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言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

司法修習生の給費制、一年延長の見通し

2010-11-19 | 日記
毎日jp」の「司法修習生:給費制延長 生活資金貸与制取りやめへ」( 2010年11月18日 20時46分 )

 民主、自民、公明3党は18日、国会内で開いた幹事長・国対委員長会談で、国が司法修習生へ生活資金を貸し付ける貸与制を取りやめ、従来の支給型の給費制を11年10月31日まで1年間、延長することで合意した。裁判所法改正案を議員立法で提案し、今国会での成立を目指す。1日に施行されたばかりの法律を改正し、始まってもいない貸与制を元の制度に戻す異例の対応。参院で野党が多数を占めるねじれ国会のもと、民主、自民両党が給費制にこだわる公明党の主張をのんだ。

 貸与制は、民主、自民、公明党などの賛成で04年に成立した改正裁判所法が1日に施行され、11月からの移行が決まっていた。ところが公明党が「法曹を目指す人の環境が悪くなる」(漆原良夫国対委員長)と給費制の継続を主張。自民党は10月末に党法務部会で給費制継続に反対する方針を決めていたが、公明党に歩調を合わせて方針を変えた。会談では民主党の枝野幸男幹事長代理が「各党の意見が一致するのであれば(民主)党としてもまとめる」と応じた。

 今後の国会運営をにらみ、民主、自民両党が公明党にすり寄った結果だが、突然の方針転換には反発も出ている。桜井充副財務相は会見で「財政当局には相談がなかった。本当に困ったことだ」と批判し、自民党の平沢勝栄・法務部会長も「異例中の異例だ。魑魅魍魎(ちみもうりょう)だ」と不快感を示した。【横田愛】


 民主、自民、公明三党は司法修習生の給費制を一年間延長することで合意した、と報じられています。



 当ブログのコメント欄に、近いうちに「給費制維持・貸与制廃止」で決まる、という情報が寄せられていましたが (すくなくとも、そのように取れるコメントが寄せられていました。「省略」のコメント欄参照 ) 、

 その情報はすこし、事実と異なっていたようです。

 給費制維持に転換した (はずの) 民主党、給費制廃止を主張する自民党。それぞれが妥協し、給費制の「一年間延長」で決着する見通しとなりました。

 ( 報道文には「民主、自民両党が給費制にこだわる公明党の主張をのんだ」とあります。民主党も給費制廃止の方向で動いていたのかもしれません )



 私は給費制廃止を主張しています (貸与制にして返済免除を認めるのがよいと思います) が、国会が延長を決めるなら、それはそれでよいと思います。(日弁連と違って) 自説に固執するつもりはありません。

 日弁連の態度を考えると、おそらくこの先一年、「また」給費制の是非論が繰り返されるのでしょう。国会が日弁連の要求を完全に認めるまで、延々と議論が続くのかもしれません。それを考えると、うんざりします。

中国人民解放軍における軍内党組織 (政治委員)

2010-11-18 | 日記
陳惠運・野村旗守 『中国は崩壊しない』 ( p.82 )

