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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

エンマが泣いている。なんとかしなくっちゃ!

2024-08-09 07:43:16 | 2024年の旅

 

スーパーに寄った後、もう一か所ファーマシーのような格安店にも寄ったが、ここでも

またレジに並んでいると、日本人だとわかるや否や、日本についていい感想を言ってもらえた。

今回の旅行中、本当にこういうことが多く、ありがたい限りである。ここ20年ほどフランス人とお付き合いしているが、年々日本の好感度が上がり続けてきたが、最近は顕著にそれを感じる。

 

エンマ嬢はこういう買い物のお付き合いが多いと、退屈でつまらなさそうだったので、帰宅後はまた主人がプールにお付き合いすることにした。

やはりこの子の笑顔が見たい。キャッキャッと歓声を上げてプール遊びしてくれた。

楽しんでもらえてよかった。

 

今夜の最後の夕食は、料理上手のおばあちゃん直伝だというポワロ―ねぎのタルトだった。

これは本当に美味しかった。

一応レシピも聞いたが、ポワロ―ねぎ、そして生クリームなどの材料が違うので、日本では同じ味は再現できないだろう。

しかしここでまたエンマの雲行きがおかしくなった。

タブレットでゲームをするのが好きなのだが、眼に良くないと遊ぶ時間に制限があるらしい。そしてお母さんであるヴィルジニが、「もう時間だよ」と止めるよう言ったのだった。

エンマはお父さんにもう 少しさせてほしいとたのんだ。お父さんがエンマに甘いことは十分承知だからだ。

ミッシェルさんが「ヴィルジニ、もうちょっとだけ、お願いだからさせてあげて」とまるで子供が母親に頼むように、ヴィルジニにお願いした。

しかし、これは逆効果だった。お母さんは「NON!!」といってタブレットを取り上げてしまった。

 

エンマは泣き出した。またお父さんのミッシェルが「お願いだから・・」とヴィルジニに懇願したが、ヴィルジニの姿勢は変わらない。

このままエンマの泣き顔でマルセイユ最後の夕べを終わらせてはいけない、とっさに彼女を喜ばそうと、夫が折り紙を思いついた。

 

雨のち晴れ・・・

定番の「鶴」と「飛ぶ鳥」をエンマに教えた。そするとエンマが「ウサギ」を作ってほしいとリクエストしてきた。

想定外の注文に夫は携帯で「ウサギ」の折り紙のYou Tube を探してeそれを見ながらなんとか「ウサギ」の折り紙を作った。

 

「はい出来ました。」と差し出したら、お母さんも歓声を上げたが、エンマの喜びようはすごかった。夫の首に飛びついてきたのだ!!

タブレットでお父さんに助けを求めるも失敗、返って強くお母さんに叱られ、最悪の状態だったが、この日本人のおじさんが救ってくれた!!と言った感じか。

 

ともあれ、とびきりいい笑顔が再びみられて本当によかった。



 

 


エンマの買い物ごっこ

2024-08-07 08:04:43 | 2024年の旅

このあとは、少し大きなマルシェへと向かった。

ここでのエンマの行動が面白かった。

彼女は退屈だったのだろう。試食用に置いてあるいちごをつまんで食べたり、ヴィルジニにビニール袋をもらいに行き、サクランボも味見をしては袋に入れいた。大人のように買い物ごっこをしているわけだ。

レジ精算時に「ごめんなさいね。娘が勝手に取ったのよ」と袋を返そうとしたら、男の店員さんは「プレゼントだよ」というではないか。

こんなかわいい子の買い物ごっこをどうこう言う無粋なことは全くない。エンマが袋に入れた量も大したこともないし。まあ、これくらいのおおらかさ?はフランス人なら誰でもあるはずだ。

 

このケースと反対に、フランスではいい大人が試供品ではない化粧品やクリームなどを勝手に使い?減っていたりすることもあるようだ。これはいただけない。

 

フランスも厳しいところはとても厳しい。

ロックダウン中の制限を見ても、緩かった日本との差は大きかった。

小さな美術館の入館時間を5分すぎていたとき、閉館時間には30分以上あったので、「必ずその時間までには出るから」と言っても「NON」だった経験もある。

 

