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フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

幼稚園から出てきたエンマは、ちょっと照れ気味       

2024-08-01 08:01:53 | 2024年の旅

 

さあ、エンマのお迎えの時間だ。

二年前も何度か行った幼稚園へと向かう。

そして、時間。

私たちを見つけ、にこっとしたエンマ。嬉しいような恥ずかしいような、というような表情だった。

この子は5歳だが、天真爛漫な中に、少し大人びたところがあるように見えるのは、その利発さゆえかもしれない。とにかく父親のミッシェルさんはメロメロのようだ。

「この子はいたずらっこなんだよ」と滞在中もよく言っていた。つまり父親に上手に甘えて?意のままに動かして?いたりもするのだ。

エンマは、私たちが知っている彼女の曽祖母さんと性格がそっくりだとヴィルジニは言うのである。

この曽祖母さんのことも書き出したらいっぱい書けるが、この旅行記から外れてしまうので、それはまたの機会にしよう。

 

帰宅後、彼女の希望通り、プール遊びに早速夫はお付き合いすることになった。

滞在時、マルセイユはあまり天候もよくなく、気温もコートダジュールほど高くなかったので、水温も決して水遊びには適していなかった。

しかし、私たちの訪問に合わせてプールの掃除をしてくれたというミッシェルさんの思いも受けとめ、ここでサービスすることにした。何より、エンマを喜ばせたい。

 

夫はゆっくりゆっくり体を水に浸して行き、最後にどぶんと泳いだ。泳ぐといってもクロールの一掻き二掻きでもう端まで行ってしまうし、夫の脇ぐらいまでの深さだ。

 

そしてかわいい水着姿のエンマが現れた。彼女もじわじわと水にゆっくり入ってきた。二年前と違い、彼女は浮き輪もつけず、足も立たない深さのプールに平気で飛び込む。プールサイドから鮮やかに飛び込み、浮き上がってくるパフォーマンスで私たちをびっくりさせた。泳ぎは犬かきである。

ぽこんとお尻を見せて真っ直ぐ下に潜り、浮き上がるのを何度も見せてくれた。

たぶんちょっと水を飲んでもいるらしく、ぴゆーと口から水を吐き出すこともある。でもそんなことはお構いなし、とにかく楽しんでいる。大きな声をあげて上機嫌だ。

怖いということを知らないように見えるくらいだった。

しばらく水中で遊んだ後は、体を温めるためトランポリンが始まる。これも前回も披露済みだが、一段と上手になっている。独創的な彼女らしいトランポリンだった。

 

トランポリンが終わるとシャワーを浴び、二年前にプレゼントした浴衣を着て現れた。去年のハロウインでもこのお気に入りの浴衣を着て、女王様?のようだったらしい。

夕食はバーベキューだった。いつもならワインなのだが、この時ワインを遠慮したため、どうも私もワインが飲めないということが彼らの記憶になってしまったようだ。

しかし、それでよかったと思えるほど、この日床に就いてから胃が苦しく、何となく熱っぽくも感じ、早めにここで薬を飲むことにした。

たぶんニースに戻ってから昼の外食(この日のお昼は列車移動中で、抜いていたのだが)が続き、デザートも昼も夜もしっかり食べて、胃が悲鳴をあげていたのだろう。そして疲れも出てきたころだったのかもしれない。

明日動けなかったらどうしよう、ここで休んでいるしかないかと一抹の不安を抱きながら眠った。


ニースもマルセイユもミッシェル、「ミッシェルさん」がいっぱい!!     

2024-07-26 08:16:21 | 2024年の旅

 

ニース駅を11時25分発、マルセイユ着へは14時6分のTERに乗って出発。

TERの一等車は、ずいぶん前にたぶんフランスレイルパスを使っていたころ、モンサンミシェルから使った事があるような記憶がある。

それ以来だと思うが、TGVの座席とほぼ変わらないくらいのゆったりした座席。

値段もそれなりなのがわかる。

乗客もそれなりと言えばそれなりではあった。

 

通路を隔てた隣に二人の男性が座っていた。彼らは1人はイギリス、1人はアメリカと言っていた。「この列車はアンチーブに停まるか」と聞かれたので、「Yes」と答えたことから、少し話をした。彼らもまた日本に来た事があって、その時の様子を話してくれた。

