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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

RERのD線は・・・緊張する。

2021-03-12 00:13:00 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

マリーエメ宅で一泊した後は、朝食を済ませ支度をして、バスでAUBERというRER(近郊線)のA線という駅に行く。そこからパリ・リヨン駅まで行き、同じRERのD線に乗り換えをする。

メトロより少し緊張する。というのもD線も初めて乗る線だったからだ。これまでの経験では、C線も乗ったが、比較的安心して乗れるのはサンジェルマンアンレー方面に行くA線だと感じる。

 

D線の車内には観光客など1人もいない。いわゆるアフリカやアラブ系の人たちがほとんどだった。終点に近いところまで乗るので、見慣れないこともあり、緊張しながら乗っていた。

 

アドリアンが12時にCESSONという駅まで迎えに来てくれるというので、それに合わせて乗った。駅に着くと、時刻通りに迎えに来てくれていた。

彼は30代の若者で、理系のせいか、フランス人にしては?時間も正確で、生真面目なところがある。

 

家ではお母さんと妹さんが待ってくれていた。妹さんは日本語も片言ながら話せる。この家族、いずれ日本に住みたいという夢を持っているが、果たしてかなうだろうか。

 

数年前は、フォンテーヌブローという駅に近いところに住んでいたが、ここに引っ越したのだ。しかもこれは仮住まいで、お母さんは故郷ブルターニュに家を買い、アドリアンは近くにすでに建設中のマンションを買っているのだという。

 

こんなに若いのに、いくら郊外とは言え新築のマンションを買えるとは、立派だ。彼は日ごろはつつましい生活をし、日本旅行以外にはお母さんのふるさとのブルターニュへ行くくらいで、ほとんど旅行もしないのだ。

 

そんな彼らのおもてなしは、早速バーベキューのランチから始まった。

もちろんアペリティフもあり、シャンパーニュでいただいたジャガイモのグラタン(ドーフィノワ)がバーベキューのお肉にサラダとともに添えられていて、デザートのティラミスもアドリアンのお手製だった。


ブルターニュの国旗のカップ

以前は猫がいたが、今度は大きな犬がいる。

朝ごはんのパンケーキも焼いて、午後から近くへドライブに行くことになった。

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今日も「とても長ーい一日」だった。

2021-03-10 20:08:57 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

空港夫妻の家は、モンパルナス駅に近いので徒歩で迎えに来てくれたのかなと思いきや、車だった。荷物があったのでありがたかった。

 

彼らのマンションは、外観も近代的なマンションだったが、中に入るとさらにモダンだった。たぶん広さはそんなに広くないように思うが、二人だけの暮らしには十分なようで、キッチンなどの設備もとても近代的だった。今までたくさんの友人宅を訪問したが、一番と言ってもいいほど新しく明るく清潔感があった。

食事は済ませておくと、事前に言ってあったので、ティ-タイムからだと予想していたけれど、アペリティフから始まった。こりゃ早めの本格的なディナーだ。

簡単なものとだは言っていたが、魚の酢漬け(日本人向けにと思うのか、結構こういうのも出されることが多い)がメインだった。デザートはお手製のケーキにリンゴのピュレを添えたものだった。

ほんとならもっとゆっくりしたいところだが、この日はマリーエメの息子のシャルル君の1人暮らしの新居訪問という予定がすでに決まっていたので、食事が済むと名残を惜しみつつ帰ることに。

 

モンパルナス駅まで送ってもらったので、そこからはバスで一本で、マリーエメの家まで帰れた。

 

荷物を下ろし、少し休むとまたすぐに長男で弁護士のシャルル君の家に。

徒歩で5分くらいのところだが、マリーエメは毎日自分のところへ夕食を食べにくる息子のところへ行くにも、ちゃんと手土産のお菓子を用意していたのにはびっくりした。

こういう小さな心遣いが素敵だ。

シャルル君のマンションは小さいながら使い勝手がよさそうだ。聞けば、自分で部屋を改装したらしい。ソファやテーブルなども廃品で捨てられていたものを見つけ、塗装し直したそうだ。↓

