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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

江沢民理論=「三つの代表」論

2010-11-12 | 日記
陳惠運・野村旗守 『中国は崩壊しない』 ( p.50 )

 しかし、なかにはどんなに勧められても入党を拒む学生もいる。彼らは外国留学志望者だ。欧米諸国では共産党員をスパイ要員と見做してその留学を許可しない国が多かった。これを隠して留学しようものなら強制送還ということにもなりかねない。日本のように、共産党員であっても分け隔てなく留学生を受け入れる国は、先進国のなかでは非常にめずらしかった。以前ほどではないが、その傾向は現在も残っている。北京大学には留学志望の学生が多いので比較的入党志願者が少ないのだ。

(中略)

 方針転換がはかられたのは、二〇〇〇年代に入ってからだった。〇二年一一月の第一六回党全国代表大会で、当時の江沢民国家主席は「人材強国」のスローガンを打ち出し、国内での人材育成、とくに大学での人材発掘と養成に力を注ぐようになる。また、この大会で党規の改定が為されたが、その冒頭の文言は次のようなものだ。
「中国共産党は中国工人階級の先鋒隊であり、同時に中国人民と中華民族の先鋒隊であり、中国の特色ある社会主義事業の指導的核心である。中国の先進的生産力の発展を代表し、中国の先進文化の前進方向を代表し、中国の最大多数の人民の根本的利益を代表する」
「三つの代表」と称される江沢民理論である。七八年の改革開放政策以来のことだが、階級闘争史観はますます薄まり、経済建設が強調された。この「三つの代表」は、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、小平理論に次ぐ党の指導方針となった。
 そして、ここで新たな入党条件が追加されることになる。工人・農民・軍人・知識人 (学生を含む) に加え、「その他の社会階層の先進分子」という項目が付記されることになったのだ。漠然とした表現で誤魔化しているが、ようするに資本家、あるいは企業家のことである。これはまさに、中国共産党の一大方針転換と言わなければならない。
 一九二一年の結党当時、「中国共産党綱領」には「プロレタリア独裁を採用し、階級闘争の目的である階級消滅を達成する」と謳われていた。また「プロレタリア革命軍をもってブルジョア階級を転覆する」とも明記されていた。その転覆すべき階級敵であるブルジョア階級=資本家に入党資格を与えたのだから、中国共産党はもはやプロレタリア政党でも共産主義政党でもないと宣言したに等しい (もっとも、中国はとうの昔にプロレタリア共産主義国家ではなくなっていたのだから、名が体を追認したということでもあるのだが) 。
 党規を修正したことについて共産党は、「党の階級基礎を増強し、党の大衆基礎の拡大に有利となり、全社会における党の求心力と影響力を高める」と、もっともらしく言い訳したが、これでは修正主義どころか初志撤回の謗り (そしり) は免れない。
 しかし、これによって共産党への評価は一八〇度変わった。
 文革の狂気や天安門事件の悲劇など、過去の度重なる強権発動のせいで、中国の若者にとって共産党のイメージは決して芳しい (かんばしい) ものではなかった。ところが、この〇二年の方針転換によって情勢はがらりと変わってしまった。一気に入党ブームが巻き起こったのである。
 共産党に殺到したのは大学生ばかりではない。民間の企業家たちまでがこぞって入党申請を提出した。〇七年の一年間に入党した企業家はおよそ四万五〇〇〇人を数える。


 中国共産党は変質した、共産主義を捨てた、と書かれています。



 引用部分は、「中国人が共産党に入党する動機」で引用した部分に続いて書かれている部分です。

 前回の引用部分と、今回の引用部分を併せ (あわせ) 考察すれば、

   中国人が共産党に入党する動機が「個人的な損得」であるなら、
       共産党に入党しない動機も「個人的な損得」である、

ということになります。

 北京大学といえば、中国で文系トップの大学です (理系のトップは清華大学) 。日本でいえば東京大学にあたるものが (中国の) 北京大学であり、その「北京大学の学生たちが共産党に (あまり) 入党しようとしない」ことからも、中国人にとって「個人的な損得」がいかに重要かがわかります。そしてさらに、

