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愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(67) 松平記

2024年07月18日 10時19分00秒 | 松平記

松平記p67

翻刻
に、味方より大勢つづきける間、渡辺槍をひゐてにげる。渡
辺半蔵真先にかかるを、阿部四郎兵衛討倒す。渡辺源三又
ねらひて安倍四郎兵衛を討倒す。蜂屋ものく。水野藤十郎、
追掛言葉をかくる。蜂屋返し、突てかかる間、藤十郎ひく。家
康乗出し追かけ給へハ、蜂屋ひゐてにげのびぬ。松平金助
追懸行、已に追詰られ、蜂屋申ハ、家康ハ故主に候へハ手を
置逃たり。其方にハ引まじ、と取て返し、金助とつき合、終に
ハ金助を蜂屋突伏候処に、家康御馬を乗出し追かけ給へ
ハ、鑓を引ぬき、早々にげのびける。金助ハ其まゝ死す。
一 大久保一類ハ針崎の寺内までをしこミ、合戦を始ける時

現代語
(渡辺源蔵が黒田半平を突く伏せたところへ)味方より大勢槍で突いたので、渡辺源蔵は槍を引いて逃げた。渡辺半蔵が真っ先に槍で突きかかると、阿部四郎兵衛が打ち倒した。それを渡辺源蔵がまたねらって阿部四郎兵衛を打ち倒した。蜂屋半之亟も引いた。そこへ水野藤十郎が追いかけてきた。蜂屋半之亟は翻って、水野藤十郎と付き合いになった。水野藤十郎は引いた。そこへ家康が馬に乗り、蜂屋半之亟を追いかけたので、蜂屋半之亟は逃げのびた。松平金助が追いかけて行き、蜂屋半之亟を追い詰めた。蜂屋半之亟が言うには、「家康は元の主であるので、合戦をせずに逃げてきた。その方は引く必要がない」と言って松平金助と突きあいをし、ついには松平金助を蜂屋半之亟が突き伏せてしまった。すると、そこへ家康が馬に乗って現れ、蜂屋半之亟を追いかけたので、蜂屋半之亟は槍を抜き、早々に逃げ延びた。松平金助は、そのまま死んでしまった。
一 大久保一類は、針崎の寺内まで押し込んだ。合戦を始めたとき、

松平記(66) 松平記

2024年07月18日 09時48分34秒 | 松平記
松平記は、三河一向一揆の記述になっています。
この部分は、家康方と一揆方に誰が付いたかなど詳しく書かれています。
主な登場人物については、このブログですでに記載済みですので、以下、原文と翻刻文、現代語訳の3つを掲載し、コメントはなしとします。三河一向一揆の話が終了した段階で元に戻します。

松平記(66)

松平記p66

翻刻 
郎五、同弥七、杉山久内、同市助、市川理兵衛、田井善次郎、日々
のせり合也。土居に本多豊後守、竹の谷に松平玄蕃、かたの
原に松平紀伊守、矢はぎの西に藤井に松平善四郎、福釜に
松平右京、其外小栗助兵衛、同仁右衛門、同大六、是等ハ無双
の味方にて一揆共日々の合戦也。岡崎と土呂、針崎の間ハ、
わづかなれども間に上和田に大久保新八、屋敷を城にと
り合戦しける間、岡崎へハよせず。同十一月二十五日、上和田
へとりかかり、原木坂と云所にて合戦を初む。家康後詰有
敵の先手には、蜂屋半之亟、渡辺源蔵、味方にハ上村庄右衛
門、黒田半平、鑓を以つきあひけるに、渡辺、黒田を突伏る処

現代語
(杉浦八)郎五、杉浦弥七、杉山久内、杉山市助、市川理兵衛、田井善次郎が日々せり合いをしている。土居には本多豊後守、竹の谷には松平玄蕃、形原に松平紀伊守、矢作川の西に(の)藤井に松平善四郎、福釜に松平右京、其の外小栗助兵衛、小栗仁右衛門、小栗大六、これらは無双の味方にて一揆共と日々の合戦をしている。岡崎と土呂、針崎の間はわずかであるが、間に上和田に(の)大久保新八、屋敷を城に構えて合戦しているので、岡崎へは攻めることができなかった。永禄5年11月25日、一揆勢は上和田を攻めるため、原木坂という所で合戦を始めた。家康の後詰があった。敵の先手は蜂屋半之亟、渡辺源蔵であった。味方は上村庄右衛門、黒田半平であった。槍を突き合っていたが、渡辺源蔵が黒田半平を突き伏せた。