そんなことを感じながら、このスーパーを後にした。


レストランはオーナーが変わり、料理の味まで変わっていた。

2024-08-06 13:41:37 | 2024年の旅

 

さて、マルセイユ最終日。

 

最初の予定では、小さな村を訪問するとかと言っていたのだが、急遽予定変更になったようで、まずエンマのバレエレッスンの送迎から始まった。

 

私たちもそう言う光景も見てみたかったし、小さな村はまたの機会もあるだろうと思い、快諾した。

 

エンマのレッスン中に少し小さなスーパーに買い物に行った。

ここで、日本の「あられ」のようなお菓子を見た。初めてこういう甘くない日本のお菓子をフランスで見たのだが、そのくらい日本のお菓子も人気が出てきているということだ。

直訳すると「日本ミックス」という名前がついている。↑

このレジで並んでいるときも、目と目が合ったお客さんと話し、日本から来たというと、にっこりして「いい国だわ。私も行った事があるのよ。」と日本と日本人に好感を持っていてくれることをはっきり感じた。

そしてエンマをバレエ教室へ迎えに行く。

彼女は家では天真爛漫だが、外に出ると気づかいもできるようだ。今日からレッスンに参加した女の子が1人だけ、他の女の子からお菓子をもらえなかったそうで、そう言う様子を見て取ったエンマは自分の持ってきたお菓子をあげたようだ。

また別の女の子にもあげようとしたが、その子はもらったお菓子をなんと床に捨てたそうだ。その子のお母さんは大変恐縮して謝っていたそうだが、子どもの世界にもいろいろなことがあるようだ。

 

今日のランチについて、私たちに食べたいものはあるかと聞かれたので、本音はこのあたりが本場のブイヤベースだったが、おそらく彼らの招待になることが想像されたので、少し遠慮しようと思ったことと、ミッシェルさんは魚は釣るのだが、魚を食べるのは苦手なので「魚のスープ」というにとどめた。

 

そして以前ミッシェルさんが釣った魚を卸していたというレストランへ向かった。

彼曰く、オーナーが変わり味がどうなったかわからないんだけど、ということではあった。

その前のオーナーは店の前に座っていて、ミッシェルさんは挨拶を交わしていた。しかし結果としてはやはり以前とは味が変わったと残念がっていた。

私たちは以前の味を知らないので、美味しいと思ったが、確かに言われるとどこにでもあると言えばある味だったかもしれない。魚介のサラダの方はやはり新鮮だったので確実に美味しかったといえる。まあ接客を含めて雰囲気も客層も悪くなかったのでよしとした。




レストランのトイレ↓







               


ソフィアローレン風に唇を厚くする子が増えているのだそうな

2024-08-05 10:53:53 | 2024年の旅

ランチに選んだ店は、アジアの料理の店でヴィルジニも時々食べに来る事があるという店だった。

彼女はタイ料理を選んでいた。私は普通なら日本料理を選ぶことはないのだが、お腹にやさしいだろうと、お寿司を選んだ。

フランスで食べた事があるお寿司は、友人たちと行った同じようなアジア料理や中華系のビュッフェスタイルの中での一品として、またスーパーで売られているものや、空港でだが、今まで食べたことがある中では、一番お寿司らしかった。もちろん日本人が作ったものではない。

何よりお店の人の接客もよかった。

このお店はビジネスマンたちも多く訪れていて、その様子がうかがえるのも興味深かった。

さてお腹が膨れて、ちょうどこの建物の向かいにも大型の複合商業施設があって、そこへ向かって歩くことになった。

そこでは海の景色も楽しめるそうだ。

 

その中にはユニクロもあった。

ニースと言い、マルセイユと言い、ユニクロもフランスの主要都市に進出していて、なかなかの人気店だそうだ。

パリに本店がある「ダロワイヨ」という日本にもあるサロンドテがあった。

ヴィルジニは「ここは おばあちゃんが好きで、彼女が来たらよく来るのよ」と言ったが、お腹が膨れていたので、しばらく歩いたのち、おばあちゃんを思い出しながら、その店でお茶を飲むことにした。