いい思いを持ってくれていることがわかり、嬉しくなった。

10分余りの短い時間だったが、こういう触れ合いもまた旅の楽しみである。

 

アンチーブで彼らが下りた後、この1週間後くらいにカンヌ映画祭が行われるカンヌ駅、軍港で知られるツーロンなどを過ぎると、車窓は海辺から葡萄畑へと変わる。

そんな景色を楽しみながら、いよいよヴィルジニが待つマルセイユへ列車は到着。

私たちの車両は最後列の車両だったので、かなり歩いて、彼女の姿をプラットホームの端に確認したとき、嬉しすぎて手を挙げたその瞬間、モノプリで買った3つセットの指輪の1個が線路に飛んで落ちてしまった。「あっ」 

でもこれは仕方ない。諦めるとしよう。

 

彼女と再会の挨拶を交わし、ご主人のミッシェル(ニースとマルセイユ、どちらもご主人はミッシェルさん)が待っている車の方へと向かった。

車に乗るとすぐに彼女はペットボトルの水を差しだした。この辺りの気配りはいつもながら感心する。こういう気配りを経験したのは、この彼女とブルトン人の奥さんのイザベルくらいかもしれない。



このマルセイユでは数日前オリンピック聖火が到着したフランスの最初の地点として、盛大なセレモニーがあったらしい。

そんなこともあってか、前回と家に向かうルートが少し違っていたように思った。

 

プロヴァンス(ここマルセイユはプロヴァンス地方になる)の名物のお菓子カリソンやフランス菓子のマドレーヌなどを用意してくれていて、荷物を下ろしてほっとひといき。

カリソンは日本人には苦手な人が多いがフランス人は大好きなお菓子↓私も最初は苦手だったが、あまりにもたくさんのフランス人(特にプロヴァンスの人たち)がお土産に持ってきてくれたりするものだから、今は段々慣れてきた。

 

 

しばらく休んだ後、ひとつぶだねのエンマ嬢をお迎えに幼稚園へと向かう。

「今日は日本から友だちが来る日」と幼稚園でも言っているそうで、楽しみに登園したとのこと。さて、ワクワクの再会がこの後待っている。

 


ニースでミッシェル夫妻の見送りを受け、いざヴェルジニが待つマルセイユへ

2024-07-24 08:04:48 | 2024年の旅

 

ニース最後の朝、起きてミッシェルさんに挨拶をすると、いつになくギューッとハグでの挨拶で、感傷的な気分になる。彼は91歳。まだまだお元気なので、また会えるとは思う。しかし、心臓を悪くしているということもあり、次はいつなのか、不安があったとしても不思議ではない。昨日は「これ、あげる」と、愛用されていたと思われる彼のブレスレットをいただきもした。もしかしたら、などと余計なことが頭をよぎる。

 

そんな朝だったが、マルセイユへ行く切符も予約済みである。ヴァンチミリアでホームがあふれて列車に乗れなかったことがあったので、マルセイユのヴィルジニに尋ねたところ、「バカンスは過ぎたので、大丈夫。」と言ってきた。今回ニース→マルセイユ間の予約も日本でしなかったので、TGVの席がなくなっていた。よってTER、つまり座席指定はない。しかし一等か二等の選択があった。前回は二等でTGVだったと思うが、値段も上がっていたが、TER一等で、予約を入れた。一等にしたのは二等との客層の差を意識し、安全を買ったつもりだった。

この区間は所要時間に関しては、TGVとTERの差はほとんどない。

朝食後も名残惜しくリビングにいて、バルコニーを見ると、向かいのアパートで引っ越し作業をしていた。バルコニーに出てみると、引っ越しのための車両は前もって警察への届け出がされているらしく、警察官が来て、その近くに無断駐車されていないかチェックしていた。市警察の人で、夫妻が言う非常に市民生活に密着したありがたい存在らしい。邪魔になる車に何か張り紙をしていた。間もなくその車は他へ移動した。通りかかった高齢のマダムの質問にも、丁寧に答えている様子が見えた。