 人民解放軍の前身である紅軍の原点は、二七年四月の第一次国共分裂後、各地で共産党が指揮した農民蜂起 (その端緒が八月一日に江西省で起こった南昌起義だった) である。ようは、鍬 (くわ) や鋤 (すき) で武装した反乱農民によるゲリラ部隊で、当初は「中国工農革命軍」と呼ばれた。そして、その年の九月に湖南省で起こった「秋収蜂起」に際して毛沢東は、ばらばらだった農民軍を組織化して一〇〇〇人ほどの軍隊をつくり、これを「中国工農革命軍第一軍第一師第一団」と命名する。
 組織化にあたって毛が採用したのは、軍のなかに党の命令系統を浸透させる方法だった。当初の農民兵たちは田畑を失って食わんがために革命軍に参加した者がほとんどで、革命に対する意志は不安定だった。傭兵気分の抜けない農民兵たちを統率し、革命家としての自覚を徹底させるため毛沢東は、軍のなかに党の細胞網を張り巡らせた。軍の末端単位である班 (分隊) と排 (小隊) に共産党の小組を、連 (中隊) に党の支部を、営 (大隊) に党の委員会を置いた。これによって党の命令が軍の末端まで正確に届くようになり、党の監視が行き渡り、革命軍としての規律が保てるようになった。
 この方式で武装農民の組織化に成功した毛沢東は、二八年には農民ゲリラ軍を「中国工農紅軍 (紅軍)」と改称する。そして長征を経て延安にたどり着くと、党の軍に対する指揮権を強化するため軍内党組織の建設に腐心し、さまざまな制度をつくり出した。
 たとえば、軍の最高指揮権と司令権は党中央と中央軍事委員会に集中させ、軍内に党の綱領を徹底させた。また、軍のなかの各単位ごとに、軍務と党務の責任者――たとえば、連長と連支部書記、あるいは団長と団政治委員というように――を分業させ、両者を並立させた。
 この方式はいまなお続いている。現在の中国人民解放軍の兵力は約二三〇万人で、陸軍・海軍・空軍・第二砲兵 (戦略ミサイル部隊) に分かれている。なかでも約一八〇万人の兵力が集中する陸軍は七つの軍区に分かれ、その組織形態は、軍⇒師⇒団⇒営⇒連⇒排⇒班という単位で成り立っている。基本的には、班が三つ集まって排になり、排が三つ集まって連になり、連が三つ集まって営になり、営が三つ集まって団になり、団が三つ集まって師になり、師が三つ集まって軍となる。
 営以上の各単位には共産党委員会が設置され、党が指名した政治委員 (書記) がそれぞれの単位の党務、すなわち政治的任務を司る (つかさどる) ことになる。各政治委員の地位は軍長・師長・団長とまったく同格で、お互い監視し合っている。
 また、連には共産党支部が、排と班には党の小組が置かれ、それぞれ支部長・組長が各単位の隊長と並立して部隊を統括している。軍務と党務を兼任するのは、七つの軍区を統括する党中央軍事委員会主席で党総書記の胡錦濤ただ一人だ。
 軍の隅々にまで党の細胞を浸透させるこの方式は、ソビエト赤軍の創始者としてロシア革命 (1917) を戦ったトロツキーの発明である。

(中略)

 中華人民共和国成立後、共産党の忠実な番犬となった人民解放軍では、兵卒から将校に昇進するためにはまず共産党に入党することが条件となった。「排」以上の単位において非党員幹部の存在は許されない。なぜなら軍内の人事権は党が握っており、党の指名がなければ昇級が不可能だからである。ようするに、軍の幹部や実力者はすべて党員であって、彼らの行動原理は、軍人である以前に党員であることが求められる。


 中国人民解放軍には、軍のなかに政治委員が存在する。軍内党組織を建設することで、党の軍に対する指揮権を強化しているのである、と書かれています。



 要は、人民解放軍は党によって「軍内部からも」監視されている、ということです。その目的はもちろん、軍による (党に対する) 反乱を防ぐことであるはずです。

 とすれば、



 「国際戦略コラム」の「中国の意図と対応策

中国の国家体制は戦前の日本と同じで、内閣が軍を抑えることが出来ない。ナンバー1は胡錦濤国家主席であるが、ナンバー2は常務委員長の呉邦国で太子党かつ軍部の支持を得ている。ナンバー3が温家宝首相である。軍事委員会は内閣とは別であり、内閣より上の状態にある。今回の事件は元軍艦の漁船ということは軍部が実行したはずである。

中央軍事委員会主席は団派の胡錦濤であるが、実権は郭伯雄で中央政治局委員で太子党の方に組する。中央政治局の常務委員では、団派が5名(胡錦濤、温家宝)、太子党4名(呉邦国)という勢力である。この団派と太子党の権力闘争が起きる可能性が高い。

団派とは中国共産党青年団からのし上った人たちであり、太子党とは歴代共産党首脳の息子や孫と上海閥の連合体である。

特に軍部を味方にしている太子党は、経済分野を指揮する団派を苦しめるには、人民元の切り上げ問題で団派を国民の支持を失う可能性がある時に軍部を使って、権力闘争をすることは利にかなっている。


 尖閣沖漁船事件をめぐって、「中国の国家体制は戦前の日本と同じで、内閣が軍を抑えることが出来ない」「今回の事件は元軍艦の漁船ということは軍部が実行したはずである」と書かれています。



