松平記p73
翻刻
門、物見に針崎へ出る。其勢廿五人。然処に敵方よりも針崎
の近所に伏兵を置けるに、物見衆、はたと行逢てせり合を
初む。敵にハ渡辺半之亟、筧助大夫、渡辺平六其外三十余人
火花をちらしせり合、石川ハ手を負、引返し、根来ハ渡辺に
討倒され、渡辺平六に首をとられける。布施孫左衛門、筧助
大夫と組しが、渡辺落合、布施が首をとる。味方のまけいく
さ、此一揆の時ハ此せり合はかり也。
一 方々の合戦に味方打勝といへとも、三州所々一揆の起り、
御一家衆もあまた逆心し、味方つかれ果けり。此時、多勢に
て甲駿の敵押来ハ御大事なりと、大久保一党謀を廻し、一
現代語
(布施孫左衛)門、物見に針崎に出た。その兵数25人。そこへ敵方よりも針崎の近辺に伏兵がいて、物見衆と行き合わせ、せり合いが始まった。敵には渡辺半之亟、筧助大夫、渡辺平六その他30人程で、火花を散らすせり合いになった。石川又四郎は怪我をして引き返し、根来十内は渡辺半之亟に打ち倒され、渡辺平六に首を取られた。布施孫左衛門は筧助大夫ととっ組み合いになったが、渡辺が助太刀をして布施は首を取られた。味方の負け戦は、この一揆の時はこの戦だけであった。
一 一つ一つの戦に味方が打ち勝っているとはいえ、三河のいたる所で一揆が起こり、松平家のご一家衆の中にも反逆するものがあって、味方は疲れてきた。この時、大軍で甲斐、駿河から敵が押し寄せてきたなら、一大事である。大久保一党は、知恵を廻らし、‥‥