   中国人にとって共産党の魅力とは、出世・特権・利権等の
    「個人的な利益」を得る手段としての魅力にほかならない、

ということも読み取れます。



 さて、江沢民理論 (「三つの代表」論 ) ですが、これは要するに「共産党は中国のリーダー (指導者) である」ということです。そしてこの「三つの代表」論をもとに、

   中国共産党は資本家の入党を許可した、

というのですから、著者が述べているように、すでに中国共産党は (本来の) 共産党ではない、といえます。共産主義という理念・主義主張は捨てたが、あくまでも共産党は中国の指導者である。その正当性は「三つの代表」論で説明される、ということなのでしょう。

 とすれば、中国共産党それ自体も、一般の中国人と同様に「損得」で動く、とも考えられます。あくまでも (共産党の) 特権・利権は捨てない、と受け取れるからです。



 著者によれば、「〇二年の方針転換」と「三つの代表」論によって
 共産党に殺到したのは大学生ばかりではない。民間の企業家たちまでがこぞって入党申請を提出した。〇七年の一年間に入党した企業家はおよそ四万五〇〇〇人を数える。
というのですから、中国人にとって、共産党の魅力 (特権・利権) がいかに大きいかがわかります。

中国人が共産党に入党する動機

2010-11-12 | 日記
陳惠運・野村旗守 『中国は崩壊しない』 ( p.46 )

