愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

山中城跡(1)山中城とは 岡崎市

2015年10月12日 23時38分02秒 | 岡崎市
10月の3連休。初日10日は晴れでしたので、出かけることにしました。岡崎市の山中城跡です。

山中城跡全景(北より見た画像)

住所
岡崎市羽栗町平松
岡崎市舞木町 

位置
現在も、すぐ北を東海道、名鉄本線、高速道路が通っていて、交通の要衝に位置しています。


歴史

大永4年(1524年)に松平清康が奪取し、一時本拠地としました。松平清康は徳川家康のおじいさんに当たります。広島城で発行しているパンフレット「浅野文庫諸国古城之図の世界」に出ている図では、注記に、「松平弾正左衛門安城ヨリ責取」と、松平弾正左衛門(松平昌安、大草松平氏)が清康によって山中城を奪取されたことが書かれています。このとき、城を奪われた松平昌安は、岡崎城も持っていたらしく、同時に岡崎城も松平清康に奪われています。また、「愛知山城ベスト50」ではより詳しく、松平清康の命をうけた大久保忠茂による夜襲により陥落した、とあります。ちなみに「三河物語」では、以下の記述がありました。

「然処に岡崎の城をば松平弾正左衛門尉殿持たせられ給う。同山中の城をも弾正左衛門尉殿寄り持ちたるを大久保七郎右衛門調儀をもって忍び取りに取らせ給う」

しかし、天文4年(1535年)、いわゆる「守山崩れ」により松平清康が家臣に討たれ、山中城は今川氏の手になったようです。


天文17年(1548年)織田信秀と今川義元が小豆坂で戦ったさいには、山中城は今川側の拠点となりました。永禄3年(1560年)今川氏のものとなっていたものを、松平元康(徳川家康)が攻略し、再び松平が取りました。


今川義元

そして、あの三河一向一揆(永禄6年)の時には一時一揆衆の手に落ちたそうです。永禄7年~天正18年(1564年~1590年)には、酒井忠次の所領となっています。その後家康が関東に移った際に酒井忠次も関東に行ったので、山中城は廃城になったらしいです。


参考書 中井均「愛知の山城ベスト50」、広島城「浅野文庫諸国古城之図の世界」

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小牧山城(3) 小牧市 | トップ | 山中城跡(2)見学記 岡崎市 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

岡崎市」カテゴリの最新記事