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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

若い人の時間、そして夢を持ち続けること

2024-07-06 15:27:14 | 2024年の旅

ロックブリュンヌからマントンに戻り、海岸沿いを歩いていた時、海岸がきれいにならされているのに気が付いた。

 

来日のフランス人に、「日本はとてもきれいな街だけれど、海岸がきれいじゃないね」と言われたことがあり、聞けばフランスの海岸は毎日掃除されるということだった。

本当に砂浜もきれいにされているのだ。

 

そんなことを感じながら、昨日の日本人の女性が働いているお店へと向かった。

今日はお目当ての魚介のフリットがまだ残っていた。

少しイタリア人堅気なオーナーも この若い日本人女性を褒めていたが、以前リヨンのチーズ屋さんで働いていた女性もとてもよく働いてくれると言われていたことを思い出し、そんな話を彼女にもした。

 

もちろんここの彼女も、しっかり働いていて、少しお客さんが途切れたら、話をする時間もあったし、オーナーも気さくな人であることがわかった。

この女性はまだフランスに来て2ヶ月足らずだと言っていたが、連絡先を交換し、その後も時々近況を聞かせてもらっている。

 

もうそろそろマントンの生活にも慣れ、フランスで残りの時間をどのように過ごすかなど

少しずつ、見えてきたころかもしれない。

またメッセージを入れてみたいと思う。

 

このような若い人を見ると、私は「三ヶ月滞在」がコロナで実現できなかったので、「時間がある」ということはどれほど大切か、よく感じるこのごろである。

若い時期の数年と、シニア世代の数年はあまりにも違う。

しかし、まだあきらめることなく夢を持ち続けていたいと、若い人が海外で頑張る姿を見ると勇気づけられもする。

 

彼女が教えてくれた、ジェラートのお店は本物のフルーツを使って作っていることで有名らしい。暑い日でもなく、そんなにたくさん食べることができないのだったが、味見をしてみることにした。

レモンの町だからと、レモン味にしたが、別のものもよかったかもしれない。シーズンのいちごとか。

また夜は、昨日の残りにチキンを食べなければならない、拷問の?ようにさえ思えてきた。

いや、昼のフリットの残りまである。トホホである。

 

近所には候補の一つのホテルも散策していて偶然通りかかった↓悪くない立地。

 

市役所↓

 

明日はいよいよイタリアに向けて出発する。

ここマントンもどちらかというとイタリアのような街ではあるが、本場イタリアはまた違うのかどうか楽しみである。

 

スマホでチケットの予約を試みることにした。

途中、イタリアに入ってすぐのヴァンチミリア駅で乗り換えるが、マントンからは40分だ。10時56分発の列車なので、朝は時間の余裕もある。


ロックブリュンヌの古城跡からの眺め。

2024-07-03 07:32:54 | 2024年の旅

今日の朝は、市場が休みで、パンが買えなかったため、近くのカフェで朝食を取ることにした。円安で外食は避けているが、朝食ならいいだろう。

なかなか感じのいいカフェで味もよかったが、いわゆる伝統的なフランスのカフェとは少し違う感じだった。

それでもイタリアに近いので、ブラッドオレンジジュースもついていて、なかなかよかった。

 

さて、朝食のあとはアパートに帰り、支度をしてロックブリュンヌに出かけるため、出発した。駅ではなく、カジノの近くのバス停からだと、バスの本数も思ったよりあるようだ。

待っていると、足が不自由な男性が「バスの切符代をもらえないか」と言ってきた。言葉が分からない風を装って(夫は本当にわからないのだが)適当にあしらって、私たちはバスに乗って切符を買った。

私たちがバスの運転手から切符を買っている間に、さっきのおじさんが私たちの後ろをすり抜けて乗っていった。無賃乗車である。

自由・平等・博愛の最後の博愛精神でフランス人はこういう人を助けるのかもしれないが、

私たちにはどう判断していいのかわからなかった。

600番のバスは、10時16分発で、34分着なので、20分足らずであった。

しかし、降車のバス停は「1er Escalier」(つまり一つ目の階段)ということで、そこから

お城のある場所まで、ひたすら階段を上らなければならなかった。

途中で、ギブアップするわけにはいかないし、高所恐怖症とも言ってられないし、振り返らず前を見てとにかく上り続けた。休むと疲れそうになるからだ。

上から下りてくる人に「もう少しだよ」と言われたが、こちらの人のもう少しがあまり宛にならないことは「承知の助」だった。それでもその言葉があると、少し元気がもらえた。

お城の近くまで行くと、また可愛い古い小さな村が現れてきた。

一気に弾みがついた。

お城の入り口に着いた。

お城と言っても廃墟のようなのだが、眺望がすばらしかった。

山と海を堪能できて、小さな村も歩けるので、来てよかった!!となる。

少し雨がパラパラしてきた。

何組かの家族やカップルに出会った。

中でもフランスはブルターニュから来ている(と言ってたと思うが、記憶は定かではない。もしかしたらボルドー?だったか)カップルとは話が弾んだ。

日本に来たこともあると言っていた。

 