 政府関連機関が入党希望者にアンケートを試みたところ、志願理由の第一位は「自分の将来の発展につながると思うから」だった。
 ここで言う「自分の将来」というのは漠然とした観念上の問題ではなく、きわめて具体的で即物的な問題である。たとえば、中国の政府機関などでは新たに職員を募集するとき、党の学生幹部、あるいは学生党員から優先して採用する。党員学生は一定の組織経験と管理能力があると見做されるからだ。大学卒業生の三分の一に職がなく、「卒業=失業」とまで言われる昨今の中国の就職事情を考えればこの魅力は途方もなく大きい。
 著者の一人陳惠運は上海の出身だが、その親戚の子が数年前、大学を卒業して上海市政府関連機関の採用試験を受けた。受験者はいずれも大学卒業予定者で、なかには中国有数の名門大学の学生も含まれていた。ところが、採用されたのは彼一人だけだった。後ほど人事担当者が伝えたところによると、「君だけが党員だったので選んだ。党の期待を裏切らないよう頑張ってくれ」とのことだった。
 ようは、学生時代に入党して党の学生幹部になれば卒業時の評価が高くなり、就職の際に有利に働くのだ。この傾向は年ごとに強くなっている。
 また、共産党員であることはそのまま本人の政治的資本となり、中央・地方政府機関はもちろん、国営の大企業においても有力な出世の道具になる。中国の役人世界において、地位はすなわち名誉であり、権力であり、非常にしばしば莫大な富をもたらす。その権益の大きさは、日本の官僚機構など物の比ではない。
 たとえば〇六年、共産党は北京大学のエリート党員を八八人選抜し、卒業と同時に北京郊外の農村に派遣して村長や村の党書記の助手などの要職に就かせた。地方での賄賂・買収・恐喝などの不正行為が眼を覆うばかりとなったため、彼ら幹部候補生にこの実態を把握させ、監視させるのが目的だった。
 大学を出たばかりの彼ら中央幹部予備軍の給料は村からではなく国から支給されるので、その額は村長の三倍から五倍にものぼる。数年の経験を経てやがて彼らが村長や村の党書記になれば、村が管轄する土地を民間に払い下げたり、工場を誘致したりといったことさえ可能な、巨大な権限を付与されることになる。そして将来は北京に召還され、党の中央幹部となる。共産党は、今後の五年間に同様の方式で一〇万人の若手党員を各地の農村に派遣する予定という。
 また中国の場合、鉄道・道路・エネルギー・鉄鋼・通信・金融など、万単位の社員を抱える基幹産業はほとんどが国営企業だが、これらの企業のトップは「太子党」と呼ばれる共産党高級幹部の二世・三世たちが九〇%以上を占める。
 今も昔も中国でものを言うのはコネである。血縁・地縁といった有力なコネが、本人の能力以上に大きな威力を発揮する。それが中国という社会である。そして彼ら太子党の権益は、さらにその子孫や親族・縁者たちによって受け継がれてゆくので、コネのない者がつけ入る余地はほとんどない。これら太子党の息のかかったわずか一六〇社ばかりの大企業が中国のGDPの六割を支配すると言えば、この利権がどれだけ巨大なものかがわかるだろう。そしてこの巨大利権を裏担保する保証人こそが、中国共産党という唯一絶対の権力機構なのだ。
 もし太子党企業と利害が衝突し、これに対抗しようと思う者がいたなら、彼らに勝る方法は一つしかない。太子党の権力基盤となっている党の長老幹部たちより強い発言力を持つ現役の党中央高級幹部に巨額の賄賂を払うなどして取り入り、太子党企業の力を封じることだ。その可能性はほとんどないが、これが唯一の方法である。そしてこの場合にも肝要なのは、共産党の権力なのだ。中国共産党の中枢に入って権力を握れば、欲しいものはすべて手に入る。
 個人で商売をはじめるにしても、有力なコネのない者は中国では成功しない。その中国社会でもっとも有力なコネといえば、共産党の人脈をおいて他にない。たとえ組織に属さないベンチャー企業の社長であっても、共産党員であることはそのままビジネスチャンスに結びつく。それに、ただの金持ちであれば窮地に陥っても誰も助けてくれないが、党員として一定の地位を占めれば救済の望みがある。
 中国には二種類の法律がある。一般国民が従う法律と、上級党員が従う法律 (党規) とである。そして党規は国内法に優先する。党員が何か重大犯罪を犯した場合でも、党内の処分が決定しない限り司法は罪を問えない。たとえば〇七年、元上海市長で上海市党委員会書記だった陳良宇は高速道路建設に絡んで縁故企業に三五億元 (約五二五億円) の情実融資をはかる等さまざまな事件で摘発されたが、党内の審議が長引き二年以上ものあいだ裁判をおこなうことができなかった。陳の汚職によって上海市政府がこうむった被害は数十億元に達する。通常ならば中国では極刑にも値する重大犯罪だが、結局懲役一八年の判決が下されただけだった。懲役とはいっても彼が送られたのは北京郊外にある党高級幹部専用の刑務所 (秦城監獄) であり、所内ではテレビや新聞も自由に閲覧できる。そこでは差し入れの制限もなく、食事の不自由もない。ようは外出の自由のないホテルのような場所である。
 このように、共産党の高級幹部は法律からも守られる。だから誰も彼もが共産党のラインにつながろうと懸命になるのだ。
 以上が、現代中国で大学生の多くが共産党に入党志願する理由である。


 中国では、多くの大学生が共産党に入党を志願している。その理由は、(共産党の思想・政策に共鳴しているからではなく) 出世や利権獲得に有利だからである、と書かれています。



 中国人は自分の将来 (…の出世や利権獲得) のために、共産党に入党しようとしている。そこでは共産党の思想・政策は問題とされていない、というのですが、

 ここには、中国人の「たくましさ」、ものの「考えかた」が現れていると思います。

 この「考えかた」は、「中国人は民主化を望んでいない?」で引用している中国人の「考えかた」と、結びついていると考えられます。つまり、

   中国人にとって、「独裁・専制政治は当たり前」であり、
   中国人は (社会全体の利益のために) 民主化を図ろうとするのではなく、
        (自分が) 独裁体制の一角に食い込み、特権を享受しようとする

