goo blog サービス終了のお知らせ 

フランス人交友記録

フランス人との交流を通して感じたことを書いています。

 シャンゼリゼで修学旅行できた大阪の高校生に出会う

2024-08-19 12:02:02 | 2024年の旅

シャンゼリゼまではメトロの市役所駅を使うと一本で行ける。

少しだけ、マルチーヌの用意してくれたものをいただく↓

目指すサッカーチームのPSGの店が凱旋門に向かって左側に大きな店だったのが,なくなっていた。

これは向かって左側にあった店の前↓

調べると、どうやら向かって右側に移転したようで、とても小さな店に代わっていた。

 

それどころか、この辺りにあった店が大きく変わり、ロクシタンがシャンゼリゼにできており、その中にマカロンの店まであった。

これもオリンピックのためなのだろうか。観光客を意識したお店が多くなった気がした。

これは左側にあった店↓ ルイヴィトンのトランクはホテルだそう↓

そしてまた驚くことが。

PSGの店の中には日本人観光客、しかも制服を着た高校生である。

言葉から関西の学校であることが分かった。少し言葉を交わし、家族へのお土産のアドバイスももらい、この店を後にした。するとロクシタンからラデュレ(なぜか、ピエールエルメではなく)の紙袋をさげた今度は制服の女学生が出てきた。

話を聞くと、「ホテルは空港近くでここまでバスで来て、明日はヴェルサイユへ行く。」とのこと。大阪の高校生だった。

 

それにしても旅行積立であったとしても、この円安下で修学旅行にパリとは、時代も大きく変わったものである。

贅沢と言えば大変な贅沢に思えるが、この年代でパリでいろいろなことを吸収できることは大きな財産になるに違いない。

 

おそらくだが、彼らはグループで行動するように言われ、シャンゼリゼで自由時間を過ごしていたのだと思う。

 

ともあれ、またまた若さというのは何事にも代えがたい素晴らしい「時間」であることを感じさせられた彼らとの少しばかりの交流であった。

 

 


ノートル・ダムの修復はフランスの威信をかけて着実に、慎重に行われていた。

2024-08-18 07:45:33 | 2024年の旅

マルチーヌ宅で一泊した後は、朝ご飯を頂き、その後散策に出かけた。

マルチーヌ宅はポンピドーセンターに近く(アパルトマンを出るとすぐそこに見える)、メトロランビュトー駅が最寄駅(1分くらい)だが、「Hotel de ville(市役所)」駅や、シャトレ駅も使えるパリの中心地で、本当に素晴らしい立地である。

その分「狭いのよ」とマルチーヌは言っていたが、1人暮らしの彼女には十分である。

フランス式の6階に住んでいるが、エレベーターもある。(前回はこのエレベーターが修理で使えなかったのだが)

 

まずは市役所↓

ということで、ここからは徒歩圏でかなりの観光地に行ける。

なかでもノートル・ダムは歩いてすぐだ。

ちょうど修復中のノートル・ダムは覆いが取れて、中には入れないが、外の様子はうかがえるということだ。

サンルイ島の方へ向かって歩いていくと、途中警察署(国家警察)もあった。

 

クラシックなレストランがあり、外から様子を見ていたら、「中へどうぞ。写真を撮ってもいいし、二階へ上がってもいいよ」ということで、何も食べないのに、案内してもらい、準備中のレストランを訪問できた。

こんなところで、ランチでもしてみたいものだ。

 

ノートルダムが見えてきた。やっぱり素晴らしい。

 

修復の途中経過などの説明や写真も展示されていた。

 

よくこんな短期間で、修復ができたものだ。やればできるフランス!?を再確認だった。

 

セーヌ川沿いのブキニストと呼ばれる本屋のある女性店主は、「オリンピックで短期間移動しなければならなくなった時、多くの反対署名が行われたのよ」と、話してくれた。

セーヌ川沿いをゆっくり歩き、また来た道を戻っていく。

 

帰宅したら、マルチーヌは「ヨガ教室」へ行き、一旦戻り夕方は友人とオペラを見る約束があるという。

私たちは、家族に頼まれているお土産を見にシャンゼリゼへ行くことにした。




    


マレ地区の様子が少し変化、ちょっと残念

2024-08-17 07:47:39 | 2024年の旅

 