 軍が内閣とは異なった意図を持ち、勝手に動いているのではないか、と推測されているのですが、

 上記、人民解放軍における軍内党組織の存在を考えると、それは「ありえない」のではないか、と考えられます。中国人民解放軍は、中国共産党に対して逆らえない仕組みになっているからです。



 戦前の日本においては、軍は内閣ではなく、天皇に直属していました。内閣の干渉は「天皇の統帥権」を侵すものとして、問題だとされたのです。

 現在の中国においては、軍は国家ではなく、党に直属しています。人民解放軍は「国家の軍隊」ではなく、「党の軍隊」なのです。

 戦前の日本で、軍が天皇に逆らうことが考え難かったのと同様、現在の中国において、軍が党に逆らうことは考え難いと思います。絶対にあり得ないとまでは言いませんが、

   中国人民解放軍には政治委員がおり、
     党に対する反抗の兆候に目を光らせている

ことに鑑みれば、「戦前の日本軍以上に、人民解放軍が党に逆らうのは難しい」と考えられます。つまり、事実上、軍が党に逆らう可能性はゼロに近い、とみてよいでしょう。



 もちろん、団派と太子党の権力闘争に際して、太子党が軍部を使うとなれば、軍が「党に逆らう」のとは、事情が異なります。軍が「党の (一部勢力の) 意向を受けて」動くことになるからです。

 しかし、そのような動きがあれば、ただちに団派は、人民解放軍の幹部を更迭すればすむ話です。党の最高意思決定機関たる党中央政治局常務委員会において、多数決で幹部を更迭し、新たに適当な者を任命すれば足ります。したがって、「中央政治局の常務委員では、団派が5名(胡錦濤、温家宝)、太子党4名(呉邦国)という勢力である」とすれば、少数派である太子党側の意向に沿って軍が動くことはあり得ない、と考えられます。

 もちろん、実際には「中央政治局の常務委員では、団派が5名(胡錦濤、温家宝)、太子党4名(呉邦国)という勢力」ではなく、太子党側に有利になっている可能性はあります。しかし、仮にそうだとすれば、わざわざ軍を使って尖閣沖漁船事件を起こさなくとも、最高意思決定機関たる常務委員会において、政府の方針を太子党の意向に沿ったものにすれば、それで足ります。

 したがって、尖閣沖漁船事件が党内権力闘争の一端ではないか、という分析には、説得力が欠けているのではないかと思います。

民主党には、現場に対する敬意が欠けているのではないか

2010-11-18 | 日記
産経ニュース」の「民主・松崎議員が自衛官を「恫喝」か 「俺を誰だと思っている」」 ( 2010.11.18 01:30 )

 民主党の松崎哲久衆院議員(60)=埼玉10区=が今年7月、航空自衛隊入間基地(埼玉県狭山市)で行われた納涼祭で秘書が運転する車を呼び寄せる際、空自側の規則どおりの対応に不満を抱き、隊員に「おれをだれだと思っているのか」と“恫喝(どうかつ)”ともとれる発言をしていたことが17日、分かった。防衛省幹部や、自衛隊を後援する民間団体「航友会」関係者が明らかにした。

 入間基地では今月3日の航空祭で、航友会の会長が「民主党政権は早くつぶれてほしい」と発言。これを受け、防衛省は自衛隊施設での民間人による政権批判の封じ込めを求める事務次官通達を出した。松崎氏は会場で会長の発言も聞いており、周囲に強い不快感を示していたため、「納涼祭でのトラブルも遠因になり、異例の通達につながったのでは」(防衛省幹部)との見方も出ている。

 松崎氏は7月27日の納涼祭に来賓として出席。帰る際に駐車場から約30メートル離れた場所に自分の車を呼び寄せるよう、車両誘導担当の隊員に要求した。だが、歩行者の安全確保策として片側通行にしていた道路を逆走させることになるため、隊員は松崎氏に駐車場まで歩くよう求めた。