という図式です。

 中国において、民主化運動を行った場合に得られる結果、すなわち逮捕・懲役などと、自分が独裁体制の一角に食い込んだ場合に得られる結果、すなわち出世・利権・特権の獲得などを比べれば、後者を目指すというのも、わからなくはありません。どちらが「正しい」かはともかく、すくなくとも後者の生きかたが「賢い」という考えかたは、あり得ると思います。



 ところで、上記図式には、「社会全体のために」何かをする、あるいは「正しいことをする」、という思考ではなく、「自分個人の」「得になる行動」は何か、という思考が現れているといえます。

 これが (圧倒的大多数の) 中国人のものの考えかただとすれば、中国人と意見が対立した場合には、「社会全体の利益」や「正しさ」の観点で話をしようとしても徒労に終わる (ムダである) 可能性が高いと思います。「あなた個人にとって得ですよ」と、「損得」の観点で話さなければ、埒が明かない (らちがあかない) と思われます。



 この意味で、中国人は「政治的」であり「打算的」だといえるのかもしれません。

司法修習生に対する貸与の返済免除制度について

2010-11-11 | 日記
夜明け前の独り言 弁護士 水口洋介」の「裁判所と司法修習給費制

■給費制維持の論拠

私は、司法修習生給費制維持の唯一の論拠は、経済的にめぐまれない階層(階級)の出身者が法律家になる道を狭められることは不合理だ、という点だと考えています。

給費制があるから、人権擁護をするとか、公益活動をするとかというのは自らを貶めることでしかないと思いますし、実態にも反しています。もっと人間の思想的というか、人間的なものであり、国からもらう金のことではありえまえん。

(追加)給費制があるから、人権擁護活動するとか公益活動する、借金が多くなれば弱者相手の実入りの悪い仕事は市内と発言する修習生の声を聞いたことがありますが、こういう発言をする人は、給費制が維持されようとされまいと、実入りの悪い仕事はしないものです。

■とすれば

日弁連が最低限獲得すべきは、貧困階層が法律家になるための障害をできるだけ取り除くということです。

今後は、給費制の維持か廃止かのオール・オア・ナッシングではなく、最低限、貧困階層出身者の負担を軽減する免除制度を早期に確立する道筋をつけることを望みます。

(中略)

ロースクール卒業時点で、例えば200万円以上の債務を負っている者については、貸与金の返還を免除するという制度は、最低限、実現してほしいものです。この点は、自民党から共産党、そして、生き残りをはかる泡沫ロースクールまで一致するところでしょう。


 給費制維持の「唯一の論拠」は、「経済的にめぐまれない階層(階級)の出身者が法律家になる道を狭められることは不合理だ、という点」だと考えている。したがって、免除制度を早期に確立する道筋をつけることを望む、と書かれています。



 要は、給費制維持の論拠は、日弁連のキャッチフレーズ「お金持ちしか法律家になれなくなる」に尽きる、ということです。

 もっとも、「なぜ、それが唯一の論拠なのか」「なぜ、ほかの論拠は成り立たないのか」が書かれていないので、それしか論拠がありえないのか、判断しかねるところはあります。

 このところ、私のブログに、司法修習生の給費制をめぐって、(ある意味で) 執拗にコメントされている青龍さんにしてみれば (「司法修習生の労働者性」「日弁連の「司法修習生に対する給費制維持」論について」など参照 ) 、水口弁護士の主張は「粗雑すぎる」のでしょうが、私としては、水口弁護士のような書きかたもあってよいと思います。批判することそのものが目的ではありませんので、ここは問題なしと考えて、先に進みます (この根拠であれば給費制が認められると述べているのではありません) 。



 上記記事で重要だと私が考えるのは、
給費制があるから、人権擁護をするとか、公益活動をするとかというのは自らを貶めることでしかないと思いますし、実態にも反しています。もっと人間の思想的というか、人間的なものであり、国からもらう金のことではありえまえん。