お父さんがお医者さんという裕福な家庭に育った彼だが、贅沢をしないでそういうものを実にうまく利用する。(お父さんは、シャルル君が料理もしないのにキッチンを作って、と苦言だったそう)

日本に旅行に来た時の写真も見せてもらったが、写真のセンスもとてもよく、彼にはセーブル焼のディレクターだったおじいさん(マリーエメのお父さん)の芸術的な血が流れていると感じた。

そして、マリーエメの家に戻り、夕食にやってきたシャルル君とともにいただいた。

今日も長ーい一日だった。

明日は、またパリ郊外の家族の家へと向かい、そこで一泊する。

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彼女のニックネームは「図書館マダム」でした。

2021-03-09 00:13:42 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

そして、今日はパリへ戻る日だ。

 

最後の朝食をいただき、庭の散歩をして、居心地のよかったへやで荷物を整理し、また車でトゥールへと送ってもらう。

ドゥニは退職をしたが、今も不定期でコンサルティングの仕事をしているようだ。奥さんはミッテラン大統領が作った図書館で働いていたが、彼女も退職をして今はゆっくりしている。

だから私は彼女のニックネームを「図書館マダム」にしている。もちろん本人は知らない。

 

生真面目な彼女は職業柄か、観光でも詳しく説明をしてくれたし、また器に興味があることも分かった。骨董市で見つけるそうだ。家といっしょで、これだ!!と思うものとの出会いが結構あるらしい。

パリに戻ったら,行ってみるといいよと教えてもらった雑貨店もある。

時間がなく、結局行けなかったが、いつか行ってみたいと思っている。

 

10時に家を出て、トゥールの駅に着いた時、12時8分発の出発まで余裕があった。名残惜しく感じ、お礼を込めて、お茶を一緒にと誘った。

 

そして、パリへと向かう。13時26分パリ・モンパルナス駅着。

しかしそのまま、まっすぐマリーエメの家に帰るわけではなかった。

 

パリ・モンパルナス駅のホームで待ってくれていたのは、「空港で出会った夫妻」だった。

このニックネームの由来は、2018年の旅行記で後に記すことになるが、帰りの飛行機に乗るためにドゴール空港で知合った夫妻ということである。

なぜそれだけなのに、こんなに仲良くなったのか、それは空港での特別なエピソードによるのだが、それは2018年の旅行記を書く時までのお楽しみということにしたい。

 

彼らはモンパルナス駅の近くに住んでいるので、迎えに来てくれた。

いつもはこういう中途半端なタイミングでは列車内でサンドイッチですませるか、あるいは何も食べないかなのだが、この時はティータイムに備えて、お腹を開けておく方を選択した。

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お城は外から「きれいな姿」を眺めるのが一番好き

2021-03-07 08:24:29 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

アゼルリドー城は、車で30分くらいのところだった。

 

彼らが来日したときから、ロワールのお城巡りで、おすすめだと言っていたところだ。

遠目に見ただけで、「あっ美しい!」と感じるお城だった。

シュノンソーもそうだったが、水面に映る姿も素晴らしい。

ドゥニがいろいろ説明してくれるが、印象に残っているのは、フランソワ一世の紋章と王妃様の紋章がいたるところにあること。

爬虫類のように見えるサラマンダーと、いたち系の?アーミンだ。

中の調度品も小さなヴェルサイユのようだったり、動く仕掛けがあったりするものもあり、小さなお城だが、結構見どころがある。

お城の外に出て、庭園も散歩すると心地よい。お城をぐるっと一周した。

そしてこのお城のある町の散歩も時間があればもっとゆっくりしたかった。

少しだけお店をのぞくのが精いっぱいだったのが残念だ。

そして帰路へと向かう。薬がやっと効いてきたのか、疲れが取れてきたのかはわからないが、三日間で今日がいちばん体調も良かったのは幸いだった。



最後の夕食は、もちろんアペリティフからお酒をいただくことにする。

 