パリのマルチーヌ宅につき、少し休憩して、Wi-Fi環境を確認すると、以前もそうだったが、彼女はとてもこういう面に弱く、あれこれ出して、「これかな」と見せてくれるのだが、結局どれもだめで、買い物に行くついでに、Freeのショップに行くことになった。

 

二人で、彼女の家からリヴォリ通りにある店を目指したが、途中「POP SHOP」と呼ばれる期間限定の店が目についた。最近こういう店が多いらしい。

また英語表記の店も増えたそうだ。

ここマレ地区で、今まではあまり見なかったスタイルのカフェやショップが増えていて、彼女も言っていたが、私も少し残念に思った。

若い人たちの志向なのか、パリオリンピックのためなのかはわからないが、「フランス語」を大切にするフランスが好きなので、こういう傾向はいただけない。

 

今まで通り変わらないお店を見るとほっとする。

近くの教会で、コンサートの練習?のようなものをやっていたので、少し入ってみた。↓

 

彼女は食べ物にも気をつけているので、今までも「BIO」と呼ばれるスーパーで買っていたが、私も行った事があるすぐ近くのBIOスーパーは閉店してしまったらしい。

そこで、別のスーパーを目指したが、なかなか興味深い品ぞろえで、いいお店だった。

 

彼女が買ってくれた食材で夕食の準備をしてくれ、残ったものは彼女がパリを離れる明日以降に私たちに食べるようにとのことだった。

 

まずはシャンパンで↓

この厚切りハムが、ステーキの様?で美味↓

パンデピス添えのソルベ↓

美味しいパンデピス↓

 

彼女は今回、「3泊の申し出」をした際に、「狭いアパートで、ソファで寝るのは1泊が限度。だからそのあと2泊は郊外の家に行くので、好きに使って」と言ってくれた。

もちろん申し訳ないので、遠慮して、別のところを探すと言ったのだが、「ソファで寝るのが1泊が限度と言ってるの、あなたたちがその後泊まるのは問題ないのよ」と言う。

それでもと言ったら、「もうその話はやめましょう。とにかく、泊まってもらえばいいのよ」とのことだった。彼女は 70歳台半ばになってきたことと、病気をしたことなどで、体力的に昔のようにはいかないようだ。

 

というわけで、この日は、1泊した。

マルチーヌと共通の友人であるソフィー宅への訪問を打診したところ、当初は、「ランチに来て」と言っていてそのつもりをしていたら、渡仏寸前に、「1泊して」というソフィーの申し出により、2泊目はソフィー宅に泊まらせてもらうことになっていた。そして3泊目はこのアパートに戻ってくることになっている。


フランスのデモは激しい、しかし一方博愛の精神は生きている。

2024-08-15 08:03:35 | 2024年の旅

マルセイユ12時2分発、定刻通りの出発でパリへ。

 

途中、懐かしいTGVアヴィニョン駅を通過。

二年前はここでドラマティックな、再会、お見送りを受けたグラブゾンのムッシュはどうしているだろうか。

連絡がなかったので、来日はきっとまだ果たせてないのだろう。

そんな思いを胸にTGVは、パリへ。

 

マルチーヌが迎えに来ているはずだ。

パリ・リヨン駅に。

あー、変わらぬ笑顔。ニースのミッシェル夫妻と並ぶ古い友人だ。

 

さて、ここからマルチーヌの家には、2018年にはバスで向かった。大きなスーツケース対策だ。その時はパリリヨン駅の近くに滞在していた時に予め、バス停をチェックしていた。

しかし、今回は、主人が覚えていると言ったそのバス停は、2022年図書館夫妻の家に向かったバス停だった。

あーあ。

 

マルチーヌは「メトロで」と再三言ったが、バスが便利だと思い込んでいるので、バス停を探しながらスーツケースを引きずって歩いた。

途中聞いてもみたが、少し遠かった。しかもそこにたどり着いたら、今日は大きなデモがあり、道路封鎖で運休。

ついていない。

警察車両が沢山止まっていて、なんだか物々しい。

ここ革命の国では、最近の日本の平和的なデモとは様相がかなり違う。バチバチという何かがはじけるような音や、煙が上がっていたりした。

 