 ところが、松崎氏は歩行者はいないとして車を寄せるよう指示。隊員が拒否したところ、「おれをだれだと思っているのか」「お前では話にならない」などと発言した。

 別の隊員が松崎氏の秘書が運転する車を逆走させる形で寄せると、「やればできるじゃないか」という趣旨の発言もした。誘導担当の隊員が「2度と来るな」とつぶやくと、松崎氏は「もう1度、言ってみろ」と迫ったとされる。こうした過程で、松崎氏が誘導担当の胸をわしづかみにする場面もあったという。

 松崎氏は産経新聞の取材に一連の発言をすべて否定し、「(隊員の)体には触れていない」と述べた。一方、「(受付を通り越して)駐車場でしか車を降りられないなど誘導システムが不適切だと指摘はした」と説明し、「隊員に2度と来るなと言われたことも事実。(自分は)何も言っていない」と話している。


 民主党の松崎哲久衆院議員が自衛官を恫喝した。しかし議員本人は否定している、と報じられています。



 松崎議員は否定している、とのことですが、議員が「隊員に2度と来るなと言われたことも事実」とすれば、なんらかのトラブルがあった、とみるのが自然でしょう。そしてその「なんらかのトラブル」は、かなり (感情的に) 大きなトラブルだった、とみなければなりません。

 自衛官が議員に対し「2度と来るな」と言ったとすれば、それは当該自衛官にとって、かなり不愉快な態度を議員がとったと思われます。

 とすれば、議員が「おれをだれだと思っているのか」「お前では話にならない」などと発言し、さらに「やればできるじゃないか」という趣旨の発言もしたというのも、事実ではないかと考えるのが適切であるように思われます。

 とすれば、議員の「(自分は)何も言っていない」という発言は、

   あとになって、「これはヤバい」と思った議員が「とぼけている」

と考えるのが合理的である、ということになります。



 この種の事柄は、事実を「証明する」ことが難しいのですが、おそらく上記推測は正しいのではないかと思います。そして、(事実が) 上記推測の通りであるとすれば、自衛官の民主党に対する不信感は、かなりの程度にまで高まってきつつある、と思われます。

 「弁護士による「詭弁・とぼけ」かもしれない実例」などの経験から、「詭弁」「とぼけ」と思われる態度を (相手に) とられた場合、「かなりの不信感が生じる」と断言できます。



 尖閣ビデオの件もあり、自衛官・海上保安官のなかに、かなりの程度、現民主党政権に対する不信感が生じてきているのではないかと思います。それは自衛官・海上保安官に問題があるということではなく、民主党政権 (または議員) の側に原因があると考えるのが、適切ではないかと思います。

 自衛官・海上保安官は (場合によっては) 命をかけて国を守ろうとしている人々であり、もっと「現場に対する敬意」があってしかるべきではないかと思います。

中国共産党の「ガス抜き手法」

2010-11-17 | 日記
陳惠運・野村旗守 『中国は崩壊しない』 ( p.73 )

