陳惠運・野村旗守 『中国は崩壊しない』 ( p.73 )
中国共産党のガス抜き手法について、説明されています。
引用部分は、「中国人の賢帝清官信仰」で引用した部分の続きです。一部、引用が重なっています。
著者によれば、共産党のガス抜き手法とは、
(1) ナショナリズムを煽って人々の不満を外国に向ける、
(2) 腐敗した地方幹部を粛清=解任する、
です。
手法 (1) は、日本において広く知られており、とくに述べることは何もありません。そこで、以下では手法 (2) に絞って考えます。
手法 (2) は、私にとっては「意外」でしたが、そもそもこれは「狡猾なガス抜き手法」として非難してよいものでしょうか?
たしかに、「丢車保帥」( 日本語でいえば「トカゲの尻尾切り」) にあたると考えれば、「狡猾なガス抜き手法」だといえます。
しかし、その根拠は「石家荘市は河北省の省都で、市政府と省政府は目と鼻の先にある。役人間の交流も盛んだから、省政府が事実を知らなかったはずはない。また、情報統制の徹底した共産党機構のなかで、これだけの大事件を省政府が党中央に報告しなかったはずもない。」という点にあります。
けれども、贈収賄等、なんらかの事情により、情報が中央政府に届いていなかったという可能性が、まったくないわけではありません。
また、たとえ「トカゲの尻尾切り」であったとしても、「まったく処罰しないよりはマシ」だと思います。おそらく、一般の中国人 (庶民) にしてみれば、多少なりとも腐敗にメスが入った、ということになるでしょう。したがって、(一般の中国人=庶民が) それを非難するのは難しいと思います。もちろん、「腐敗の表面にしかメスが入っていない、抜本的に腐敗を追及しろ」という批判は当然成り立ちますが、中国社会では賄賂が飛び交い、腐敗がはびこっているとすれば、そして党中央も腐敗しているとすれば、「抜本的な腐敗の追及」は期待するほうが無理でしょう。
部外者 (または外国人) の立場で見れば、「狡猾なガス抜き手法」だといって非難することも可能だとは思います。しかし、当事者 (または中国人) の立場で見れば、「すこしずつ腐敗に手を打っている」ということになると思います。
もっとも、だからといって、手法 (2) が、「ガス抜き手法」としての性質を有していることには、変わりありません。
腐敗した地方幹部の処罰・解任を、「トカゲの尻尾切り」「狡猾なガス抜き手法」として非難してよいか否かには疑問があるものの、それが「ガス抜き手法」としての性質を有することをも踏まえて中国社会・中国政治の動向を考察し、日中関係等に及ぼす影響を分析すればよいのではないかと思います。
ところで、ここで一点注意が必要なのは、北京への陳情・デモ・ストライキ・暴動……等々と、ありとあらゆる手段を通じて繰り返される民衆の抗議活動が一貫して地方政府や地方幹部に向かい、「打倒中国共産党」という一つの大きなうねりには決してならない、ということだ。
理由の一つは、先に述べた中国人の賢帝清官信仰である。そしてもう一つが、その中国人の深層心理を熟知する中国共産党のたくみな統治手法だ。
八九年の天安門事件で共産党は大衆の反乱を武力で鎮圧したが、外国から経済制裁を受けるなど、その反動も大きかった。また、暴力はあくまでも一時凌ぎ (しのぎ) にしかならず、後に大きな禍根を残すということがわかった。力ずくで弾圧しても国民の不満を解消するにはいたらず、逆に潜在化し、やがて党に対する脅威になる可能性が強いという教訓を得たのである。
そこで必要なのは、社会に充満するフラストレーションが党中央に向かって暴発しないよう、日頃から人々の不満を調節するガス抜き作業である。
最初に江沢民が採ったのは、国民のナショナリズムを煽って国内の矛盾を日本やアメリカに転化させる方法だった。九〇年代後半から愛国教育を徹底させた上で「抗日戦争記念館」を続々と建設し、九九年には、コソボ紛争でベオグラードの中国大使館が米軍機によって誤爆 (「正確な誤爆」だったという説もあるがここではさておく ) されたといってアメリカ大使館を襲撃するなど反米運動を煽った。
中国人は日頃猜疑心が強いくせに、このような場面になると極端に騙されやすい。お上の言うことは常に正しいと信じ切っているものだから、いとも簡単に為政者の扇動に乗ってしまう。しかし、このような反日反米扇動はたしかに一時的な不満解消にはなったが、その代償もまた大きかった。抗議活動に暴力が加われば国際社会でのイメージは著しく低下するし、逆に相手国の反中感情を刺激することにもなる。さらにナショナリズムを煽り過ぎると、やがて民衆の熱狂が党のコントロールを超えて、収拾がつかなくなるということもわかった。