 

若い引っ越し作業員と下でも数人受け取る作業員。感心してみていた。大変だろうなと上の作業員に「がんばって」のジェスチャーを送ると、「がんばるよ。ありがとう」のジェスチャーが返ってきた。こう言うちょっとした触れ合いにも「ああ、フランスらしいな」と感じるのだ。

彼はイタリアのサッカーユニフォームを着ていたので、それについてもちょっとしたジェスチャーを送ると、「うんうん」と、にっこりしてくれたのだった。

長い梯子を上げ、リフトに荷物を載せ自動的に下へ下げる仕掛けになっている。

さて、出発の時間が近づいてきた。

夫妻はもちろんニース駅まで同行してくれる。何度か今回夫妻とともに歩いたニース駅までの道。今回彼らと本当にゆっくり過ごし、Jクロードからも「いろいろな話ができていい時間を過ごしたことを忘れない」という言葉があった。

前回もそうだったが、高齢の夫妻との別れの瞬間は、やはりうるっときてしまう。

また会えることを信じて。(数日後、彼らは二人で休暇を過ごしたようで、「今度は一緒に行きましょう」というメッセージを受け取った)

いろいろな思いを胸に、彼らの見送りを受けて、改札口を抜けた。

 

追記:

彼らの家にあったトレイにかかれていたことを訳したところ、「だれでもそうだ」とすぐに言ったミッシェルさ。確かにフランス人なら皆そう言うだろう。↓


離婚した元夫の看護もし、亡くなったあとの資産整理もしたJクロード

2024-07-23 09:57:24 | 2024年の旅

無事見つけることができたサブバッグを手に、大型電気店で探したかったのは、ネズミ型のパソコン拭き。でも結局それはなかったので、アパートに戻ることにした。

かなり遅くなったので、帰宅すると、すでにクリストフは待っていた。

久しぶりの再会の挨拶をして、アペリティフ。シャンパンが開けられた。

今回の旅で友人宅で戴く初めてのアルコールだった。

いつもは行くたびに、シャンパン、ワインと、毎日飲み続けることが多い(コロナ罹患に気が付かなった時でさえ、少しはいただいていた)

夫妻はシャンパンは飲むがワインを飲まないこともあって、この時が初めてになった。

 

マントンやイタリア旅行の話をJクロードの息子のクリストフに聞かれ、写真を見せたり話をしたりしていた。

そして、テーブルへ。

 

息子のためにJクロードはごちそうを用意していた。デザートも二種類のケーキが出された。しかしステーキのあと、このケーキはとても美味しかったが、かなり重かった。クリストフが残したくらいだ。しかし、私たちもミッシェルさんも完食。

確か、エリックカイザーのケーキだったと思う。(日本ではメゾンカイザーというパン屋だが、フランスのそれは原材料や大きさの違いも、またケーキやパンの種類もかなり多く、ずっしりと重い)

抹茶をここで、簡単に紹介して、点ててもらった。

お腹が膨れたところで、クリストフの提案で、ニースの展望台へプチトラン(ミニ列車)で行くことになった。

今回の旅では初めてのニースの海岸沿いへ行った。やっぱりニースの海岸もいつ見ても美しい。

プチトランで上まで上り、展望台で私たちは、景色を楽しみ、下りるときは歩いて下りるというコースだった。なかなか眺望も素晴らしかった。ここは古い城跡らしい。右手には赤茶色の屋根の家並みの旧市街が一望でき、左には青い地中海が広がっていた。

 

旧市街へ下り、その後はクリストフの家を目指す。彼は三重のセキュリティのマンションに住んでいた。

別のアパートから引っ越してきたと言っていたが、1人暮らしを満喫しているようだった。この彼がニースに住んでいたこともあって、夫妻は終の棲家をパリからニースへ移したのだった。特にJクロードのために。

父親を最近亡くしたこともあり、昔の父親や、祖母(Jクロードの母)との思い出を写真を見ながら話してくれた。

父親が亡くなる前、Jクロードは離婚して数十年以上になるが、世話をしに来ていたという。亡くなった後のことも彼女が手伝ったという。そんな形もまたあるのがフランス、それを寛大に見守るミッシェルさんもまた素晴らしい。