 ところで、ここで一点注意が必要なのは、北京への陳情・デモ・ストライキ・暴動……等々と、ありとあらゆる手段を通じて繰り返される民衆の抗議活動が一貫して地方政府や地方幹部に向かい、「打倒中国共産党」という一つの大きなうねりには決してならない、ということだ。
 理由の一つは、先に述べた中国人の賢帝清官信仰である。そしてもう一つが、その中国人の深層心理を熟知する中国共産党のたくみな統治手法だ。
 八九年の天安門事件で共産党は大衆の反乱を武力で鎮圧したが、外国から経済制裁を受けるなど、その反動も大きかった。また、暴力はあくまでも一時凌ぎ (しのぎ) にしかならず、後に大きな禍根を残すということがわかった。力ずくで弾圧しても国民の不満を解消するにはいたらず、逆に潜在化し、やがて党に対する脅威になる可能性が強いという教訓を得たのである。
 そこで必要なのは、社会に充満するフラストレーションが党中央に向かって暴発しないよう、日頃から人々の不満を調節するガス抜き作業である。
 最初に江沢民が採ったのは、国民のナショナリズムを煽って国内の矛盾を日本やアメリカに転化させる方法だった。九〇年代後半から愛国教育を徹底させた上で「抗日戦争記念館」を続々と建設し、九九年には、コソボ紛争でベオグラードの中国大使館が米軍機によって誤爆 (「正確な誤爆」だったという説もあるがここではさておく ) されたといってアメリカ大使館を襲撃するなど反米運動を煽った。
 中国人は日頃猜疑心が強いくせに、このような場面になると極端に騙されやすい。お上の言うことは常に正しいと信じ切っているものだから、いとも簡単に為政者の扇動に乗ってしまう。しかし、このような反日反米扇動はたしかに一時的な不満解消にはなったが、その代償もまた大きかった。抗議活動に暴力が加われば国際社会でのイメージは著しく低下するし、逆に相手国の反中感情を刺激することにもなる。さらにナショナリズムを煽り過ぎると、やがて民衆の熱狂が党のコントロールを超えて、収拾がつかなくなるということもわかった。
 日本の国連常任理事国入り反対運動を契機として燃え上がった〇五年四月の反日暴動では、当初都市部で署名活動をおこなうなど、党が率先して反日行動を扇動していた。ところが、次第に上からの統制がきかなくなり、大暴動に発展してしまった。
 しかも、現代の中国はかつてのような鎖国体制ではなく、経済優先を謳う貿易立国である。日本やアメリカのような経済大国を敵にまわせば、その反動はたちまちのうちに巨額の経済損失となって跳ね返ってきた。
 そこで現胡錦濤政権が採用しているのが、地方幹部の粛清=解任劇によって国民のカタルシスを促す、という新たなガス抜き手法である。
 たとえば、〇八年九月に公にされ、全世界を震撼させた中国製粉ミルクのメラニン混入事件では、国内最大の乳業メーカーである三鹿集団の社長が逮捕された。また、地元・石家荘市 (河北省) の市長と共産党委員会書記が免職されたほか、国家品質検査検疫総局の局長も辞任に追い込まれた。その上で病気になった赤ちゃんの治療費用を国が負担するということで被害者は納得し、いつのまにか事件は収束してしまった観がある。
 しかし事件の核心部分は、いまもってまったく未解決のままなのだ。

(中略)

 石家荘市は河北省の省都で、市政府と省政府は目と鼻の先にある。役人間の交流も盛んだから、省政府が事実を知らなかったはずはない。また、情報統制の徹底した共産党機構のなかで、これだけの大事件を省政府が党中央に報告しなかったはずもない。

(中略)

 もちろん中国でも、一部の知識人たちは党幹部によるこのような狡猾なガス抜き手法に気づいていて、「共産党は "丢車保帥 (中国将棋の戦術の一つで「将を捨て帥を守る」の意)" をやっている」と憤っている。しかし、公然とそれを言い出せば、ただちに処刑されてしまうというのが中国言論界の現状である。


 中国共産党のガス抜き手法について、説明されています。



 引用部分は、「中国人の賢帝清官信仰」で引用した部分の続きです。一部、引用が重なっています。



 著者によれば、共産党のガス抜き手法とは、

   (1) ナショナリズムを煽って人々の不満を外国に向ける、
   (2) 腐敗した地方幹部を粛清=解任する、

です。

 手法 (1) は、日本において広く知られており、とくに述べることは何もありません。そこで、以下では手法 (2) に絞って考えます。



 手法 (2) は、私にとっては「意外」でしたが、そもそもこれは「狡猾なガス抜き手法」として非難してよいものでしょうか?

 たしかに、「丢車保帥」( 日本語でいえば「トカゲの尻尾切り」) にあたると考えれば、「狡猾なガス抜き手法」だといえます。

 しかし、その根拠は「石家荘市は河北省の省都で、市政府と省政府は目と鼻の先にある。役人間の交流も盛んだから、省政府が事実を知らなかったはずはない。また、情報統制の徹底した共産党機構のなかで、これだけの大事件を省政府が党中央に報告しなかったはずもない。」という点にあります。

