

南側の一里塚には江戸時代の石碑
 さらに、南側には「南無阿弥陀仏」と文字が彫ってある石碑が建てられていました。銘には文化とあり、江戸時代の石碑でした。どなたかここで亡くなられたのでしょうか。石碑は真ん中で折れた後があり、後世に補修したものと見られます。

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