マルチーヌに促され、メトロ駅へと向かう。

マルチーヌはここで、大きなスーツケースを貸してと彼女が引っ張った。そして階段で歩いていた人を止めて言った。「手伝ってもらえませんか」と。

若いアフリカ系の女性が「もちろんですよ。マダム」とスーツケースをさげて下まで下ろしてくれた。

 

マルチーヌはそのあともホームまで、また誰かを呼び止めて「お願いします。」と言った。

これをフランスで断る人はよほど急いでいる時間のない人位だ。

マルチーヌはよくわかっている。「いつもこうやって助けてもらっているのよ。だからメトロのほうが早いし便利なのよ」と。

彼女は数年前に乳がんを患っているので、重い荷物が持てない。だから彼女が「スーツケースを貸して」と言った時はためらったのだが、こうして助け合う社会はなかなかいいものだと改めて感じた。

 

そういえば2023年に来日したマダムも「メトロはみんな親切でスーツケースを持ってくれたのよ。」と言っていた。頼まなくても持ってくれることがほとんどで、頼めばほぼ100%手伝ってもらえるのだ。

 

パリ到着早々、フランスの博愛の精神にもつながる温かさを受けることになったのだった。

 

市役所(Hotel de ville) 駅に着いた時も、もちろん手伝ってくれる人がいた。そこからマルチーヌ宅まで、すぐ近い出口が新設されていた


プロバンスでは他の誰よりも、あなたたちと会うことを最優先、それはホント!!。

2024-08-13 08:19:39 | 2024年の旅

 

マルセイユ最後の朝は、エンマの涙はない。

彼女はもちろん、もう私たちがパリへ向かう日であることはわかっている。が、彼女は強い子だ。何もかも理解しているが、感傷的にはならない。

それは少し寂しい気もするが、それがエンマだ。

 

ヴィルジニとミッシェルさんがエンマを幼稚園に送っていく。

エンマとはここでお別れ。

その間に最後の荷物の点検を終えた。

パリへ旅立つ準備は完了。

 

彼らが戻ってきて、少し話をした。

2022年は2泊3日でお世話になったが、今回は3泊4日。

しかし、物価高騰、エンマの世話で、若くない2人の両親は、少し疲れているように見えなくもなかった。

ミッシェルさんからは「物価が2年前と変わったことを感じるか」と聞かれ、円安のせいもあるので「もちろん」と言ったら「そうか、やっぱりな。何もかもだよ」と困った表情になった。

 

また2022年と言えばパリに戻った後、コロナに感染してSOSの連絡をしたこともあるので、「あの時は大変だったね。 僕たちのせいじゃないだろ?」と言った。

「もちろん、南仏滞在はパーフェクトだったのよ。ニームであった鉄道ストライキをのぞけば」と言った。それは本当だ。マルセイユからまだ10日以上もプロヴァンスに滞在していたのだし、パリに戻ってからも2日くらいは順調だったことも伝えた。

もちろんその後の経緯も伝えてはあったが、ニースのミッシェル夫妻同様、やはりあの時の顛末を対面で話すことは大切だと感じた。

 

そして、ミッシェルさんが聞いた。「今回はアヴィニョンにはいかないのか?」

そうなんだ、前回はアヴィニョンの友人宅まで送り届けてくれた。

「今回は南仏だけで、プロヴァンスは行かないの」と言ったら、「ここもプロヴァンスだよ」とニヤッと笑った。

 

たぶん彼は私たちが感じていることを、わかっているのかもしれない。

アヴィニョンの夫妻は私達にはとてもいい感じの夫妻だが、どうもフランス人同士はそりが合わない事がある。特に初対面ではすんなりとはいかないケースが多い。2年前がそうだったと思う。

そんなことをミッシェルさんは感じたのではないだろうか。

今回は「あなたたちに会うことが最優先だったのよ」と付け加えた。それは本心でもあった。

 

会う家族数を制限したことで、ニースでもマルセイユでも、こんな話もゆっくりできた。

 

さて、時間だ。

ミッシェルさんがマルセイユ駅まで送り届けてくれた。ヴィルジニはホーム表示が出るまで一緒にいてくれた。

 

彼女は心配りしてくれていることは迎えの時も感じたが、帰りもTGVの中で食べるようにと「軽食」を持たせてくれた。そのいくつかは大事に日本まで持って帰ってきたくらい心にしみる彼女の心遣いだった。





フランス人交流


フランスランキング

ブログランキング


フランスランキング