 けれども、贈収賄等、なんらかの事情により、情報が中央政府に届いていなかったという可能性が、まったくないわけではありません。

 また、たとえ「トカゲの尻尾切り」であったとしても、「まったく処罰しないよりはマシ」だと思います。おそらく、一般の中国人 (庶民) にしてみれば、多少なりとも腐敗にメスが入った、ということになるでしょう。したがって、(一般の中国人=庶民が) それを非難するのは難しいと思います。もちろん、「腐敗の表面にしかメスが入っていない、抜本的に腐敗を追及しろ」という批判は当然成り立ちますが、中国社会では賄賂が飛び交い、腐敗がはびこっているとすれば、そして党中央も腐敗しているとすれば、「抜本的な腐敗の追及」は期待するほうが無理でしょう。



 部外者 (または外国人) の立場で見れば、「狡猾なガス抜き手法」だといって非難することも可能だとは思います。しかし、当事者 (または中国人) の立場で見れば、「すこしずつ腐敗に手を打っている」ということになると思います。

 もっとも、だからといって、手法 (2) が、「ガス抜き手法」としての性質を有していることには、変わりありません。

 腐敗した地方幹部の処罰・解任を、「トカゲの尻尾切り」「狡猾なガス抜き手法」として非難してよいか否かには疑問があるものの、それが「ガス抜き手法」としての性質を有することをも踏まえて中国社会・中国政治の動向を考察し、日中関係等に及ぼす影響を分析すればよいのではないかと思います。

中国人の賢帝清官信仰

2010-11-16 | 日記
陳惠運・野村旗守 『中国は崩壊しない』 ( p.70 )

 こんな理不尽な社会に暮らしながら、どうして中国人は共産党政権に怒りの声を挙げようとしないのか?
 もちろん、現在の中国で各地の農民らによるデモや暴動が頻発しているのは周知の事実である。しかし、それが現政権の転覆につながるかといえば、そのような兆候はまったく見られない。理由はいくつか考えられるが、最大の因子は中国人の意識構造のなかに求められる。
 漢の武帝 (紀元前141~紀元前87) が儒教を国是として採用して以来、中国は二〇〇〇年の長きにわたって儒家思想による封建専制政治を続けてきた。儒教は秩序と道徳を重んじる。「君君臣臣、父父子子」――この序列は絶対であって、決して乱れることがあってはならない。そして皇帝は常に賢く、官僚はいつも清廉でなければならない。中国には古来より、このような賢帝や清官が悪代官や悪徳商人を懲らしめる物語が溢れている。
 中国人が大好きな京劇の英雄に包拯がいる。『秦春蓮』や『鍘美案』などの演目に登場する包拯は宋代に実在した高官の一人で、皇帝から上方宝剣という刀を賜って全国を漫遊した。この剣は、不正を働く官吏や商人を見つけたら、たとえ皇帝の肉親であってもその場で処刑しても構わない、というお墨付きがついた特別の刀である。上方宝剣を携えた包拯は天下無敵。悪の限りを尽くす地主や官吏をばったばったと斬り倒してゆく。
 史実をもとにした包拯の武勇伝は、京劇以外にも多数の伝承文学として残され、庶民のあいだで親しまれてきた。ちょうど、日本の『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のような時代劇を思い出してもらうとわかりやすい。ストーリーはあれとほとんど変わらない。悪いのは常に地方の代官や商人であって、彼らの悪事はお上の威光を受けた正義の主人公によって裁かれる、というのがお約束だ。
 違うのは観る側の意識である。『水戸黄門』を観ている日本人は、ドラマをドラマとして楽しんでいる。一方で、あれは絵空事であり、あるいは実話だったとしても昔話であって、あんなことが現実に起こるはずはないと思っている。ところが、京劇を観ている中国人は実際にあった話として包拯の活躍に胸を躍らせ、あのようなことが自分の身のまわりにも現実に起こるに違いないと思いながら物語を堪能しているのだ。
 現代の日本人には容易に理解し得ないかもしれないが、現在でもこれが一般的な中国人の庶民感覚である。つまりは、二〇〇〇年に及ぶ儒教統治の帰結として、賢帝清官のお上 (朝廷) 信仰が中国人の世界観 (中華思想) の一部を形成しているということだ。たとえ世の中に悪が蔓延ろうとも (はびころうとも) 、国家の指導者はいつも正しく、悪いのは常に地方の小役人であると中国人は考える。自分の身に何か政治的な厄災が降りかかったとしたら、かならずや賢帝や清官が汚名を雪ぎ (すすぎ) 、不正を糾弾し、艱難 (かんなん) から救い出してくれるものと信じているのだ。
 現代中国の朝廷は共産党である。

