ジルとの散策を終えてイザベルとその友人夫妻が待つ家に戻った。
そこへクリスチーヌからの着信だった。なんと彼女はもともとイザベルの職場の同僚だったのだが、電話番号を知らなかったようで、住所だけを頼りにスーツケースを取りに来てくれたらしい。もちろんコードがないと入れないのだが、幸い名前が書いてあった。しかし苗字がわからず、ひとつ(たぶん8つくらいある名前のボタン)押してみたところ奇跡的にイザベルが出たということだった。
ここからが、大変だったのは容易に想像できた。
クリスチーヌは一人で、大きなスーツケースと大きな手提げバッグをおろし、また彼女の家のエレベーターのない3階の部屋まで運んでくれたと言うから、本当に申し訳ないことだった。
それでもクリスチーヌは「大丈夫よ、気にしないで」と言ってくれた。今回の旅行での恩人の一人だ。
さて、イザベル夫妻宅で夕食はアペリティフから始まった。
彼らの友人夫妻の名前は失念してしまったが、ご主人は料理人だったという。
テーブルに移り、メインのブランケットドヴォー(仔牛のクリーム煮)は、彼の手によるものだった。何しろ元プロの料理人なのだからおいしくないはずがない。
イザベル夫妻も日本の思い出が直接私たちと結びつくので、日本で買った包丁を見せてくれたり、もちろんアルバムも見せてくれ、思い出話が尽きない夕べになった。
ジルは、コロナ直前、精神科医を辞めたということで、今はストレスのない生活を送れると、表情もずいぶん明るくなっていた。来日していた時はバカンス中なので、余裕のあるフランス人が、フランスで会うと、仕事の合間だったりするので、現役の人は、日本で会った時と少し違う感じがすることも何度か経験している。
翌朝、とても興味深く話を聞いてくれるジルが日本の文化についていろいろ尋ねてきた。
そこで、短い時間だったが、茶箱でお点前を披露することにした。
友人夫妻も含め、とても熱心に耳を傾け、目を凝らしてみてくれた。中でもジルは本当に引き付けられるような様子で見てくれていたのだった。
今回の旅行の間でお点前をした中では、一番興味を持ってくれたのではないかと思う。
ニームへ出発前の短い時間だったので、お点前をするか迷うところだったが、やってみて本当によかった。
ある種、賭けのようなところがあるのだ。何を見せるか、話すか。
そうこうしている間に私たちは、一足先に出発する時間になった。彼らは車でバカンスに行くのに準備をしていたが、それは手際が良かった。慣れているのであろう。冷蔵庫の中も保存のきかないものはないようにしていた。そんなところを垣間見られたのは貴重なことだった。