(追加)給費制があるから、人権擁護活動するとか公益活動する、借金が多くなれば弱者相手の実入りの悪い仕事は市内と発言する修習生の声を聞いたことがありますが、こういう発言をする人は、給費制が維持されようとされまいと、実入りの悪い仕事はしないものです。
という部分です。

 これは私の経験からいっても、そのとおりだと思います。「なぜ、そうなのか」の説明は難しいですが、誰しも、社会生活上の経験というものがありますよね? 私も、人間とはそのようなものであると感じているので、この点についての水口弁護士の主張は「正しい」と思います。



 ここで、水口弁護士の結論 (主張) 、すなわち「貸与金の返還を免除する制度」について考えると、

 貸与金返還免除の条件として、たんに「ロースクール卒業時点で、例えば200万円以上の債務を負っている者については、貸与金の返還を免除するという制度」にとどまらず、「将来の公益活動を条件に貸与金の返済を免除する制度」についても、成り立つ余地があるのではないかと思います。

 「将来の公益活動を条件に」返済免除とする制度については、免除の対価として「貧しい人 (弁護士) のみが公益活動をしろというのか」という批判があります。

 しかし、給費制維持論者にとって「公益活動」が給費制の根拠たりうるとすれば、「給与 (給費) を受け取った対価として、公益活動をする」ということです。とすれば、「将来の公益活動を条件に」返済免除とすることに問題はないと思います。なぜなら、両者は公益活動を対価とみている点で、「ほとんど同じ」だからです。

 また、「将来の公益活動を条件に」返済免除とする場合であっても、水口弁護士が主張されているように、「返済を免除されない人 (お金持ち) も、公益活動をする」と考えられます。

 したがって、条件つき返済免除制度も、認める余地があるのではないかと思います。



 最後に、「将来の公益活動を条件に貸与金の返済を免除する制度」について言及している新聞記事を引用します。



東京新聞」の「司法修習生 納得できぬ給費継続」( 2010年10月20日 )

 司法修習生に給与を払う制度の継続は納税者の納得を得られないだろう。法律家の特別扱い存続では司法改革の歯車が逆転しかねない。情緒的な貧困キャンペーンに惑わされずに考えたい。

 法律家の卵である司法修習生には国庫から給与、手当などが支給されてきたが、修習生の増員や財政事情を踏まえ、来月から廃止されることになっている。そのかわり希望者には「無利子、五年据え置き、十年返済」の好条件でこれまでと同額が貸し出される。

 これに対して日弁連は給費継続運動を展開してきた。「修習生は法科大学院で学ぶため多額の奨学金などを借りており、給費がなくなると金持ちしか法律家になれない」という主張だ。

 日弁連の強い働きかけで国会議員の間にも同調者が増え、民主党内にはねじれ国会で野党の協力を得るための取引材料にする動きも出てきた。

 最高裁によれば、給費制を維持すると年間百億円が必要になる。これだけの税金を使うのなら、低すぎる国選弁護報酬の増額、貧困者の裁判費用を援助する法律扶助の予算増額など、もっと有意義な使途があるはずだ。

 本当に困っている修習生への支援は誰も反対しないが、困窮していない人、弁護士事務所で高給を得る人にまで一律支給では納税者は納得できない。各種資格のなかで法律家だけをなぜ特別扱いするのか、説得力ある説明もない。

 貧しい人については、将来の公益活動を条件に貸与金の返済を免除する制度を設ければいい。「五年間据え置き」だから検討する時間はたっぷりある。

 給費制廃止は弁護士増員と一体となった司法改革の柱だが、日弁連は修習生の就職難を理由に増員を抑制しようともしている。「弁護士の生活が安定しなければ人権活動が鈍る」などの声もある。給費継続で財源を理由にした増員抑制論も強まるのは必至だ。

 だが、獲得した資格が生かせない例は多いのに、弁護士だけはなぜその資格で生活できるよう人口制限が許されるのか。これも合理的説明がない。

 司法改革は、弁護士が特別な存在ではなく、普通の隣人として身近にいる社会を目指している。

 人権活動を“人質”に自分たちの利益を守ろうとするかのように聞こえる主張は、「人権擁護と社会正義の実現」を使命とする弁護士にふさわしくない。


中国人は民主化を望んでいない?

