川向こうへ行くため、橋を渡り階段を降りようとしたその時、ものすごい勢いで、私たちの横を走り抜ける男がいた。するとそのあとをまた別の男が追いかけていた。三人目は拳銃を持った男、つまり警官だった。
まるで、映画の1シーンのようだった。
まだその時は何が起こったのかわからなかったが、階段を降り切ったところに、オートバイが倒れていて、パトカーが停まっていた。
そう言えば、アンリ夫妻にアルルに送ってもらい、夕食を済ませてアパートに戻るとき、私がアニエスに「アルルは夜歩くと危険なところがある?」と聞いたら、「アパ―トの近くは大丈夫だけれど、車を停めた橋の向こうは少し危険だと思うから夜は行かないで」と言われたことを思い出した。
「そういうことがわかるの?」と聞いたら、「だいたいわかる」と言っていたので、フランス人は危険なところをかぎ分ける嗅覚があるようだ。
そんなスリリングな場面を見た後、お祭りが行われるサント・マリー・ドゥ・ラ・メールの方へと向かった。
もう終わっているのではないかと思った。
着いた時はすでに16時くらいだった。
運よく?最後のショーが行われるところだった。
闘牛士の学校の学生たちが雄牛の角につけられたリボンのような物を取るショーだったが、猛スピードで走ってくる牛を上手によけないと大変な事故が起きるとあって、ショーとは言っても真剣そのもので、時々牛も柵を超えるので、ひやひやした。
「カルメン」の音楽が流れ、短い時間だったが、堪能できた。
終わった後、表彰式もあり、民族衣装を着た老若男女が整列し、競技場を一周する。観客はショーが終わってほとんど退場していたが、表彰式もまた興味深く見ていた私たちにブリジットは「やっぱり日本人は違うわね。フランス人はさっさと帰るのよ」と言っていた。
せっかく来たので、少し近くを散歩して帰路に就くことにした。
マルシェで長い時間がとられ、朝食抜きになった時は、どうなることかと思ったが、終わり良ければ総て良しではないが、短いこのショーを見ることができてすっかり気分はよくなっていた。
「ギリギリで間に合ってよかったね」という私たちに、ブリジットのご主人のKさんも一時は無理だとあきらめていたであろうが、「これもすべて計算していたんですよ」と笑った。
このまま車でアパートまで送ってもらい、そこで彼らは荷物を積み、リヨンへと帰って行った。
この夫妻に、このあと、パリ滞在中に助けてもらうことになるとはこの時は、もちろん思いもしなかった。