カフェではなく、サロンドテの紅茶はおいしい。彼女は食べなかったが、私たちはケーキも注文した。

 

このダロワイヨは、「オペラ」というケーキ発祥の店だったので、それを注文するべきだったと、店を出た後で気づいたが、すでに遅し。

 

この店の女性の店員さんは愛想がよかったが、ヴィルジニ曰く「最近、唇を厚くする子が増えているんだけど、私は好きじゃないわ」と。つまりソフィアローレン風に(彼女よりもっと厚い?)見えなくもないが、あまり美しいとはお世辞にも言えないものだった。

 

そして、ミッシェルさんが迎えに来てくれる駅まで、地下鉄で移動する。

マルセイユでも地下鉄に乗った事があるが、今回の駅では、地下鉄の改札をくぐったところに、警官の駐在所があった。これを安心だとみるか、危険だからなのかはわからないが、

ヴィルジニが一緒にいるせいか、パリの地下鉄より安心な気がしないでもなかった。

 

いつもヴィルジニは仕事を終えるとこのように地下鉄で移動し、サッカー競技場のある駅前で降りて、お迎えの車で帰宅するということだ。

しばらくするとミッシェルさんの車がやってきた。

帰宅した後は、またエンマを迎えに行き、買い物をして、戻ってきた。

 

体調もすっかり良くなった。




「モンテ・クリスト伯」つまり「巌窟王」で有名なイフ島とはこれだ!

2024-08-04 08:25:46 | 2024年の旅

前夜お腹が苦しいまま、床に就き、一時は朝起きても体調が悪かったら、臥せっていることになるかもしれないと思ったが、朝起きたら薬も効いたのか、すっかり回復していた。

 

起きてみると、エンマはすでに幼稚園に行っていなかった。

今日は、ヴィルジニが船に乗せてくれるらしい。

短い距離とは言え、地中海で船に乗るのは初めてのことだ。

ミッシェルさんの車で、 pointe rouge (ルージュ港)というところまで送ってもらい、そこからマルセイユの旧港へと向かう。

着いたらまだ誰もいず、もしかしたら私達だけ?と思ったが、出発時間が近くなるとどこからともなく人々がやってきて、そこそこの人数になった。

 

自分の船を操縦するミッシェルさん曰く、「船に乗れるかどうかは、あらかじめ決められない。海の状態(つまり天候によるところが大きい)が決めることだよ」

 

そんな話を思い出しながら、晴天ではなかったが、穏やかな海だったので、まずまず安心。

二年前に行った「ノートルダムドガルド」がそびえているのが見えてきた。

ご主人のミッシェルさんが、この教会がマルセイユの港を守ってくれているんだよと言ったのを思い出す。やはり多くのフランス人の心の底はクリスチャンなのだ。

 

また少し行くと今度はアレクサンドル・デュマ・ペールの小説「モンテ・クリスト伯」の「巌窟王」で有名なイフ島にも近づく。もともと港を守る要塞だが、実際牢獄にも使われた歴史があるそうな。

一時間弱(もっと短かったか?)の航海は中々の景観で、海からマルセイユを眺められ大変いい経験ができた。

 

旧港に着くと、数日前オリンピックの聖火が到着した祭典の残り香の様な気配を感じることができた。そのまま散策を続ける。

市役所の前に行くと守衛さんがどうぞ中を見ていいよと言ってくれた。玄関を入って内部の古い造作を眺めることが出来た。

日本の市役所と違ってフランスの市役所は威厳があって、気軽には入りにくい雰囲気がある。

 

そのあと本当は美術館を見るはずだったらしい。近代的な建物である。

しかし、なんと休館日だった。こういうことは、フランス人にはよくあるし、私たちは特に美術に造詣が深いわけでもないので、まったく問題はなかった。むしろ代わりに?見た大聖堂のほうが印象に残った。新しい物より、やはり古い建物が好きなのだ。

 

ここでも聖火到着後イベントがあったようだ↓

そろそろお腹もすいてきた。

ヴィルジニが勤めている場所に近い「LES DOCKS」という建物が複合施設になっており、そこでランチすることになった。






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