2010-11-11 | 日記
陳惠運・野村旗守 『中国は崩壊しない』 ( p.36 )

 みずからを始皇帝になぞらえた毛沢東は、始皇帝以外にも歴史上の有名な暴君、たとえば商 (殷) の紂 (ちゅう) 王、『三国志』のなかの曹操などをきわめて有能で傑出した為政者と再評価した。また、始皇帝の焚書坑儒 (ふんしょこうじゅ) について「彼はわずか四〇〇人程度の儒家を殺しただけだが、共産党はその一〇倍、一〇〇倍の右派 (知識人) を追放した」と自慢したこともある。
 そればかりでなく毛沢東と共産党は、建国直後の国民党残存分子の粛清と反右派闘争、大躍進後の飢餓、文化大革命中の反革命分子処刑と、四半世紀のあいだに七〇〇〇万人とも言われる中国人の命を奪った。

(中略)

 しかし、国民党残存分子の粛清では数百万人を処刑し、大躍進政策の失敗で発生した大飢饉では四〇〇〇万とも五〇〇〇万とも言われる餓死者を出し、文革中の殺戮で数百万から一〇〇〇万と言われる被害者を出したことについては、国民の耳目に触れないよう、厳重に秘匿された。真実については九〇年代に入っても一部の研究者だけしか知らなかったし、現在でもなお国内の中国人は大概知らない。
 なぜなら、これら毛沢東と共産党が起こした悲劇について中国の学校で教えられることは絶対にないし、メディアがことの真相を報じることも決してないからだ。インターネット時代に突入した今日においても、常に網絡 (ネット) 警察が「大飢饉」「文化大革命」「天安門事件」などの文字に眼を光らせていて、党に都合の悪いこと――すなわち真実――が書いてあればすぐさま閉鎖してしまう。中国共産党の情報統制とはそこまで徹底したものなのだ。
 国民の側にも問題がある。なにしろ、中国人は現在にいたる数千年もの長い歴史のなかで専制政治以外を経験したことが一度もなく、民主主義も議会政治もまるで知らない。海外生活経験者などごく一部を除けば、中国人にとって独裁者に統治されるのは生まれながらにしてごく自然なことなのであって、水や空気のようにあって当たり前のことなのである。
 極論を言えば、中国人は支配されたがっている。
 常に誰かに命令されることに慣れ切ってしまったため、自分の頭で考えることを忘れてしまったかのようだ。ようは、自分と家族の生活以外のことなど考えるのも面倒なのだ。一般の中国人にとって専制と独裁は日常であり、庶民の暮らしとは黙して指導者の決定に従うことだと言っても過言ではない。


 中国共産党の情報統制を紹介し、中国人が真実を知らされないまま、中国共産党に支配 (統治) されている、と書かれています。



 要するに中国には民主主義がない。中国の国民 (中国人) には、民主主義を成り立たせるうえでの基盤となる情報 (真実) が知らされておらず、また、(一般の) 中国人は民主主義を望んでもいない、ということです。



 中国人は一般に、中国共産党を支持しているのではないかと思います。しかし、真実を知らされないままの支持であれば、それは本当の支持といえるのか、はなはだ疑問です。

 もちろん日本などの民主国家においても、「すべての」真実が知らされているわけではありません。国家機密に関する類 (たぐい) の内容であれば、国民には知らされないのが普通であるといってよいでしょう。しかし、政府が国民を数百万人も殺し、数千万人もの餓死者を出しておいて、それを「知らせない」となると、すこし話が違うのではないかと思います。

