言語空間+備忘録

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中国人は民主化を望んでいない?

2010-11-11 | 日記
陳惠運・野村旗守 『中国は崩壊しない』 ( p.36 )

 みずからを始皇帝になぞらえた毛沢東は、始皇帝以外にも歴史上の有名な暴君、たとえば商 (殷) の紂 (ちゅう) 王、『三国志』のなかの曹操などをきわめて有能で傑出した為政者と再評価した。また、始皇帝の焚書坑儒 (ふんしょこうじゅ) について「彼はわずか四〇〇人程度の儒家を殺しただけだが、共産党はその一〇倍、一〇〇倍の右派 (知識人) を追放した」と自慢したこともある。
 そればかりでなく毛沢東と共産党は、建国直後の国民党残存分子の粛清と反右派闘争、大躍進後の飢餓、文化大革命中の反革命分子処刑と、四半世紀のあいだに七〇〇〇万人とも言われる中国人の命を奪った。

(中略)

 しかし、国民党残存分子の粛清では数百万人を処刑し、大躍進政策の失敗で発生した大飢饉では四〇〇〇万とも五〇〇〇万とも言われる餓死者を出し、文革中の殺戮で数百万から一〇〇〇万と言われる被害者を出したことについては、国民の耳目に触れないよう、厳重に秘匿された。真実については九〇年代に入っても一部の研究者だけしか知らなかったし、現在でもなお国内の中国人は大概知らない。
 なぜなら、これら毛沢東と共産党が起こした悲劇について中国の学校で教えられることは絶対にないし、メディアがことの真相を報じることも決してないからだ。インターネット時代に突入した今日においても、常に網絡 (ネット) 警察が「大飢饉」「文化大革命」「天安門事件」などの文字に眼を光らせていて、党に都合の悪いこと――すなわち真実――が書いてあればすぐさま閉鎖してしまう。中国共産党の情報統制とはそこまで徹底したものなのだ。
 国民の側にも問題がある。なにしろ、中国人は現在にいたる数千年もの長い歴史のなかで専制政治以外を経験したことが一度もなく、民主主義も議会政治もまるで知らない。海外生活経験者などごく一部を除けば、中国人にとって独裁者に統治されるのは生まれながらにしてごく自然なことなのであって、水や空気のようにあって当たり前のことなのである。
 極論を言えば、中国人は支配されたがっている。
 常に誰かに命令されることに慣れ切ってしまったため、自分の頭で考えることを忘れてしまったかのようだ。ようは、自分と家族の生活以外のことなど考えるのも面倒なのだ。一般の中国人にとって専制と独裁は日常であり、庶民の暮らしとは黙して指導者の決定に従うことだと言っても過言ではない。


 中国共産党の情報統制を紹介し、中国人が真実を知らされないまま、中国共産党に支配 (統治) されている、と書かれています。



 要するに中国には民主主義がない。中国の国民 (中国人) には、民主主義を成り立たせるうえでの基盤となる情報 (真実) が知らされておらず、また、(一般の) 中国人は民主主義を望んでもいない、ということです。



 中国人は一般に、中国共産党を支持しているのではないかと思います。しかし、真実を知らされないままの支持であれば、それは本当の支持といえるのか、はなはだ疑問です。

 もちろん日本などの民主国家においても、「すべての」真実が知らされているわけではありません。国家機密に関する類 (たぐい) の内容であれば、国民には知らされないのが普通であるといってよいでしょう。しかし、政府が国民を数百万人も殺し、数千万人もの餓死者を出しておいて、それを「知らせない」となると、すこし話が違うのではないかと思います。

 しかし、これほどの規模で死者が出れば、いかに中国政府が情報を隠しているとはいえ、「真実は人づてに伝わっている」とみるのが自然だと思われます。とすれば、

   一般の中国人は、
      数百万人規模の処刑・殺戮、数千万人規模の餓死者の存在と、
      中国共産党がそのことを隠していることを、
    (ある程度) 知りつつ、中国共産党を支持している

と考えなければなりません。



 とすると、それはなぜなのか。普通の (日本人の) 感覚では、そのような政府・政党を支持することなど考えられないので、この部分が重要になります。

 著者によれば、「中国人は現在にいたる数千年もの長い歴史のなかで専制政治以外を経験したことが一度もなく、民主主義も議会政治もまるで知らない。海外生活経験者などごく一部を除けば、中国人にとって独裁者に統治されるのは生まれながらにしてごく自然なことなのであって、水や空気のようにあって当たり前のこと」であり、「ようは、自分と家族の生活以外のことなど考えるのも面倒なのだ。一般の中国人にとって専制と独裁は日常であり、庶民の暮らしとは黙して指導者の決定に従うことだと言っても過言ではない。」ということになります。つまり、

   中国人にとっては、「そんなの当たり前」

だというわけです。



 とすると、次に問題になるのは、「中国人が民主主義を望んでいないならば、中国が民主主義ではないからといって、中国を非難してよいのか」です。

 この問題は、「ノーベル平和賞と、中国の立場」で引用しているような状況をどう考えるか、とつながっています。すなわち、中国を非難してはならないならば、劉暁波 (りゅう・ぎょうは) さんに対するノーベル平和賞をめぐって、諸外国が中国を批判・非難しているのは筋違いであり、中国政府の反論は「正しい」ということになります。

 ここは難しいところだと思いますが、私としては、「一度も民主主義を経験したことがない」ために「独裁・専制政治は当たり前」だと中国人が思っているなら、それは本当の意味で「民主化を望んでいない」とはいえないのではないかと思います。独裁・専制政治は (政府を批判する際に、程度はともかく) 不利益を蒙る恐れ、恐怖を伴うのであり、それら恐怖はないほうがよいはずです。

 したがって、やや迷うところはあるものの、「中国人のなかにも民主化を望んでいる人々がいる」ことをも考えれば、ノーベル平和賞の授与、および (授与に対する) 諸外国の支持は「正しい」とみてよいのではないかと思います。つまり私は、「中国を非難してよい」と考えます。
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