感心するのは、これだけ三日間一緒に観光し、昼も夜も食事の用意をしてくれたことだ。

私もフランス人の友人が来た時など、食事の用意をするが、一緒に観光に三日間歩いて、そのあと食事の準備というのは、簡単なことではない。

慣れているのか、本当に簡単に?見えるようにさっと準備をしてくれる。

見習わないといけないことの一つである。

 

今日は、メインは白ブーダン、これは黒ブーダンとは別物で、美味しくいただける。

黒ブーダンは一度だけ出されたことがあるが、フォアグラはじめ、内臓系が苦手な私には、アンドゥイエット(これは臭いさえもだめで、納豆が苦手な外国人に匹敵するくらい。)というシャンパーニュの名物と並んで、「ごめんなさい」と言わざるを得ないものである。

(エスカルゴやカエルやウサギ、臭いと言われるチーズの代表「マンステール」は食べることができることは、付け加えておこう)

 

しかし、白ブーダンは、ごく普通の?ソーセージのようなものであり、今夜はリンゴの付け合わせと一緒にいただいた。

リンゴを料理に使うとは聞いているが、そういえば友人の家で付け合わせで出てくるのは初めてかもしれない。

そして、デザートは、市販のものかもしれないが、シノンの名物でもある、リンゴの赤ワインのジュレのタルトだった。私の好きなフランスのデザートの一つだが、フランス菓子の店が増えた日本でもまだ見かけることのないものだと思う。






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街で音楽を演奏しているグループと仲良しになった。

2021-03-06 17:06:53 | 2019年春の旅行(シャンパーニュ・ロワール)

朝はマルシェへ。

 

どこの町でもマルシェは楽しみの一つだ。何も買わなくても、ただ見ているだけで生活の一部を感じることができる。

またまた蜂蜜を買ってしまう。瓶ではなくプラスチック容器に入っているものなので、重さはなんとか行けそうだが、こぼれないように持って帰れるのかどうかちょっと心配。

 

マルセイユ石鹸もこの通り↓

そして、最近よく見る「SHIIーTAKE(しいたけ)」。どんな人が買うのかな?

 

ここで、子供たちの仮装行列に出会う。

高校生くらいまでの子供たちがいろいろな格好をして歩いていた。

何かお祭りなのだろう。

すると今度は、音楽を演奏しているグループがいた。

カラフルな衣装で演奏していた。

(中央の赤い服の人が、日本に来たことがある人)↓

「写真を撮ってもいいですか」と尋ねたら、「一緒に撮ろう。撮ろう」とメンバーたちに囲まれた。そのうちの一人に「日本人?」と聞かれ、そうだと言ったら、「日本に行ったことがある」と話し出した。

 

ところが、その音楽グループと夢中で話していて気がつかなかったけれど、友人のジュヌビエーヴは、この様子を遠目で見ているではないか。私は急いで彼らにお礼を言って、彼女のところへ戻った。

 

その時、ジュヌビエーヴは、ドゥニが「彼女(の家)は元貴族なんだよ」と言っていたのを思い出した。

初めて日本に来た時、失礼ながら田舎のおばさんのように思えたのだが、その後、パリの家を訪問した時に息子さんにも出会ったが、とても品のいい落ち着いた若者という印象だった。

それ以降、親しみを込めて話しかけてくれるドゥニに比べて、時々、話し方などに、そういう彼女の品の良さ、そして冷たいというわけではもちろんないが、どことなく一歩控えめな態度を感じる。

 

マルシェから帰って、お昼は、お礼にごちそうさせてほしいとお願いをした。

そこで、またシノンの街の中へ歩いて行った。

 

彼らは、そんなに高くもなく、でも感じのよさそうなお店を見つけてくれた。もちろん料理はすべて自家製だった。

メインを撮るのを失念してしまったが、前菜も美味しく、デザートはまた「カフェグルマン」という、ミニデザートとコーヒーのセットにした。

彼らも喜んでくれて、まずはほっとした。

 

さあ、いよいよ、その日の午後、アゼルリドー城へ向かう。






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