 しかし、これほどの規模で死者が出れば、いかに中国政府が情報を隠しているとはいえ、「真実は人づてに伝わっている」とみるのが自然だと思われます。とすれば、

   一般の中国人は、
      数百万人規模の処刑・殺戮、数千万人規模の餓死者の存在と、
      中国共産党がそのことを隠していることを、
    (ある程度) 知りつつ、中国共産党を支持している

と考えなければなりません。



 とすると、それはなぜなのか。普通の (日本人の) 感覚では、そのような政府・政党を支持することなど考えられないので、この部分が重要になります。

 著者によれば、「中国人は現在にいたる数千年もの長い歴史のなかで専制政治以外を経験したことが一度もなく、民主主義も議会政治もまるで知らない。海外生活経験者などごく一部を除けば、中国人にとって独裁者に統治されるのは生まれながらにしてごく自然なことなのであって、水や空気のようにあって当たり前のこと」であり、「ようは、自分と家族の生活以外のことなど考えるのも面倒なのだ。一般の中国人にとって専制と独裁は日常であり、庶民の暮らしとは黙して指導者の決定に従うことだと言っても過言ではない。」ということになります。つまり、

   中国人にとっては、「そんなの当たり前」

だというわけです。



 とすると、次に問題になるのは、「中国人が民主主義を望んでいないならば、中国が民主主義ではないからといって、中国を非難してよいのか」です。

 この問題は、「ノーベル平和賞と、中国の立場」で引用しているような状況をどう考えるか、とつながっています。すなわち、中国を非難してはならないならば、劉暁波 (りゅう・ぎょうは) さんに対するノーベル平和賞をめぐって、諸外国が中国を批判・非難しているのは筋違いであり、中国政府の反論は「正しい」ということになります。

 ここは難しいところだと思いますが、私としては、「一度も民主主義を経験したことがない」ために「独裁・専制政治は当たり前」だと中国人が思っているなら、それは本当の意味で「民主化を望んでいない」とはいえないのではないかと思います。独裁・専制政治は (政府を批判する際に、程度はともかく) 不利益を蒙る恐れ、恐怖を伴うのであり、それら恐怖はないほうがよいはずです。

 したがって、やや迷うところはあるものの、「中国人のなかにも民主化を望んでいる人々がいる」ことをも考えれば、ノーベル平和賞の授与、および (授与に対する) 諸外国の支持は「正しい」とみてよいのではないかと思います。つまり私は、「中国を非難してよい」と考えます。

尖閣ビデオ流出に関する法問題

2010-11-10 | 日記
産経ニュース」の「【海保職員「流出」】ネット掲示板は「全力で支持する」擁護派で沸騰」( 2010.11.10 13:52 )

 沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を撮影したビデオ映像がインターネット上に流出した事件で、10日、第5管区海上保安本部神戸海上保安部(神戸市)の職員が「流出に関与した」と名乗り出たとの報道が流れた直後から、ネット上の掲示板では、「(職員を)全力で支持する」など、流出を肯定する意見が相次いだ。

 一方、名乗り出たのが海上保安庁の本庁や石垣海上保安部の職員ではなかったことで、「神戸の職員が入手できた映像なら機密ではないのでは」との意見もあった。


 第5管区海上保安本部神戸海上保安部(神戸市)の職員が、ビデオの「流出に関与した」と名乗り出た直後、ネット上では「(職員を)全力で支持する」などの意見が相次いだと報じられています。



 私は「「『超法規的措置』は、取れないのか」」で述べたように、刑事訴追には反対です。なんらかの特別な措置を行うべきだと思います。

 しかし、「それではどうする?」という問題があります。つまり、「全力で支持する」とはいっても、「具体的にどうする?」という問題があります。一般の国民としては、「支持」を表明することくらいしか、「全力で支持する」方法がないのではないかと思います。

 そこでとりあえず、「状況を理解する」資料を記載します。法解釈については、私は専門家 (法学部教授・弁護士など) ではありませんので、余計なことは書かず、「状況の整理・まとめ」にとどめたいと思います。