 

そんなことを思いながら、彼の家を後にして、ブラブラ散策しながら、少しモノプリで買い物をし、アパートに戻った。

今夜がニース最後の夜。もうお腹はいっぱいだったが、手料理をいただき、デザートのアイスクリーム(イタリアのものらしい)を食べて、尽きない話で盛り上がり、名残を惜しみながら、マルセイユへ向かう準備をして、床に就いた。

 

ここで、日本から持参したインスタントにゅうめんを味見してもらう↓悪くない反応。


「はっ!!」肩にかけていたはずのサブバッグがない!!!

2024-07-22 08:05:56 | 2024年の旅

今日はJクロードの息子で近所に住むクリストフの誕生日ということで、彼が来て一緒にランチをすることになるようだ。

彼には一度、クリスマスのサプライズで会った事がある。

前回はニースで会うことはなかったので、再会が楽しみである。

ミッシェル夫妻とクリストフは毎週日曜日一緒に食事をすることになっているらしく、ちょうど今日がその日曜日でもあった。

 

朝からJクロードはマルシェに買い物に出かけた。私たちはミッシェルさんと出かけることになっているが、彼の支度を待つ間、近くに小一時間、散歩に出かけた。徒歩で行ける距離にモノプリもあった。教会へいき、鐘の音を聞きながら、ミッシェルさんの待つアパートに戻る。

ミッシェルさんは、準備が整っていたので、私たちもマルシェへと向かった。花市場の方のマルシェはアンリ夫妻と行った事があるが、この規模の大きなマルシェは初めてだった。

そして、マルシェの終点?は昔のニース駅舎を利用したカフェなどが入る集合施設になっており、そこを見学したり、隣の映画館を見たりした。夫妻はよく映画を見に来るそうで、ここの映画館はパリよりずっといいと言っていた。

映画館↓

 

休憩するためその昔の駅舎を改装した建物の中のカフェに入った。

私の椅子の向かって側の隠れている角のところにバッグをかけていた↓

イベントがあるようで、アフリカ系の民族衣装のような物をまとった女性たちがポーズを取ったりしている。

駅舎の名残もある壁のモザイク画を楽しみながら、帰るとき出口にいた若い女性と少し話すと彼女もまた、日本に興味があり、日本が大好きだと言っていた。

話を楽しんだ後、電気店のある方へ向かって歩き出した。

 

10分くらい歩いたところで、「はっ!!」とした。肩にかけていたはずのサブバッグがなかった。中には貴重品は入っていないし、上に羽織っていた衣類だけだったが、カフェでお茶を飲んだ時、椅子に掛けたままだったことを思い出し、カフェへと速足で戻ることになった。

 

ミッシェルさんたちも一緒についてきてくれていた。が、一刻も早くと思い、私は途中から駆け足になっていた。

あるか、ないか、・・・

カフェの椅子にはそのままの状態で鞄がかけてあった。

あった!!!!!

このサブバッグは普通の鞄なのだが、私が個人旅行を始めた2003年からずっとフランスやスペインなどの旅行に持ってきているので、相棒のような思い入れがあるバッグなのだ。

ここは建物の中だったことが幸いだった。しかもほとんど客はいなかった。観光客はゼロだった。

見つけて、大急ぎで戻ろうとしたら、ミッシェルさんたちが建物の近くまで来ていた。

「よかったね。パリだったらないよ」と言われた。そういえば、ミッシェルさんは去年パリのレストランで鞄を忘れ、携帯など貴重品もすべて失ったのだ。

まだ、私は運がよかった。しかし、きっと疲れもあって、隙ができていたのだろう。気を引き締めないとと、思った。

いつぞや、ボルドーのスーパーのトイレでもエコバッグをトイレのドアにかけてそのまま出てきたことが思い出された。その時も衣類(ジャケット)だけを入れていたのだったが、親切な人が忘れ物センターに届けてくれて、無事取り戻すことができた。

私だけならいいが、その時もローランスの両親に心配をかけた。今回もミッシェルさんに往復させることになった。そんなことを感じながら、いま一度注意の思いを強くした。

 


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