小さな村でもレストランやカフェもあったが、今日はマントンで魚介のフリットを買う約束をしたので、戻ることにした。

帰りのバスを調べたら、Lavoirというところからバスがあるようだ。しかし乗り換える必要があった。それでもお城のすぐ下のバス停からだったので、待つことにした。

12時1分発、Pont de L’Unionで乗り換えて、海岸沿いのカジノ(casino bord de la mer,)という来たときとは違うホテルに近いバス停まで乗った。

切符は車内でcreditカードで買ったのだが、念のため、乗り換えるときはどうするのかと聞いたら、creditカードをタッチするだけでいいという、一抹の不安があったが、言われるとおりにするしかなかった。結局それでうまくいったようだった。(もしかしたら、カードのタッチは不要だった?)しかも1.8ユーロという安さだったのはありがたかった。

 

こちらに来て、フランス人友人と一緒に歩くのもそれはそれで楽しいが、このように調べながら、自力で行ってみるのもまたいいものである。

 


ジャンコクトーの美術館はちょうど無料の日。

2024-07-02 18:46:40 | 2024年の旅

 

マントン2日目。

 

歩いてすぐのところにあるマルシェへ向かった。

安いものもあれば、いいものは高かったりする。

 

スープドポワソンは2ユーロと安かったが、いちごとサラダにする野菜はかなり高かった。

いちごは奮発することにした。いちごとサラダの生野菜で10ユーロもする。円安だから1,700円ということだ。

 

パンもメインもまだ昨日の残りがあるので、今日は節約。

リヨン名物赤いプラリネ入りのブリオッシュを見つけて、すぐ買ったのだが、今回はパリの友人宅でも出され、少しずつフランスの中でも知られてきているようでうれしかった↓

朝から海辺に散歩に行った。帽子をニースのミッシェルさん宅に忘れてきたので、日差しのきつい昼間に歩くより朝の散歩と考えたのだが、すでにまぶしかった。

水温は低いだろうに、泳いでいる人たちも多くいた。

ロックブリュンヌに行くには、出遅れてしまったようだ。駅のあたりまで行ってみたが、バスは時間帯的になさそうだったので、今日は諦めて、マントンをぶらぶら歩くことにした。

と言っても小さなマントンなので、昨日今日で、ほとんど歩いてしまった。

お土産の店を見たりしていると、おいしそうな魚介のフリットを食べながら歩いている人が向こうからやってきた。

緩やかな坂の上まで上がると、その店がわかったが、もう今日はほとんど出尽くしてしまったようだ。

そこにはワーキングホリデーでマントンに来ている若い日本人の女性が働いていた。

彼女とちょっと話をして、明日また出直すと約束して、下ることにした。

ジャンコクトーの美術館の前を通ると、その美術館から出てきたマダムが「今日は無料だから、入ったらいいよ」と言ってくれた。第一日曜だから無料なのかと思い、入ることにした。

ジャンコクトーの絵はピカソの絵とよく似ていた。二人は影響し合ったようだ、ジャンコクトーは陶芸もしていて、展示してある陶芸の作品もピカソチックだった。

この第一美術館は元海岸防備のための砦で、それをコクトーが美術館にしたようだった。入り口付近の壁面は海岸の白い石と黒い石を利用して模様が描いてあった。第二の美術館も彼の死後できたようだが、そちらまでは見なかった。

 

正直ジャンコクトーってあまり知らなかった。ピカソが有名過ぎたが、ジャンコクトーはフランス人にかなり人気があったようだ。

今日の夜は昨日のチキンの残りと、スープドポワソンを食べることにした。

ミッシェルさん達と行ったビオットで食べすぎた分は、マントンで調整するにはよかった。

円安なので、外食は出来るだけ避けようと思っていた。

しかも残り物を軽く、1日2食くらいのつもりで食べた。それでもそんなにお腹が空かないのだった。

 

明日は、ちゃんと調べて、バスでロックブリュンヌに行ってみることにした。

昼過ぎに戻ってくれば、魚介のフリットのお店に戻ることもできる。

 

まだ時差ボケで朝早く目が覚めるので、早めに出発すれば可能だろう。


運よくSIMカードを売っている店を見つけた。

2024-07-01 17:52:31 | 2024年の旅

マントンの旧市街から絶景を眺めたことで、マントンへ来た目的が果たせたと言っても過言ではないほどだった。

さらに墓地のほうまで上がり、そして海沿いへと降りていくことにした。

 