 現在の状況(まとめ)

   国家公務員法の規定(守秘義務):
    第100条第1項「職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない」
    第109条第12号「一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」

   最高裁の判示:
    「秘密」とは「非公知かつ保護するに値すると認められたものに限る」

   考えられる争点:
    「非公知」……国会議員には放映されており「非公知」といえるのか、
    「保護するに値すると認められたもの」……保護に値する内容なのか、



 なお、下記の資料をもとに、まとめました。



産経ニュース」の「【海保職員「流出」】「議員が見た映像…逮捕しても公判維持は困難」一橋大名誉教授」( 2010.11.10 14:28 )

 沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を撮影したビデオ映像がインターネット上に流出した事件で、「自分が映像を流出させた」と上司に名乗り出た神戸海上保安部(神戸市中央区)の海上保安官の男について、警視庁捜査1課が10日、国家公務員法(守秘義務)違反の疑いで事情聴取を始めた。

 海保職員の聴取を受けて堀部政男・一橋大名誉教授(情報法)は「『職務上知り得た秘密を漏らしてはならない』と定めた国家公務員法違反に抵触するかどうかが問題になるが、最高裁はその『秘密』は非公知かつ保護するに値すると認められたものに限ると判示している。ビデオ映像はすでに国会議員には放映されており、非公知性の点で『秘密』と言えるかどうかはなはだ疑問だ。逮捕したとしても公判維持をするのはかなり難しいのではないか」と話している。


産経ニュース」の「【海保職員「流出」】渡辺氏が馬淵、仙谷氏の責任追及へ」( 2010.11.10 15:28 )

 みんなの党の渡辺喜美代表は10日午後、中国漁船衝突事件の映像が流出した問題で第5管区海上保安部職員が「自分が流出させた」と話していることについて「命をかけて海上保安行動に出ていた記録がいつの間にか政府に封印されてしまったことに義憤を感じて出したものではないか」と流出の意図を述べた。

 その上で「本来公開すべきものを公開しなかったところに最大の問題がある。担当閣僚、公開しないよう政府の中で主導した官房長官は非常に罪が重い」と述べ、馬淵澄夫国土交通相と仙谷由人官房長官の責任を追及する考えを示した。

 また「このたぐいの情報が本物の国家秘密に当たるのか。刑罰をかけて守る秘密なのかといったら、まったく違う。裁判になれば大議論を巻き起こす」と指摘した。


法令データ提供システム」の「国家公務員法(昭和二十二年十月二十一日法律第百二十号)

(秘密を守る義務)
第百条  職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする。
○2  法令による証人、鑑定人等となり、職務上の秘密に属する事項を発表するには、所轄庁の長(退職者については、その退職した官職又はこれに相当する官職の所轄庁の長)の許可を要する。
○3  前項の許可は、法律又は政令の定める条件及び手続に係る場合を除いては、これを拒むことができない。
○4  前三項の規定は、人事院で扱われる調査又は審理の際人事院から求められる情報に関しては、これを適用しない。何人も、人事院の権限によつて行われる調査又は審理に際して、秘密の又は公表を制限された情報を陳述し又は証言することを人事院から求められた場合には、何人からも許可を受ける必要がない。人事院が正式に要求した情報について、人事院に対して、陳述及び証言を行わなかつた者は、この法律の罰則の適用を受けなければならない。
○5  前項の規定は、第十八条の四の規定により権限の委任を受けた再就職等監視委員会が行う調査について準用する。この場合において、同項中「人事院」とあるのは「再就職等監視委員会」と、「調査又は審理」とあるのは「調査」と読み替えるものとする。

(中略)

   第四章 罰則

第百九条  次の各号のいずれかに該当する者は、一年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。
 一  第七条第三項の規定に違反して任命を受諾した者

(中略)

 十二  第百条第一項若しくは第二項又は第百六条の十二第一項の規定に違反して秘密を漏らした者