日本の国連常任理事国入り反対運動を契機として燃え上がった〇五年四月の反日暴動では、当初都市部で署名活動をおこなうなど、党が率先して反日行動を扇動していた。ところが、次第に上からの統制がきかなくなり、大暴動に発展してしまった。
しかも、現代の中国はかつてのような鎖国体制ではなく、経済優先を謳う貿易立国である。日本やアメリカのような経済大国を敵にまわせば、その反動はたちまちのうちに巨額の経済損失となって跳ね返ってきた。
そこで現胡錦濤政権が採用しているのが、地方幹部の粛清=解任劇によって国民のカタルシスを促す、という新たなガス抜き手法である。
たとえば、〇八年九月に公にされ、全世界を震撼させた中国製粉ミルクのメラニン混入事件では、国内最大の乳業メーカーである三鹿集団の社長が逮捕された。また、地元・石家荘市 (河北省) の市長と共産党委員会書記が免職されたほか、国家品質検査検疫総局の局長も辞任に追い込まれた。その上で病気になった赤ちゃんの治療費用を国が負担するということで被害者は納得し、いつのまにか事件は収束してしまった観がある。
しかし事件の核心部分は、いまもってまったく未解決のままなのだ。
(中略)
石家荘市は河北省の省都で、市政府と省政府は目と鼻の先にある。役人間の交流も盛んだから、省政府が事実を知らなかったはずはない。また、情報統制の徹底した共産党機構のなかで、これだけの大事件を省政府が党中央に報告しなかったはずもない。
(中略)
もちろん中国でも、一部の知識人たちは党幹部によるこのような狡猾なガス抜き手法に気づいていて、「共産党は "丢車保帥 (中国将棋の戦術の一つで「将を捨て帥を守る」の意)" をやっている」と憤っている。しかし、公然とそれを言い出せば、ただちに処刑されてしまうというのが中国言論界の現状である。
中国共産党のガス抜き手法について、説明されています。
引用部分は、「中国人の賢帝清官信仰」で引用した部分の続きです。一部、引用が重なっています。
著者によれば、共産党のガス抜き手法とは、
(1) ナショナリズムを煽って人々の不満を外国に向ける、
(2) 腐敗した地方幹部を粛清=解任する、
です。
手法 (1) は、日本において広く知られており、とくに述べることは何もありません。そこで、以下では手法 (2) に絞って考えます。
手法 (2) は、私にとっては「意外」でしたが、そもそもこれは「狡猾なガス抜き手法」として非難してよいものでしょうか?
たしかに、「丢車保帥」( 日本語でいえば「トカゲの尻尾切り」) にあたると考えれば、「狡猾なガス抜き手法」だといえます。
しかし、その根拠は「石家荘市は河北省の省都で、市政府と省政府は目と鼻の先にある。役人間の交流も盛んだから、省政府が事実を知らなかったはずはない。また、情報統制の徹底した共産党機構のなかで、これだけの大事件を省政府が党中央に報告しなかったはずもない。」という点にあります。
けれども、贈収賄等、なんらかの事情により、情報が中央政府に届いていなかったという可能性が、まったくないわけではありません。
また、たとえ「トカゲの尻尾切り」であったとしても、「まったく処罰しないよりはマシ」だと思います。おそらく、一般の中国人 (庶民) にしてみれば、多少なりとも腐敗にメスが入った、ということになるでしょう。したがって、(一般の中国人=庶民が) それを非難するのは難しいと思います。もちろん、「腐敗の表面にしかメスが入っていない、抜本的に腐敗を追及しろ」という批判は当然成り立ちますが、中国社会では賄賂が飛び交い、腐敗がはびこっているとすれば、そして党中央も腐敗しているとすれば、「抜本的な腐敗の追及」は期待するほうが無理でしょう。
部外者 (または外国人) の立場で見れば、「狡猾なガス抜き手法」だといって非難することも可能だとは思います。しかし、当事者 (または中国人) の立場で見れば、「すこしずつ腐敗に手を打っている」ということになると思います。
もっとも、だからといって、手法 (2) が、「ガス抜き手法」としての性質を有していることには、変わりありません。
腐敗した地方幹部の処罰・解任を、「トカゲの尻尾切り」「狡猾なガス抜き手法」として非難してよいか否かには疑問があるものの、それが「ガス抜き手法」としての性質を有することをも踏まえて中国社会・中国政治の動向を考察し、日中関係等に及ぼす影響を分析すればよいのではないかと思います。