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箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

言葉を使う楽しさ

2018年09月09日 09時09分56秒 | 教育・子育てあれこれ



私は、教頭・校長になる前は、中学生に英語の授業をしていました。

この前、西南小で、あるお母さんから「スハT(と以前は生徒から呼ばれていました)!」と声をかけられました。

その人は、私の二中での教え子でした。

そうです。教え子がもう、中学生や小学生の親になっています。

さて、私が教えていた、その英語についてです。
今でもかなりその精度は高いですが、日本語と英語が、今後人工知能の発達により、かなり正確に翻訳できるようになるでしょう。

日本語で話したら、その場で英語に直して発話してくれる。

また、会話だけでなく、英語の文章を正確に日本語の文章に直してくれます。

そんな時代になれば、英語を学ぶ必要はないと思う人もいるかもしれません。

しかし、日本語もそうですが、英語も同じで言葉は常に変化しています。

言葉とは、一つのコミュニティをつくっているのです。

人同士が言葉を交わしてこそ意味があるのであり、だからこそ、言葉は生きているのです。

社会のなかに、人間がいて、おたがいに言葉をやりとりしています。

先般、「そうだね」という一つの表現が流行し、注目を集めました。

言葉というものは、やがて、誰かが少し違った意味でその言葉を使うようになります。

「ヤバイ」がそうです。ある種の表現は消えていきますし。別のものは残ります。

外国でも、女性の性被害やセクハラの根絶に取り組むキャッチフレーズが「♯Me Too」です。

これをニューヨークの出版社が最近、「わたしも同じ」から、いまや「他社の後追い」という意味で使い始めました。

このように、言葉は変わっていきます。

将来、人工知能が人間の言葉を完全に理解するようにはなるでしょう。

また、人工知能同士が言葉をやりとりするようになるかもしれません。

機械同士で情報をやりとりするならば、人間の言葉を使う必要はなく、もっと効率よく、多くの情報を伝えるやり方に任せばいいのですから。

ただ、そうであっても、言葉は人間らしさの象徴であり、人間が生きている証です。

言葉を人工知能任せにはできません。三中の子には、言葉を大切にして、言葉とともに歩み続けてほしい。

こう考えると、毎日言葉を使うのが楽しくなります。