ビオットを散策し始めた。
小さな村なので、見どころを回ってもそう時間はかからない。
こういう坂のある古い石畳の村が大好きなので、歩くのは楽しかった。
満喫していたが、ガラス細工の工房があるそうで、それはどちらでもよかったのだが、ジャンヌクロードは興味があるようで、村を下り、別のバス停がある方へと歩いていくことになった。
車道を歩くので、車とすれ違うたびにちょっと心配だった。
結局、彼女が思っていたところではなかったようで、また戻ることになった。
「もうこのまま帰ってもいいよ」と言ったのだが、彼女は元の道へと戻り、やはり危険な車道を進んでいた。少しでも安全なところへとはやる気持ちが、早足にしていた。
途中で車が通る道からそれて緩やかな石段があり、そこを上がると近道らしかった。
上がり始めてしばらくして、後ろで大きな声が聞こえた。
ミッシェルさんの声だった。
あんな声を聴くのは珍しいことだった。
彼は何といっても91歳。平坦な道を歩くことは「2万歩というのは多いという意味か?」と聞くくらい平気でも、上り坂は相当きつかったようだ。
その前に車道を歩いたことでも彼のストレスはピークに来ていたようだ。
つまり彼は、ストライキを起こしていた。
そこで、わたしたちはしばらく休むことにした。
しばらく休んだ後、何事もなかったかのように、ミッシェルさんは進みだした。
やがていつものミッシェルさんに戻り、私たちもほっとした。
村の上の方にある陶芸美術館を見学し、来た時降りた村のバス停で帰りのバスを待ち、無事乗り込んだ。
バスでビオットの鉄道駅に着いた。
時間は確かめていた。ホームは来たときと反対側に上った。
しかし、ここで、彼らはまた「確かめる」と言ってまた地下道へ下りて行った。
何を確かめるのか? ニース行きはこっちしかないのにと思った。
確かにこちらのホームのトラックは左右に二つあったが、どちらかに来るはずなので、確かめることもないはずであった。
それでも下りて行って「どこにもホームの表示がなかった」と帰ってきた。
そうこうしているうちに、列車がやってきた。やはり思った通り、ちゃんとこのホームに来たのだった。
心配するポイントがどうやら私たちと外れているように思う。
そうしてニースに戻り、駅傍にできたユニクロのビルを見学に行くことになった。
ユニクロはニース駅のすぐ横にあって大きな斬新な建物だった。しかもサインは「ユニクロ」と日本語のままである。
大した出世である。
(この後マルセイユでもパリでも見かけた。)
今日も夕食をいただいて、明日からマントン(フランス)・ボルディゲーラ(イタリア)へと5泊の小旅行に出掛ける準備をした。