散策を終えて、アパートに戻るのも便利だった。

少し休んで、夕食の準備のためスーパー(カルフール)の方へ向かった。

 美味しそうな匂いにつられ、鳥の丸焼きを買ってしまったから後々大変なことになる。

バゲットや、サラダや飲み物も買った。

 

そしてふと目にした、Freeの店(SIMカードを売っている店)。前回この店がいいタイミングで見つけられず、緊急時の連絡が受けられないことが多々あった。 Wifi がないところでは、こちらの都合でドコモ海外につないだ時だけしかネットもできず、話せずで、向こうからかけてきてくれてもつながらなかったからだ。

今回は滞在も三週間弱で、会う家族も4家族なので、ドコモ海外で必要な時につなげれば十分だと思っていた。

 

 が、このFreeのSIMカードの利用は、もし夢の三ヵ月滞在(まだあきらめきれていない)が実現できた時を考えると、試してみる価値があると思った。

やはり一ヶ月間で(滞在はもっと短いが)21.99€だった。(円安でも3700円ほどだ)

これはこの後の旅行期間中ずっとに役立ち、買っておいてよかったと思った。お店の人にSIMカードの入れ替えもお願いできた。

 

アパートに戻った後は、洗剤も買ってきたので、洗濯機を回した。日本の何倍も時間がかかるのだ。

でもお湯で洗うため、たぶん汚れはよく落ちる。(はず)

Japanという名前の香りの付いた洗濯洗剤↓ は桜をイメージ?

夕食の準備をし、簡単に食べて、今日は休むことにした。

やはりまだ時差ぼけの感じがあった。

 

明日の予定は特にない。

ロックブリュンヌに行ってみたいなと思ったりしているが、どうなるか・・・

起きた都合にするつもりだ。

 

そうだ明日は朝から市場に行ってみたい。

暮らすように過ごすという目的の中の一つだ。


マントンの眺望、これこそ、コートダジュール!

2024-06-30 11:23:30 | 2024年の旅

シニアの旅行は、ゆったりを旅程を組むことも大事なので、朝の出発も余裕を持って考えている。

 

実は、マントンまでの列車のチケットは、ミッシェル夫妻が駅で買えばいいということであったが、ビオットまでの列車の切符を買うときのモタモタを考えると,ネットで買いたかった。(2019年ストライキのための変更等でスマホで予約変更は経験済み)

その説明をするのがややこしいので、少し早めに出て駅で買うことにした。

 

荷物も手荷物用のキャリーとリュックだけに収め、かなり少なくした。

ミッシェルさんが駅まで同行してくれた。

チケットも要領がわかったので、問題なく買えた。

 

ホームもすぐにわかり、「5日後に帰ってきます」とお礼を言って出発した。

9時50分発のTER、は在来線なので、自由席だ。

マントンまでは30分くらいなのだが、途中モナコも通っていく。

つまりモナコ公国との国境を超えることになる。そしてすぐにモナコ公国を通過してまたフランスに入る。モナコ公国の国境を超えるといっても何もない。通常の駅を一つ通過したのと同じだった。

 

さあ、マントンに着いた。

2016年にアンリ夫妻と来た事がある(モナコもアンリ夫妻と訪問済み)が、車で少し覗いただけで、十分な時間がなかった。

今回は、アパートを借りて3泊する予定だ。オーナーと直接連絡をして、列車の着く時刻を告げておいた。

駅からは30分はかからないが、歩いて20分以上かかった。

駅からの距離はあるものの、このアパートのある位置は、観光にはとても便利だった。

オーナーは待っていてくれた。

感じのいい女性で、重いキャリーバッグの方を持ってくれ、3階(日本でいう3階 フランス流なら2階)まで上げてくれた。つまりエレベーターはないのだったが、特に支障はなかった。部屋を案内してくれ、鍵を受け取り、「困った事があれば何でも言って」ということであった。

室内も生活用品はそろっていて、水周りも含めて、清潔であった。

強いて言えば、室内の装飾がよく言えばシンプル、悪く言えば無機質といったところくらいだ。白い色主体の部屋だった。

荷物を整理し、少し休んで、散策に向かった。

海沿いを歩いていると、マルシェがあった。着いたばかりだったし、現金しか使えないという店も多く見るだけにとどめたが、後になって思うとなかなかいい帽子や靴がリーズナブルな料金で出ていた。翌日にはマルシェは開かれず、残念!惜しいことをした。

そして、旧市街へと上って行った。

コートダジュールの大抵の古い街(村)は海岸沿いではなく、海岸から近い山の方にある。これはこの後で行くイタリアでも同じことだった。

海から来る海賊への対策だろう。

そして頂上付近には、お城跡か教会がある。

しばらく上り続け、教会のある広場に着くと、こんな素晴らしい景色は見たことがないと思うくらいのきれいな青い海とはちみつ色の建物群が眼下に見えた。

これこそまさにコーダジュールだ。


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