(中略)

 だから都市住民も農村住民も、党中央指導部の絶対善を信じて疑わない。世の中の不正はすべて一部の悪党によって為されたものであって、党中央に直接訴えれば賢明な指導者がこれを正してくれるものと信じ込んでいるのだ。
 現在の最高指導者である胡錦濤のもとには、「北京市、天安門、胡錦濤主席」と宛名が書かれた嘆願書が、全国から毎日何百何千通と届く。また、北京市南部の上訪村 (=直訴村、北京五輪の直前から一時閉鎖された) には地方から上京した農民たちが常時一万人も狭い部屋のなかに寝泊りして、みずからの苦境を中央政府に訴える順番を待っている。それぞれにトラブルを抱えた彼らは、お上に訴えが届きさえすれば、いずれ賢明な党の指導者たちが問題を解決してくれるものと信じているのだ。なかには地方での裁判に絶望して上京し、二〇年にわたって陳情を続けている人もいる。
 ところで、ここで一点注意が必要なのは、北京への陳情・デモ・ストライキ・暴動……等々と、ありとあらゆる手段を通じて繰り返される民衆の抗議活動が一貫して地方政府や地方幹部に向かい、「打倒中国共産党」という一つの大きなうねりには決してならない、ということだ。
 理由の一つは、先に述べた中国人の賢帝清官信仰である。そしてもう一つが、その中国人の深層心理を熟知する中国共産党のたくみな統治手法だ。


 中国人はお上、つまり共産党が「いつも正しい」と信じている。中国社会に問題があるとすれば、それは地方の小役人が「悪い」からである。このような中国人の賢帝清官信仰を考えれば、民衆の抗議活動は地方政府や地方幹部に向かうのみであり、「打倒中国共産党」という一つの大きなうねりには決してならない、と書かれています。



 私も、直訴村の話は知っています。

 一般の中国人 (…の大部分) が賢帝清官信仰を持っているか否かまでは (私には) 断言しかねますが、「お上に訴えれば不正は正される」と信じていなければ、直訴村など存在しないと考えられます。直訴しても「ムダ」だからです。

 とすれば、中国人は、「お上 (=いまの世の中では共産党)」を信じている、と考えなければならないことになります。とすると、



 私は、「中国人は民主化を望んでいない?」において、
 しかし、これほどの規模で死者が出れば、いかに中国政府が情報を隠しているとはいえ、「真実は人づてに伝わっている」とみるのが自然だと思われます。とすれば、

一般の中国人は、
   数百万人規模の処刑・殺戮、数千万人規模の餓死者の存在と、
   中国共産党がそのことを隠していることを、
 (ある程度) 知りつつ、中国共産党を支持している

と考えなければなりません。
と述べ、かつ、

 「中国共産党による独裁体制の確立と、その現状」において、
 一党独裁体制を確立する過程について。

 蔣介石の国民党を糾弾する際に、「一党独裁」であることを批判しておきながら、みずからが権力を握ると、みずから「一党独裁」体制を構築したというのは、権力闘争の「手段」としてはあり得るでしょうが、「卑怯」ではないかという気がしないでもありません。

 また、反対派を潰す手段として「自由に意見を提出せよ」と宣言しておいて、それを信用して提出された意見のうち、共産党に対して批判的な意見の提出者を逮捕・粛清したというのも、「卑怯」ではないかと思います。

 これでは、共産党を信用しろ、というのが無理ではないでしょうか。
と述べましたが、

 実際には、「それでもなお、中国人は共産党を信じている」ということになります。



 これは、(私には) 信じ難い話です。



 人の記憶は薄れ、次第に忘れてしまう、ということなのでしょうか?

 人はつい、目の前にある物事 (あるいは、目の前にいる人) にとらわれがちである、ということなのでしょうか?

 それとも、直訴する人々は、(それでも共産党中央に直訴せざるを得ないほど) 「切羽詰まっており、ほかに方法がない」というにすぎないのでしょうか?



 これについては、さらに資料を集めたうえで、考えたいと思います。いまの私には、結論が出せません。